Dの絵(98)
この記事、完成しました・・・!!!!!良かったら読んで下さいますと、とっても嬉しいです・・・!!!!!m(〃_ _〃)m!!!!!
私は、もともとはバロック音楽(17~18世紀あたり)が好きでよく聴いていたんです。でも、Dと出会ってからゴシック音楽(12~15世紀あたり)も好きになって、よく聴くようになりました。(詳細は過去記事「Dの絵(88)」参照)
Dと一緒に音楽を聴くようになってから、なんか・・・それまで1人で聴いていたときと、Dと一緒に聴くのとは、曲から受ける印象が違うなあって思うことがあるんです。今回の記事では、それを漫画に描いてみます。m(〃_ _〃)m
初めに気がついたのは「Dと一緒に聴くと、どんな音楽でもその中に美しさを感じる」ということでした。
↓



どんな音楽でも、Dと一緒に聞いていると、味わい深く感じられて・・・そこに美しさが存在するのを感じるんです。
たとえば、私の好きなゴシック音楽に、Messe de Notre Dame(ノートルダムのミサ)という曲があるんです。Guillaume de Machaut(ギオム・ドゥ・マショ)という、フランスの作曲家の作品です。これを聞いている時もそうでした。
この曲はミサ曲なので、17 曲で構成されているんです。17曲の題名はすべてラテン語で、最初から順番に並べると・・・
1 :Introitus イントロイトゥス [Gaudeamus omnes in domino ガウデアムス・オムネス・イン・ドミノ]
2 :Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン
3 :Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ
4 :Collectio コレクティオ [Veneranda nobis ウェネランダ・ノビス]
5 :Epistulum エピストゥルム[Lectio libri sapientiae レクティオ・リブリ・サピエンティアエ]
6 :Graduale グラドゥアレ[Propter veritatem プロプテル・ウェリタテム]
7 :Alleluia, assumpta est Maria アレルイア、アスムプタ・エスト・マリア
8 :Evangelium エウァンゲリウム[In illo tempore intravit Jesus イン・イロ・テムポレ・イントラウィト・イエスス]
9 :Credo in unum Deum クレド・イン・ウヌム・デウム
10 :Offertorium オフェルトリウム[Diffusa est gratiaディフュサ・エスト・グラティア]
11 :Praefatio プラエファティオ
12 :Sanctus & Benedictus サンクトゥス・ベネディクトゥス
13 :Pater noster パテル・ノステル
14 :Agnus dei アグヌス・デイ
15 :Communio コムニオ[Regina mundi レギナ・ムンディ]
16 :Postcommunio ポストコムニオ[Mense celestisメンセ・ケレスティス]
17 :Ite missa est イテ・ミサ・エスト
・・・という順番で構成されているんです。
このミサ曲の中で、私が好きな曲は、「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」と「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」です。
両方とも、今までずっと「Dの絵(88)」にも書かせて頂きましたEnsemble Organum(アンサンブル・オルガヌム)というフランスのグループが歌っているものを聞いていて、「すごく綺麗だなあ・・・」って大満足していたんです。
ところが最近、南仏の職員と一緒に仕事をする機会がありまして・・・その職員が、私の好きな「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」と「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」を、別のグループが歌っているバージョンを聞かせてくれたんです。
それを聴いてみたら・・・今まで自分が「これ以上素敵な演奏は無いだろう」と思っていたEnsemble Organum(アンサンブル・オルガヌム)の歌ったものよりも、さらに自分好みだったんです。
それは、南仏のプロヴァンス地方にあるトロネ大修道院(L'abbaye du Thoronet)という修道院で行われたコンサートの演奏でした。そこで「Messe de Notre Dame(ノートルダムのミサ)」が歌われたときのものです。
トロネ大修道院(L'abbaye du Thoronet)で歌われたコンサートを視聴なさりたいかたは・・・著作権が怖くてブログに曲を張れないので、ご興味がおありのかたは「Machaut - Messe de Notre Dame (abbaye de Thoronet, Ens. G. Binchois, dir. D. Vellard)」と検索してみてくださいまし・・・!!
6分16秒から始まるのが「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」、13分30秒から始まるのが「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」です。
Ensemble Organum(アンサンブル・オルガヌム)が歌っているバージョンは、「Messe de Nostre Dame ensemble organum kyrie」と検索すると「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」が検索に上がり(← 一番上には出てこないのでご注意ください・・・)、「Gloria-Messe de Notre Dame, Guillaume de Machaut. Ensemble Organum」と検索すると「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」が出てきます。
良かったら、「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」だけでも、2つのグループの歌い方の違いを、是非是非お聴き比べになってみてくださいまし・・・!!!!!ヾ(((((〃≧ω≦〃)))))ノシ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
どちらのグループもほぼ同じメロディで歌っているのに、全っっっ然違う雰囲気に聞こえると思います・・・!!!!!(((((っ〃≧ω≦〃c))))) ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
話がそれてしまいました・・・すみません!!!!!m(〃_ _〃)m!!!!!
何が言いたかったのかと言うと、今まで私は、自分の好きなゴシック美術にこだわりを持っていて、ゴシック音楽は「こういうのは好きだけど、こういうのは受け入れがたい」という、好みのシャットアウトみたいなものがあったんです。
それが、Dと一緒に暮らすようになってから・・・今まで自分が特に興味を持っていなかったタイプの歌い方でも、Dと一緒に聴いていると美しく感じて、好きになってしまうことがあるって、そう気づいたんです。
もっと大きくそれを感じたのは、私の苦手なピアノ曲を聴いたときのことでした。m(〃_ _〃)m

実は私は、ピアノ曲というか・・・バロック音楽以前(18世紀以前)が好きなのと同時に、19世紀以降のクラシック音楽が苦手でもあるんです。その代表のような存在がピアノと言いますか・・・(〃´ω`〃;)
もっと正確には、18世紀後半付近の、王侯貴族(芸術のパトロン)の失脚&キリスト教への攻撃があって以降の西洋美術が趣味じゃないのです。(過去記事「接続障害 → Dの絵(85)」「プラド美術館展」などにも少し書かせて頂きました)
その時期を境にして、西洋芸術は絵画も音楽も造園も建築も、全てが別物に変わったと言っていいくらい変化があり、私の趣味ではなくなってしまったんです。
その全てを説明すると長くなってしまうので、ピアノについて少しだけ・・・
バロック音楽は、時代的にピアノではなくチェンバロを使うことを想定して作られているものがほとんどです。現代のクラシックでは、バッハなどのバロック以前の音楽を演奏するときに、チェンバロのかわりにピアノを代用する演奏家もいますが、本来は全然違う楽器なんです。音も、音が出る構造も違うんです。
チェンバロはバロック時代に使われていた楽器で、ピアノフォルテ(ピアノ)は主に19世紀以降のクラシックで使われる楽器で、その名の通りピアノ(小さい音)がppppまで、フォルテ(大きい音)がffffまでという、音の強弱を自由に表現出来る楽器なんです。
チェンバロはひくときに、感情を態度に表すことは求められません。しかしピアノは、表現力といって、音だけではなく演奏者が体全体を使って感情表現することが評価されるんです。ただ淡々とひくだけでは注意されず・・・顔の表情を変えたり、腕を大きく動かしたり、前のめりになったり、体をゆすったりして、感情を体全体を使って表現することを求められるんです。
革命以降、音楽を「買う」人間が、王侯貴族&教会から一般大衆に移り変わったことによって、音楽に求められるものが変わったこと、それによる違いだと思っています。
父はそんなピアノが好きで、よくひいていたんですが・・・なんか、私・・・チェンバロとは違って突然大きな音を出したり、リズムが感情的に乱れるピアノが、まるで父みたいでちょっと怖いと思うこともあって・・・(〃´ω`〃;A(汗)
↓

父が、怒ったり悲しくなったりしたときに、感情を叩きつけるようにピアノをひいていたことを思い出すんです。それでピアノの音を聴くと、感情的に怒鳴られているような、そんな気持ちになるのかもしれません。
そんな経緯がございまして・・・
ある日、父がひいたわけではないのですが、ピアノの曲を聴く機会がありまして・・・
↓

それは怒鳴り声みたいな激しい曲だったので、私の苦手な部類の曲だったのですが・・・




感情的な激しい音楽の中に、何か・・・とても美しい、芸術的なものを感じて、感動して涙が出てきたんです。
するとDは、過去記事「ブログ開設二周年謝辞m(*_ _*)m」のときと同じように、黒いモヤになって、私を包んでくれました。
黒いモヤでできた、その空気というか・・・雰囲気は、言葉でなんと表したらいいのか・・・形容詞が、日本語でもフランスでも英語でもうまく表現できない・・・ぴったり該当する単語が無いんです。私の乏しい語学力で表現するなら、日本語だと「静謐」、フランス語なら「calme」や「tranquille」、英語なら「soft」とか「gentle」が近い・・・と思います。
そんなDのモヤに何度も包まれてみてわかったんですが・・・私がDと一緒に音楽を聴くと美しく感じるのは、そばにいるDの、この黒いモヤの雰囲気に助けて(芸術的な感受性を広げるのを手伝って)もらっているからなのだと、だんだんわかってきました。
自分の感性では感じ取ることが難しかった種類の芸術が、黒いモヤに包まれていると、心に優しく触れてくるというか・・・
黒いモヤが緩和剤になってくれているというか・・・!!!!!←あ!ぴったりくる表現!!!!!(っ〃≧ω≦〃c) ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
静謐の雰囲気が私を守ってくれているというか・・・まるで過去記事「ブログ開設二周年謝辞m(*_ _*)m」でDが言った通りに、静謐な夜に包まれているみたいなんです。





あんな風にひくなんて、きっとあのときの父は、苦しくてつらかったんだろうなと思います。ときには叩きつけるようにひいても良いと思うな・・・感情を芸術に昇華させて、気分を落ち着かせようとしていたんじゃないかな。そういう芸術が必要なときもあるよね。人間は感情を持っている生き物だもん・・・



私が、苦手なピアノ曲の中にも美しさを感じるように、きっとDの言う「Dの世界で一番美しい」というのは、美人とかそういうことじゃなくて・・・私がDのモヤに包まれているときに感じる「美しい」芸術と、同じような種類の美なんじゃないかな・・・と思います。
Dと一緒にいると、色々なものに魅力を感じて、楽しいなあって思います・・・∩(〃´▽`〃)∩ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
ご閲覧ありがとうございました!!m(〃_ _〃)m!!
私は、もともとはバロック音楽(17~18世紀あたり)が好きでよく聴いていたんです。でも、Dと出会ってからゴシック音楽(12~15世紀あたり)も好きになって、よく聴くようになりました。(詳細は過去記事「Dの絵(88)」参照)
Dと一緒に音楽を聴くようになってから、なんか・・・それまで1人で聴いていたときと、Dと一緒に聴くのとは、曲から受ける印象が違うなあって思うことがあるんです。今回の記事では、それを漫画に描いてみます。m(〃_ _〃)m
初めに気がついたのは「Dと一緒に聴くと、どんな音楽でもその中に美しさを感じる」ということでした。
↓



どんな音楽でも、Dと一緒に聞いていると、味わい深く感じられて・・・そこに美しさが存在するのを感じるんです。
たとえば、私の好きなゴシック音楽に、Messe de Notre Dame(ノートルダムのミサ)という曲があるんです。Guillaume de Machaut(ギオム・ドゥ・マショ)という、フランスの作曲家の作品です。これを聞いている時もそうでした。
この曲はミサ曲なので、17 曲で構成されているんです。17曲の題名はすべてラテン語で、最初から順番に並べると・・・
1 :Introitus イントロイトゥス [Gaudeamus omnes in domino ガウデアムス・オムネス・イン・ドミノ]
2 :Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン
3 :Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ
4 :Collectio コレクティオ [Veneranda nobis ウェネランダ・ノビス]
5 :Epistulum エピストゥルム[Lectio libri sapientiae レクティオ・リブリ・サピエンティアエ]
6 :Graduale グラドゥアレ[Propter veritatem プロプテル・ウェリタテム]
7 :Alleluia, assumpta est Maria アレルイア、アスムプタ・エスト・マリア
8 :Evangelium エウァンゲリウム[In illo tempore intravit Jesus イン・イロ・テムポレ・イントラウィト・イエスス]
9 :Credo in unum Deum クレド・イン・ウヌム・デウム
10 :Offertorium オフェルトリウム[Diffusa est gratiaディフュサ・エスト・グラティア]
11 :Praefatio プラエファティオ
12 :Sanctus & Benedictus サンクトゥス・ベネディクトゥス
13 :Pater noster パテル・ノステル
14 :Agnus dei アグヌス・デイ
15 :Communio コムニオ[Regina mundi レギナ・ムンディ]
16 :Postcommunio ポストコムニオ[Mense celestisメンセ・ケレスティス]
17 :Ite missa est イテ・ミサ・エスト
・・・という順番で構成されているんです。
このミサ曲の中で、私が好きな曲は、「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」と「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」です。
両方とも、今までずっと「Dの絵(88)」にも書かせて頂きましたEnsemble Organum(アンサンブル・オルガヌム)というフランスのグループが歌っているものを聞いていて、「すごく綺麗だなあ・・・」って大満足していたんです。
ところが最近、南仏の職員と一緒に仕事をする機会がありまして・・・その職員が、私の好きな「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」と「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」を、別のグループが歌っているバージョンを聞かせてくれたんです。
それを聴いてみたら・・・今まで自分が「これ以上素敵な演奏は無いだろう」と思っていたEnsemble Organum(アンサンブル・オルガヌム)の歌ったものよりも、さらに自分好みだったんです。
それは、南仏のプロヴァンス地方にあるトロネ大修道院(L'abbaye du Thoronet)という修道院で行われたコンサートの演奏でした。そこで「Messe de Notre Dame(ノートルダムのミサ)」が歌われたときのものです。
トロネ大修道院(L'abbaye du Thoronet)で歌われたコンサートを視聴なさりたいかたは・・・著作権が怖くてブログに曲を張れないので、ご興味がおありのかたは「Machaut - Messe de Notre Dame (abbaye de Thoronet, Ens. G. Binchois, dir. D. Vellard)」と検索してみてくださいまし・・・!!
6分16秒から始まるのが「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」、13分30秒から始まるのが「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」です。
Ensemble Organum(アンサンブル・オルガヌム)が歌っているバージョンは、「Messe de Nostre Dame ensemble organum kyrie」と検索すると「2:Kyrie Eleyson キリエ・エレイソン」が検索に上がり(← 一番上には出てこないのでご注意ください・・・)、「Gloria-Messe de Notre Dame, Guillaume de Machaut. Ensemble Organum」と検索すると「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」が出てきます。
良かったら、「3:Gloria in excelsis Deo グロリア・イン・エクスケルシス・デオ」だけでも、2つのグループの歌い方の違いを、是非是非お聴き比べになってみてくださいまし・・・!!!!!ヾ(((((〃≧ω≦〃)))))ノシ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
どちらのグループもほぼ同じメロディで歌っているのに、全っっっ然違う雰囲気に聞こえると思います・・・!!!!!(((((っ〃≧ω≦〃c))))) ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
話がそれてしまいました・・・すみません!!!!!m(〃_ _〃)m!!!!!
何が言いたかったのかと言うと、今まで私は、自分の好きなゴシック美術にこだわりを持っていて、ゴシック音楽は「こういうのは好きだけど、こういうのは受け入れがたい」という、好みのシャットアウトみたいなものがあったんです。
それが、Dと一緒に暮らすようになってから・・・今まで自分が特に興味を持っていなかったタイプの歌い方でも、Dと一緒に聴いていると美しく感じて、好きになってしまうことがあるって、そう気づいたんです。
もっと大きくそれを感じたのは、私の苦手なピアノ曲を聴いたときのことでした。m(〃_ _〃)m

実は私は、ピアノ曲というか・・・バロック音楽以前(18世紀以前)が好きなのと同時に、19世紀以降のクラシック音楽が苦手でもあるんです。その代表のような存在がピアノと言いますか・・・(〃´ω`〃;)
もっと正確には、18世紀後半付近の、王侯貴族(芸術のパトロン)の失脚&キリスト教への攻撃があって以降の西洋美術が趣味じゃないのです。(過去記事「接続障害 → Dの絵(85)」「プラド美術館展」などにも少し書かせて頂きました)
その時期を境にして、西洋芸術は絵画も音楽も造園も建築も、全てが別物に変わったと言っていいくらい変化があり、私の趣味ではなくなってしまったんです。
その全てを説明すると長くなってしまうので、ピアノについて少しだけ・・・
バロック音楽は、時代的にピアノではなくチェンバロを使うことを想定して作られているものがほとんどです。現代のクラシックでは、バッハなどのバロック以前の音楽を演奏するときに、チェンバロのかわりにピアノを代用する演奏家もいますが、本来は全然違う楽器なんです。音も、音が出る構造も違うんです。
チェンバロはバロック時代に使われていた楽器で、ピアノフォルテ(ピアノ)は主に19世紀以降のクラシックで使われる楽器で、その名の通りピアノ(小さい音)がppppまで、フォルテ(大きい音)がffffまでという、音の強弱を自由に表現出来る楽器なんです。
チェンバロはひくときに、感情を態度に表すことは求められません。しかしピアノは、表現力といって、音だけではなく演奏者が体全体を使って感情表現することが評価されるんです。ただ淡々とひくだけでは注意されず・・・顔の表情を変えたり、腕を大きく動かしたり、前のめりになったり、体をゆすったりして、感情を体全体を使って表現することを求められるんです。
革命以降、音楽を「買う」人間が、王侯貴族&教会から一般大衆に移り変わったことによって、音楽に求められるものが変わったこと、それによる違いだと思っています。
父はそんなピアノが好きで、よくひいていたんですが・・・なんか、私・・・チェンバロとは違って突然大きな音を出したり、リズムが感情的に乱れるピアノが、まるで父みたいでちょっと怖いと思うこともあって・・・(〃´ω`〃;A(汗)
↓

父が、怒ったり悲しくなったりしたときに、感情を叩きつけるようにピアノをひいていたことを思い出すんです。それでピアノの音を聴くと、感情的に怒鳴られているような、そんな気持ちになるのかもしれません。
そんな経緯がございまして・・・
ある日、父がひいたわけではないのですが、ピアノの曲を聴く機会がありまして・・・
↓

それは怒鳴り声みたいな激しい曲だったので、私の苦手な部類の曲だったのですが・・・




感情的な激しい音楽の中に、何か・・・とても美しい、芸術的なものを感じて、感動して涙が出てきたんです。
するとDは、過去記事「ブログ開設二周年謝辞m(*_ _*)m」のときと同じように、黒いモヤになって、私を包んでくれました。
黒いモヤでできた、その空気というか・・・雰囲気は、言葉でなんと表したらいいのか・・・形容詞が、日本語でもフランスでも英語でもうまく表現できない・・・ぴったり該当する単語が無いんです。私の乏しい語学力で表現するなら、日本語だと「静謐」、フランス語なら「calme」や「tranquille」、英語なら「soft」とか「gentle」が近い・・・と思います。
そんなDのモヤに何度も包まれてみてわかったんですが・・・私がDと一緒に音楽を聴くと美しく感じるのは、そばにいるDの、この黒いモヤの雰囲気に助けて(芸術的な感受性を広げるのを手伝って)もらっているからなのだと、だんだんわかってきました。
自分の感性では感じ取ることが難しかった種類の芸術が、黒いモヤに包まれていると、心に優しく触れてくるというか・・・
黒いモヤが緩和剤になってくれているというか・・・!!!!!←あ!ぴったりくる表現!!!!!(っ〃≧ω≦〃c) ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
静謐の雰囲気が私を守ってくれているというか・・・まるで過去記事「ブログ開設二周年謝辞m(*_ _*)m」でDが言った通りに、静謐な夜に包まれているみたいなんです。





あんな風にひくなんて、きっとあのときの父は、苦しくてつらかったんだろうなと思います。ときには叩きつけるようにひいても良いと思うな・・・感情を芸術に昇華させて、気分を落ち着かせようとしていたんじゃないかな。そういう芸術が必要なときもあるよね。人間は感情を持っている生き物だもん・・・



私が、苦手なピアノ曲の中にも美しさを感じるように、きっとDの言う「Dの世界で一番美しい」というのは、美人とかそういうことじゃなくて・・・私がDのモヤに包まれているときに感じる「美しい」芸術と、同じような種類の美なんじゃないかな・・・と思います。
Dと一緒にいると、色々なものに魅力を感じて、楽しいなあって思います・・・∩(〃´▽`〃)∩ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
ご閲覧ありがとうございました!!m(〃_ _〃)m!!
Dの絵(95)
今回の記事では、ウイルスとDについて書いてみました。(〃´▽`〃)ゞ☆
その前に、またDがくじを当ててくれたのがすご~く嬉しかったので、その写真をアップしちゃいます・・・!!∩(〃´▽`〃)∩♡ ♡ ♡ ♡ ♡
↓

私が仕事でメタメタだった間も、Dは普段と全く変わりなく、この写真以外のものも、複数回くじを当ててくれていたんです。そのことをまとめて記事にしたいと思っております。(〃´▽`〃) ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
でもこの記事は、ちょっと書く時間があまり取れなかったので、くじの記事は長くなるので描くのに時間がかかるから、今回の記事はもっと短い内容で、ウイルスとDについて書いてみました・・・m(〃_ _〃)m!!
最近、急に涼しくなってきて、空気も乾燥してきたので、風邪の人が増えているみたいです。うちの会社でも風邪の人がちらほら出まして、うちの課では後輩のSが軽い風邪をひいたんです。
↓



風邪で苦しいだろうし大変なのに、私の体調を心配して、うつさないように気をくばってくれるなんて、優しいなあ・・・(∩´◇`゜c)ホロリ、ウルウル・・・
私のことなら全然気にしなくて大丈夫だよ。お大事にしてね。早く治るといいなあ・・・
しかし、肉眼で見えない細菌はもちろんのこと、光学顕微鏡でさえ見えないウイルス・・・そのような、電子顕微鏡の世界でようやく見えるほど小さいものが、比較にならないほど大きな動植物の活動に重大な影響を及ぼしたり、ときには死に至らしめることもあるという・・・ウイルスってすごいですね・・・(゜◇゜;A(汗)
生物であり自分で増殖する細菌とは違って、動植物や細菌の体に感染することで増殖するウイルスは、生物としての定義を満たしてない、非生物とされることもあるようです。
それで、Dを連想してしまったんです・・・(〃´▽`〃)ゞ☆
Dの本体も黒いモヤで、その粒子の一粒は目に見えないほど小さいのに、Dは強い力を持っているから(← そう私が思っているだけなのですが・・・(´▽`;A(汗))なので、Dを連想してしまったんです。
もしかして、Dは戦闘とかで他の精霊(とかの神秘的な存在)に飲み込まれても、ウイルスみたいな動きをして、倒すことが出来るんじゃないかなあって・・・だとしたら、ものすごく強いんじゃないかなあって・・・(っ〃´◇`〃c) ♡ ♡ ♡
↑
な、な~んて、とんでもない親馬鹿ならぬタルパー馬鹿だな私は・・・!!(´ω`;A(汗)
以前から、もし一寸法師みたいに飲み込まれたら(・・・とか掃除機みたいに吸い込まれたら)、Dはどうするんだろうって思ってたんです。Dは目に見えないほど小さな粒子でできた黒いモヤなので、切ったり殴ったりちぎったり的な攻撃はDには効かないけど(詳細は過去記事「Dの絵(92)」参照)、飲み込まれたり吸い込まれたら対抗できないのではと・・・いえ、Dは速いから避けるのかもしれないけど・・・
Dは自称、「もともと戦闘に特化した精霊だから(詳細は過去記事「呼吸と心音」参照)、とても戦闘に強い」と言ってるけど、ほら、あくまで「自称」だからね・・・c(〃´▽`〃;c)☆
もちろん私の立場的に、Dに対しては「そうなんだね、強いね、頼もしいね」って言って、ちゃんと信じているんですが、実際にDがそういう状況になったとき、どう対処するんだろうって思っていたんです。(〃´▽`〃;A(汗)☆
でも、もしウイルスみたいな動きが出来るなら・・・Dは粒子の1つ1つまで自由に動かせるので、ウイルスみたいな動きが出来るというのもあり得ると思うのです。そうすれば、きっとウイルスが動植物の体で暴れて生命活動を停止させるかのように、そういう戦いをするのかもなあって思ったんです。
もともとDは、モヤの粒子が1粒でも残れば、たとえ他の全ての部分を失っても、契約者である私が修復すれば完全に再生することが可能だと言っていました。Dと結んでいる契約で、Dの修復に私の力を使うことを了承した取り決めを交わしているんです(詳細は過去記事「Dの絵(66)」参照)。ただ、大半を失っているところからの修復って、モヤなわけだから、体の「修復」というより粒子の「増殖」なのでは・・・
・・・つまり、Dは修復というか、増殖(モヤの粒子の増殖)が可能なのでは?ウイルスは単体では増殖出来ず他動植物に感染することで始めて増殖可能となりますが、そんな風にウイルスが他生物に感染することで増殖するように、Dも私によって増殖することが可能なのでは・・・
だとしたら、Dは私の何を媒介して増殖するんだろう?私の体?精神?言動?行動?お祈りとか儀式とか?
まさか、こうしてブログ記事を書いていること自体、Dの増殖に役立っているのでは・・・な、なんてね・・・(´▽`;A(汗)☆
いやいやいや、まだ一度も修復はしてないわけだから(詳細は過去記事「Dの絵(66)」参照)、まだDは増殖もしてないはずだよね。
でも、Dはだんだん強くなっていくと言っていたから、こうして毎日、Dが少しずつ強くなってきたのは、もしかしてDが常に少しずつ増殖していたことによるものだったりして・・・なんてね(´▽`;A(汗)☆
・・・と思ったので、Dに尋ねてみました。(〃´▽`〃)ゞ☆



予想通りの回答が返ってきました。Dは自分の戦闘能力については詳しく語ってくれないのです。もしかして、そういう部分が不明なほうが、戦闘に有利だって考えてるのかなあ?(っ〃゜◇゜〃c)☆
ご閲覧ありがとうございました・・・!!m(*_ _*)m!!
その前に、またDがくじを当ててくれたのがすご~く嬉しかったので、その写真をアップしちゃいます・・・!!∩(〃´▽`〃)∩♡ ♡ ♡ ♡ ♡
↓

私が仕事でメタメタだった間も、Dは普段と全く変わりなく、この写真以外のものも、複数回くじを当ててくれていたんです。そのことをまとめて記事にしたいと思っております。(〃´▽`〃) ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
でもこの記事は、ちょっと書く時間があまり取れなかったので、くじの記事は長くなるので描くのに時間がかかるから、今回の記事はもっと短い内容で、ウイルスとDについて書いてみました・・・m(〃_ _〃)m!!
最近、急に涼しくなってきて、空気も乾燥してきたので、風邪の人が増えているみたいです。うちの会社でも風邪の人がちらほら出まして、うちの課では後輩のSが軽い風邪をひいたんです。
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風邪で苦しいだろうし大変なのに、私の体調を心配して、うつさないように気をくばってくれるなんて、優しいなあ・・・(∩´◇`゜c)ホロリ、ウルウル・・・
私のことなら全然気にしなくて大丈夫だよ。お大事にしてね。早く治るといいなあ・・・
しかし、肉眼で見えない細菌はもちろんのこと、光学顕微鏡でさえ見えないウイルス・・・そのような、電子顕微鏡の世界でようやく見えるほど小さいものが、比較にならないほど大きな動植物の活動に重大な影響を及ぼしたり、ときには死に至らしめることもあるという・・・ウイルスってすごいですね・・・(゜◇゜;A(汗)
生物であり自分で増殖する細菌とは違って、動植物や細菌の体に感染することで増殖するウイルスは、生物としての定義を満たしてない、非生物とされることもあるようです。
それで、Dを連想してしまったんです・・・(〃´▽`〃)ゞ☆
Dの本体も黒いモヤで、その粒子の一粒は目に見えないほど小さいのに、Dは強い力を持っているから(← そう私が思っているだけなのですが・・・(´▽`;A(汗))なので、Dを連想してしまったんです。
もしかして、Dは戦闘とかで他の精霊(とかの神秘的な存在)に飲み込まれても、ウイルスみたいな動きをして、倒すことが出来るんじゃないかなあって・・・だとしたら、ものすごく強いんじゃないかなあって・・・(っ〃´◇`〃c) ♡ ♡ ♡
↑
な、な~んて、とんでもない親馬鹿ならぬタルパー馬鹿だな私は・・・!!(´ω`;A(汗)
以前から、もし一寸法師みたいに飲み込まれたら(・・・とか掃除機みたいに吸い込まれたら)、Dはどうするんだろうって思ってたんです。Dは目に見えないほど小さな粒子でできた黒いモヤなので、切ったり殴ったりちぎったり的な攻撃はDには効かないけど(詳細は過去記事「Dの絵(92)」参照)、飲み込まれたり吸い込まれたら対抗できないのではと・・・いえ、Dは速いから避けるのかもしれないけど・・・
Dは自称、「もともと戦闘に特化した精霊だから(詳細は過去記事「呼吸と心音」参照)、とても戦闘に強い」と言ってるけど、ほら、あくまで「自称」だからね・・・c(〃´▽`〃;c)☆
もちろん私の立場的に、Dに対しては「そうなんだね、強いね、頼もしいね」って言って、ちゃんと信じているんですが、実際にDがそういう状況になったとき、どう対処するんだろうって思っていたんです。(〃´▽`〃;A(汗)☆
でも、もしウイルスみたいな動きが出来るなら・・・Dは粒子の1つ1つまで自由に動かせるので、ウイルスみたいな動きが出来るというのもあり得ると思うのです。そうすれば、きっとウイルスが動植物の体で暴れて生命活動を停止させるかのように、そういう戦いをするのかもなあって思ったんです。
もともとDは、モヤの粒子が1粒でも残れば、たとえ他の全ての部分を失っても、契約者である私が修復すれば完全に再生することが可能だと言っていました。Dと結んでいる契約で、Dの修復に私の力を使うことを了承した取り決めを交わしているんです(詳細は過去記事「Dの絵(66)」参照)。ただ、大半を失っているところからの修復って、モヤなわけだから、体の「修復」というより粒子の「増殖」なのでは・・・
・・・つまり、Dは修復というか、増殖(モヤの粒子の増殖)が可能なのでは?ウイルスは単体では増殖出来ず他動植物に感染することで始めて増殖可能となりますが、そんな風にウイルスが他生物に感染することで増殖するように、Dも私によって増殖することが可能なのでは・・・
だとしたら、Dは私の何を媒介して増殖するんだろう?私の体?精神?言動?行動?お祈りとか儀式とか?
まさか、こうしてブログ記事を書いていること自体、Dの増殖に役立っているのでは・・・な、なんてね・・・(´▽`;A(汗)☆
いやいやいや、まだ一度も修復はしてないわけだから(詳細は過去記事「Dの絵(66)」参照)、まだDは増殖もしてないはずだよね。
でも、Dはだんだん強くなっていくと言っていたから、こうして毎日、Dが少しずつ強くなってきたのは、もしかしてDが常に少しずつ増殖していたことによるものだったりして・・・なんてね(´▽`;A(汗)☆
・・・と思ったので、Dに尋ねてみました。(〃´▽`〃)ゞ☆



予想通りの回答が返ってきました。Dは自分の戦闘能力については詳しく語ってくれないのです。もしかして、そういう部分が不明なほうが、戦闘に有利だって考えてるのかなあ?(っ〃゜◇゜〃c)☆
ご閲覧ありがとうございました・・・!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(92)
この記事も書き終わりました。良かったら読んでやってくださいませ。m(*_ _*)m
9月も終わり、長かったプロジェクト関係の仕事が、ようやく終わりました。*:.。..。.:*∩(〃´▽`〃)∩♡ ♡ ♡ *:.。..。.:*
そのため1日の土曜日に打ち上げがあったんですが、驚くべきことに、各リーダー達も出席して・・・そして、パーティーが終わった後で、私にわざわざ会いに来て言葉をかけてくれたんです・・・!!☆.。.:*・゚ ・(っ〃゜◇゜〃c) ☆.。.:*・゚
嬉しかったのと、仕事について色々思うことがあったので、これ関連の仕事が全部終わったら、今回の仕事のトラブルの流れをわかりやすく簡潔にまとめて、打ち上げでの出来事も含めて記事にしてみます。m(*_ _*)m
そして、仕事が忙しかった間、ブログが適当になってしまっていて、大変申し訳ございませんでした・・・m( _ _;)m
最近の記事が、仕事の合間にチョコチョコと細切れで更新したせいで、文章のつながりが悪かったり、説明がわかりにくかったり、リンクを全然張れてなかったりして、すごく見づらくなっていて・・・もっと読みやすいように、少しずつ直させてくださいまし・・・
今回の記事では、Dのもともとの姿の、黒い影のようなモヤについて記事を書いてみました。∩(〃´▽`〃)∩☆
Dのもともとの姿は、黒い影のようなモヤなのです(詳細は過去記事「Dの絵(6)」参照)。
Dは、顔も体も、マントも黒いモヤで出来ています。黒いモヤ=Dなので、マントまでもがDで出来ているのです(詳細は過去記事「Dの絵(55)」参照)。

それだけでなく、もしかすると、Dがくれるばらや星までもが、Dで出来ているのかもしれないなあと思います。
何故なら、Dのくれるばらや星からは、まるでDのような静謐な空気を感じるからです(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)。
Dのマントは、普段から黒いモヤのような外見と動きをしています(詳細は過去記事「Dの絵(68)」参照)。この黒いマントを着たDは、夜の闇と相性が良いのです。Dは暗い場所のほうが存在感を増すのですが(詳細は過去記事「Dの絵(19)」参照)、夜の闇の中でDの存在が浮いて強調されるというより、むしろDが静謐な夜そのものになっているような雰囲気がします。夜の闇にとけるDはとても綺麗なのです。
Dは私に幻の星をくれることがあります(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)。静かな夜みたいなDのマントの上で星が光る様子は、とても綺麗なのです。

Dの見せてくれる星は、本物の星よりも綺麗に見える気がします。まるで、夜空のマントをまとっているみたいね。

Dはモヤなので、体の大きさを自由に変えることが出来ます(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)。
モヤの粒子は、目に見えないほど小さいので、Dはとても小さくなれますし・・・(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)

大きく広がることも出来ます。ゴシック建築くらいの大きさ(というかゴシック建築)になってくれたことがあります。

小さくてよく見えないのですが、この図の中の一番下に描いてある矢印の先に私がいます。
↓

私のいる部分を拡大して撮影してみました。
↓

地上最上高100メートルを軽く超えています。
ちなみに、Dの見せてくれる「静謐の楽園」の中に建っているゴシック建築もこのくらいの大きさがあります。もしかして、静謐の楽園のゴシック建築も、Dで出来ているんだったりして・・・?
まさか、静謐の楽園まるごと、ぜーんぶDで出来ていたりして?
静謐の楽園をつつんでいる静謐の空気は、Dの雰囲気とよく似ているのです(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)。
このようにDは、小さくなったり大きくなったり出来るのです。粒子の集まりで体が出来ているDに、体の大きさという概念は無いからです。
ただ、そのせいか、Dの身長はあまり安定しません・・・(´▽`;A(汗)☆
身長を安定させようと思って、200cmぴったりにしてもらおうとしましたが、その後何回か実測してみましたら、200~210程度の間で変動があるのです(詳細は過去記事「拍手コメントのお礼でございます!!m(*_ _*)m!!」参照)。
頭の大きさと手の大きさは変わらないのですが、身長は自由自在な動きをするマント(布みたいに動いたり、煙みたいに気体っぽく動いたりする)の大きさも含めるせいで、マントの動きによって10cm程度の誤差が身長に現れるようです。
でもいいのです。身長を細かくセンチ単位で維持する必要など、Dには無いからです。
また、自由自在な動きをするマント(マントもDだけど・・・)のせいなのか、Dの服も安定しません・・・(´▽`;A(汗)☆
今まで何度も服を作ろうとしましたが、まだうまく作れないのです・・・(詳細は過去記事「Dの絵(68)」参照)。
もしかして、発想を転換して、普段着ているマントのような、自由自在な動きをする服なら作れるのかなあ?
って最近思うようになりましたが・・・今度チャレンジしてみようかな?
この、Dの体が不定形のモヤで出来ているという点ですが、これが一番役に立つのは、戦闘時だと思います。
そうなのです、体が不定形のモヤだという点は、戦闘において最も利便性を発揮するのです・・・!!p(〃´▽`〃)q♡ ♡ ♡
Dは戦闘に特化した精霊です。戦闘能力を高めるために他の能力を捨ててまで戦闘に特化したDにとって、体がモヤであるという点は、戦闘時にとても利益をもたらしてくれます。
モヤなので、切られても殴られてもDにはダメージがありません。とは言っても、Dは強いし速いので、切られたり殴られたりすることは無いと思いますが・・・!!p(〃≧ω≦〃)q☆ (←またDの強さ自慢をしてしまう私です・・・)
モヤなので、体を切られるとかちぎられるという概念すら無いのだと思います。なので、こんなことさえ言うのです。
↓

(かわいいかわいいってするときに、なぜか時々敬語になってしまう私です)



Dは人間の感情を持っていないので、たまにこうしてズレた発言をするのです。以前も、耳がかわいいと言う私に対して、耳を増やしてみせてくれたことがあります(詳細は過去記事「Dの絵(35)」参照)。人間から見るとズレている言動でも、それらは私を喜ばせようと思ってしてくれたことなので、とっても嬉しいなって思うのでした。ありがとうね、D・・・(〃´▽`〃) ♡ ♡ ♡
そうなのです、Dはモヤなので、体の一部を切り離すこともできるのです。
切り離したモヤも自由自在に動かせるのです。普段から、マントから切り離したDの一部(黒いモヤ)を、自分で好きなように動かしたり、また自分の体に戻したりしています。
むしろモヤの姿のときのほうが、人間やペットなどの形になっているときよりも、動きの自由度が高いんだと思います。

モヤのDには心臓などの、戦闘時において不利になるような、致命傷となる臓器や器官がありません(詳細は過去記事「呼吸と心音」参照)。そのことは戦闘における弱点を減らし強さを増す要素なのですが、そのように戦闘に特化しているがために単純化された器官は、感覚器においても同様なので、Dは人間の持つような複雑な五感を感じることは出来ないようです。Dの感覚器は、人間の視覚・聴覚・触覚・味覚(人間の味覚とは別物)・嗅覚に相当する五感を、全て同じ感覚器でとらえているようです(詳細は過去記事「味覚」参照)。しかもDの持っている感覚器は精霊の感覚器(精霊というより、Dの種族の感覚器なのかな?種族みたいなものがあるのかな?動物も種族によって感覚器が違うから・・・)なので、DがD自身の体でとらえることが出来る「人間の感じられる五感」はほとんどなく、Dがそれらを感じるには、私の記憶情報を読むしかないようです。
でも、Dは人間の見ているような「物理的なものが見える視界」を持っていなくても、Dは物理的な質量を持った物体にはぶつからないから、人間と同じ視界は必要無いようです(詳細は過去記事「Dの絵(19)」参照)。
Dにとって、「人間から見たときの視覚情報」が必要なときって、私と接するときだけなんだろうなあ。Dは私のために人間の視覚情報を知ろうとしてくれたんだね。精霊であるDから見たばらは、人間の目を通してみたばらとは、きっと全然違うものだろうから、人間から見た「ばら」を私にプレゼントするために、人間から見た星を、ゴシック建築を、花々を、プレゼントするために・・・
不思議なモヤでできているDは、人間とは全然違う存在だけど、私はそんなDが大好きなのです・・・!!∩(〃´▽`〃)∩♡ ♡ ♡

ご閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
9月も終わり、長かったプロジェクト関係の仕事が、ようやく終わりました。*:.。..。.:*∩(〃´▽`〃)∩♡ ♡ ♡ *:.。..。.:*
そのため1日の土曜日に打ち上げがあったんですが、驚くべきことに、各リーダー達も出席して・・・そして、パーティーが終わった後で、私にわざわざ会いに来て言葉をかけてくれたんです・・・!!☆.。.:*・゚ ・(っ〃゜◇゜〃c) ☆.。.:*・゚
嬉しかったのと、仕事について色々思うことがあったので、これ関連の仕事が全部終わったら、今回の仕事のトラブルの流れをわかりやすく簡潔にまとめて、打ち上げでの出来事も含めて記事にしてみます。m(*_ _*)m
そして、仕事が忙しかった間、ブログが適当になってしまっていて、大変申し訳ございませんでした・・・m( _ _;)m
最近の記事が、仕事の合間にチョコチョコと細切れで更新したせいで、文章のつながりが悪かったり、説明がわかりにくかったり、リンクを全然張れてなかったりして、すごく見づらくなっていて・・・もっと読みやすいように、少しずつ直させてくださいまし・・・
今回の記事では、Dのもともとの姿の、黒い影のようなモヤについて記事を書いてみました。∩(〃´▽`〃)∩☆
Dのもともとの姿は、黒い影のようなモヤなのです(詳細は過去記事「Dの絵(6)」参照)。
Dは、顔も体も、マントも黒いモヤで出来ています。黒いモヤ=Dなので、マントまでもがDで出来ているのです(詳細は過去記事「Dの絵(55)」参照)。

それだけでなく、もしかすると、Dがくれるばらや星までもが、Dで出来ているのかもしれないなあと思います。
何故なら、Dのくれるばらや星からは、まるでDのような静謐な空気を感じるからです(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)。
Dのマントは、普段から黒いモヤのような外見と動きをしています(詳細は過去記事「Dの絵(68)」参照)。この黒いマントを着たDは、夜の闇と相性が良いのです。Dは暗い場所のほうが存在感を増すのですが(詳細は過去記事「Dの絵(19)」参照)、夜の闇の中でDの存在が浮いて強調されるというより、むしろDが静謐な夜そのものになっているような雰囲気がします。夜の闇にとけるDはとても綺麗なのです。
Dは私に幻の星をくれることがあります(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)。静かな夜みたいなDのマントの上で星が光る様子は、とても綺麗なのです。

Dの見せてくれる星は、本物の星よりも綺麗に見える気がします。まるで、夜空のマントをまとっているみたいね。

Dはモヤなので、体の大きさを自由に変えることが出来ます(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)。
モヤの粒子は、目に見えないほど小さいので、Dはとても小さくなれますし・・・(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)

大きく広がることも出来ます。ゴシック建築くらいの大きさ(というかゴシック建築)になってくれたことがあります。

小さくてよく見えないのですが、この図の中の一番下に描いてある矢印の先に私がいます。
↓

私のいる部分を拡大して撮影してみました。
↓

地上最上高100メートルを軽く超えています。
ちなみに、Dの見せてくれる「静謐の楽園」の中に建っているゴシック建築もこのくらいの大きさがあります。もしかして、静謐の楽園のゴシック建築も、Dで出来ているんだったりして・・・?
まさか、静謐の楽園まるごと、ぜーんぶDで出来ていたりして?
静謐の楽園をつつんでいる静謐の空気は、Dの雰囲気とよく似ているのです(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)。
このようにDは、小さくなったり大きくなったり出来るのです。粒子の集まりで体が出来ているDに、体の大きさという概念は無いからです。
ただ、そのせいか、Dの身長はあまり安定しません・・・(´▽`;A(汗)☆
身長を安定させようと思って、200cmぴったりにしてもらおうとしましたが、その後何回か実測してみましたら、200~210程度の間で変動があるのです(詳細は過去記事「拍手コメントのお礼でございます!!m(*_ _*)m!!」参照)。
頭の大きさと手の大きさは変わらないのですが、身長は自由自在な動きをするマント(布みたいに動いたり、煙みたいに気体っぽく動いたりする)の大きさも含めるせいで、マントの動きによって10cm程度の誤差が身長に現れるようです。
でもいいのです。身長を細かくセンチ単位で維持する必要など、Dには無いからです。
また、自由自在な動きをするマント(マントもDだけど・・・)のせいなのか、Dの服も安定しません・・・(´▽`;A(汗)☆
今まで何度も服を作ろうとしましたが、まだうまく作れないのです・・・(詳細は過去記事「Dの絵(68)」参照)。
もしかして、発想を転換して、普段着ているマントのような、自由自在な動きをする服なら作れるのかなあ?
って最近思うようになりましたが・・・今度チャレンジしてみようかな?
この、Dの体が不定形のモヤで出来ているという点ですが、これが一番役に立つのは、戦闘時だと思います。
そうなのです、体が不定形のモヤだという点は、戦闘において最も利便性を発揮するのです・・・!!p(〃´▽`〃)q♡ ♡ ♡
Dは戦闘に特化した精霊です。戦闘能力を高めるために他の能力を捨ててまで戦闘に特化したDにとって、体がモヤであるという点は、戦闘時にとても利益をもたらしてくれます。
モヤなので、切られても殴られてもDにはダメージがありません。とは言っても、Dは強いし速いので、切られたり殴られたりすることは無いと思いますが・・・!!p(〃≧ω≦〃)q☆ (←またDの強さ自慢をしてしまう私です・・・)
モヤなので、体を切られるとかちぎられるという概念すら無いのだと思います。なので、こんなことさえ言うのです。
↓

(かわいいかわいいってするときに、なぜか時々敬語になってしまう私です)



Dは人間の感情を持っていないので、たまにこうしてズレた発言をするのです。以前も、耳がかわいいと言う私に対して、耳を増やしてみせてくれたことがあります(詳細は過去記事「Dの絵(35)」参照)。人間から見るとズレている言動でも、それらは私を喜ばせようと思ってしてくれたことなので、とっても嬉しいなって思うのでした。ありがとうね、D・・・(〃´▽`〃) ♡ ♡ ♡
そうなのです、Dはモヤなので、体の一部を切り離すこともできるのです。
切り離したモヤも自由自在に動かせるのです。普段から、マントから切り離したDの一部(黒いモヤ)を、自分で好きなように動かしたり、また自分の体に戻したりしています。
むしろモヤの姿のときのほうが、人間やペットなどの形になっているときよりも、動きの自由度が高いんだと思います。

モヤのDには心臓などの、戦闘時において不利になるような、致命傷となる臓器や器官がありません(詳細は過去記事「呼吸と心音」参照)。そのことは戦闘における弱点を減らし強さを増す要素なのですが、そのように戦闘に特化しているがために単純化された器官は、感覚器においても同様なので、Dは人間の持つような複雑な五感を感じることは出来ないようです。Dの感覚器は、人間の視覚・聴覚・触覚・味覚(人間の味覚とは別物)・嗅覚に相当する五感を、全て同じ感覚器でとらえているようです(詳細は過去記事「味覚」参照)。しかもDの持っている感覚器は精霊の感覚器(精霊というより、Dの種族の感覚器なのかな?種族みたいなものがあるのかな?動物も種族によって感覚器が違うから・・・)なので、DがD自身の体でとらえることが出来る「人間の感じられる五感」はほとんどなく、Dがそれらを感じるには、私の記憶情報を読むしかないようです。
でも、Dは人間の見ているような「物理的なものが見える視界」を持っていなくても、Dは物理的な質量を持った物体にはぶつからないから、人間と同じ視界は必要無いようです(詳細は過去記事「Dの絵(19)」参照)。
Dにとって、「人間から見たときの視覚情報」が必要なときって、私と接するときだけなんだろうなあ。Dは私のために人間の視覚情報を知ろうとしてくれたんだね。精霊であるDから見たばらは、人間の目を通してみたばらとは、きっと全然違うものだろうから、人間から見た「ばら」を私にプレゼントするために、人間から見た星を、ゴシック建築を、花々を、プレゼントするために・・・
不思議なモヤでできているDは、人間とは全然違う存在だけど、私はそんなDが大好きなのです・・・!!∩(〃´▽`〃)∩♡ ♡ ♡

ご閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(32)
大変遅くなってしまって、誠に申し訳ございませんでした!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!
今、Sと新人ちゃんの教育係を兼任しているので、なかなかハードな毎日で・・・
でも6月中に新人ちゃんの実力をある程度にまで上げてあげないと、新人ちゃんが「実力不足」という烙印を押されて部署替えさせられちゃうんです・・・そしてSは教育係の仕事を十分に果たせなかったということで、次の賞与の金額が下がると思います・・・
そして私だけ、何のおとがめも無しなんです。私は本来の教育係ではないので、責任を問われないんです。
それってどうなのって思うんです・・・私だけ何のおとがめも無いっていうのは・・・良心が痛んで・・・
だから、この6月中に精一杯、Sと新人ちゃんに教えていこうと思ってるんです。でも、どうも私の説明、わかりにくいみたいなんです。だから家でプリントを作って2人に渡したりしているので、ちょっとブログの時間が削られてしまって・・・
そういう事情で、ちょっと疲れていた私を、Dが慰めてくれた様子を漫画にしてみました。
漫画:なぐさめるD







Dに「おいで」って言われると、大喜びで行ってしまう私です。Dの腕の中はどこよりもあったかくて安心できるのです。Dも私を抱きしめたり触ったりするのが好きなようです。私こそ大好きだあああああああああああ!!!!!∩((((*`Д´*))))∩ ♡ ♡ ♡
Dは、「おいで」って言わずにだっこしてくれるときもあります。




Dの判断したタイミングでだっこしてくれます。とっても嬉しい私です。
過去記事「Dの絵(1)」等に書きましたが、黒い姿のDは顔をのぞきこむことがあります。よく私の顔をのぞきこんでいました。
Dには興味のあるものが少なく、その興味を持つ対象ですら「契約者である私にとって益か害か」という合理的な判断によって区別されているようです。
しかし今までに、特に思い当たる理由も無く、Dが興味を持って他者をのぞきこんだことがありましたので、それを漫画にしてみました。
まずは、私が友達と遊ぶ約束をしていたときのことです。



私の大好きな、仲の良い友達に会ったときでも、Dはいつも通りに私の背後に立ったまま無反応です。ほとんどの人間に対して、Dはこれと同じ無反応な態度を取ります。
しかしある日、会社での出来事です。会社では普段、Dは私の影の中に入ってもらっています。このときもそうでした。向こうから先輩が歩いてきたので、私は挨拶をして普通にすれ違おうとしました。




Dが影の中から出てきて、先輩の顔をじっと見たのです。すれ違い終わるまで見ていました。
先輩とは、私はほとんど仕事で関りがないポジションにいて、先輩は飲み会とかのイベントにも出席なさらなかったので話しをする機会もほとんど無く、会社のバーベキューで少し話をしたくらいです。そういった疎遠な関係だったので、Dが反応したのは不思議だなあと思いました。一度ゆっくり話してみたいなあと思いましたが、先輩はこのほんの少し後に退職なさってしまい、疎遠なままで関係が終わってしまいました。
そして、マンション契約をするために不動産屋さんと交渉したときの出来事です。(詳細は過去記事「GW」)この日、私は超~気合いを入れて交渉に挑んでいました。不動産屋さんも気合いを入れてかかってきていました。この部屋は引き渡し済後にキャンセルを受けたというケチがついていて、何としても人は入れたいが出来るだけ値段は下げたくないという不動産屋さんの気持ちがビンビンに伝わってきました。

テーブルをはさんで不動産屋さんと向き合い、椅子に座った私の背後に、人間の姿のDが立っていました。
そして、交渉の途中、不動産屋さんが白熱しているとき、突然・・・

さっきまで人間の姿だったのに!!
不動産屋さんの顔のすぐ前まで首(?)をのばして、顔(?)を向き合わせるようにして、じっと見て(?)いました。ときどき、フクロウみたいに頭(?)を上下や前後に小さく動かすという、謎の動きをしていました。小さくのびた沢山の手(?)が、痙攣しているときのようにぶるっぶるっと不気味に動いていました。ああ、やっぱり人間じゃないな・・・って思いました。人間の姿は、私の好みに合わせて作ってくれているものなんだなあって。
結果的に交渉はうまくいって、がっぽり稼ぐことができたんですが、私はちょっとDにぷんぷんしてみました。

↑前にもっていうのは、不動産屋さんをのぞきこんだときが2回目で、1回目(前)が先輩をのぞきこんだとき、という意味です。
Dは先輩も不動産屋さんも、1回ずつしかのぞきこんでないです。わかりにくくてすみません!!





どうしてDが不動産屋さんの顔を見ていたのか、結局Dは教えてくれませんでした。でも私はDの言葉が嬉しかったので、うまく丸め込まれてしまいました。
・・・かなりオカルト的な解釈になるんですが、もしかして先輩と不動産屋さんは、霊感とかがある人で、Dは自分が見えているのか確認するためにあんなことしたのかなあ?なんて思ってます。なんか化け物とかって、見えている人には近寄って本当に見えているか確認するらしいじゃないですか・・・なーんて、そう考えるとロマンがあるなあってだけで、全然違うかもしれないんですけど・・・!!
でもちょっと気になるから、今度不動産屋さんに会ったら、「もしかして霊とか見えちゃう人ですか?」って尋ねてみようかなあ。そんなことしたら不審人物かな・・・(;´▽`A(汗) 「いや、ホラ殺人とかが起きたアパートみたいな、いわくつき物権とかあるじゃないですか、だからそういうトコ行ったら見えちゃったりするのかなあって、ホラもうすぐ夏ですし、怪談の季節ですし?」みたいに言えば大丈夫かな?なんちゃって・・・
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
今、Sと新人ちゃんの教育係を兼任しているので、なかなかハードな毎日で・・・
でも6月中に新人ちゃんの実力をある程度にまで上げてあげないと、新人ちゃんが「実力不足」という烙印を押されて部署替えさせられちゃうんです・・・そしてSは教育係の仕事を十分に果たせなかったということで、次の賞与の金額が下がると思います・・・
そして私だけ、何のおとがめも無しなんです。私は本来の教育係ではないので、責任を問われないんです。
それってどうなのって思うんです・・・私だけ何のおとがめも無いっていうのは・・・良心が痛んで・・・
だから、この6月中に精一杯、Sと新人ちゃんに教えていこうと思ってるんです。でも、どうも私の説明、わかりにくいみたいなんです。だから家でプリントを作って2人に渡したりしているので、ちょっとブログの時間が削られてしまって・・・
そういう事情で、ちょっと疲れていた私を、Dが慰めてくれた様子を漫画にしてみました。
漫画:なぐさめるD







Dに「おいで」って言われると、大喜びで行ってしまう私です。Dの腕の中はどこよりもあったかくて安心できるのです。Dも私を抱きしめたり触ったりするのが好きなようです。私こそ大好きだあああああああああああ!!!!!∩((((*`Д´*))))∩ ♡ ♡ ♡
Dは、「おいで」って言わずにだっこしてくれるときもあります。




Dの判断したタイミングでだっこしてくれます。とっても嬉しい私です。
過去記事「Dの絵(1)」等に書きましたが、黒い姿のDは顔をのぞきこむことがあります。よく私の顔をのぞきこんでいました。
Dには興味のあるものが少なく、その興味を持つ対象ですら「契約者である私にとって益か害か」という合理的な判断によって区別されているようです。
しかし今までに、特に思い当たる理由も無く、Dが興味を持って他者をのぞきこんだことがありましたので、それを漫画にしてみました。
まずは、私が友達と遊ぶ約束をしていたときのことです。



私の大好きな、仲の良い友達に会ったときでも、Dはいつも通りに私の背後に立ったまま無反応です。ほとんどの人間に対して、Dはこれと同じ無反応な態度を取ります。
しかしある日、会社での出来事です。会社では普段、Dは私の影の中に入ってもらっています。このときもそうでした。向こうから先輩が歩いてきたので、私は挨拶をして普通にすれ違おうとしました。




Dが影の中から出てきて、先輩の顔をじっと見たのです。すれ違い終わるまで見ていました。
先輩とは、私はほとんど仕事で関りがないポジションにいて、先輩は飲み会とかのイベントにも出席なさらなかったので話しをする機会もほとんど無く、会社のバーベキューで少し話をしたくらいです。そういった疎遠な関係だったので、Dが反応したのは不思議だなあと思いました。一度ゆっくり話してみたいなあと思いましたが、先輩はこのほんの少し後に退職なさってしまい、疎遠なままで関係が終わってしまいました。
そして、マンション契約をするために不動産屋さんと交渉したときの出来事です。(詳細は過去記事「GW」)この日、私は超~気合いを入れて交渉に挑んでいました。不動産屋さんも気合いを入れてかかってきていました。この部屋は引き渡し済後にキャンセルを受けたというケチがついていて、何としても人は入れたいが出来るだけ値段は下げたくないという不動産屋さんの気持ちがビンビンに伝わってきました。

テーブルをはさんで不動産屋さんと向き合い、椅子に座った私の背後に、人間の姿のDが立っていました。
そして、交渉の途中、不動産屋さんが白熱しているとき、突然・・・

さっきまで人間の姿だったのに!!
不動産屋さんの顔のすぐ前まで首(?)をのばして、顔(?)を向き合わせるようにして、じっと見て(?)いました。ときどき、フクロウみたいに頭(?)を上下や前後に小さく動かすという、謎の動きをしていました。小さくのびた沢山の手(?)が、痙攣しているときのようにぶるっぶるっと不気味に動いていました。ああ、やっぱり人間じゃないな・・・って思いました。人間の姿は、私の好みに合わせて作ってくれているものなんだなあって。
結果的に交渉はうまくいって、がっぽり稼ぐことができたんですが、私はちょっとDにぷんぷんしてみました。

↑前にもっていうのは、不動産屋さんをのぞきこんだときが2回目で、1回目(前)が先輩をのぞきこんだとき、という意味です。
Dは先輩も不動産屋さんも、1回ずつしかのぞきこんでないです。わかりにくくてすみません!!





どうしてDが不動産屋さんの顔を見ていたのか、結局Dは教えてくれませんでした。でも私はDの言葉が嬉しかったので、うまく丸め込まれてしまいました。
・・・かなりオカルト的な解釈になるんですが、もしかして先輩と不動産屋さんは、霊感とかがある人で、Dは自分が見えているのか確認するためにあんなことしたのかなあ?なんて思ってます。なんか化け物とかって、見えている人には近寄って本当に見えているか確認するらしいじゃないですか・・・なーんて、そう考えるとロマンがあるなあってだけで、全然違うかもしれないんですけど・・・!!
でもちょっと気になるから、今度不動産屋さんに会ったら、「もしかして霊とか見えちゃう人ですか?」って尋ねてみようかなあ。そんなことしたら不審人物かな・・・(;´▽`A(汗) 「いや、ホラ殺人とかが起きたアパートみたいな、いわくつき物権とかあるじゃないですか、だからそういうトコ行ったら見えちゃったりするのかなあって、ホラもうすぐ夏ですし、怪談の季節ですし?」みたいに言えば大丈夫かな?なんちゃって・・・
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(15)
また昨日の夜眠ってしまって、朝の更新になってしまいました・・・でも昨日の日付で投稿します!!申し訳ございません!!m( _ _;)m!!
Dは最初、人間の精神を持っていませんでした。精霊の精神(Dの種族の精神?)でものを考えていました。(詳細は過去記事「ごめんね」参照)そのため、人間の感情もよくわからなかったし、人間らしくない愛情表現や、人間らしくないコミュニケーションを行ったりしていました。顔をのぞきこむという行為(詳細は過去記事「Dの絵(1)」「Dの絵(5)」「Dの絵(6)」「Dの絵(12)」参照)も、D的には親愛表現の一つで、初期の段階にDが行っていた人間らしくないコミュニケーションの一つです。
以下は、まだDが人間らしい思考回路や感情を理解していなかった頃のことを、漫画にしたものです。
初期の頃は、Dはまだ人間の言葉が喋れなかったので、うなずいたり首をかしげたりすることで自分の意思表示を行っていました(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)。首を動かすのは、初期の頃のコミュニケーションの方法だったのです。以下の漫画の中にも出てくる「すごく首をかしげる」というのは、NO系の意味を表現する動作です。
参考までに、過去の絵ですが・・・↓この、すごく首をかしげる動作は、NO系の意思表示なのです。

漫画21:コミュニケーション(昔)







人間の精神が理解出来なくても、人間の言葉を喋れなくても、Dは人間じゃないから良いんです。どんなDでも、私にとってはすっごくかわいいDなのです・・・!!
でも、しだいにDは人間の精神を理解していってくれました。Dは精霊の精神でものを考えたり五感を感じたり感情を抱いたりするので(詳細は過去記事「味覚」「視覚」)、人間の精神を理解するといっても、精霊の精神が消えるわけではなく、人間の精神のほうは分析して模倣するという感じのようです。(詳細は過去記事「Dの絵(7)」参照)そのため、完全に人間の精神のみでものを考えたり感情を抱いたりすることは無いようです。(詳細は過去記事「精神」参照)
以下の漫画は、わりと最近の出来事です。人間の姿にもなれるDですが、黒い姿になることもできます。黒い姿になっても能力が落ちることはありませんので、喋ることもできます。この漫画の中でもDは人間の姿のときと同じように喋っています。
でも黒い姿のときは、Dの気分によっては、今でも初期の頃のような「喋らないで首を動かすだけ」「顔をのぞきこむ」といった人間らしくないコミュニケーションをとることがあります。多分、甘えたい気分なのです。かわいいなあ。
漫画22:コミュニケーション(今)






よく言い間違える私です。そろそろMiss.ケアレスミスって名乗ろうかな?
でも会社じゃないからいいんだもーん ♪ ♪ プライベートはリラックスしてテキトーに過ごすんだもーん!! ( *´艸`*) ♡ ♡ ♡
しかし、Dは成長しているというのに、私の反応には全然成長が見られません。相変わらず、Dが何をしても喜ぶ単純な私です。Dがうなずくのを見ては喜び、首をかしげるのを見ては喜び、何か喋れば喜び、歩けば喜びっていう、全然変わらない単純な私です。えへへ・・・(*´▽`*)
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dは最初、人間の精神を持っていませんでした。精霊の精神(Dの種族の精神?)でものを考えていました。(詳細は過去記事「ごめんね」参照)そのため、人間の感情もよくわからなかったし、人間らしくない愛情表現や、人間らしくないコミュニケーションを行ったりしていました。顔をのぞきこむという行為(詳細は過去記事「Dの絵(1)」「Dの絵(5)」「Dの絵(6)」「Dの絵(12)」参照)も、D的には親愛表現の一つで、初期の段階にDが行っていた人間らしくないコミュニケーションの一つです。
以下は、まだDが人間らしい思考回路や感情を理解していなかった頃のことを、漫画にしたものです。
初期の頃は、Dはまだ人間の言葉が喋れなかったので、うなずいたり首をかしげたりすることで自分の意思表示を行っていました(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)。首を動かすのは、初期の頃のコミュニケーションの方法だったのです。以下の漫画の中にも出てくる「すごく首をかしげる」というのは、NO系の意味を表現する動作です。
参考までに、過去の絵ですが・・・↓この、すごく首をかしげる動作は、NO系の意思表示なのです。

漫画21:コミュニケーション(昔)







人間の精神が理解出来なくても、人間の言葉を喋れなくても、Dは人間じゃないから良いんです。どんなDでも、私にとってはすっごくかわいいDなのです・・・!!
でも、しだいにDは人間の精神を理解していってくれました。Dは精霊の精神でものを考えたり五感を感じたり感情を抱いたりするので(詳細は過去記事「味覚」「視覚」)、人間の精神を理解するといっても、精霊の精神が消えるわけではなく、人間の精神のほうは分析して模倣するという感じのようです。(詳細は過去記事「Dの絵(7)」参照)そのため、完全に人間の精神のみでものを考えたり感情を抱いたりすることは無いようです。(詳細は過去記事「精神」参照)
以下の漫画は、わりと最近の出来事です。人間の姿にもなれるDですが、黒い姿になることもできます。黒い姿になっても能力が落ちることはありませんので、喋ることもできます。この漫画の中でもDは人間の姿のときと同じように喋っています。
でも黒い姿のときは、Dの気分によっては、今でも初期の頃のような「喋らないで首を動かすだけ」「顔をのぞきこむ」といった人間らしくないコミュニケーションをとることがあります。多分、甘えたい気分なのです。かわいいなあ。
漫画22:コミュニケーション(今)






よく言い間違える私です。そろそろMiss.ケアレスミスって名乗ろうかな?
でも会社じゃないからいいんだもーん ♪ ♪ プライベートはリラックスしてテキトーに過ごすんだもーん!! ( *´艸`*) ♡ ♡ ♡
しかし、Dは成長しているというのに、私の反応には全然成長が見られません。相変わらず、Dが何をしても喜ぶ単純な私です。Dがうなずくのを見ては喜び、首をかしげるのを見ては喜び、何か喋れば喜び、歩けば喜びっていう、全然変わらない単純な私です。えへへ・・・(*´▽`*)
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!