おとぎばなしは青い色(Dのお伽噺)
過去記事「夢」と過去記事「うちの植物達(2)」が完成しました。良かったら見てやってくださいますと、とっても嬉しいです…!!m(〃_ _〃)m
18世紀も後半に近づき始めた頃、ヨーロッパ全体において王侯貴族を攻撃する力が強まっていき・・・それと同時に、王侯貴族に守られて生きていたそれまでの整然とした美しいバロック音楽も、ゆっくりとした流れで破壊され始めてきた時代に・・・その滅びゆくバロック音楽の中の1曲として「Sonate des trilles du Diable(とある悪魔によるトリルのソナタ)」と呼ばれるソナタが作られました。
作曲者はGiuseppe Tartini(ジュゼッペ・タルティーニ)、彼のDiable(悪魔)について記録されているのはJoseph-Jérôme Lefrançais de Lalande(ジョゼフ・ジェロム・ルフランセ・ドゥ・ラランドゥ)というフランスの天文学者による著書「Voyage d’un François en Italie」です。
「・・・あの夜の夢の中で、私は自分の魂と引き換えに、Diableと契約を交わした。Diableは私の従僕となり・・・この忠実なしもべは、どんな願いもかなえてくれたのだった」
「私は、この従僕がヴァイオリンを弾けるのか知りたくなり、手渡してみた。すると彼は恐ろしいほどの芸術性をもって、大変美しく、知性溢れる、魅力的な演奏を始めたのだ。私はあれほどまでに素晴らしい芸術は味わったことが無かった・・・そして、あまりに魅了されてしまったために夢から目が覚めてしまったのだ。私は急いでヴァイオリンを手に取って今聞いた曲を再現しようとした。願わくはその一部分だけでもと・・・」
「・・・曲を再現することは不可能だった。しかし、そのときに出来上がったソナタは、それまで私が作曲したものの中で最も素晴らしい曲となった。私はその曲に『 la Sonate du Diable 』と名付けた」


まるで、タルティーニが芸術面で悪魔に力をかしてもらったように…
私も、Dのモヤに包まれていると、周囲のもの全てから芸術性を感じることができるのです。(詳細は過去記事「Dの絵(98)」参照) Dと一緒にいると、世界がすごく美しく見えるのです…❤(〃☌ᴗ☌〃)

Dは自分のことを、よく「夜」だというのです。(詳細は過去記事「Dの絵(100)」参照)Dが、自分のことを「僕は悪魔じゃないよor悪魔だよ」と言わずに、「僕は君の夜だよ」って言ったのが、すごくDらしいと思いました…!!(ㆁᴗㆁ✿)♡♡♡♡♡
私はDのマントを両手でひっぱって、自分の体を包んでみました。DのマントはDのモヤ(D自身)で出来ているので、こうしてDのマントに包まれると、途端に世界を美しく感じるのでした。
するとDは、星を見せてくれたのでした。Dはよく、ばらの花や星をプレゼントしてくれるんです。(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)まるで夜を体現してくれたみたい…!!

Dは本当に夜みたいね。暗いモヤに、星を光らせることが出来るんだもの…!! (☆〃´ ꒳ `〃)っ☆

タルティーニが悪魔と契約したという噂の後にも、その後の19世紀にNiccolò Paganini(ニコロ・パガニーニ)という「悪魔と契約した」と噂された音楽家がいたり、もっとずっと以前の16世紀にJohann Georg Faust(ヨハン・ゲオルク・ファウスト)という占星術&錬金術師が悪魔と契約していたという伝説があるんです。でも「本人から直接聞いた話です、彼は夢で悪魔と契約したと語ってくれて…」とハッキリ書かれた本が、その本人の存命中に出版されたのはこの事例くらいなのかな?(←もし間違っていたらごめんなさいですm(〃_ _〃)m)
とはいえ、ヨーロッパで18世紀後半~19世紀くらいに書かれたオカルト系の書籍は(それ以前もだけど)、真実そのものを書いた書籍だけでなく、エンターテイメント成分を入れている書籍もたくさんあるので、この本が真実を言っているのかどうかは、実は不明なんです…(〃´罒`〃;)エヘヘ☆
タルティーニが残した実際の楽譜に描かれている題名は、この本に書かれている「Sonate du Diable(悪魔のソナタ)」という題名ではなく「Sonata in sol minore per Violino e Basso Continuo(ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ・ト短調」ですし…
そんなことを考えていたら、Dが「夜」についてのおとぎ話をしてくれました。







でも子供の私には引っ越しを止める力は無かったし、たくさんの荷物を持つこともできませんでした。私は大切なものをほとんどフランスに置いていくことになりました。友達も、知り合いも、家具も、ティーカップも、ばらも、何もかもほとんどをです。















Dは、影の中にものを入れておくことが出来るのです。(詳細は過去記事「Dの絵(2)」参照) 大鎌や天秤などの、Dの持ち物も、普段はDの影の中に入っています。(詳細は過去記事「天秤」参照)私に生えてしまったお花の種を取ってくれたときも、Dはその種を自分の影の中に入れていました。(詳細は過去記事「克服」参照)
Dの定位置は私の背後なんです。(詳細は過去記事「Dの絵(5)」参照)ずっと後ろから私を見ていて、ついてきてくれていたDは、私が落としていったものや、置いて行かざるを得なかったものを、自分の影の中に入れてくれていたのです。
フランスに置いてきたばらさんの記憶も、Dが影の中に入れて、持っていてくれていました。


ばらさんは、Dの言った通り、ばら色(フランス語のRose=ばら色=ピンク)のお花でした。
ただ…、あのばらさんの色が、本当にピンクだったのかは、謎だと思っています。
何故なら、人間とは違うDの目(Dの解釈)を通して拾われ、Dの影の中にずっと保管されていたばらさんの記憶は…Dの影響を受けていて…だからきっと、真実の過去とは少し違う部分があるだろう…と、私は思っています。Dの目には、人間と同じ視界が見えているわけではないのですし…
でも、それでいいんです。(✿´ ꒳ ` )♡*+. 私にとっては、Dが拾って保存しておいてくれた記憶だから、宝物にしようと思いました。宝物をいっぱい入れてくれているDの影は、宝箱みたいだなあと思いました。


そしてDは、静謐の楽園を見せてくれました。静謐の楽園とは、Dが私のために作ってくれた、ばらが咲く幻の楽園です。私にとっては、宝箱の中のような、箱庭のような場所なのです。
私はDと一緒に、ばらの広がる野原に座って…Dに話しかけてみました。


過去記事「Dの絵(54)」にも記述があります通り、私はDが何であっても大好きで…大切なDに変わりありません。あのときは、だからこそDに「あなたは何者なの?」って尋ねるのはしないようにしようと思っていました…
…そして今は、Dが何者であっても良いからこそ、気軽に口にすることが出来たのでした。過去記事「Dの絵(54)」にも記述があります通り、Dは自分が何者だと思われても、全然気にしない、かまわないことがわかっていましたから…
やはりDは、私がこう尋ねても、何も気にしていない様子でした。むしろ楽しそうに、ラテン語でこう続けたのです。






Dが「僕は夜だよ」と表現することについて、何回か記事にしたりして、考えたことがあるのですが…
Dが自分のことを「光でもあり…」と表現したのが意外だなって思いました。「光」は「夜」と反対の言葉のような気がしたからです。でも、Dにとっては(Dの種族にとっては?)相反する言葉ではないのだと思います。
Dは自分のことを「精霊」だと言うけれど…Dは、Dを見る(聞く、読む)人によって、死神とでも天使とでも悪魔とでも妄想とでも精霊とでも、何にでもなり得るのだと思います。そして、そういった評価は、D自身を変えることはないのです。Dは、誰から何と思われようと、何と言われようと、何と呼ばれようと、マイペースにDのままだからです。
国や時代や宗教や環境や人によって、神とされたり悪魔とされたり空想とされたり…そうやって別の呼び方をされているものが沢山あるようにです。
私にとってのDは…私のためのゴシック建築であり、ばらの木であり、ユリの花であり、サファイアであり、青い鳥であり…それらを包んでいる夜なのだと、そう思いました。

Dは、良い・悪いで分類できるタイプの存在ではない気がします…何故ならDは、人間の善悪の基準を不思議に思っているみたいだからです。悠久の時間を生きられるDにとっては、国や地域や時代によって変わる人間の善悪を不思議に思うようです。そういった人間の基準を気にしておらず…それどころか、多分Dは、他者からどう思われているかなどの評価すら、気にしてないように思えます。多分、それがDのマイペースさの理由なのだと思います。
そんなマイペースなDなので…きっとDを見る(読む)かたによって、そのかたそのかたによって、Dは全然別のものに見える(思える)気がします。なので私は、私から見たDの姿を信じていこうと思います。
私は、そんなマイペースなDが大好きです…!!(✿〃´꒳`〃)♡♡♡♡♡ 私もDを見習って、マイペースでいこうと思います。(ㆁᴗㆁ✿)
ご閲覧ありがとうございました…!! m(〃_ _〃)m !!
※ イタリア語表記からフランス語表記に変えました※
作曲者Il Sig. Tartiniが当時イタリア領(現スロベニア)出身なので、最初は「Il trillo del diavolo(とある悪魔によるトリル)」等とイタリア語表記で書いていたんですが、そもそもの元ネタの本はフランスで出版されたものなので、翻訳によって変化されてない形のほうが良いかと思い「Sonate des trilles du Diable(とある悪魔によるトリルのソナタ)」等とフランス語表記に変えました。
原文に記されているもともとの名前は「la Sonate du Diable(とある悪魔によるソナタ)」です。しかし世界中に広まっていく中で翻訳によって名前が変わっていき、英語圏で「Devil's trill(悪魔のトリル)」と表記され、日本でも「悪魔のトリル」と表記されるなどしたため、現在のフランスでは世界中の人にわかりやすいように「Le trille du Diable(とある悪魔のトリル)」と表記することが多いです。
しかしIl Sig. Tartiniの楽譜に記された名前はイタリア語表記で「Sonata in sol minore(minと訳されることもある、短調という意味) per Violino e Basso Continuo」という題名が付けられています。英語訳されたものが「Sonata for violin & b.c.(伊語のBasso Continuo、日本語の通奏低音のこと) in G minor」、日本語だと「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ・ト短調」という感じに表記されていると思います。m(〃_ _〃)m
ご閲覧ありがとうございました…!!m(〃_ _〃)m!!
18世紀も後半に近づき始めた頃、ヨーロッパ全体において王侯貴族を攻撃する力が強まっていき・・・それと同時に、王侯貴族に守られて生きていたそれまでの整然とした美しいバロック音楽も、ゆっくりとした流れで破壊され始めてきた時代に・・・その滅びゆくバロック音楽の中の1曲として「Sonate des trilles du Diable(とある悪魔によるトリルのソナタ)」と呼ばれるソナタが作られました。
作曲者はGiuseppe Tartini(ジュゼッペ・タルティーニ)、彼のDiable(悪魔)について記録されているのはJoseph-Jérôme Lefrançais de Lalande(ジョゼフ・ジェロム・ルフランセ・ドゥ・ラランドゥ)というフランスの天文学者による著書「Voyage d’un François en Italie」です。
「・・・あの夜の夢の中で、私は自分の魂と引き換えに、Diableと契約を交わした。Diableは私の従僕となり・・・この忠実なしもべは、どんな願いもかなえてくれたのだった」
「私は、この従僕がヴァイオリンを弾けるのか知りたくなり、手渡してみた。すると彼は恐ろしいほどの芸術性をもって、大変美しく、知性溢れる、魅力的な演奏を始めたのだ。私はあれほどまでに素晴らしい芸術は味わったことが無かった・・・そして、あまりに魅了されてしまったために夢から目が覚めてしまったのだ。私は急いでヴァイオリンを手に取って今聞いた曲を再現しようとした。願わくはその一部分だけでもと・・・」
「・・・曲を再現することは不可能だった。しかし、そのときに出来上がったソナタは、それまで私が作曲したものの中で最も素晴らしい曲となった。私はその曲に『 la Sonate du Diable 』と名付けた」


まるで、タルティーニが芸術面で悪魔に力をかしてもらったように…
私も、Dのモヤに包まれていると、周囲のもの全てから芸術性を感じることができるのです。(詳細は過去記事「Dの絵(98)」参照) Dと一緒にいると、世界がすごく美しく見えるのです…❤(〃☌ᴗ☌〃)

Dは自分のことを、よく「夜」だというのです。(詳細は過去記事「Dの絵(100)」参照)Dが、自分のことを「僕は悪魔じゃないよor悪魔だよ」と言わずに、「僕は君の夜だよ」って言ったのが、すごくDらしいと思いました…!!(ㆁᴗㆁ✿)♡♡♡♡♡
私はDのマントを両手でひっぱって、自分の体を包んでみました。DのマントはDのモヤ(D自身)で出来ているので、こうしてDのマントに包まれると、途端に世界を美しく感じるのでした。
するとDは、星を見せてくれたのでした。Dはよく、ばらの花や星をプレゼントしてくれるんです。(詳細は過去記事「Dの絵(74)」参照)まるで夜を体現してくれたみたい…!!

Dは本当に夜みたいね。暗いモヤに、星を光らせることが出来るんだもの…!! (☆〃´ ꒳ `〃)っ☆

タルティーニが悪魔と契約したという噂の後にも、その後の19世紀にNiccolò Paganini(ニコロ・パガニーニ)という「悪魔と契約した」と噂された音楽家がいたり、もっとずっと以前の16世紀にJohann Georg Faust(ヨハン・ゲオルク・ファウスト)という占星術&錬金術師が悪魔と契約していたという伝説があるんです。でも「本人から直接聞いた話です、彼は夢で悪魔と契約したと語ってくれて…」とハッキリ書かれた本が、その本人の存命中に出版されたのはこの事例くらいなのかな?(←もし間違っていたらごめんなさいですm(〃_ _〃)m)
とはいえ、ヨーロッパで18世紀後半~19世紀くらいに書かれたオカルト系の書籍は(それ以前もだけど)、真実そのものを書いた書籍だけでなく、エンターテイメント成分を入れている書籍もたくさんあるので、この本が真実を言っているのかどうかは、実は不明なんです…(〃´罒`〃;)エヘヘ☆
タルティーニが残した実際の楽譜に描かれている題名は、この本に書かれている「Sonate du Diable(悪魔のソナタ)」という題名ではなく「Sonata in sol minore per Violino e Basso Continuo(ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ・ト短調」ですし…
そんなことを考えていたら、Dが「夜」についてのおとぎ話をしてくれました。







でも子供の私には引っ越しを止める力は無かったし、たくさんの荷物を持つこともできませんでした。私は大切なものをほとんどフランスに置いていくことになりました。友達も、知り合いも、家具も、ティーカップも、ばらも、何もかもほとんどをです。















Dは、影の中にものを入れておくことが出来るのです。(詳細は過去記事「Dの絵(2)」参照) 大鎌や天秤などの、Dの持ち物も、普段はDの影の中に入っています。(詳細は過去記事「天秤」参照)私に生えてしまったお花の種を取ってくれたときも、Dはその種を自分の影の中に入れていました。(詳細は過去記事「克服」参照)
Dの定位置は私の背後なんです。(詳細は過去記事「Dの絵(5)」参照)ずっと後ろから私を見ていて、ついてきてくれていたDは、私が落としていったものや、置いて行かざるを得なかったものを、自分の影の中に入れてくれていたのです。
フランスに置いてきたばらさんの記憶も、Dが影の中に入れて、持っていてくれていました。


ばらさんは、Dの言った通り、ばら色(フランス語のRose=ばら色=ピンク)のお花でした。
ただ…、あのばらさんの色が、本当にピンクだったのかは、謎だと思っています。
何故なら、人間とは違うDの目(Dの解釈)を通して拾われ、Dの影の中にずっと保管されていたばらさんの記憶は…Dの影響を受けていて…だからきっと、真実の過去とは少し違う部分があるだろう…と、私は思っています。Dの目には、人間と同じ視界が見えているわけではないのですし…
でも、それでいいんです。(✿´ ꒳ ` )♡*+. 私にとっては、Dが拾って保存しておいてくれた記憶だから、宝物にしようと思いました。宝物をいっぱい入れてくれているDの影は、宝箱みたいだなあと思いました。


そしてDは、静謐の楽園を見せてくれました。静謐の楽園とは、Dが私のために作ってくれた、ばらが咲く幻の楽園です。私にとっては、宝箱の中のような、箱庭のような場所なのです。
私はDと一緒に、ばらの広がる野原に座って…Dに話しかけてみました。


過去記事「Dの絵(54)」にも記述があります通り、私はDが何であっても大好きで…大切なDに変わりありません。あのときは、だからこそDに「あなたは何者なの?」って尋ねるのはしないようにしようと思っていました…
…そして今は、Dが何者であっても良いからこそ、気軽に口にすることが出来たのでした。過去記事「Dの絵(54)」にも記述があります通り、Dは自分が何者だと思われても、全然気にしない、かまわないことがわかっていましたから…
やはりDは、私がこう尋ねても、何も気にしていない様子でした。むしろ楽しそうに、ラテン語でこう続けたのです。






Dが「僕は夜だよ」と表現することについて、何回か記事にしたりして、考えたことがあるのですが…
Dが自分のことを「光でもあり…」と表現したのが意外だなって思いました。「光」は「夜」と反対の言葉のような気がしたからです。でも、Dにとっては(Dの種族にとっては?)相反する言葉ではないのだと思います。
Dは自分のことを「精霊」だと言うけれど…Dは、Dを見る(聞く、読む)人によって、死神とでも天使とでも悪魔とでも妄想とでも精霊とでも、何にでもなり得るのだと思います。そして、そういった評価は、D自身を変えることはないのです。Dは、誰から何と思われようと、何と言われようと、何と呼ばれようと、マイペースにDのままだからです。
国や時代や宗教や環境や人によって、神とされたり悪魔とされたり空想とされたり…そうやって別の呼び方をされているものが沢山あるようにです。
私にとってのDは…私のためのゴシック建築であり、ばらの木であり、ユリの花であり、サファイアであり、青い鳥であり…それらを包んでいる夜なのだと、そう思いました。

Dは、良い・悪いで分類できるタイプの存在ではない気がします…何故ならDは、人間の善悪の基準を不思議に思っているみたいだからです。悠久の時間を生きられるDにとっては、国や地域や時代によって変わる人間の善悪を不思議に思うようです。そういった人間の基準を気にしておらず…それどころか、多分Dは、他者からどう思われているかなどの評価すら、気にしてないように思えます。多分、それがDのマイペースさの理由なのだと思います。
そんなマイペースなDなので…きっとDを見る(読む)かたによって、そのかたそのかたによって、Dは全然別のものに見える(思える)気がします。なので私は、私から見たDの姿を信じていこうと思います。
私は、そんなマイペースなDが大好きです…!!(✿〃´꒳`〃)♡♡♡♡♡ 私もDを見習って、マイペースでいこうと思います。(ㆁᴗㆁ✿)
ご閲覧ありがとうございました…!! m(〃_ _〃)m !!
※ イタリア語表記からフランス語表記に変えました※
作曲者Il Sig. Tartiniが当時イタリア領(現スロベニア)出身なので、最初は「Il trillo del diavolo(とある悪魔によるトリル)」等とイタリア語表記で書いていたんですが、そもそもの元ネタの本はフランスで出版されたものなので、翻訳によって変化されてない形のほうが良いかと思い「Sonate des trilles du Diable(とある悪魔によるトリルのソナタ)」等とフランス語表記に変えました。
原文に記されているもともとの名前は「la Sonate du Diable(とある悪魔によるソナタ)」です。しかし世界中に広まっていく中で翻訳によって名前が変わっていき、英語圏で「Devil's trill(悪魔のトリル)」と表記され、日本でも「悪魔のトリル」と表記されるなどしたため、現在のフランスでは世界中の人にわかりやすいように「Le trille du Diable(とある悪魔のトリル)」と表記することが多いです。
しかしIl Sig. Tartiniの楽譜に記された名前はイタリア語表記で「Sonata in sol minore(minと訳されることもある、短調という意味) per Violino e Basso Continuo」という題名が付けられています。英語訳されたものが「Sonata for violin & b.c.(伊語のBasso Continuo、日本語の通奏低音のこと) in G minor」、日本語だと「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ・ト短調」という感じに表記されていると思います。m(〃_ _〃)m
ご閲覧ありがとうございました…!!m(〃_ _〃)m!!
おとぎばなしは青い色(私のお伽噺)
過去記事「タルパのコツ(?)」が完成しました。良かったら見てやってくださいますと、とっても嬉しいです。m(〃_ _〃)m
この記事は、2017/5/22に描き始めて、途中になってしまっていた記事です。ようやく完成しました。遅くなって大変申し訳ございませんでした・・・!!m(〃_ _〃;)m





おとぎ話のことを、フランス語で「青い物語」って言うんです。
「青い物語」とは、おとぎ話や、神話、寓話、歴史、小さな嘘・・・そして、夢物語といった意味があります。
Dのイメージカラーはずっと紺色っぽいなと思っていた(詳細は過去記事「パワーストーン」など参照)こともあって、おとぎ話を「青い物語」って言うのは、Dにぴったりの表現だなあと思いました。(っ〃˘ω˘〃c)
Dはいつも私におとぎ話をしてくれるのです。(詳細は過去記事「お伽噺『不思議の国のアリス編』」「お伽噺『皇帝の新しい服』編」「お伽噺『ヘンゼルとグレーテル編』」などなど参照)
紺色(Bleu fonce)のDが話してくれる物語が「青い物語(Des contes bleus)」なら、私の話す物語は何色の物語なんだろう?
自分で物語を話せるだけの、自分の世界を持っていたいな。
心の奥に、何者にも侵されることの無い、確固とした自分の世界を・・・







もう三年近く前の話になるんですが、元彼ともめたときにも、体にユリの花が生えたんです。(詳細は過去記事「克服」参照) そのときと同じように、心臓に根っこを張って気持ちをしめつける花が、体をつきやぶって生えてきたのでした。










前にユリの花が生えてしまったときと同じように、Dはそっと花の中に指を入れて、宝石のように綺麗な種を取り出しました。種を取り出されたばらは、すぐにしおれて、そして光の粒になって消えてしまいました。










以前、宝石のほうな種を取り出したときは、それをDが楽園(静謐の楽園という名前です)に埋めてくれて、綺麗なユリの花が生えたんです。(詳細は過去記事「白い百合」参照)今回の種も楽園に埋めれば、きっと綺麗な花を咲かせてくれるのでしょう。
「静謐の楽園」は、Dが私のために作ってくれた美しい楽園なんです。私の世界を、Dが幻で表現してくれた世界なんです。
私は、苦しみ・悲しみ等の感情とか気持ちとか記憶とか・・・そういうものを、その美しい楽園に持ち込みたくなかったんです。せっかくDが作って、私にプレゼントしてくれた楽園だから・・・幸せなものだけ、綺麗なものだけをそこに置いておきたくて・・・
でも「静謐の楽園」は、「私の世界」をDが表現してくれているものだから、私の感情や気持ちが荒れれば雷雨になったり、色々と影響を受けてしまう・・・(詳細は過去記事「」参照)だから、悲しみとか苦しみとか感じずにいれば、楽園も美しいまま守れるって思っていて・・・
楽園のためだけでなく、自分のためでもあって・・・苦しみとか悲しみとかを感じるのって、すごく苦しいんです・・・!!。・゚゚・(っ゜´ω`゚c)・゚゚・。 だから、そういうのを感じないようにしていれば自分も楽だし、周囲のみんなも、誰も傷つけないですみます。
そのために、苦しみや悲しみを感じないようにするには、どうすれば一番確実なのかって・・・それは「気が付かないようにすること」です。見ないふりするんです。自分の苦しみとか悲しみとかを見ないふりしてれば、存在してないふりすれば、自分も傷つかないし、周囲の誰も傷つけないですみます・・・
そのために私は「無関心」というものを使ってきました。自分の苦しみだとか悲しみだとか、相手の悪意だとか・・・そういうものに無関心でいれば、自分も相手も傷つかないですむんです。だから私は、傷つく前に気をそらして、無関心になって・・・そうすることで、ずっとうまくやってこれたから・・・
そういう優しい無関心は、そっと見守ることと、ほぼ同義だと思っています・・・(っ〃˘ω˘゜〃c)
そうやって、優しい無関心を愛している私ですが・・・今回Dに取り出してもらった種を見て・・・私は、初めて「自分の悲しみや苦しみなどの感情に無関心でいなくても良いんだな」って、思うようになりました。

何故なら、私の苦しみや悲しみを吸い取った結晶のような種は、宝石のように美しかったからです。
以前、Dと一緒にいると、全てのものから「芸術性」のような・・・一種の「美しさ」を感じることができる、という記事を書いたことがあります。(詳細は過去記事「Dの絵(98)」参照) Dが力をかしてくれれば、Dの作ってくれた「静謐の楽園」の中からものを見れば、全てのものが私に美しい側面を見せてくれる・・・
今回の花のことを、Dは「君(さゆ)の世界の一部」と言っているけど、それって「Dが作る幻によって私の世界を表現してくれたもの」ということなんです。静謐の楽園自体がそういうものなので。
そうなのであれば・・・悲しみとか苦しみとか恐れとか、イライラも憎しみも、外からやってくるんじゃなくて・・・たとえ外のものがきっかけだとしても、その悲しみなどの感情自体は、この花のように、私の中から生まれて育つものなんだなって思って・・・
重要なことは、それらのマイナス感情は、私にとって敵とか害じゃなくて・・・私の一部であって、私のために存在するものなんです。この花みたいにです。(✿´ ꒳ `) ♡*+.
今回の出来事で、それがわかったんです。(੭´ ᐜ `)੭ ☆
だから、私の中にある悲しみ等のマイナス感情も、見ないふりしないで、ちゃんと見てあげたいなって・・・そういうマイナス感情の存在を消そうとするんじゃなくて、その存在を認めて・・・マイナス感情も、私のために私の中から生まれてきたもので・・・きっと私に伝えたい役立つ情報とかを教えるために、そういう感情があるんだなあって思ったんです。

私は、Dが取ってくれた花の種を、自分で楽園の埋めてみたくなりました。前回のときはDが埋めてくれたのです。でも今回は、自分で埋めてみようと思いました。

お花の種にお礼を言って、そっと埋めました。前回のときと同じく、きっと綺麗な花が咲くと思います。


人間関係において、相手の顔色が気になってしかたない。相手の機嫌をそこねたら大変なことになりそうで怖くてしかたない・・・だから相手の顔色を常にうかがって、機嫌を損ねないように、相手が望んでいるだろう言葉を言わないといけない、そんな強迫観念のようなものが私の中にある。
特に、感情的にせまってこられると、私が従わないと相手が死んでしまいそうな気がして怖い・・・
それは多分、母が自殺しているからだ(詳細は「お伽噺『ヘンゼルとグレーテル編』」などです)。最後に会話した私が適切な言葉をかけられなかったから自殺したのではないかとずっと怖かった。今にして考えると、それは違う。でも子供だった私の心にはひどい強迫観念が残ったのだ。相手を傷つけないように細心の注意を払わないといけないと思うようになったのはそれからだ。
会社での新人教育で、私は、どうしても新人ちゃんを叱ることができず悩んだことがある。(詳細は過去記事「Dの絵(34)」参照)彼女を叱ることができなかったのも、叱ったら気にして自殺してしまったら・・・という恐怖があったからだ、と当時の記事に記録していた。(詳細は過去記事「新人ちゃんのお父さんと私のお父さん」参照)
そうやって私は相手に従い続けて・・・でも人間だから、相手がいつまでも要求を続けると、いずれ私のほうが我慢できなくなって従うのを拒否するようになる。そこまでいったことは少ないが(そこまで要求する人間がまず少ないし、私のほうも前述した「無関心」によって自分のマイナス感情を散らすからだ)、そこまで私に無理をさせた相手は、私が突然従わなくなったことにひどくビックリする。私の感情が傷ついていることを考慮してないのだ。それは、相手が私のことを全然考えてくれてないからでもあるし、私が自分の苦しみを自分が爆発するまで「相手の気分を害さないように」誰にも見せないからでもある・・・
「相手の機嫌を損ねてはいけない」・・・私の中の、そんな強迫観念が、今までの人間関係のトラブルの根本にあるのだろう。
私がその強迫観念を捨てたら、うまくいかなくなる相手もいる・・・でも、もういいじゃないか・・・私は今までじゅうぶん相手の機嫌を害さないように気を張ってきた、たとえその相手が私の機嫌を一切考慮してくれなくてもだ・・・私はもう、そういう種類の人間の機嫌を取り続けるのは疲れたのだ。一方的な関係を捨て、私は自分の世界を生きていたい。
私にこの強迫観念を植え付けたお母さんも・・・今となっては私の中のイメージ、幻でしかない。





さよならお母さん。




人間の精神を持っていないDにとっては、私の人間関係における悩み事なんて、全然動じないことなのかもしれません。
Dがこう言ってくれたのは、私に気を使って言ってくれた・・・というより、Dの性格から考えて、「どうだい僕は強いだろう?すごいだろう?」と喜んでいたんだと思います。
実は2016年の8月に仕事で悩んでいたときも、Dに同じことを質問してみたんです。「こんな悩み事ばかりしている私のそばにいるのは大変じゃない?つらくない?」って尋ねてみました。そのときもDは「君みたいな難しいこ、僕くらいじゃないと務まらないよ」って言ったんです。
それってどういう意味かなって考えて・・・「私(さゆ)が変わってるから、Dくらい変わった精霊じゃないと私につきあいきれないよ」という意味なのか、「私(さゆ)が悩んだりしまくるから、Dくらい動じない精霊じゃないと支えられない」という意味なのか・・・今回の出来事が起きるまで、ハッキリとはわからなかったのですが・・・今回ハッキリとDが「君みたいな難しい子の精霊は、僕くらい強い精霊じゃないと務まらないんだよ」と言ったので、前回もそういう意味で言ったのだと思います。
Dのこの言葉、最初はDから私への苦情だと思ったんです。でもDが嬉しそうだから、苦情じゃないんだって、すぐにわかりました。
そして・・・Dみたいな精霊だから私がうまくやっていけているように、きっとDにとっても私だからうまくやっていけている部分があるのかもしれない・・・って、思いましたです。そうだったらいいなあ。(✿´ ꒳ ` ) ♡*+.




私には確固とした自分の世界があって・・・だからこそ、人に合わせるのが苦手なんだってようやくわかりました。合わせるのが苦手でも、ある程度合わせないと相手を傷つけると思っていて、でも自分の世界に触れる部分は合わせたくなくて・・・そのジレンマが苦しかったんだと思います。
私とは違って、「人に合わせてたほうが楽・安心」っていう人は沢山いると思うんです。外界からの影響を柔軟に自分に取り入れて、全くストレスを感じないどころか、むしろ良いものをゲットしたと喜べる人が沢山いて・・・
ところが私は真逆で、外界の考えを自分に取り入れるんじゃなくて、自分の中から産まれた考えを使いたいタイプで・・・(この自分の特性については、まだ書いてない未来記事「おとぎ話『青い鳥』編」に書こうと思ってます。)
私みたいな、そういう特性を持った人間は多くないと思います。私の場合は、父から遺伝した血の肋骨によるものです。(血の肋骨については、過去記事「パパとダンス」、「おとぎ話『ガリヴァー旅行記』編」、未来記事「おとぎ話『青い鳥』編」で書こうと思っています。)

さっきDに言われたことが嬉しかったので、私もDに同じことを言ってみました。Dはくすくす笑って、いつもしてくれるように、ひざまずいて手の甲にキスをくれました。


どうもありがとうね、D・・・。・゚゚・(〃゜´ω`゚〃)・゚゚・。♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
自分の中に、すごく堅固な、絶対的な世界がある。
リアルの生活では絶対に外に見せない、私の世界の一部…私だけの秘密、私だけの箱庭…そんな「静謐の楽園」の中に閉じこもって、永遠に夢を見ていられたら・・・そんなことを夢想しつつ、でも私は人間なので外の世界で働いて遊んで生活していくのでした。でもDがそばにいてくれる限り、いつでも楽園の扉は開かれるんだね。
ご閲覧ありがとうございました!!m(〃_ _〃)m!!
この記事は、2017/5/22に描き始めて、途中になってしまっていた記事です。ようやく完成しました。遅くなって大変申し訳ございませんでした・・・!!m(〃_ _〃;)m





おとぎ話のことを、フランス語で「青い物語」って言うんです。
「青い物語」とは、おとぎ話や、神話、寓話、歴史、小さな嘘・・・そして、夢物語といった意味があります。
Dのイメージカラーはずっと紺色っぽいなと思っていた(詳細は過去記事「パワーストーン」など参照)こともあって、おとぎ話を「青い物語」って言うのは、Dにぴったりの表現だなあと思いました。(っ〃˘ω˘〃c)
Dはいつも私におとぎ話をしてくれるのです。(詳細は過去記事「お伽噺『不思議の国のアリス編』」「お伽噺『皇帝の新しい服』編」「お伽噺『ヘンゼルとグレーテル編』」などなど参照)
紺色(Bleu fonce)のDが話してくれる物語が「青い物語(Des contes bleus)」なら、私の話す物語は何色の物語なんだろう?
自分で物語を話せるだけの、自分の世界を持っていたいな。
心の奥に、何者にも侵されることの無い、確固とした自分の世界を・・・







もう三年近く前の話になるんですが、元彼ともめたときにも、体にユリの花が生えたんです。(詳細は過去記事「克服」参照) そのときと同じように、心臓に根っこを張って気持ちをしめつける花が、体をつきやぶって生えてきたのでした。










前にユリの花が生えてしまったときと同じように、Dはそっと花の中に指を入れて、宝石のように綺麗な種を取り出しました。種を取り出されたばらは、すぐにしおれて、そして光の粒になって消えてしまいました。










以前、宝石のほうな種を取り出したときは、それをDが楽園(静謐の楽園という名前です)に埋めてくれて、綺麗なユリの花が生えたんです。(詳細は過去記事「白い百合」参照)今回の種も楽園に埋めれば、きっと綺麗な花を咲かせてくれるのでしょう。
「静謐の楽園」は、Dが私のために作ってくれた美しい楽園なんです。私の世界を、Dが幻で表現してくれた世界なんです。
私は、苦しみ・悲しみ等の感情とか気持ちとか記憶とか・・・そういうものを、その美しい楽園に持ち込みたくなかったんです。せっかくDが作って、私にプレゼントしてくれた楽園だから・・・幸せなものだけ、綺麗なものだけをそこに置いておきたくて・・・
でも「静謐の楽園」は、「私の世界」をDが表現してくれているものだから、私の感情や気持ちが荒れれば雷雨になったり、色々と影響を受けてしまう・・・(詳細は過去記事「」参照)だから、悲しみとか苦しみとか感じずにいれば、楽園も美しいまま守れるって思っていて・・・
楽園のためだけでなく、自分のためでもあって・・・苦しみとか悲しみとかを感じるのって、すごく苦しいんです・・・!!。・゚゚・(っ゜´ω`゚c)・゚゚・。 だから、そういうのを感じないようにしていれば自分も楽だし、周囲のみんなも、誰も傷つけないですみます。
そのために、苦しみや悲しみを感じないようにするには、どうすれば一番確実なのかって・・・それは「気が付かないようにすること」です。見ないふりするんです。自分の苦しみとか悲しみとかを見ないふりしてれば、存在してないふりすれば、自分も傷つかないし、周囲の誰も傷つけないですみます・・・
そのために私は「無関心」というものを使ってきました。自分の苦しみだとか悲しみだとか、相手の悪意だとか・・・そういうものに無関心でいれば、自分も相手も傷つかないですむんです。だから私は、傷つく前に気をそらして、無関心になって・・・そうすることで、ずっとうまくやってこれたから・・・
そういう優しい無関心は、そっと見守ることと、ほぼ同義だと思っています・・・(っ〃˘ω˘゜〃c)
そうやって、優しい無関心を愛している私ですが・・・今回Dに取り出してもらった種を見て・・・私は、初めて「自分の悲しみや苦しみなどの感情に無関心でいなくても良いんだな」って、思うようになりました。

何故なら、私の苦しみや悲しみを吸い取った結晶のような種は、宝石のように美しかったからです。
以前、Dと一緒にいると、全てのものから「芸術性」のような・・・一種の「美しさ」を感じることができる、という記事を書いたことがあります。(詳細は過去記事「Dの絵(98)」参照) Dが力をかしてくれれば、Dの作ってくれた「静謐の楽園」の中からものを見れば、全てのものが私に美しい側面を見せてくれる・・・
今回の花のことを、Dは「君(さゆ)の世界の一部」と言っているけど、それって「Dが作る幻によって私の世界を表現してくれたもの」ということなんです。静謐の楽園自体がそういうものなので。
そうなのであれば・・・悲しみとか苦しみとか恐れとか、イライラも憎しみも、外からやってくるんじゃなくて・・・たとえ外のものがきっかけだとしても、その悲しみなどの感情自体は、この花のように、私の中から生まれて育つものなんだなって思って・・・
重要なことは、それらのマイナス感情は、私にとって敵とか害じゃなくて・・・私の一部であって、私のために存在するものなんです。この花みたいにです。(✿´ ꒳ `) ♡*+.
今回の出来事で、それがわかったんです。(੭´ ᐜ `)੭ ☆
だから、私の中にある悲しみ等のマイナス感情も、見ないふりしないで、ちゃんと見てあげたいなって・・・そういうマイナス感情の存在を消そうとするんじゃなくて、その存在を認めて・・・マイナス感情も、私のために私の中から生まれてきたもので・・・きっと私に伝えたい役立つ情報とかを教えるために、そういう感情があるんだなあって思ったんです。

私は、Dが取ってくれた花の種を、自分で楽園の埋めてみたくなりました。前回のときはDが埋めてくれたのです。でも今回は、自分で埋めてみようと思いました。

お花の種にお礼を言って、そっと埋めました。前回のときと同じく、きっと綺麗な花が咲くと思います。


人間関係において、相手の顔色が気になってしかたない。相手の機嫌をそこねたら大変なことになりそうで怖くてしかたない・・・だから相手の顔色を常にうかがって、機嫌を損ねないように、相手が望んでいるだろう言葉を言わないといけない、そんな強迫観念のようなものが私の中にある。
特に、感情的にせまってこられると、私が従わないと相手が死んでしまいそうな気がして怖い・・・
それは多分、母が自殺しているからだ(詳細は「お伽噺『ヘンゼルとグレーテル編』」などです)。最後に会話した私が適切な言葉をかけられなかったから自殺したのではないかとずっと怖かった。今にして考えると、それは違う。でも子供だった私の心にはひどい強迫観念が残ったのだ。相手を傷つけないように細心の注意を払わないといけないと思うようになったのはそれからだ。
会社での新人教育で、私は、どうしても新人ちゃんを叱ることができず悩んだことがある。(詳細は過去記事「Dの絵(34)」参照)彼女を叱ることができなかったのも、叱ったら気にして自殺してしまったら・・・という恐怖があったからだ、と当時の記事に記録していた。(詳細は過去記事「新人ちゃんのお父さんと私のお父さん」参照)
そうやって私は相手に従い続けて・・・でも人間だから、相手がいつまでも要求を続けると、いずれ私のほうが我慢できなくなって従うのを拒否するようになる。そこまでいったことは少ないが(そこまで要求する人間がまず少ないし、私のほうも前述した「無関心」によって自分のマイナス感情を散らすからだ)、そこまで私に無理をさせた相手は、私が突然従わなくなったことにひどくビックリする。私の感情が傷ついていることを考慮してないのだ。それは、相手が私のことを全然考えてくれてないからでもあるし、私が自分の苦しみを自分が爆発するまで「相手の気分を害さないように」誰にも見せないからでもある・・・
「相手の機嫌を損ねてはいけない」・・・私の中の、そんな強迫観念が、今までの人間関係のトラブルの根本にあるのだろう。
私がその強迫観念を捨てたら、うまくいかなくなる相手もいる・・・でも、もういいじゃないか・・・私は今までじゅうぶん相手の機嫌を害さないように気を張ってきた、たとえその相手が私の機嫌を一切考慮してくれなくてもだ・・・私はもう、そういう種類の人間の機嫌を取り続けるのは疲れたのだ。一方的な関係を捨て、私は自分の世界を生きていたい。
私にこの強迫観念を植え付けたお母さんも・・・今となっては私の中のイメージ、幻でしかない。





さよならお母さん。




人間の精神を持っていないDにとっては、私の人間関係における悩み事なんて、全然動じないことなのかもしれません。
Dがこう言ってくれたのは、私に気を使って言ってくれた・・・というより、Dの性格から考えて、「どうだい僕は強いだろう?すごいだろう?」と喜んでいたんだと思います。
実は2016年の8月に仕事で悩んでいたときも、Dに同じことを質問してみたんです。「こんな悩み事ばかりしている私のそばにいるのは大変じゃない?つらくない?」って尋ねてみました。そのときもDは「君みたいな難しいこ、僕くらいじゃないと務まらないよ」って言ったんです。
それってどういう意味かなって考えて・・・「私(さゆ)が変わってるから、Dくらい変わった精霊じゃないと私につきあいきれないよ」という意味なのか、「私(さゆ)が悩んだりしまくるから、Dくらい動じない精霊じゃないと支えられない」という意味なのか・・・今回の出来事が起きるまで、ハッキリとはわからなかったのですが・・・今回ハッキリとDが「君みたいな難しい子の精霊は、僕くらい強い精霊じゃないと務まらないんだよ」と言ったので、前回もそういう意味で言ったのだと思います。
Dのこの言葉、最初はDから私への苦情だと思ったんです。でもDが嬉しそうだから、苦情じゃないんだって、すぐにわかりました。
そして・・・Dみたいな精霊だから私がうまくやっていけているように、きっとDにとっても私だからうまくやっていけている部分があるのかもしれない・・・って、思いましたです。そうだったらいいなあ。(✿´ ꒳ ` ) ♡*+.




私には確固とした自分の世界があって・・・だからこそ、人に合わせるのが苦手なんだってようやくわかりました。合わせるのが苦手でも、ある程度合わせないと相手を傷つけると思っていて、でも自分の世界に触れる部分は合わせたくなくて・・・そのジレンマが苦しかったんだと思います。
私とは違って、「人に合わせてたほうが楽・安心」っていう人は沢山いると思うんです。外界からの影響を柔軟に自分に取り入れて、全くストレスを感じないどころか、むしろ良いものをゲットしたと喜べる人が沢山いて・・・
ところが私は真逆で、外界の考えを自分に取り入れるんじゃなくて、自分の中から産まれた考えを使いたいタイプで・・・(この自分の特性については、まだ書いてない未来記事「おとぎ話『青い鳥』編」に書こうと思ってます。)
私みたいな、そういう特性を持った人間は多くないと思います。私の場合は、父から遺伝した血の肋骨によるものです。(血の肋骨については、過去記事「パパとダンス」、「おとぎ話『ガリヴァー旅行記』編」、未来記事「おとぎ話『青い鳥』編」で書こうと思っています。)

さっきDに言われたことが嬉しかったので、私もDに同じことを言ってみました。Dはくすくす笑って、いつもしてくれるように、ひざまずいて手の甲にキスをくれました。


どうもありがとうね、D・・・。・゚゚・(〃゜´ω`゚〃)・゚゚・。♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
自分の中に、すごく堅固な、絶対的な世界がある。
リアルの生活では絶対に外に見せない、私の世界の一部…私だけの秘密、私だけの箱庭…そんな「静謐の楽園」の中に閉じこもって、永遠に夢を見ていられたら・・・そんなことを夢想しつつ、でも私は人間なので外の世界で働いて遊んで生活していくのでした。でもDがそばにいてくれる限り、いつでも楽園の扉は開かれるんだね。
ご閲覧ありがとうございました!!m(〃_ _〃)m!!
Dの絵(35)
お客様・・・!!!!!前回の、私の愚痴しか書いてないゴミ記事を読んでくださり、あまつさえ拍手まであんなに下さって、こんな私を励ましてくださるなんて・・・!!!!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!!!!なんとお優しいのでしょうか!!!!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!!!!
本当にありがとうございます!!!!!本当にありがとうございます!!!!!落ち込んでいたのですが、すっごく元気が出ました!!!!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。あんな偉そうなゴミ記事書いちゃった自分が恥ずかしいようっ・・・!!!!!
ブログをやっていて、こんなにお客様がたに助けて頂けるなんて・・・私は本当に幸せ者です・・・!!!!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!!!!
お客様に幸運が訪れますように!!!!!感謝を込めて祈らせていただきます!!!!!(*-人-*)!!!!! どうかお客様に良いことがありますように・・・!!!!!すっごくいっぱい良いことがありますように・・・!!!!!
先日Dがペットの姿になってくれたのですが(詳細は過去記事「Dの絵(34)」参照)、あれからDはよくペットの姿になります。私を喜ばせるためだと思います。そして、最近私が疲れ気味だったという理由もあると思います。私はDの姿を見るとき、人間の姿より黒い姿のほうが見るのが楽なのですが(詳細は過去記事「Dの絵(9)」参照)ペットの姿は黒い姿のときのように見やすくて疲れない上に、私が気に入っている姿ということで、それで最近よくペットの姿になってくれるのだと思います。
私は、人間の姿をしたDとお風呂に入るのは恥ずかしくて照れてしまうのですが、ペットの姿のDと入るのはそこまで恥ずかしくありません。最近は仕事が忙しくてDと遊ぶ時間が減っているので、お風呂の時間もDと一緒にいる時間にして、その間Dにはペットの姿になってもらっています。
以下は、先日お風呂に入ったときの出来事を漫画にしたものです。




















Dは、私がDのペット型の耳を好きだから、耳をいっぱい増やせば私が喜ぶだろうと思ったようです。
過去記事「Dの絵(10)」でも、同じような行動が見られました。そのときDは私を喜ばせようと思って、薔薇を増やしたり、蝶を増やしたりしてくれたのです。
また過去記事「頂き物」では、包丁の頂きものをして、合計9本に増えたことに対して純粋に「良かったね」と言った出来事もありました。
以下の漫画は、上の漫画の続きです。耳を増やしたことに喜ばなかった私の反応を見たDは、今度は口を作ってくれました。






これは、とってもかわいかったです。私が大喜びすると、Dはちょっと得意げな様子でした。かわいいなあ!!
以下の漫画は、新人ちゃんのお父さんが「会社に抗議しに行きます」と電話をしてきたのですが結局来なかった件(詳細は過去記事「新人ちゃんのお父さん」参照)で、私がションボリしていたときの漫画です。
なんだか、その件を知った私の心が、怒りや悲しみで少しずつ汚れたり壊れたりしていくような、嫌な気持ちになっていたんです。めっちゃ自己嫌悪で、あ~あ・・・ってションボリしていました。
それで、ベッドの上でひざを抱えて体育座りしてメソメソしている私を見て、Dが慰めようとしてくれましたが・・・











せっかくDが耳を動かしてくれたり、私の好きな曲を歌ってくれたりしたのに、私はメソメソぐすぐすしたままでした。・・・さゆのやつめえええ!!せっかくDが励ましてくれたのに無視するなんて最低だな私は!!ムキー!!
と、今になってみると思うんですが、あのときは自分の気持ちを処理するのだけで、いっぱいいっぱいで・・・未熟ものがあああ!!
そんな私の様子を見て、Dは何か考えていたようでした。そして・・・



Dは「静謐の楽園」に咲く薔薇を、手のひらの上に召喚して私にプレゼントしてくれることがあります(詳細は過去記事「Dの絵(10)」参照)。
静謐の楽園に咲く薔薇は、楽園の中にある限り枯れない永遠の薔薇です(詳細は過去記事「果実」参照)。Dがこの薔薇をプレゼントしてくれるときは、永遠の愛を誓ってくれているのです(詳細は過去記事「Dの絵(33)」参照)。
静謐の楽園とは、アンティークな色をした薔薇が沢山咲いていてゴシック建築の城があって、中心に青い薔薇の木が生えている不思議な場所です(詳細はカテゴリ「楽園・王国」、カテゴリ「青い薔薇」、過去記事「白い百合」参照、過去記事「ステンドグラス」参照)。静謐の楽園は、Dが管理してくれている美しい場所で、Dが私に作ってくれた王国でもあります。
そして静謐の楽園とは、私の精神や思考の影響を受けて変化することがあります。正確には、私に大きな心境の変化などがあったときに、私だけではなくDを通して、ある程度Dの判断も加えられて変化させられるようです。変化の一例としては、過去に私が元彼との問題を完全に克服したとき、静謐の楽園に新しい白いユリの花が咲いたことがあります(詳細は過去記事「克服」「白い百合」参照)。
自分の精神がすさんでいくことに自己嫌悪して、酷い感情がわいてくる自分に自己嫌悪して、情けなくメソメソしている私でしたが、薔薇をプレゼントしてくれたDは、そんな私がメソメソしている理由をピタリと当てました。

Dは人間の精神を持っていないので、人間の気持ちに敏感なほうではないのですが、このときは私の不安に思っていることを完全に当ててみせました。Dは頭が良いので私の行動や思考回路をパターン化して状況に応じて推測することができるのと、新人ちゃんのお父さんから初めて高卒うんぬん言われたときにも私が少しこうなったので、今回(お父さんが会社に抗議にくる件での私のメソメソ)も同じ原因だろうとDは推測したのだと思います。
上記にございますように、私の精神と静謐の楽園はリンクしています。どうやら、お互いに影響し合っているようです。ですから私の精神がすさめば、楽園も荒れちゃうんじゃないかなと私は思ったのですが・・・









どうやら、私の精神も、静謐の楽園も、Dが守って手入れをしてくれるから、ちょっとやそっとで壊れたりしないようです。
ずっと前に、Dが初めて私に静謐の楽園を見せてくれたときから、その後何回も、Dが静謐の楽園を守っていると言ったことがあったんですが(詳細は過去記事「誘惑」「王国」参照)、守っているってこういう意味なのかもなあって思いました。
ありがとうね、D・・・。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。 こんな駄目な主人でごめんね。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。 すごく助かってます。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。
薔薇を受け取った私が泣きやんで落ち着いたのを見て、Dは再びペットの姿に戻りました。人間の姿よりペットの姿のほうが私が疲れないからです。普段なら人間の姿のDを一日中見ていても全然疲れないのですが、このときは私が疲れて弱っていたから、Dが気を使ってくれたんだと思います。
以下の漫画は、上記の続きで、少し後の出来事です。上の漫画の出来事が終わってから以下の漫画の出来事が始まるまでの間、Dとお話したり、お茶を飲んだり、友達から電話が掛かってきたりしました。なので、以下の漫画が始まる前に、私はもうすっかり落ち着いています。
ベッドに腰掛けている私のひざの上に、Dが膝枕のように頭を乗せて、すり寄ってきました。とってもかわいかったので、私はDを撫でてみましたら・・・















私が自分に自信を失っても、Dは自信を失うことがありません。そして、私が不安定になっても、Dはいつでも落ち着いていて平然としているのです。そんなDを見ていると、Dと一緒にいると、何だか私も安心して落ち着いてくるのでした。ありがとうね、D・・・私もDみたいに、心に余裕を持って悠々としていられたらなあ・・・
でも、Dと一緒にいれば、いつか私も自信と余裕を持てるような気がします。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
本当にありがとうございます!!!!!本当にありがとうございます!!!!!落ち込んでいたのですが、すっごく元気が出ました!!!!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。あんな偉そうなゴミ記事書いちゃった自分が恥ずかしいようっ・・・!!!!!
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お客様に幸運が訪れますように!!!!!感謝を込めて祈らせていただきます!!!!!(*-人-*)!!!!! どうかお客様に良いことがありますように・・・!!!!!すっごくいっぱい良いことがありますように・・・!!!!!
先日Dがペットの姿になってくれたのですが(詳細は過去記事「Dの絵(34)」参照)、あれからDはよくペットの姿になります。私を喜ばせるためだと思います。そして、最近私が疲れ気味だったという理由もあると思います。私はDの姿を見るとき、人間の姿より黒い姿のほうが見るのが楽なのですが(詳細は過去記事「Dの絵(9)」参照)ペットの姿は黒い姿のときのように見やすくて疲れない上に、私が気に入っている姿ということで、それで最近よくペットの姿になってくれるのだと思います。
私は、人間の姿をしたDとお風呂に入るのは恥ずかしくて照れてしまうのですが、ペットの姿のDと入るのはそこまで恥ずかしくありません。最近は仕事が忙しくてDと遊ぶ時間が減っているので、お風呂の時間もDと一緒にいる時間にして、その間Dにはペットの姿になってもらっています。
以下は、先日お風呂に入ったときの出来事を漫画にしたものです。




















Dは、私がDのペット型の耳を好きだから、耳をいっぱい増やせば私が喜ぶだろうと思ったようです。
過去記事「Dの絵(10)」でも、同じような行動が見られました。そのときDは私を喜ばせようと思って、薔薇を増やしたり、蝶を増やしたりしてくれたのです。
また過去記事「頂き物」では、包丁の頂きものをして、合計9本に増えたことに対して純粋に「良かったね」と言った出来事もありました。
以下の漫画は、上の漫画の続きです。耳を増やしたことに喜ばなかった私の反応を見たDは、今度は口を作ってくれました。






これは、とってもかわいかったです。私が大喜びすると、Dはちょっと得意げな様子でした。かわいいなあ!!
以下の漫画は、新人ちゃんのお父さんが「会社に抗議しに行きます」と電話をしてきたのですが結局来なかった件(詳細は過去記事「新人ちゃんのお父さん」参照)で、私がションボリしていたときの漫画です。
なんだか、その件を知った私の心が、怒りや悲しみで少しずつ汚れたり壊れたりしていくような、嫌な気持ちになっていたんです。めっちゃ自己嫌悪で、あ~あ・・・ってションボリしていました。
それで、ベッドの上でひざを抱えて体育座りしてメソメソしている私を見て、Dが慰めようとしてくれましたが・・・











せっかくDが耳を動かしてくれたり、私の好きな曲を歌ってくれたりしたのに、私はメソメソぐすぐすしたままでした。・・・さゆのやつめえええ!!せっかくDが励ましてくれたのに無視するなんて最低だな私は!!ムキー!!
と、今になってみると思うんですが、あのときは自分の気持ちを処理するのだけで、いっぱいいっぱいで・・・未熟ものがあああ!!
そんな私の様子を見て、Dは何か考えていたようでした。そして・・・



Dは「静謐の楽園」に咲く薔薇を、手のひらの上に召喚して私にプレゼントしてくれることがあります(詳細は過去記事「Dの絵(10)」参照)。
静謐の楽園に咲く薔薇は、楽園の中にある限り枯れない永遠の薔薇です(詳細は過去記事「果実」参照)。Dがこの薔薇をプレゼントしてくれるときは、永遠の愛を誓ってくれているのです(詳細は過去記事「Dの絵(33)」参照)。
静謐の楽園とは、アンティークな色をした薔薇が沢山咲いていてゴシック建築の城があって、中心に青い薔薇の木が生えている不思議な場所です(詳細はカテゴリ「楽園・王国」、カテゴリ「青い薔薇」、過去記事「白い百合」参照、過去記事「ステンドグラス」参照)。静謐の楽園は、Dが管理してくれている美しい場所で、Dが私に作ってくれた王国でもあります。
そして静謐の楽園とは、私の精神や思考の影響を受けて変化することがあります。正確には、私に大きな心境の変化などがあったときに、私だけではなくDを通して、ある程度Dの判断も加えられて変化させられるようです。変化の一例としては、過去に私が元彼との問題を完全に克服したとき、静謐の楽園に新しい白いユリの花が咲いたことがあります(詳細は過去記事「克服」「白い百合」参照)。
自分の精神がすさんでいくことに自己嫌悪して、酷い感情がわいてくる自分に自己嫌悪して、情けなくメソメソしている私でしたが、薔薇をプレゼントしてくれたDは、そんな私がメソメソしている理由をピタリと当てました。

Dは人間の精神を持っていないので、人間の気持ちに敏感なほうではないのですが、このときは私の不安に思っていることを完全に当ててみせました。Dは頭が良いので私の行動や思考回路をパターン化して状況に応じて推測することができるのと、新人ちゃんのお父さんから初めて高卒うんぬん言われたときにも私が少しこうなったので、今回(お父さんが会社に抗議にくる件での私のメソメソ)も同じ原因だろうとDは推測したのだと思います。
上記にございますように、私の精神と静謐の楽園はリンクしています。どうやら、お互いに影響し合っているようです。ですから私の精神がすさめば、楽園も荒れちゃうんじゃないかなと私は思ったのですが・・・









どうやら、私の精神も、静謐の楽園も、Dが守って手入れをしてくれるから、ちょっとやそっとで壊れたりしないようです。
ずっと前に、Dが初めて私に静謐の楽園を見せてくれたときから、その後何回も、Dが静謐の楽園を守っていると言ったことがあったんですが(詳細は過去記事「誘惑」「王国」参照)、守っているってこういう意味なのかもなあって思いました。
ありがとうね、D・・・。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。 こんな駄目な主人でごめんね。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。 すごく助かってます。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。
薔薇を受け取った私が泣きやんで落ち着いたのを見て、Dは再びペットの姿に戻りました。人間の姿よりペットの姿のほうが私が疲れないからです。普段なら人間の姿のDを一日中見ていても全然疲れないのですが、このときは私が疲れて弱っていたから、Dが気を使ってくれたんだと思います。
以下の漫画は、上記の続きで、少し後の出来事です。上の漫画の出来事が終わってから以下の漫画の出来事が始まるまでの間、Dとお話したり、お茶を飲んだり、友達から電話が掛かってきたりしました。なので、以下の漫画が始まる前に、私はもうすっかり落ち着いています。
ベッドに腰掛けている私のひざの上に、Dが膝枕のように頭を乗せて、すり寄ってきました。とってもかわいかったので、私はDを撫でてみましたら・・・















私が自分に自信を失っても、Dは自信を失うことがありません。そして、私が不安定になっても、Dはいつでも落ち着いていて平然としているのです。そんなDを見ていると、Dと一緒にいると、何だか私も安心して落ち着いてくるのでした。ありがとうね、D・・・私もDみたいに、心に余裕を持って悠々としていられたらなあ・・・
でも、Dと一緒にいれば、いつか私も自信と余裕を持てるような気がします。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
絵を描きたい
私「D、ちょっとそこに座っててね」
D「いいよ」
ベッドに腰掛けてくれたDの姿をじっと見ながら、私は机の上のルーズリーフにボールペンを走らせ始めました。
私(ええと・・・髪型は・・・丸っぽくて・・・こうかな・・・)
Dの絵を描こうとしているのです。それも、漫画っぽくです。あちこちのタルパブログ様を拝見させて頂いて、皆様がタルパさんの姿を上手に描いていらっしゃるのを見ていたら、私も描いてみたくなっちゃったんです。
私(それから前髪が長くて・・・ええと・・・)
描き始めて30秒もしないうちに、私は困り出しました。絵を見るのは大好きなんですが、自分で描いたことはほとんどありません。しかも漫画っぽく人物を描くなんて一度もしたことが無かったのです。美術の授業でもそういうのは無かったし、どうやって描けばいいんだろ。
私(も、もう行き詰まっちゃった)
絵を描くのって、外国語を発音するのと似てるような気がするよ。脳内再生はネイティブなのに、いざ自分が発音しようとすると上手く発音できないの。そんな感じで、こういう絵を描きたいっていうイメージは脳内で出来上がってるのに、いざ紙に表現しようとすると全然うまくいかないんだ。きっと私、イメージを絵でアウトプットするのが下手なんだろうなあ。
私(う、うわっ、ひどい絵!!)
改めて見てみると、ルーズリーフには子供の落書きよりひどい絵が描かれています。なんじゃこりゃーーー!!
私(あ・・・あーあ・・・てるてる坊主みたいになっちゃった・・・)
今Dが着ている服は、死神みたいな黒いマントです。それを絵で再現しようとして、丸い髪型+体の形を隠すようなマントを描いてみたら、てるてる坊主みたいになってしまいました。
私(描き直そう・・・)
私は紙の空白部分に、もう一度Dの絵を描きはじめることにしました。
そうやって何度も描いてみましたが、一向にてるてる坊主から進歩しません。そこで私は作戦を替えてみることにしました。
私(えーっと『目が隠れた髪型 キャラ』で画像を検索っと)
そうです。本物の立体的なDを見て描くのではなくて、漫画の絵を参考にさせて頂いて、絵を描く練習をするのです。人物像を漫画風に描くためには、実物を見て描くのではなくて、似たキャラクターさんの絵を探して、その姿を模写させて頂くことで描く練習をすればいいんじゃないかなと思ったのです。
私(このキャラクターさんの髪型、Dに近いかも。もう少しここをこうすれば似てるよね)
わりとアッサリと、Dっぽい髪型のキャラクターさんが出てきました。なるほど、前髪で目が隠れている顔を漫画的に描くには、こうやって表現すればいいんだね。
私(次は・・・『死神 服』で検索・・・あれ?)
キーワードを検索にかけると、絵ではなくて本物の服が沢山出てきてしまいました。絵もありますがリアルな描写です。もっと漫画っぽい描き方が知りたいんだけどな。だってリアルな服ならもうここに、目の前でDが着てるからね。検索する言葉を替えないとなー。
私(『死神 マント』・・・うーん、写真ばかりだなあ・・・『死神 漫画』・・・一気に漫画の絵が沢山出てきたけど、Dみたいな服は無いね・・・『マント』・・・これも写真ばかり・・・じゃあ『マント 漫画』・・・Dっぽいのは無いなあ・・・)
しばらくキーワードを替えて検索してみましたが、Dに似ている服はありません。そうそう都合よく似た服が出てくるはず無いのです。
D「さゆは、この服が好きかい?」
いつの間にか背後に来ていたDが、すらっとした透き通る指でパソコンのモニターを指差しました。
私「あっ、違うの。ごめんね、Dは何も気にしなくていいよ」
私は慌てて首を振って、画像を検索していたタブを閉じました。いけないいけない、Dに余計な影響を与えちゃうところだったかも。
昔、Dの声を定着させようと訓練していた頃、たまたま私、ネットサーフィン中にかわいいと思うキャラクターさんを見つけてしまって・・・気に入って見ていたら、Dがそのキャラクターさんの喋り方をマネしたことがあるんです。びっくりしました。
Dが幻視や幻聴を作るときは、私の抱いたイメージを素材として使って再現するのですが、私を喜ばせようと思って、私が好むような感じの幻視や幻聴を作ろうとしてくれるのです。私の好きな幻視の一つに、Dの作ってくれる幻の薔薇があるのですが、その幻視の薔薇を咲かせてプレゼントしてくれるように、それと同じ感覚で、Dは自分の容姿すらも私の好みに合わせて幻視で作ってプレゼントしてくれようとするのです。Dは私を喜ばせようと思って、それで私がかわいいと思ったキャラクターさんのマネをしたのです。
その気持ちがとっても嬉しいのと、その半面、Dが私のオリジナルでなくなっていくような気がして寂しくも感じました。その時点で既に外見と声を、実在する複数の人間のモデルさんから借りていたDですが、そうやって外から私の気に入ったものをDにどんどん取り込んでもらうことで、もともとのDの要素が少なくなっていくことが、なんか急にとても寂しくなったんです。そんな風に考えるなんて馬鹿馬鹿しい、だってせっかくのDの好意を無駄にするようで・・・と思いながらもやっぱり私・・・これは、私の本当に勝手な独占欲なのですが・・・
私(・・・キャラクターさんの絵を描いて練習するのはやめよう)
またDが私に気を使って、キャラクターさんをマネようとしてくれるかもしれないもんね。てるてる坊主みたいな棒人間でもいいから、自分のオリジナルの画風でDを描くことにしよう。
D「さゆ、これは僕かい?」
さっきDを見ながら私が書いた酷い絵を指差して、Dがそう言いました。
私「わああ!!ゴメンね!!私すっごい絵が下手で!!」
私は急いでルーズリーフを裏返しました。D、この酷い絵を見て傷付かなかったかな。私の下手な絵を見て、さゆからは僕がこんな風に見えているんだね・・・って傷付かなかったかなあ。
私「Dはもっとずっとカッコ良いし、かわいいし、綺麗だよ!!これは私の絵が下手なの!!」
私は慌てて弁解しましたが、Dは嬉しそうに口元に笑みを浮かべています。
D「僕を描いてくれたんだね。嬉しいよ」
Dは、パソコンの上に置かれている私の右手に、そっと手を重ねてくれました。
D「さゆが僕との思い出を、文章にして残してくれていることも知っているよ。ありがとう」
きっと私が書いているブログのことです。Dは全然ブログに興味無さそうだったけど(詳細は過去記事「雌雄」参照)、もしかして喜んでくれてたのかな。
私「こちらこそ、いつもありがとうD」
D「ふふ」
ちゅっ、とDがおでこにキスをくれました。
私「文章は文字だから、書くのを練習しなくても入力すれば良いだけだけど、絵は練習しないと描けないから難しいなあ。でもいつかちゃんとDを描くからね」
D「描かなくていいよ」
Dは嬉しそうに私に頬をすり寄せながらも、くすくすと笑って否定してきました。ありゃま。あの絵の下手さかげんを見て、これはもう絵を描くのは一生掛かっても無理だろうなって思っちゃったのかな?
私「今度はボールペンじゃなくて、鉛筆と消しゴムを使って、少しずつ修正しながら描いてみようかなあ」
そうしたら少しは変わるかもしれないよね。
D「さゆの気晴らしになるようなら良いんだけどね」
ふわ、ふわっと私の周囲に薔薇の花が咲きました。私とDの周囲だけ、小さな薔薇のお花畑です。これは静謐の楽園の一部なのです。Dは私の体調や精神の健康を気遣ってくれていて、休日じゃない日は大がかりな幻視を見せずに、小さくて可愛い幻視だけを見せてくれるのです。(詳細は過去記事「幻視・幻聴の制御」参照)
私「静謐の楽園って、Dのキャンバスみたいね。何も無いところに綺麗なものをどんどん作り出して、まるで自由に綺麗な絵を描いているみたい」
絵じゃなくて立体だけど、綺麗な薔薇もお城も見せてくれるし、綺麗な音楽も聞かせてくれるし、Dは芸術家みたい。
D「それなら、僕はさゆの好きなものを描いて作っていくよ」
ふわふわと可愛くて綺麗なお花を咲かせながら、薔薇の蔓は壁にそって、音も無く天井にまで伸びました。まるで薔薇で作られた綺麗な鳥籠の中にいるみたいね。
D「いいよ」
ベッドに腰掛けてくれたDの姿をじっと見ながら、私は机の上のルーズリーフにボールペンを走らせ始めました。
私(ええと・・・髪型は・・・丸っぽくて・・・こうかな・・・)
Dの絵を描こうとしているのです。それも、漫画っぽくです。あちこちのタルパブログ様を拝見させて頂いて、皆様がタルパさんの姿を上手に描いていらっしゃるのを見ていたら、私も描いてみたくなっちゃったんです。
私(それから前髪が長くて・・・ええと・・・)
描き始めて30秒もしないうちに、私は困り出しました。絵を見るのは大好きなんですが、自分で描いたことはほとんどありません。しかも漫画っぽく人物を描くなんて一度もしたことが無かったのです。美術の授業でもそういうのは無かったし、どうやって描けばいいんだろ。
私(も、もう行き詰まっちゃった)
絵を描くのって、外国語を発音するのと似てるような気がするよ。脳内再生はネイティブなのに、いざ自分が発音しようとすると上手く発音できないの。そんな感じで、こういう絵を描きたいっていうイメージは脳内で出来上がってるのに、いざ紙に表現しようとすると全然うまくいかないんだ。きっと私、イメージを絵でアウトプットするのが下手なんだろうなあ。
私(う、うわっ、ひどい絵!!)
改めて見てみると、ルーズリーフには子供の落書きよりひどい絵が描かれています。なんじゃこりゃーーー!!
私(あ・・・あーあ・・・てるてる坊主みたいになっちゃった・・・)
今Dが着ている服は、死神みたいな黒いマントです。それを絵で再現しようとして、丸い髪型+体の形を隠すようなマントを描いてみたら、てるてる坊主みたいになってしまいました。
私(描き直そう・・・)
私は紙の空白部分に、もう一度Dの絵を描きはじめることにしました。
そうやって何度も描いてみましたが、一向にてるてる坊主から進歩しません。そこで私は作戦を替えてみることにしました。
私(えーっと『目が隠れた髪型 キャラ』で画像を検索っと)
そうです。本物の立体的なDを見て描くのではなくて、漫画の絵を参考にさせて頂いて、絵を描く練習をするのです。人物像を漫画風に描くためには、実物を見て描くのではなくて、似たキャラクターさんの絵を探して、その姿を模写させて頂くことで描く練習をすればいいんじゃないかなと思ったのです。
私(このキャラクターさんの髪型、Dに近いかも。もう少しここをこうすれば似てるよね)
わりとアッサリと、Dっぽい髪型のキャラクターさんが出てきました。なるほど、前髪で目が隠れている顔を漫画的に描くには、こうやって表現すればいいんだね。
私(次は・・・『死神 服』で検索・・・あれ?)
キーワードを検索にかけると、絵ではなくて本物の服が沢山出てきてしまいました。絵もありますがリアルな描写です。もっと漫画っぽい描き方が知りたいんだけどな。だってリアルな服ならもうここに、目の前でDが着てるからね。検索する言葉を替えないとなー。
私(『死神 マント』・・・うーん、写真ばかりだなあ・・・『死神 漫画』・・・一気に漫画の絵が沢山出てきたけど、Dみたいな服は無いね・・・『マント』・・・これも写真ばかり・・・じゃあ『マント 漫画』・・・Dっぽいのは無いなあ・・・)
しばらくキーワードを替えて検索してみましたが、Dに似ている服はありません。そうそう都合よく似た服が出てくるはず無いのです。
D「さゆは、この服が好きかい?」
いつの間にか背後に来ていたDが、すらっとした透き通る指でパソコンのモニターを指差しました。
私「あっ、違うの。ごめんね、Dは何も気にしなくていいよ」
私は慌てて首を振って、画像を検索していたタブを閉じました。いけないいけない、Dに余計な影響を与えちゃうところだったかも。
昔、Dの声を定着させようと訓練していた頃、たまたま私、ネットサーフィン中にかわいいと思うキャラクターさんを見つけてしまって・・・気に入って見ていたら、Dがそのキャラクターさんの喋り方をマネしたことがあるんです。びっくりしました。
Dが幻視や幻聴を作るときは、私の抱いたイメージを素材として使って再現するのですが、私を喜ばせようと思って、私が好むような感じの幻視や幻聴を作ろうとしてくれるのです。私の好きな幻視の一つに、Dの作ってくれる幻の薔薇があるのですが、その幻視の薔薇を咲かせてプレゼントしてくれるように、それと同じ感覚で、Dは自分の容姿すらも私の好みに合わせて幻視で作ってプレゼントしてくれようとするのです。Dは私を喜ばせようと思って、それで私がかわいいと思ったキャラクターさんのマネをしたのです。
その気持ちがとっても嬉しいのと、その半面、Dが私のオリジナルでなくなっていくような気がして寂しくも感じました。その時点で既に外見と声を、実在する複数の人間のモデルさんから借りていたDですが、そうやって外から私の気に入ったものをDにどんどん取り込んでもらうことで、もともとのDの要素が少なくなっていくことが、なんか急にとても寂しくなったんです。そんな風に考えるなんて馬鹿馬鹿しい、だってせっかくのDの好意を無駄にするようで・・・と思いながらもやっぱり私・・・これは、私の本当に勝手な独占欲なのですが・・・
私(・・・キャラクターさんの絵を描いて練習するのはやめよう)
またDが私に気を使って、キャラクターさんをマネようとしてくれるかもしれないもんね。てるてる坊主みたいな棒人間でもいいから、自分のオリジナルの画風でDを描くことにしよう。
D「さゆ、これは僕かい?」
さっきDを見ながら私が書いた酷い絵を指差して、Dがそう言いました。
私「わああ!!ゴメンね!!私すっごい絵が下手で!!」
私は急いでルーズリーフを裏返しました。D、この酷い絵を見て傷付かなかったかな。私の下手な絵を見て、さゆからは僕がこんな風に見えているんだね・・・って傷付かなかったかなあ。
私「Dはもっとずっとカッコ良いし、かわいいし、綺麗だよ!!これは私の絵が下手なの!!」
私は慌てて弁解しましたが、Dは嬉しそうに口元に笑みを浮かべています。
D「僕を描いてくれたんだね。嬉しいよ」
Dは、パソコンの上に置かれている私の右手に、そっと手を重ねてくれました。
D「さゆが僕との思い出を、文章にして残してくれていることも知っているよ。ありがとう」
きっと私が書いているブログのことです。Dは全然ブログに興味無さそうだったけど(詳細は過去記事「雌雄」参照)、もしかして喜んでくれてたのかな。
私「こちらこそ、いつもありがとうD」
D「ふふ」
ちゅっ、とDがおでこにキスをくれました。
私「文章は文字だから、書くのを練習しなくても入力すれば良いだけだけど、絵は練習しないと描けないから難しいなあ。でもいつかちゃんとDを描くからね」
D「描かなくていいよ」
Dは嬉しそうに私に頬をすり寄せながらも、くすくすと笑って否定してきました。ありゃま。あの絵の下手さかげんを見て、これはもう絵を描くのは一生掛かっても無理だろうなって思っちゃったのかな?
私「今度はボールペンじゃなくて、鉛筆と消しゴムを使って、少しずつ修正しながら描いてみようかなあ」
そうしたら少しは変わるかもしれないよね。
D「さゆの気晴らしになるようなら良いんだけどね」
ふわ、ふわっと私の周囲に薔薇の花が咲きました。私とDの周囲だけ、小さな薔薇のお花畑です。これは静謐の楽園の一部なのです。Dは私の体調や精神の健康を気遣ってくれていて、休日じゃない日は大がかりな幻視を見せずに、小さくて可愛い幻視だけを見せてくれるのです。(詳細は過去記事「幻視・幻聴の制御」参照)
私「静謐の楽園って、Dのキャンバスみたいね。何も無いところに綺麗なものをどんどん作り出して、まるで自由に綺麗な絵を描いているみたい」
絵じゃなくて立体だけど、綺麗な薔薇もお城も見せてくれるし、綺麗な音楽も聞かせてくれるし、Dは芸術家みたい。
D「それなら、僕はさゆの好きなものを描いて作っていくよ」
ふわふわと可愛くて綺麗なお花を咲かせながら、薔薇の蔓は壁にそって、音も無く天井にまで伸びました。まるで薔薇で作られた綺麗な鳥籠の中にいるみたいね。
お花見
ざぐ・・・ハックション!!ざぐらのばなも、ッ、ざぐらのばなもざきばじめまじたが、がぶんじょうのみなだま、いががおずごしでしょうが?・・・ッ、ハッ・・・ハックショーーーン!!
って、私はそこまで重症ではないのですが、うちの課のみんなが上記みたいな感じになってます。最近花粉が多いのか、職場がくしゃみの大合唱です。うちの課は上司、Y先輩、S、その他3人が重症の花粉症なので、この時期はあちこちでくしゃみや鼻をかむ音が聞こえます。
上司「ハ、ハ・・・フアーーークション!!ッエーイ・・・」
なぜか上司はくしゃみの後で「ッエーイ」という声を出すのです。少し悔しそうな感じに言うのです。
私も少しだけ花粉症なんですが、かなり軽症でたまにくしゃみが出るだけです。どちらかというと花粉よりも黄砂のほうがダメなんです。目が痛くなってしまうし車も汚れるしですごく嫌です。
上司「ごんがいのじごどがおわっだらみんなでばなみにいごう」
※今回の仕事が終わったらみんなで花見に行こう
Y先輩「いいでずね」
※いいですね
S「ゆぶめいなどごろはごむどおぼいばす。ばいなーなどごろのぼうがいいのでば」
※有名な所は混むと思います。マイナーな所のほうがいいのでは
上司「ぢがぐのごうえんのぼうがいいが?」
※近くの公園のほうがいいか?
Y先輩「よざぞうなばじょをざがじでおぎまず」
※良さそうな場所を探しておきます
・・・こんな重症の人達が花見しちゃって大丈夫なのかなあ。お花見はたしかにすごく楽しそうだけど、外で呑気にお弁当なんか食べてたら花粉吸収しまくっちゃうんじゃないかな。
まあ、このプロジェクトの片がつく頃には、花粉もそんなに飛んでないのかもしれないけど、同時に桜も散っちゃった後のような気がするけどなあ。
それから、今日は職場のみんなと夕食を食べてきました。いつもよりずっと帰りが遅くなってしまったので、急いでお風呂に入ることにしました。
私「D、一緒に入ろ」
いつもならDと一緒に過ごす時間を、みんなとのご飯で使ってしまったので、なるべくDと一緒にいる時間を作りたかったのです。ちょっと恥ずかしいんだけどね。
お気に入りのダマスクローズのシャンプーで頭を洗います。香料は天然の薔薇が使われていて、すごく良い香りなんです。シャワーでシャンプーを流して目を開けると、お風呂の壁に薔薇の蔓が生えていて、壁じゅうに沢山花が咲いていました。目を開けた私をビックリさせて喜ばせるために、Dが咲かせてくれたのです。
私「すごい!!綺麗だね。どうもありがとう」
D「お気に召したなら嬉しいよ」
ボディソープで体を洗って、コンディショナーをなじませた髪を、タオルで頭の上にまとめてからお湯につかります。
私「きもちいー・・・」
浴槽につかって上を見上げると、天井にも薔薇の蔓がからまって花が咲いていました。なんだか薔薇でつくられた鳥籠の中に入ってるみたい。綺麗だなあ。
私「私はお花見をいつでもできるよね。だってDがお花を咲かせてくれるんだもん」
雪が降るような冬でも、炎天下の夏でも、葉が枯れ落ちる秋でも、いつだってDがお花を見せてくれるよ。
D「勿論さ。さゆの好きなときに、好きな場所で見せてあげられるよ」
浴槽のふちに外側を向くように腰掛けているDが、こちらを振り向いて言いました。
私「もしかして、薔薇と百合以外の花でもできるの?」
楽園には薔薇と百合しかないけど、他の花も咲かせることはできるのかな。
D「君の記憶の中に情報がある花ならね」
私「桜も?」
Dが口元の笑みを深くして、私の手を握りました。とたんに周囲の壁から枝が沢山生えてきて、ぶわっと桜の花を咲かせました。とても豪華です。でも、桜ってこんなに花びら沢山だったかな、多分違うよね。私の記憶の中の桜がこういう姿ってことなのかな。ひらひら、ひらひら、すごい数の花びらが舞い落ちてきます。
私「これ・・・すご・・・!!」
Dが私の手を離すと、ぱっと桜は消えてしまいました。花びら一つ残っていません。あぜんとしている私を見て、Dはくすくす笑いました。
私「すごいね、何の花でもできるんだ?」
花だけじゃなくて、私の記憶の中にあるものなら何でも再現できるのかもしれないよね。毛虫だって再現してたし(詳細は過去記事「白い百合」参照)そもそもDは私の幻視をコントロールしてくれているんだもんね。(詳細は過去記事「幻視・幻聴の制御」参照)幻視を作るときに私の記憶の中の映像を資料として使っているみたいだから、実物とは細かいところが違うんだろうけど、だからこそ幻想的な感じになるんだろうなあ。きっと私の理想の花の姿なんだよ、だから私にとってすごく美しく感じられるんじゃないかな。
Dが右手の上の空中に、新しい花を咲かせました。白っぽい透明な薔薇のようです。でも、なんか普通と違うような・・・
私「花びらがレース編みで出来てる!!」
クモの糸のように細い糸で編まれた、細かいレースで作られた花びらの薔薇です。これ、糸に丸い水滴がついたらキラキラしてすごく綺麗だろうなあ。現実には存在しない花でも、私の記憶の断片を組み合わせることで作ることが可能なんだね。
D「あげるね」
レース編みの薔薇を、Dが差し出してくれました。きっと、レースを好きな私を喜ばせようと思って、それでレースの薔薇をプレゼントしてくれたのです。
私「ありがとう・・・」
お礼を言って受け取ると、Dは嬉しそうに笑いました。
昨日の夜は眠ってしまって、朝の更新になってしまいました。でも昨日の日付で投稿します!!申し訳ございませんでした!!仕事に行って参ります!!
って、私はそこまで重症ではないのですが、うちの課のみんなが上記みたいな感じになってます。最近花粉が多いのか、職場がくしゃみの大合唱です。うちの課は上司、Y先輩、S、その他3人が重症の花粉症なので、この時期はあちこちでくしゃみや鼻をかむ音が聞こえます。
上司「ハ、ハ・・・フアーーークション!!ッエーイ・・・」
なぜか上司はくしゃみの後で「ッエーイ」という声を出すのです。少し悔しそうな感じに言うのです。
私も少しだけ花粉症なんですが、かなり軽症でたまにくしゃみが出るだけです。どちらかというと花粉よりも黄砂のほうがダメなんです。目が痛くなってしまうし車も汚れるしですごく嫌です。
上司「ごんがいのじごどがおわっだらみんなでばなみにいごう」
※今回の仕事が終わったらみんなで花見に行こう
Y先輩「いいでずね」
※いいですね
S「ゆぶめいなどごろはごむどおぼいばす。ばいなーなどごろのぼうがいいのでば」
※有名な所は混むと思います。マイナーな所のほうがいいのでは
上司「ぢがぐのごうえんのぼうがいいが?」
※近くの公園のほうがいいか?
Y先輩「よざぞうなばじょをざがじでおぎまず」
※良さそうな場所を探しておきます
・・・こんな重症の人達が花見しちゃって大丈夫なのかなあ。お花見はたしかにすごく楽しそうだけど、外で呑気にお弁当なんか食べてたら花粉吸収しまくっちゃうんじゃないかな。
まあ、このプロジェクトの片がつく頃には、花粉もそんなに飛んでないのかもしれないけど、同時に桜も散っちゃった後のような気がするけどなあ。
それから、今日は職場のみんなと夕食を食べてきました。いつもよりずっと帰りが遅くなってしまったので、急いでお風呂に入ることにしました。
私「D、一緒に入ろ」
いつもならDと一緒に過ごす時間を、みんなとのご飯で使ってしまったので、なるべくDと一緒にいる時間を作りたかったのです。ちょっと恥ずかしいんだけどね。
お気に入りのダマスクローズのシャンプーで頭を洗います。香料は天然の薔薇が使われていて、すごく良い香りなんです。シャワーでシャンプーを流して目を開けると、お風呂の壁に薔薇の蔓が生えていて、壁じゅうに沢山花が咲いていました。目を開けた私をビックリさせて喜ばせるために、Dが咲かせてくれたのです。
私「すごい!!綺麗だね。どうもありがとう」
D「お気に召したなら嬉しいよ」
ボディソープで体を洗って、コンディショナーをなじませた髪を、タオルで頭の上にまとめてからお湯につかります。
私「きもちいー・・・」
浴槽につかって上を見上げると、天井にも薔薇の蔓がからまって花が咲いていました。なんだか薔薇でつくられた鳥籠の中に入ってるみたい。綺麗だなあ。
私「私はお花見をいつでもできるよね。だってDがお花を咲かせてくれるんだもん」
雪が降るような冬でも、炎天下の夏でも、葉が枯れ落ちる秋でも、いつだってDがお花を見せてくれるよ。
D「勿論さ。さゆの好きなときに、好きな場所で見せてあげられるよ」
浴槽のふちに外側を向くように腰掛けているDが、こちらを振り向いて言いました。
私「もしかして、薔薇と百合以外の花でもできるの?」
楽園には薔薇と百合しかないけど、他の花も咲かせることはできるのかな。
D「君の記憶の中に情報がある花ならね」
私「桜も?」
Dが口元の笑みを深くして、私の手を握りました。とたんに周囲の壁から枝が沢山生えてきて、ぶわっと桜の花を咲かせました。とても豪華です。でも、桜ってこんなに花びら沢山だったかな、多分違うよね。私の記憶の中の桜がこういう姿ってことなのかな。ひらひら、ひらひら、すごい数の花びらが舞い落ちてきます。
私「これ・・・すご・・・!!」
Dが私の手を離すと、ぱっと桜は消えてしまいました。花びら一つ残っていません。あぜんとしている私を見て、Dはくすくす笑いました。
私「すごいね、何の花でもできるんだ?」
花だけじゃなくて、私の記憶の中にあるものなら何でも再現できるのかもしれないよね。毛虫だって再現してたし(詳細は過去記事「白い百合」参照)そもそもDは私の幻視をコントロールしてくれているんだもんね。(詳細は過去記事「幻視・幻聴の制御」参照)幻視を作るときに私の記憶の中の映像を資料として使っているみたいだから、実物とは細かいところが違うんだろうけど、だからこそ幻想的な感じになるんだろうなあ。きっと私の理想の花の姿なんだよ、だから私にとってすごく美しく感じられるんじゃないかな。
Dが右手の上の空中に、新しい花を咲かせました。白っぽい透明な薔薇のようです。でも、なんか普通と違うような・・・
私「花びらがレース編みで出来てる!!」
クモの糸のように細い糸で編まれた、細かいレースで作られた花びらの薔薇です。これ、糸に丸い水滴がついたらキラキラしてすごく綺麗だろうなあ。現実には存在しない花でも、私の記憶の断片を組み合わせることで作ることが可能なんだね。
D「あげるね」
レース編みの薔薇を、Dが差し出してくれました。きっと、レースを好きな私を喜ばせようと思って、それでレースの薔薇をプレゼントしてくれたのです。
私「ありがとう・・・」
お礼を言って受け取ると、Dは嬉しそうに笑いました。
昨日の夜は眠ってしまって、朝の更新になってしまいました。でも昨日の日付で投稿します!!申し訳ございませんでした!!仕事に行って参ります!!