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Les mondes de Chaumet (ショーメ展)

「三菱一号館」さんで開催されている美術展「Les mondes de Chaumet(ショーメの世界)」に行ってきました。∩(〃´▽`〃)∩☆゜*+。

CHAUMET(ショーメ)とは、1780年にフランスのパリで創業されたジュエラーです。18世紀後半、ジュエラーにとっては危機的状況とも言える革命時代に誕生し、波乱の荒波に耐え抜いて現代まで生き残った、革命時代を代表するジュエラーの一つです。

このジュエラーの作品が並ぶ展覧会が開かれたので、行ってきました。d(〃´ω`〃)b✿゜*+。写真撮影可のものがいっぱいあったので、ブログにアップしてみます。

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美術展の会場は、以前過去記事「プラド美術館展」のときと同じで、三菱一号館さんです。

お昼に到着したので、三菱一号館さんで昼食をとってから美術展を見ることにしました。昼食をとったカフェは、プラド美術館展のときと同じく、「Café1894」さんです。なんとも運が良いことに、タイミング良くソファー席が空いて、ソファー席に案内されました…!!!!!(っ〃´ω`〃c)♡♡♡♡♡゜*+。

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私と友達の2人だったのですが、この席はコの字型になっていて、6人くらいゆったりとソファに座ることができるんです…!!!!!∩(〃´▽`〃)∩♡♡♡♡♡゜*+。

壁を背にしてソファに座ると、左前方に、お洒落なカウンターがあります。

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正面を向くとこんな感じです。

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右を向いていきますと…

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右側に、このカフェの入口が見えます。

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完全に右を向いた状態です。

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縦に写真を撮ると、テーブルまで写真にうつりました。d(〃´ω`〃)b☆゜*+。

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メニューです。ショーメ展に合わせて「plein de nature」というタイアップメニューを展開しているようなので、それを頼むことにしました。

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私は温かい紅茶、友達はアイスティーを頼みました。

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友達のサラダも撮らせてもらいました。

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ショーメ展とのタイアップメニューの前菜、「季節野菜のサラダ仕立て ホタテ貝のタルタル ラビゴットソース」です。夏らしいヒンヤリとした前菜で、アッサリ頂けました。貝の臭みを感じさせない上品な味でした。ただ、タイアップメニューなので、もう少し冒険して、個性や存在感を出してもいいかなと思いました。たとえば、今回はショーメとのタイアップなので、果物を宝石に見立てるなどして使うと、もっと印象に残る前菜になったと思います。

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タイアップメニューのメイン、「鴨胸肉のロティ 牛蒡のピューレ ノワゼットソース」です。夏らしく、余計な油を感じさせないつくりで、サラッと頂けました。私はかなり小食で、普通の女性の半分~三分の二程度しか食べられないのですが、私の胃にも全く負担に感じませんでした。味は、とてもCafé1894さんらしい味でした。トゲトゲしくない、万人受けするだろう優しさで包まれています。

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私はCafé1894さんの味が好きなので、今回の食事もとても楽しめました。(〃´▽`〃人)✿゜*+。東京駅のそばということで便利なので、これからも食べに行かせて頂こうと思います。

お腹がいっぱいになりましたので、美術展に行きましょう…!!!!!∩(〃´▽`〃)∩♡゜*+。カフェから出た後は、この道を通って、三菱一号館さんの中庭に行きます。

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中庭には、ばらが咲いていました…!!!!!Σ(っ〃゜Д゜〃c)✿゜*+。

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この季節にばらが咲いているなんて…!!!!!∩(〃´▽`〃)∩✿゜*+。

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中庭に、ショーメ展のポスターが貼られていました。涼しくするためなのでしょう、細かい霧が放出されていました。

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ショーメ展の中では、写真撮影が許可されている箇所がありました。それだけでなく、LINEアプリによって、展示作品に近づいたり説明番号を送信したりすると、作品の説明が文章で表示されたり動画が流れたりするようになっていました。写真撮影可の部屋では、写真を撮るための長い列が出来ていたのですが、並んでいる間にこのLINEアプリで遊ぶことにより、並び時間中に退屈しないで済むので、良い仕様だなと思いました。他の美術展でもスマホと連動させたギミックを見たのですが、良いアイディアだと思います。やはり、長い列ができてしまう系の美術展のときには、このような仕様をどんどん導入していくのが良いと思います…!!!!!(っ〃˘ω˘〃c)☆゜*+。

写真撮影可の部屋に入ると、なにやら壁一面に、何かが付けられているようです…これは一体?(っ〃゜Д゜〃;c)☆゜*+。

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近づいてみると、ティアラでした…!!!!!Σ∩(〃゜◇゜〃;)∩☆゜*+。

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この、壁に直に飾られているティアラ達は、よく見ると高価な本物ではありませんでした。設計やデザインを考えるときに作った、型番のようなものなのでしょうか?

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中には、フルール・ドゥ・リス(フルール・ドゥ・リスが出てくる記事は「夢」「レースの敷物・羽・羽ペン」「つるすタイプのガラスのインテリア」「ボッティチェリ展」などです)のティアラもありました。

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この部屋には、ガラスケースに入った、本物の宝石を使ったティアラ達が飾られていました。ガラス越しでの写真撮影可ということで、写真を撮るための長い列ができていました。

こちらは、ガラスケースの中で最初に飾られていた、サファイアとダイヤのティアラで、「アポロンの蒼穹」という名前が付けられています。ローリエ(月桂樹)で出来た冠がモチーフです。古代ヨーロッパでは、月桂樹で作った冠は月桂冠と呼ばれ、勝利と栄光の象徴として、勝者などの強い者達の頭を飾っていました。その月桂冠を、現代の2016年に、サファイアとダイヤで作ったものです。女性用としての繊細な美しさを保ちつつも、力強さを纏ったティアラです。

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こちらはプラチナとダイヤで作られたティアラです。1907年頃に作られたと言われています。

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こちらは、プラチナと真珠とダイヤで作られたティアラです。よく見ると、真珠は全て形がふぞろいなバロック真珠と呼ばれるものを使っているのですが、デザインが計算されているために不自然さを感じず、むしろ自然の美を表現できています。

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1810年頃に、カロリーヌ・ミュラ(ナポレオンの妹)のために作られたそうです。ゴールドと真珠とアゲートで出来ています。デザインにはナポレオン帝政期の古代趣味が反映されています。ギリシャ神話のクピド、プシュケー、オムパレ、ボヌス、ヘラクレス、ポンペイア、ウェヌスがアゲートに彫刻されています。

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ゴールドと、シルバーと、ダイヤと、そして大きなアメジストで作られたティアラです。1830年頃の作だそうです。

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イングランドの、第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルが、妻であるアンナ・マリア・ラッセルに捧げるために入手したティアラです。野ばらやジャスミンなどの花々と、果実と、葉が組み合わさってできており、トランブルーズと呼ばれるギミックにより、身に着けた人間の動きに合わせて小さく揺れる仕様になっています。ゴールドとシルバーとダイヤ製で、1830年頃の作とのことです。

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ゴールドとシルバーとダイヤモンドでできた、パンジーがモチーフのティアラです。1850年頃とのことです。

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ナポレオンの妻だったジョゼフィーヌの後裔にあたる、ドイツのロイヒテンベルク家に由来するティアラです。ゴールドとシルバーとエメラルドとダイヤで出来ています。1830~1840年頃の作です。

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アメリカの実業家ペイン・ホイットニー夫人が所有していたティアラです。ブローチとしても使えます。翼をモチーフにしたデザインは、第一次世界大戦に至るころまでは、かなり流行していました。北欧神話のワルキューレの帽子についている翼から影響を受けています。プラチナとダイヤとエナメルで出来ています。1910年頃の作です。

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フランスの実業家アンリ・ド・ウェンデルの妻が、1905年に贈り物として注文したティアラです。カーネーションをモチーフにしており、プラチナとダイヤで出来ています。このウェンデル家は、ショーメの顧客として代表的な存在でした。中央の19.56カラットのブリリアントカットのダイヤは取り外し可能で、ペンダントとして身に着けることもできるようになっています。

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1913年作のティアラです。これは輪が二重になっており、中の輪のほうを取り外して外側の輪だけをチョーカーとして身に着けることができるようになっています。プラチナとダイヤです。

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1914年作、プラチナとダイヤで出来ています。

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シクスト・ド・ブルボン=パルマ公とエドウィジュ・ド・ラ・ロシュフコーとの結婚に当たり、花嫁エドウィジュの父親であるフランスのドゥドーヴィル公爵が、娘への贈り物として購入したものです。フクシアの花をモチーフにしており、涙のしずくのような形(ブリオレット・カット)のダイヤが、上品且つ、流れと動きのある視覚的効果を生み出しています。ショーメは後の作品においてペアシェイプ・カットによる視覚的効果を用いることになりますが、その技術を確立するに至る、特徴的な技術がこの作品に残されています。

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1931年3月10日、ベスボロー伯爵夫人ロベルト・ド・ニューフリーズ・ポンソンビーのために注文されました。アール・デコらしいデザインで、プラチナとダイヤで出来ています。中央のマーキーズ・カットのダイヤは、ベスボロー公爵がカナダ総督に任命されたプレゼントとして、ダイヤモンドの会社デビアスから贈られたものです。

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プラチナとダイヤで2015年に作られたものです。

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ゴールドとシルバーとダイヤで、1908年作です。

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ゴールドとシルバーとダイヤで、1920年作です。

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ゴールドとダイヤとトルマリンとガーネットで、2017年作です。

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ゴールドとスピネルとガーネットとトルマリンとダイヤで、2016年作です。ユリがモチーフで、一番上のユリは取り外してブローチとして使うことが出来ます。

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この部屋も写真撮影可で、大きな写真が飾られていました。

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展示会の出口には、アンケートが置いてあって、そこで投票された人気作品の3位~1位が表示されていました。

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見終わる頃には、夕方になっていました。夕日が透ける葉っぱが綺麗です。

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窓から、中庭を見下ろしたところです。

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中庭に降りて、この写真の右側にある建物の1階にあるビストロ(?)さん、「A16」さんでお茶を飲むことにしました。このお店、カリフォルニアイタリアンという謎めいた言葉が書かれていたので、一体アメリカ料理なのかイタリア料理なのか謎でしたが、どうやらアメリカで人気のカリフォルニア風イタリア料理、という意味のようです。

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台風の風が気持ち良いので、こういう感じに外にあるテラス席でお茶を飲むことにしました。

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私はジンジャーエール、友達はホットティーを頼みました。

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夕方になって薄暗くなってきたからか、店員さんがキャンドルをテーブルの上に置いていってくれました。

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テーブルに座って、左・正面・右を撮影して並べて、パノラマ写真のつもりです。(〃´艸`〃)☆゜*+。

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お茶を飲みながらおしゃべりしていたら暗くなってきたので、そろそろ帰ることにしました。

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この、右側にある、室内の明かりがガラス越しに透き通っているドアが、A16さんの出入口です。このお店、ソフトドリンクが全然無くて、ワインやお酒がメインだったので、お茶を飲みに寄るには少し物足りないかな…ガッツリ飲んで食べたいかた向けのお店だと思います。(っ〃´ω`〃c)☆゜*+。

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丸の内のビル街って綺麗なんですよねえ…(っ〃 ▽ 〃c)✿゜*+。東京駅付近って、街路樹が多くて綺麗ですし、道もビルもきちんとしていて、本当に綺麗だなあって思います。昼間も綺麗ですし夜も綺麗なんです。歩いていて気分が楽しくなってきます。

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夜の東京駅です。∩(〃´▽`〃)∩☆゜*+。

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こちらの写真は、三菱一号館の前の道を工事していた風景を撮影したものです。こんな風に、工事のための目隠しシートが、木々や植物をプリントしたものだったんです。

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工事用のシートに至るまで、ちゃんと景観を考えているんですねえ。この辺りの道が美しいのは、こういう小さな気づかいの積み重ねなんだろうなと思います。素敵だなあって思いました。d(〃´▽`〃)b♡♡♡♡♡゜*+。

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今回の美術展のおみやげです。リンゴ&エルダーフラワーのフレーバーのお茶を買いました。レモングラスとハイビスカスとパイナップルなども入っているようです。(っ〃゜Д゜〃c)☆゜*+。

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このお茶は、CLIPPERというイギリスのメーカーさんの商品なのです。

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CLIPPERさんのホームページはこちらでございます→「CLIPPERさん」
日本語のホームページはこちらでございます→「CLIPPERさん(日本語)」 …なんか、このホームページ、すごくかわいい日本語です。ほんわかします。日本語ネイティブのかたじゃなくて、イギリス人のかたが書いたんじゃないかな?(〃´艸`〃)♡♡♡♡♡゜*+。

最近、また新しいハーブティーをいくつか飲んでみたので、また時間のあるときに、お茶さん達の感想をまとめたレポ記事を書いてみようと思います。∩(〃´▽`〃)∩✿゜*+。

ご閲覧ありがとうございました!!!! m(〃_ _〃)m!!!!

プラド美術館展

ひと月に10記事は更新したい私です!!今月こそ10記事書くんだ!!p(*`◇´*)qファイッ!!

「プラド美術館展」を見に行ってきました。

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会場は、三菱一号館美術館です。

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中庭みたいな場所が設けられています。東京駅のすぐ近くにあるのですが、緑があってカフェやお店もあって、ちょっと良い雰囲気です。明かりが灯されはじめる夕方に通りかかると、なかなか雰囲気が出てます。

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プラド美術館展の看板が出ています。

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入口には大きな看板が掲げられています。

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ロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドル設計、19世紀後半のイギリスで流行したクイーン・アン様式で建てられた三菱一号館を模倣したものです。

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元の一号館は解体されて喪失、現在のものは当時の資料の現存するものからヒントを得た復元です。

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周囲に高い建物が無ければもっと雰囲気が出るのですが、立地が気の毒な建物です。

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このように中庭側から撮影すると、向こう側は道路なので背の高い建物が無く、なかなか良い雰囲気の写真が撮れるのですが、東京駅のすぐ近くということもあり、背の高い建築物に囲まれているせいで、写真を撮る方向を選ぶ建築物なのです。

これより先は、プラド美術館展のレポートと、「三菱一号館カフェ」の写真や料理のレポートなどが書かれています。

カフェはこういう感じです。

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料理はこういう感じです。

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そして今回の美術展は、スペインのプラド美術館が所有している絵画で構成されていました。
宗教画が主だった15世紀のルネサンスから、王侯貴族や宮廷好みのバロック、そして19世紀以降の一般大衆好みの作風へと変化していく絵画の流れを、歴史と時間の流れと共にざっくりと追っていくような展示方法でした。

長くなってしまった上にタルパとは全く関係無い内容なので、今回も追記に収納致します。美術展にご興味の無いお客様がスクロールするのは大変だろうと思いますので・・・(´▽`;A(汗)

見てやってもいいよ、とおっしゃるお客様は、下にございます「続きを読む」↓をクリックしてやってくださいませ。記事が開きます。
お手数お掛けして大変申し訳ございません・・・m( _ _;)m

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ボッティチェリ展

上野の東京都美術館で開催されている「ボッティチェリ展」「ボッティチェリ展」(←クリックで公式ホームページが別窓表示されます)に行ってきました!!∩(*´▽`*)∩!!
この展覧会は日伊(日本とイタリア)国交樹立150周年記念の行事の1つでして、他にも「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(クリックで公式ホームページが別窓表示されます)もその記念行事の1つに含まれるようです。

今回の展覧会では、ボッティチェリの師匠であるフィリッポ・リッピと、ボッティチェリの弟子でありライバルでもあったフィリッピーノ・リッピの作品も多数来ており、ボッティチェリの作品を当時の他の画家と比較して楽しめるような作りになっていました。


上野の東京都美術館で開催されているのです。この建物です。

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おおっ、大きなポスターが貼られてますね~。

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なんか建物の背が一部低いなあ?って思われたお客様、大丈夫でございます!!

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なぜなら、東京都美術館は地下にも階があるんですよ☆

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ボッティチェリの作品で現存しているのは約100点なのだそうですが、今回はその中の20点以上を展示、フィリッポやフィリッピーノなどの他画家の作品も含めると合計70点以上の展示ということでした。

美術展は第一章から第四章までの4つのテーマに沿って展示されていたのですが、その展示されていた順番にそって各章ごとに見どころ作品を紹介させて頂いてから、今回のテーマにそってボッティチェリとその師フィリッポそして弟子フィリッピーノとの作品を比較した感想を述べさせて頂く、という構成でレポート記事を書きたいと思います。m(*_ _*)m

すごく長くなってしまった上に、タルパとは全く関係無い内容なので、追記に収納致します。美術展にご興味の無いお客様がスクロールするのは大変だろうと思いますので・・・(´▽`;A(汗)

見てやってもいいよ、とおっしゃるお客様は、下にございます「続きを読む」↓をクリックしてやってくださいませ。記事が開きます。
お手数お掛けして大変申し訳ございません・・・m(*_ _*)m

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ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美(2)

すみません、この記事は6月2日の分です。m( _ _;)m
漫画以外の記事は時間がかからないので、2日に1回じゃなくても、出来る限りたくさん更新していこうと思います。m( _ _;)m

過去記事「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」の特集ページを見付けました。ご興味のあるかたはどうぞ(*´▽`*) ♡
クリックで別窓が表示されます。

特設ページのトップです。↓

「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」特集ページ

こちらのページで、展示品がいくつか紹介されています。過去記事で私が描いた下手な絵の、本物の絵の写真が出てきます。↓

展示品紹介ページ

こちらは、展覧会の会場の様子を映した動画です。クリックでYOUTUBEが開きます。↓

展覧会場の動画

ルネサンス美術に興味のあるかたには、とってもオススメの展覧会です!!

私はバロック美術が大好きなんですけど、バロック美術では、光と影のように正反対のものを同時に表現する手法が多く、静と動、沈黙とざわめき、生と死、官能と禁欲、躍動感があるのに古典的なモチーフ、そういった正反対のものを同時に表現することで物語を生み出し、見る者の想像を掻き立てるのだそうです。そのいうの大好きなんです!!

でもルネサンス美術も大好きです!!ルネサンス美術の魅力はズバリ「謎」です。バロックのように、一目見るだけでおおーっと人を驚かせるような派手さは無いのですが、その分奥が深くて謎めいているんです。人物も落ち着いた表情をしていてほとんど無表情に近かったりするんですが、それこそ何か隠しているような秘密めいた感じがしていてわくわくするのです。そう見えるだけではなくて、本当にルネサンス美術は謎めいていて、レオナルド・ダ・ヴィンチでは作品に隠された謎の意図があったり、フォンテーヌブロー派なんか作品そのものが謎だったりして、とにかくロマンがあるのです!!

将来、お金が沢山たまって仕事に余裕が出たら、大学に行ってそういうのを研究してみたいです。でもゴシック建築も研究してみたいです。でもでも、ゴシック建築は日本に専門の先生が少ないと思うから(歴史系の先生はいそうだけど、建築系の先生が少なそうなので)ちょっと難しいかなあ。大学行ってみたかったんです。お金貯めたら行くんだ。楽しみだなあ(*´▽`*)えへへー♡

ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美

渋谷のBunkamuraの中にある美術館に行ってきました。
Bunkamuraの正式名称って、文化村じゃなくてBunkamuraなんですね。中の美術館も、文化村美術館じゃなくてThe Museumなんだそうです。へぇ~。

その美術館で、今「ボッティチェリとルネサンス、フィレンツェの富と美」という展覧会をやっているのです。それを見てきました。私、ルネサンス美術やバロック美術が大好きなんです。(詳細は過去記事「写真立て(2)」参照)なので、その美術展について書かせてくださいましm(*_ _*)m

この展覧会は、15世紀のフィレンツェ共和国(現在イタリア北部の都市)において、いかにしてルネサンス美術が栄えたか、その要因から始まりやがて衰退に至るまでを、歴史的・芸術的・美術的観点を複雑に絡めて説明しているという、実に素晴らしい展覧会でした。

ルネサンス芸術の魅力は、歴史と美術の融合だと思います。ただ美しいだけではなく、ただ歴史があるだけでもなく、その二つが両立しているという点が奇跡だと思います。そしてそのような芸術が、まだ壊れずに残っているということがすごいことだと思います。絵画も、彫刻も、建築物も、音楽でも、それらは芸術品ですから、人の心をうたなかったらここまで生き残れなかった・・・ルネサンス芸術やバロック芸術で現存するものは、何百年もの間、ずっと人の心をとらえてきたもの達ということですね・・・


以下は、展覧会の概要です。歴史の流れにそって、展覧会の展示品を紹介していきます。


序章:富の源泉―――フィオリーノ金貨(←この見出しは、展覧会に書いてあった見出しそのままを使わせて頂きますm(*_ _*)m)


古代ローマ帝国の滅亡により、政治的混乱はもとより、蛮族の侵入、都市人口減少、商業活動停滞・・・それらによって、文化的な水準はガンガン下がっていました。当然貨幣(お金)の価値も下がり、やがて貨幣自体が使われなくなってしまいました。

中世後期になり、ジェノヴァ共和国やヴェネツィア共和国で金貨を作ろうとする動きが始まりました。イタリア南部では中世初期から金貨が一部流通していたようですが、後期になると中部や北部でも金貨を作る動きが広まりました。1252年にジェノヴァでジェノヴェーノ金貨が作られた数か月後、フィレンツェで超優秀な金貨、フィオリーノ金貨が作られます。この金貨の存在こそが、ルネサンス美術が栄える要因となり、その中心地がフィレンツェたる所以となったのです。

フィオリーノ金貨の優秀なところは、非常に厳密に作られているところです。24金の3.536gキッチリで作ることで、貨幣価値を安定させました。金貨の表はフィレンツェの紋章である百合、裏は守護聖人洗礼者ヨハネの姿が描かれています。

↓おみやげに買ったフィオリーノ金貨のチョコです。

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↓左側のものが表で、これは百合です。右側のものが裏で、守護聖人洗礼者ヨハネです。

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↓おみやげに買ったラッピングペーパーです。

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↓金貨と同じ、フィレンツェのマークである百合の模様です。

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貨幣が安定しているということは、金融業の安定に繋がります。安定した貨幣フィオリーノ金貨の存在によって、フィレンツェではたちまち金融業が成長し、瞬く間にヨーロッパ経済の最大中心地となりました。大繁盛する金融業と共に、フィレンツェの人々はどんどん富を手に入れることになりました。

展覧会では、本物のフィオリーノ金貨や、偽物の金貨などが展示されていました。フィオリーノ金貨は信用があり価値が高いので、ヨーロッパ中で偽金が作られました。当時まだ未開の地だったフランス(この時代、文化的にはイタリアとフランスは先進国と発展途上国以上の差がありました)のフランス司教すらもフィオリーノ金貨の偽金を作るように命じたという記録が残っています。


第1章:ボッティチェリの時代のフィレンツェ―――繁栄する金融業と商業


フィレンツェとは、ラテン語で「花ざかり」という意味のフロレンティアという言葉が語源になっています。その名の通り、フィレンツェは美しい芸術の都として花開き、長きに渡って栄えることになります。

フィオリーノ金貨によって、銀行業・商業・貸付業を行って富を得たフィレンツェの人々は、生活に困ることが無くなりました。そこで、そのお金を芸術活動に奉仕しました。メセナ活動と呼ばれる芸術庇護活動が始まりました。お金を持っている人が芸術家を保護して、お金を出して作品を作らせてあげるのです。パトロンです。この活動こそがルネサンス芸術(バロックも)にとって重要で、ボッティチェリもこの後、大銀行家であるメディチ家に庇護されるようになることで大きな活動ができるようになります。こうして優れた絵画や宗教画が産まれていきます。

しかし、キリスト教会はこれに良い顔をしませんでした。当時のカトリックは対抗するプロテスタントが大きくなっていないので、まだ芸術に対してそこまで力を入れてなかったのです。バロックの時代になると、カトリックは芸術を保護し、プロテスタントが清貧を提唱して、お互いに対立するのですが、この時代のカトリックはむしろ、美しい芸術作品や金への貪欲さは歓迎されることではなく、清貧こそが大切であると説き、利子を金銭で取ることに関して罰則を設けました。もしかして庶民が裕福になることで教会の権力(神への信仰)が落ちると危惧したのかもしれません。この時代のカトリック教会は、利子とは返済が遅くなる分の時間にかかるお金なので、利子のやりとりとは時間に値段を付けた時間の売り買いであるとして、時間の取引は神にしか許されないものであるとしました。そこで教会は貸付業に対抗して、金で利子を取らず担保を取ることで金を貸し、公益質屋を名乗りました。

1252年にフィオリーノ金貨が初めて作られてから約200年後、1445年にボッティチェリが皮なめし職人の家に産まれました。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピです。ボッティチェリとはイタリア語で、ボッティ=「樽(たる)」、チェリ=「小さい」という意味です。兄が太っていて大きい樽のようだったから、弟のボッティチェリは小さい樽ということで、そうあだ名が付けられたようです。

最初に展示されているボッティチェリの作品は「ケルビムと伴う聖母子」という絵で、マリアがキリストを抱いた絵です。1470年頃制作ということで、ボッティチェリが公的な仕事を始めたばかりの作品です。ケルビムとは智天使という役職の天使のことで、この絵ではマリアとキリストの周囲をぐるっと取り囲んでジーッと見つめています。無表情で。(*´ 艸`*)


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(゜◇゜) (゜◇゜) (゜◇゜) ジーッ・・・

ケルビムの周囲をさらにグルッと取り囲んでいるのは、赤地に沢山の金色の丸・・・これは、金貨の絵なのです!!しょっぱなから金貨に囲まれる聖母子!!金貨は絵をぐるっと取り囲んでいて、三重になっています。本物は三重にグルッと取り囲んでいるんですが、その金貨全部を描くと見た目が気持ち悪くなるかなあと思ったので、左上だけ三重にしてみました。実際には全部こういう感じに三重です。この赤地に金色の丸(金貨)というのは、商人達の活動を監督した両替商組合のマークです。なので恐らく、この聖母子画は両替商組合がボッティチェリに依頼して描いてもらった絵だと思われます。下にはAVE MARIA GRATIA PLENA(アウェー・マリーア・グラーティア・プレーナ)と全部大文字で書かれています。これはラテン語で「めでたし聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア」という意味です。キリスト賛美というより聖母マリア賛美が色濃い作品で、正にカトリックという感じです。良いね良いね・・・!!

ここのコーナーでは、当時使われていた為替手形や、貴重品入れや、公益質屋の金庫、鍵なども展示されていました。金融業が栄えていた当時の面影がありありと感じられます。装飾が施されたお洒落なデザインの鍵も置いてありました。Dもアンティークの鍵の束を持っているんですが(詳細は過去記事「ステンドグラス」参照)、Dの鍵よりもずっとゴツくて丈夫そうです。シンプルな南京錠もありましたが、南京錠は力任せで壊そうと思うと壊れたりするので、貴重品保管用の鍵ではなく日用品や食料などを入れる箱の鍵として使っていたようです。

このコーナーでの興味深い作品は「高利貸し」という絵です。金融関係者と思われる裕福な男が、醜悪な顔で金勘定めいたことをしている絵です。イタリア北部ではこのように金融業に携わる人間を醜悪に描く手法が流行しました。しかし、こういった絵を含めたルネサンス芸術は、フィレンツェの金融業の人間がいなくては育ちませんでした。皮肉な結果ですね。


第2章:旅と交易―――拡大する世界


やがてヨーロッパ各地にフィレンツェの銀行の支店が開設され、銀行家や商人は現金の代わりに信用状を持って長旅に出られるようになりました。それにより交易は活発化し、フィレンツェにはヨーロッパだけでなく中東(イスラム圏)からの商人や品物も行きかうようになりました。

ここのコーナーでの展示品は、航海図や、旅の道具や、旅の様子を描いた絵などが展示されていました。遠出の旅は、病気や事故や事件に巻き込まれて命を落とすことも多く、出発前には毎回遺言書を書き商品にも保険をかけるほど危険だったそうです。陸路はラバでの移動になりますが、14世紀にフランスとイギリスが百年戦争などを起こしていたのでその間の陸路は使えず、船もよく使いました。ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアに大きい港がありました。こういった船での交易が航海術を成長させ、やがて15~16世紀の大航海時代の始まりへの布石になりました。

ここのコーナーには、船が沈没しそうになったときに奇跡が起きて聖人に助けられたというテーマの絵もありました。ちなみに聖人は、あのニコラウスです。聖(セント)ニコラウス・・・ええ、サンタクロースの元ネタの人です。海に上にさっそうと出現して、船を助けているサンタクロースの絵でした。商人達は、こういう縁起の良い絵を画家に依頼して、旅の安全を祈願しました。

また「大天使ラファエルとトビアス」という題材が使われた絵が二つありました。一つ目はこちらです。これは旅に出る息子を案じた父を見た大天使ラファエルが、息子トビアスの旅に同行して守ってくれたという逸話です。展示会場には、自分の息子の旅での安全を祈る父親が依頼したという大きな絵がありました。これが以下です。

一番右がトビアス、真ん中でドヤ顔決めてるのがラファエル、一番左がこの絵の注文主の息子です。注文主は、この息子のために絵を依頼しました。


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ラファエルは超ドヤ顔を決めていました。トビアスがぶら下げて持っているのは魔除けの魚です。左下で祈っているのが依頼者の息子です。

しかし残念ながら、この依頼者の息子さんは10代でお亡くなりになってしまったそうです・・・この絵はとても保存状態が良くて綺麗でした。きっとお父さんが息子の死後も絵を大切にしていて、その後でこの絵を守ってきた人々も、皆大切にしてくれたんだね・・・

そして二つ目がこちらです。ただこの作品、題名は「ラファエルとトビアス」じゃなくて「受胎告知」なんです。
キリスト教の宗教画には、よく描かれるテーマというのがありまして、聖書の中にワンシーンだったり、伝説だったりするのですが、その中に「受胎告知」というテーマがあります。「受胎告知」とは、マリアが大天使ガブリエルからキリスト懐妊を告げられるシーンです。この「受胎告知」の絵の背後に、すごい小さくラファエルとトビアスがいるという絵が展示されていました。
「受胎告知」がメインで、ちょこっとおまけにラファエルとトビアスを付けとくか・・・という感じみたいですね。ちなみにこの絵、個人所有でした。こんな面白珍しい絵を持っていたら、そりゃ博物館が相手でも手放さないよね!!
その絵が以下です。

一番右がマリア、真ん中がガブリエル、そして左にすごく小さく見える二人組が・・・小さいほうの人間は魚を持っているし、大きいほうは羽が生えているみたい・・・こ、このコンビは!!ラファエルとトビアスなの!?という感じに見た人を驚かせる絵です。


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ラファエル、ガブリエル、ミカエルは芸術作品を取り扱う上で重要な大天使3人です。見分け方は簡単です。キリスト教美術にはアトリビュートというものがあって、これは絵に描かれている人物が誰なのか、その持ち物や服でわかるようにした、いわば人物特定のヒントです。

ラファエル=魚を持ったトビアスと一緒にいる、羽は生えているけど人間の旅人の服を着ている、手の上に薬が入った容器を持っている
ガブリエル=「受胎告知」のシーンにいる、聖母マリアのアトリビュートの一つであるユリを片手に持っている、女性的な外見で綺麗な服を着ている
ミカエル=ドラゴンを踏みつけていたり、悪魔を踏みつけていたり、剣を持っていたり、鎧を着ていたりする

キリスト教美術の天使はこの3人さえ覚えておけば、あとの天使は90%以上がにぎやかしのモブなので、他の天使達のことは覚えなくて大丈夫です。美術品の解釈上、他の天使は覚えなくても問題ありません。

他に興味深い作品としては、「サラディンとトレッロ・ディ・ストラの物語」をテーマに描いた絵がありました。これは、イスラム教徒にキリスト教徒が助けられる物語です。この時代は異教徒同士でも商業でお互い持ちつ持たれつ助け合っていて、お互いの国の珍しいものや便利なものをやり取りしようという方向性だったようです。割と平和で商売らしい取引をしていたということですね。海賊を使って国家ぐるみで外国の商船を襲って不法な強奪ばかりしていたイギリス以外は・・・(;´▽`A(汗)


第3章 富めるフィレンツェ


13世紀以降、ヨーロッパではたびたび贅沢禁止令が出ており、裕福になった都市フィレンツェも同様でした。規制は服装や装飾品だけでなく、婚礼・葬式・洗礼式にも及び、式で使うろうそくの数や大きさまで決められていたそうです。

しかし、お洒落好きなフィレンツェの人々はめげませんでした。豪華なボタンが禁止だと言われれば「これはボタン穴が開いてないからボタンじゃないですよ」と言い訳をするなどして、なんとか美しい服を着ようとしました。そのため「ボタン穴の無いボタンもボタンである」等と禁止品要綱に加えねばならないなど、禁止品要綱は毎日加筆や修正をしなくてはいけないほどでした。それでも追い付かないので、とうとう職業に応じては罰金を払えば華美な格好をしてもOKということにしました。冨と美を求めるフィレンツェの人々の前では贅沢禁止令すら屈服したのです。

このコーナーには「聖母マリアの婚礼」と「聖母マリアの葬儀」という2枚1対の絵がありました。「聖母マリアの婚礼」においては、花嫁姿のマリアが贅沢禁止令に従ったシンプルな格好であるのに対し、「聖母マリアの葬儀」においては、葬儀の様子がとても豪華です。この2枚は制作年代も同じなのですが、依頼主からそういう注文を受けて描いたのかな?

謎な作品は、「バーリの聖ニコラウス伝」で、尋ねてきた悪魔に親切心でパンをあげた子供が死んでしまったという絵だという説明がありました。・・・聖ニコラウスは何をしてたんだ?聖ニコラウスは子供を守る聖人でもあるはずなんだけどなあ。私は、悪魔にパンをあげた子供が死んでしまったというエピソードは聞いたこと無いので、この絵はちょっと詳細不明です・・・


第4章 フィレンツェにおける愛と結婚


フィレンツェにおいて、結婚や出産は重要なものでした。結婚は家同士の繋がりにもなるので、家の財産を増やしたり減らしたりする大きなイベントでした。妊娠のほうは、新しい命や後継者が産まれるイベントであると共に、女性にとっては妊娠や出産による死の危険と常に隣り合わせの大きなイベントでした。当時は医学も発達していなかったので、女性は妊娠中に何度も遺言書を書かなくてはいけないほど、出産は危険なイベントでした。

このコーナーでは、綺麗に装飾された出産盆も展示されていました。出産盆とは、出産を終えた女性がベッドの上で食事を摂れるように作られたもので、表と裏に装飾が施された贅沢なものです。そのため、使われないときは装飾がより綺麗な面を表にして壁等に飾っていました。

結婚に伴う女性への贈り物は、実用品というよりは高価な装飾品であることも多く、一度も使われていないという細かい装飾の櫛も展示されていました。

衣服を入れる婚礼用長持(カッソーネ)も展示されていました。聖書の中の、スザンナの物語の絵が描かれていました。横長で、巻物みたいな感じに、右方向に3シーンを続けて描いているので、1シーンごとに登場するスザンナは、合計3人描かれています。スザンナは貞淑な女性の象徴なので、衣服を入れる長持の題材によく描かれたようです。展示品の長持の絵を描いたのはスケッジャという人ですが、この人はよく長持に絵を描きました。だから長持の題材によく使われたスザンナの絵は描き慣れていたと思います。


第5章 銀行家と芸術家


ルネサンス期のフィレンツェの名作は、メディチ家をはじめとする銀行家の注文によって制作されました。この5章のコーナーがボッティチェリの作品が一番多く、また最盛期の頃の作品です。

もう、美しいと感じる作品ばかりで、これは考えながら見るよりも、見て心を奪われるだけで良いコーナーだと思います。

マリアの座っている椅子に、7つの丸によって構成されたメディチ家の紋章が描かれている絵がありました。間違い無くメディチ家の注文によって描かれたものです。金を贅沢に使って、でも下品にならないように上品にあしらっていて、一目見て特別な絵だということがわかるつくりです。周囲に同じ大きさの絵が沢山ありますが、絵の雰囲気やオーラが全然違うので、皆が目を奪われてこの絵の前で足を止めていました。私も見入りました。

聖母マリアと一緒に百合と薔薇が描かれている絵もありました。百合と薔薇とは、聖母マリアの象徴です。この絵も素晴らしかったです。

ボッティチェリはヴェロッキオの工房に出入りしていましたが、その影響を受けた作品も展示されていました。「聖母子と二人の天使、洗礼者ヨハネ」という絵では、イエスのポーズがヴェロッキオからの影響を受けています。また「聖母子と二人の天使」という絵では、ずんぐりしたマリアの体型にヴェロッキオの彫刻からの影響が窺えます。

今回展示されている作品の中で一番大きい壁画もこのコーナーにあります。前述しました「受胎告知」のシーンで、ガブリエルがマリアに、マリアがキリストを妊娠したことを告げているシーンです。
でもこの絵は普通の「受胎告知」とは全然雰囲気が違うのです。遠目から見ても悲しい気持ちになって、そのことに驚いて(「受胎告知」の絵でこんなに悲しい気持ちがわいてくる作品は無いので驚くのです)、絵に近づいてガブリエルの表情を見ると、涙が出てきそうな悲しい気持ちになります。
「受胎告知」のシーンはイエス懐妊ということで、まあ一般的にはめでたいシーンなので、お祝いムードだったり明るく賑やかな雰囲気に描かれることが多いのですが、この絵はとても地味で静かです。マリアは目を伏せて悲しみに耐えているかのようで、ガブリエルはそんなマリアを憐れんでいるかのような悲しそうな表情で眉を寄せています。
でもこの壁画はこれで良いのです。これは当時流行した伝染病の隔離病棟に贈られた絵で、その壁を飾っていた絵なのです。こういう雰囲気だからこそ、きっと患者達はこの絵を見て、神から与えられた過酷な運命を受け入れながら精一杯生きようとするマリアに、自分を重ねることができたと思います。ガブリエルの表情は、当時の伝染病に苦しみ亡くなる運命の患者達に向けられたボッティチェリの思いが込められているかのようです。

このコーナーには、ロレンツォ・デ・メディチが自分の娘ルクレツィアに送った若い貴婦人の大理石浮彫もありました。これがまた素晴らしい出来で、浮彫なのに彫刻みたいで、すごく立体感があるのです。この貴婦人はルクレツィアをモデルにして作られたと言われています。


第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容


15世紀、ヴィーナス(アフロディーテ)等の、神話に関するモチーフも多く描かれました。その立役者がメディチ家とボッティチェリです。
ボッティチェリは、メディチ家当主であるロレンツォ・デ・メディチに庇護されて、沢山の素晴らしい作品を残しました。ロレンツォとボッティチェリはとても仲が良かったらしく、よく一緒にいたずらをしたり、ふざけたりしていたそうです。(このとき、二人はもういい大人のはずですが・・・)ロレンツォはボッティチェリについて「大食らいのボッティチェリ、ハエよりもあつかましく意地汚い」というふざけた冗談めいた詩を残しています。ボッティチェリも冗談が好きで、自分の弟子のヴァザーリが描いた売り物(注文品)の絵にいたずら書きをして(!!)注文主まで巻き込んだドッキリをかましたりしていたそうです。

メディチ家が最盛期だった時代、コジモ・デ・メディチの時代にはフィレンツェの税金の65%を収めて「国父」の称号を得たり、都市の重要な建築物を建てたりしたメディチ家でしたが、ロレンツォの時代には衰退してきました。もうフィレンツェ共和国のために大きな建築物をつくる余裕は無く、ロレンツォは絵画や工芸品や写本なんかを注文するので精一杯だったようです。そのようにメディチ家は衰退しましたが、フィレンツェはロレンツォの時代に最盛期を迎えます。フィレンツェが栄えたのは、外交などにおいてロレンツォの手腕が大きく影響た結果だと言われます。仲良く楽しくやってきたロレンツォとボッティチェリでしたが、ロレンツォはメディチ家持病の痛風に苦しみ、43歳の若さで亡くなってしまいます。

ロレンツォが亡くなったとき、イザークが曲を作り、ポリツィアーノが詩を書くことで、哀悼の歌を作りました。「誰がこの両目を涙の泉に」という歌です。歌詞は「誰がこの両目を涙の泉にしてしまったのでしょう。私は夜に泣き、昼のさなかにも泣いています」というものです。

ロレンツォが亡くなると、今までメディチ家が庇護していた者達は即座に手のひらを返し、フィレンツェに侵攻してきたフランス軍にうまく対処できなかったこともあって、ロレンツォの息子ピエロはフィレンツェを追放され、それと同時にボッティチェリもパトロンを失ってしまうのでした。

このとき侵攻してきたフランスはやがて勝ち、イタリアに入ってきたフランス国王フランソワ1世がイタリアの芸術に心を打たれ、フランス国内にイタリア人の芸術家を呼んで保護し、フォンテーヌブロー宮殿で芸術の研究を始めることになります。このときフランソワ1世に呼ばれてフランスで活躍した芸術家の一人がレオナルド・ダ・ヴィンチです。そして、このフランソワ1世の息子、アンリ2世のところに輿入れしたのが、カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(カトリーヌ・ド・メディシス)になります。

ロレンツォを失ったフィレンツェは混乱し、やがて修道士サヴォナローラが政治顧問に台頭すると、神権政治が始まりました。サヴォナローラはメディチ家ゆかりのサン・マルコ修道院の修道士で、ロレンツォが生きていた時代からメディチ家を非難していました。ルネサンス芸術は、サヴォナローラによって多大な被害を受けることになりました。サヴォナローラは清貧と質素を重んじるあまり、芸術品や贅沢品をただ禁じるだけではなくて、既存の贅沢品や芸術品までもを集めて燃やしてしまうという行動に出ました。この活動は「虚栄の焼却」と呼ばれました。

ボッティチェリもこの世相の流れに従わざるを得ず、作品の雰囲気をガラッと変えました。色は地味で素材もポーズも表情も単一化してきます。今回の展覧会では、その時期にボッティチェリが描いた聖母子像をさんざんに酷評していました。イエスは頭と体のバランスが取れておらず、腰が歪んでおり、聖母の顔は死んだかのように表情が無い、という説明がありました。この説明を作ったのはイタリアのかたなのかな?もともとボッティチェリの絵はリアル描写からは遠く、イラストとか漫画みたいにデフォルメされて描かれるので、今更人物の体のデッサンの歪みがとか言われても、うーん?最初からそういう画風なんじゃ?って気がしますけど、たしかに絵のオーラとか圧倒感が全っ然無くなってしまっています。やはり、メディチ家に依頼されて描いていた頃の絵とは全然違います。

「虚栄の焼却」で芸術作品を何でもかんでもどんどん燃やして失わせたサヴォナローラは、その過激な性格や、強引なやり方が市民からの反感を買い、教皇とも対立し、拷問を受けて絞首刑にされた後に火刑にされました。奇しくも自分が「虚栄の焼却」で芸術品を集めて燃やしたシニョリーア広場にて、自分も燃やされてしまうことになったのです。

ここのコーナーでは、メディチ家とパッツィ家の家の紋章などが展示されています。

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上の三つがメディチ家のマークの中で、今回の展覧会の中に展示されているものです。一番左は7つの丸で、これは金貨とも丸薬とも言われています。真ん中はダイヤの指輪に羽二本、一番右がダイヤの指輪に羽三本です。下にあるマークはパッツィ家のマークです。

パッツィ家とはフィレンツェの古くからの名門貴族で、メディチ家の暗殺を企んだ一族です。(メディチ家は新しい成り上がり貴族でした)そのメディチ家襲撃計画とは、「パッツィ家の陰謀」と呼ばれる事件です。「パッツィ家の陰謀」とは、1478年4月26日に、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂でのミサ中に行われた襲撃事件で、ピサの大司教であるサルヴィアーティとフランチェスコ・デ・パッツィ達が、ロレンツォ・デ・メディチとその弟ジュリアーノ・デ・メディチを殺そうと襲いました。ロレンツォは怪我をしながらも、教会の備品が収納されている部屋に逃げ込んで助かりますが、弟のジュリアーノは殺されてしまいました。遺体には深い刺し傷が19か所もあったと言われます。ロレンツォ殺害を失敗したパッツィ家や事件に関わったと思われる者は、首謀者をはじめ記録に残っているだけで80名以上、記録されていない者も含めておよそ100人以上も処刑されたと思われます。主犯・フランチェスコ・デ・パッツィ、共謀者サルヴィアーティ大司教、パッツィ家当主ヤーコボ・デ・パッツィは当日のうちに絞首刑にされ、その遺体は数日間さらされたままでした。

パッツィ家に関しては私の大大大好きな映画、リドリー・スコット監督の「ハンニバル」にも少し出てきます!!

この事件に関しては「メディチ家の呪い」などの怖い話や、様々な伝説として、後世そして現代にも語り継がれています。ロマンがありますね~(*´ ▽`*) ほああ!!


展覧会の流れはこのような感じでした。第5章のコーナーのボッティチェリの作品は圧巻です。ボッティチェリの作品は、写真で見ると立体感が無く色もぼんやりとした感じに感じられますが、実物は実に迫力があってとっても良かったです!!

今回の美術展も、とても楽しめました。惜しむらくは会場が冷房効きすぎで寒すぎたことです。みんな寒い寒いと言いながら見ていて、私なんか途中からもうすっかり冷え切ってしまって、落ち着いて閲覧することが出来ませんでした。((( >ω<;)))ブルブル・・・ちょうど重要な5章辺りから既にゆっくり見てこれなかったので、もう一度見に行こうかなあとか思っています。
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