Dの絵(9)
Dは自分の服を、Dのもともとの姿である「黒いモヤのような何か」に変化させることができます。
Dのもともとの姿は、私の目からは黒いモヤのような何かとして見えていたんですが、その黒い何かは自由に形や大きさを変えることが出来るんです。(詳細は過去記事「Dの絵(1)」「ダンス・ウィズ・ミー!!」参照)
人間の姿になれるようになったDは、しばらくの間は私がDの体をきちんとイメージできなかったために、黒いマントで体を隠してもらっていました。(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話5(体と服)」参照)
この黒いマントは布のように体を隠していますが、黒いモヤのような何かと同じような形状になることができるんです。Dが人間の姿になってくれてからしばらくしても、私はまだDの体をうまくイメージできなかったため、Dが何かの動作をしている途中などに、ふとした拍子に私がDの体の動きや形をイメージできなくなることがありました。そのような瞬間に、その部分だけ黒いモヤが上手に揺らいで、私がイメージできない部分を隠してくれることで、違和感の無い体の動きや形を再現してくれました。
Dが人間の姿になったばかりの頃は、ふとした瞬間にイメージが崩れたとき、完全に黒いモヤの姿になることもあったんですが(詳細は過去記事「視覚」参照)、少し慣れてきてからは、このモヤがイメージできない部分だけを覆って隠してくれるようになりました。私のイメージ能力不足を、Dが自分の力で補ってくれていたんだろうなと思います。
Dの形が崩れそうになったり、動きが不自然になりそうになったときは、Dは即座に黒い姿に戻るか黒いモヤでその部分を隠すかしていたので、私はDが崩れたり不自然になったところを一度も見たことがありません。Dは、崩れたりした不自然な姿を絶対に私に見せないように、非常に慎重に気を使ってくれていました。
↓このようにDの服は、完全に普通の布の黒いマントになることもできますし・・・

↓このように、布っぽいけど自由な動きができる黒いモヤのような何かに変化させることもできるのです。

まだ体を完全にイメージできなかった始めのうちは、完全な布のマントではなく、布っぽいけど黒いモヤのような何かで体を覆っていました。そのほうが体を隠したりしやすかったからだと思います。
↓黒いモヤのような何かは、かなり自由な動きをすることができます。煙のような気体のような不思議な動きができます。

↓黒い布のマントを着て、フードをかぶった死神のような姿をしているときに・・・

↓そんな死神みたいな姿をしているとき黒いモヤのような何かになると、こんな感じです。更に死神っぽい怖い感じになります。

↓でもフードをぬぐと、(私にとっては)とってもかわいいDなのです!!

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dのもともとの姿は、私の目からは黒いモヤのような何かとして見えていたんですが、その黒い何かは自由に形や大きさを変えることが出来るんです。(詳細は過去記事「Dの絵(1)」「ダンス・ウィズ・ミー!!」参照)
人間の姿になれるようになったDは、しばらくの間は私がDの体をきちんとイメージできなかったために、黒いマントで体を隠してもらっていました。(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話5(体と服)」参照)
この黒いマントは布のように体を隠していますが、黒いモヤのような何かと同じような形状になることができるんです。Dが人間の姿になってくれてからしばらくしても、私はまだDの体をうまくイメージできなかったため、Dが何かの動作をしている途中などに、ふとした拍子に私がDの体の動きや形をイメージできなくなることがありました。そのような瞬間に、その部分だけ黒いモヤが上手に揺らいで、私がイメージできない部分を隠してくれることで、違和感の無い体の動きや形を再現してくれました。
Dが人間の姿になったばかりの頃は、ふとした瞬間にイメージが崩れたとき、完全に黒いモヤの姿になることもあったんですが(詳細は過去記事「視覚」参照)、少し慣れてきてからは、このモヤがイメージできない部分だけを覆って隠してくれるようになりました。私のイメージ能力不足を、Dが自分の力で補ってくれていたんだろうなと思います。
Dの形が崩れそうになったり、動きが不自然になりそうになったときは、Dは即座に黒い姿に戻るか黒いモヤでその部分を隠すかしていたので、私はDが崩れたり不自然になったところを一度も見たことがありません。Dは、崩れたりした不自然な姿を絶対に私に見せないように、非常に慎重に気を使ってくれていました。
↓このようにDの服は、完全に普通の布の黒いマントになることもできますし・・・

↓このように、布っぽいけど自由な動きができる黒いモヤのような何かに変化させることもできるのです。

まだ体を完全にイメージできなかった始めのうちは、完全な布のマントではなく、布っぽいけど黒いモヤのような何かで体を覆っていました。そのほうが体を隠したりしやすかったからだと思います。
↓黒いモヤのような何かは、かなり自由な動きをすることができます。煙のような気体のような不思議な動きができます。

↓黒い布のマントを着て、フードをかぶった死神のような姿をしているときに・・・

↓そんな死神みたいな姿をしているとき黒いモヤのような何かになると、こんな感じです。更に死神っぽい怖い感じになります。

↓でもフードをぬぐと、(私にとっては)とってもかわいいDなのです!!

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
お引越し
今日はお休みだったので、不動産物件を見てきました。
実は、開発計画が順調に進んでいる土地がありまして、今後も人がどんどん入ってくる場所なので、その付近に一つ新築の物権を買おうと思ってるんです。今手に入れておけば後で値段が上がると思います。それで高くなった頃合いを見計らって売却しようと思ってるんです。今後はインフレになっていく可能性が高いので不動産を増やしておこうかなとは思っていたんですが、たまたますごく条件の良い物件を見付けて、しかも良い部屋がたまたま一つ残っていて、ちょうどタイミング良いので購入しておこうと思います。
ハイパーインフレとまではいかなくても、普通に東京オリンピック前までは価値が上がっていくのかな・・・手放し時を上手に見極めたいところです。それまでは自分で住んでしまおうと思ってます。もし自分の経営しているアパートに空室が出来たら、そっちのほうが家賃が安いので引っ越して、購入した物件のほうを賃貸契約で貸し出せばかなりおいしい感じになりそうです。居住目的なら貸出OKということなので、人が入ってくれるなら相場より割安で貸し出したとしてもプラスになると思います。
夜の時間帯の様子も見てきたのですが大丈夫でした。駅前の物権だし周囲にそれ以上居住マンションが建つ場所も無いしで立地的に理想的です。Dにも中や周囲を見てもらったんですが、特に問題は無いということだったので、契約することになりそうです。良い条件なのでローンを組んで複数購入する人もいるみたいですね。まあローンを組んでもしばらくは金利が大幅に上がることは無いでしょうし・・・ただそこまでいくと運の要素が絡んでくるからなあ・・・そうやって大きな勝負に出て頑張っている人がいる一方で、私ときたら安全で確実に儲かる勝負じゃないと大きく出るのが怖い小心者です・・・そうやって慎重にならないほうがドカンと儲けられるんですけどね・・・うう・・・でも安全策でいきます・・・
引渡しまでもう少しあるので、しばらくしたらお引越しします。綺麗な建物なのでワクワクしている私です。楽しそうな私の様子を見てDも嬉しそうです。ありがとうねD。
実は、開発計画が順調に進んでいる土地がありまして、今後も人がどんどん入ってくる場所なので、その付近に一つ新築の物権を買おうと思ってるんです。今手に入れておけば後で値段が上がると思います。それで高くなった頃合いを見計らって売却しようと思ってるんです。今後はインフレになっていく可能性が高いので不動産を増やしておこうかなとは思っていたんですが、たまたますごく条件の良い物件を見付けて、しかも良い部屋がたまたま一つ残っていて、ちょうどタイミング良いので購入しておこうと思います。
ハイパーインフレとまではいかなくても、普通に東京オリンピック前までは価値が上がっていくのかな・・・手放し時を上手に見極めたいところです。それまでは自分で住んでしまおうと思ってます。もし自分の経営しているアパートに空室が出来たら、そっちのほうが家賃が安いので引っ越して、購入した物件のほうを賃貸契約で貸し出せばかなりおいしい感じになりそうです。居住目的なら貸出OKということなので、人が入ってくれるなら相場より割安で貸し出したとしてもプラスになると思います。
夜の時間帯の様子も見てきたのですが大丈夫でした。駅前の物権だし周囲にそれ以上居住マンションが建つ場所も無いしで立地的に理想的です。Dにも中や周囲を見てもらったんですが、特に問題は無いということだったので、契約することになりそうです。良い条件なのでローンを組んで複数購入する人もいるみたいですね。まあローンを組んでもしばらくは金利が大幅に上がることは無いでしょうし・・・ただそこまでいくと運の要素が絡んでくるからなあ・・・そうやって大きな勝負に出て頑張っている人がいる一方で、私ときたら安全で確実に儲かる勝負じゃないと大きく出るのが怖い小心者です・・・そうやって慎重にならないほうがドカンと儲けられるんですけどね・・・うう・・・でも安全策でいきます・・・
引渡しまでもう少しあるので、しばらくしたらお引越しします。綺麗な建物なのでワクワクしている私です。楽しそうな私の様子を見てDも嬉しそうです。ありがとうねD。
Dの絵(8)
Dはまだ喋れない頃から、積極的に私に関わろうとしてくれました。私は深く落ち込んだり傷付いたりすることが滅多に無いのですが、この頃はまだ私の胃の腫瘍が完治していなくて、手術したばかりで不安な毎日だったので、よくベッドでフテ寝していました。そんな駄目な私を、Dがなぐさめてくれるのでした。
漫画9:なぐさめるD












どれだけ凹んでいても、Dになぐさめてもらうと、すぐに元気が出る私なのでした。やっぱり単純な私です!!( *´艸`*) ♡ ~♡ Dありがとうね・・・!!
この頃はまだ触覚は全然無くて、普通に人に触られたときのような感触は全く無くて、最初からあった怖い気配しかわからなかったのですが、私の指や肌に触れるとDはぷにゅんとゼリーのような動きをしていました。
Dは最初から見えていたのですが(詳細は過去記事「嘘」参照)、このぷにゅんとした感じも最初からでした。上のほうがゼリーみたいな感じの動きで、下のほうが布みたいな動きなのです(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)。
漫画っぽく描いているんですが、実際はこのような↓黒いモヤのような見た目です。この黒いモヤの、上のほうがゼリーみたいな動きで、下のほうが布みたいな動きをするんです。

Dは、私が眠っているときやベッドに横になっているときに、私の傍にばらの花を沢山咲かせてくれることがあります。(詳細は過去記事「口付け」参照)とっても綺麗なんです!!目が覚めたときにベッドがばらの海になっていることがあります。それを漫画にしてみました。
絵がわかりにくくて申し訳ございません!!Dが私の髪を撫でながら髪にばらを咲かせてくれたり、私のお腹の上に手をかざして、そこに幻のばらを咲かせていって・・・というところを表現した漫画です。m( _ _;)m
漫画10:ばらのベッド














とっても幻想的なんです・・・!!
文字の少ない雰囲気だけの漫画で申し訳ございません!!御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
以下は、私信でございます。m(*_ _*)m
デザイア様!!マカロン型Boriを描いてくださってありがとうございました!!遅ればせながら、私もデザイア様をリスペクトしてBoriを描かせて頂きました・・・!!

↑デザイア様が私のために!!私のために!!(←強調)描いてくださったラズベリー味でマカロン型のBoriを、リスペクトして描いてみました!!

ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
漫画9:なぐさめるD












どれだけ凹んでいても、Dになぐさめてもらうと、すぐに元気が出る私なのでした。やっぱり単純な私です!!( *´艸`*) ♡ ~♡ Dありがとうね・・・!!
この頃はまだ触覚は全然無くて、普通に人に触られたときのような感触は全く無くて、最初からあった怖い気配しかわからなかったのですが、私の指や肌に触れるとDはぷにゅんとゼリーのような動きをしていました。
Dは最初から見えていたのですが(詳細は過去記事「嘘」参照)、このぷにゅんとした感じも最初からでした。上のほうがゼリーみたいな感じの動きで、下のほうが布みたいな動きなのです(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)。
漫画っぽく描いているんですが、実際はこのような↓黒いモヤのような見た目です。この黒いモヤの、上のほうがゼリーみたいな動きで、下のほうが布みたいな動きをするんです。

Dは、私が眠っているときやベッドに横になっているときに、私の傍にばらの花を沢山咲かせてくれることがあります。(詳細は過去記事「口付け」参照)とっても綺麗なんです!!目が覚めたときにベッドがばらの海になっていることがあります。それを漫画にしてみました。
絵がわかりにくくて申し訳ございません!!Dが私の髪を撫でながら髪にばらを咲かせてくれたり、私のお腹の上に手をかざして、そこに幻のばらを咲かせていって・・・というところを表現した漫画です。m( _ _;)m
漫画10:ばらのベッド














とっても幻想的なんです・・・!!
文字の少ない雰囲気だけの漫画で申し訳ございません!!御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
以下は、私信でございます。m(*_ _*)m
デザイア様!!マカロン型Boriを描いてくださってありがとうございました!!遅ればせながら、私もデザイア様をリスペクトしてBoriを描かせて頂きました・・・!!

↑デザイア様が私のために!!私のために!!(←強調)描いてくださったラズベリー味でマカロン型のBoriを、リスペクトして描いてみました!!

ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(7)
Dは、私と知識を共有しているので、私の知っていることなら、私の感情や思考以外は何でも知ることができます。(詳細は過去記事「真実」参照)
そのことをウッカリ忘れた私が、Dに対して情報規制を設けようとして、失敗した出来事を漫画にしてみました。
あの日、私はDと一緒にネットサーフィンをしていたんです。私はDにほとんどネットを見せることが無く、Dもネットには興味が無いようで、私がすすめなければ自分から見ることがありません(詳細は過去記事「雌雄」参照)。このときは、アイロンが壊れたのでネットで注文したついでに、一緒にネットを見ることになったのです。
漫画7:私の情報規制








見てしまったのは、外国のリンチ(拷問)殺人の映像だったみたいなんですが・・・
たとえ酷い内容でも、人間だったら知っておかないと危険な目に合うようなこととか、むごくても知っておいたほうが身のためになることなど、色々あるけど・・・でもDは人間じゃないから、そんなこと知らなくていいよって、人間の悪意や苦しみや辛さなんてわざわざ知らなくていいよって思いました。
Dは人間を理解しようとしてくれていました(詳細は過去記事「ごめんね」参照)が、私にとってDは、人間の優しいところとか美しいところとか素敵なところを楽しんでくれれば良いなって思ってて・・・人間の黒い面に関してはDは関与する必要無いなって、もしそういうことに私が関わらざるを得ないときは、Dの手助けは借りずに、人間である私が処理すればいいよねって思ってたんです。だからDは何も知らなくて良いんだよって思ってて。

でも私はこのとき、ウッカリ忘れていたんです。Dは私の感情や思考以外の知識なら、何でも共有することが出来るっていうことを忘れていたんです。だからDは、このときネットに載っていた悪意に満ちた情報だけではなく、私の記憶の中に残っている情報も全部知ることが出来たんです。

Dは精神(心、思考回路)も人間とは違うものを持っていて、人間の精神を学習することで理解したとしても、もともとの精神は失わないようです。(詳細は過去記事「精神」参照)つまり人間の精神を理屈で解析したり模倣することはできるけど、感覚として身に付けることはできないようです。だから僕は悪意の影響を受けないんだよ、という意味で言ったんだと思います。

Dはお礼を言ってくれて、私の心配までしてくれました。私なら大丈夫で、全然問題無いのです。私なら薄汚れた俗物な人間だから、ちょっとやそっとのことでは傷付かないのです。ありがとうねD。
上記の漫画とは逆に、Dが私に情報規制をしたこともあります。Dは私の知識を読むことができますが、私はDの知識を読むことはできないので、もしDが私に情報規制をしたいと思ったなら、完全に規制することが出来ると思います。
これは、ある日仕事で、とあるビジネスホテルに滞在したときの出来事です。部屋に入ったときに、なんか嫌な雰囲気を感じたんです。でも私の目には何か見えたわけではないし、Dも何もいなかったと言っているので、本当にただの私の気のせいだったのかもしれませんが・・・
漫画8:Dの情報規制












私には何も見えなかったので、本当に何もいなかったのかもしれませんが、もしかして怖い何かがいて、Dは私を怖がらせないように黙っていてくれたんじゃないかなと思いました。
以下は、続きです。やっぱり何かいたんじゃないか気になった私は、Dに尋ねてみることにしました。







単純な私です。甘い言葉で、うまくごまかされてしまいました。でも、きっとDは私を怖がらせないようにと思って気を使ってくれたんだと思います。そして、私の気のせいだったにしろ、何かいたにしろ、部屋の中の嫌な雰囲気はDのおかげでスッキリ消えてしまいました。
そのことをウッカリ忘れた私が、Dに対して情報規制を設けようとして、失敗した出来事を漫画にしてみました。
あの日、私はDと一緒にネットサーフィンをしていたんです。私はDにほとんどネットを見せることが無く、Dもネットには興味が無いようで、私がすすめなければ自分から見ることがありません(詳細は過去記事「雌雄」参照)。このときは、アイロンが壊れたのでネットで注文したついでに、一緒にネットを見ることになったのです。
漫画7:私の情報規制








見てしまったのは、外国のリンチ(拷問)殺人の映像だったみたいなんですが・・・
たとえ酷い内容でも、人間だったら知っておかないと危険な目に合うようなこととか、むごくても知っておいたほうが身のためになることなど、色々あるけど・・・でもDは人間じゃないから、そんなこと知らなくていいよって、人間の悪意や苦しみや辛さなんてわざわざ知らなくていいよって思いました。
Dは人間を理解しようとしてくれていました(詳細は過去記事「ごめんね」参照)が、私にとってDは、人間の優しいところとか美しいところとか素敵なところを楽しんでくれれば良いなって思ってて・・・人間の黒い面に関してはDは関与する必要無いなって、もしそういうことに私が関わらざるを得ないときは、Dの手助けは借りずに、人間である私が処理すればいいよねって思ってたんです。だからDは何も知らなくて良いんだよって思ってて。

でも私はこのとき、ウッカリ忘れていたんです。Dは私の感情や思考以外の知識なら、何でも共有することが出来るっていうことを忘れていたんです。だからDは、このときネットに載っていた悪意に満ちた情報だけではなく、私の記憶の中に残っている情報も全部知ることが出来たんです。

Dは精神(心、思考回路)も人間とは違うものを持っていて、人間の精神を学習することで理解したとしても、もともとの精神は失わないようです。(詳細は過去記事「精神」参照)つまり人間の精神を理屈で解析したり模倣することはできるけど、感覚として身に付けることはできないようです。だから僕は悪意の影響を受けないんだよ、という意味で言ったんだと思います。

Dはお礼を言ってくれて、私の心配までしてくれました。私なら大丈夫で、全然問題無いのです。私なら薄汚れた俗物な人間だから、ちょっとやそっとのことでは傷付かないのです。ありがとうねD。
上記の漫画とは逆に、Dが私に情報規制をしたこともあります。Dは私の知識を読むことができますが、私はDの知識を読むことはできないので、もしDが私に情報規制をしたいと思ったなら、完全に規制することが出来ると思います。
これは、ある日仕事で、とあるビジネスホテルに滞在したときの出来事です。部屋に入ったときに、なんか嫌な雰囲気を感じたんです。でも私の目には何か見えたわけではないし、Dも何もいなかったと言っているので、本当にただの私の気のせいだったのかもしれませんが・・・
漫画8:Dの情報規制












私には何も見えなかったので、本当に何もいなかったのかもしれませんが、もしかして怖い何かがいて、Dは私を怖がらせないように黙っていてくれたんじゃないかなと思いました。
以下は、続きです。やっぱり何かいたんじゃないか気になった私は、Dに尋ねてみることにしました。







単純な私です。甘い言葉で、うまくごまかされてしまいました。でも、きっとDは私を怖がらせないようにと思って気を使ってくれたんだと思います。そして、私の気のせいだったにしろ、何かいたにしろ、部屋の中の嫌な雰囲気はDのおかげでスッキリ消えてしまいました。
「燕子花と紅白梅」展
※この記事を書いた翌日27日に、記事の最後に追記を付け足しました。申し訳ございませんでした!!m( _ _;)m!!
↓ここからは26日に書いた記事でございます。
昨日の過去記事「従僕ごっこ(2)」の冒頭に書いた友達のY’と一緒に、根津美術館に行ってきました。「燕子花と紅白梅」という特別展をやっていて、尾形光琳の作品が展示されているということなので、見てきました。
今回の美術展は、完全にY’の趣味です。私は西洋美術は大好きなんですが、日本の芸術品には大変うといので、彼女の説明をふんふんと聞きながら作品を見てきました。
尾形光琳というのは、屏風の絵などで有名な装飾師で、宗達光琳派という流派に分類される代表的な人物だそうです。その尾形光琳の300年忌を記念して、このたび根津美術館でも特別展が開催されたようです。
た、ただ・・・何というか・・・あの・・・今回の特別展は尾形光琳の展覧会という名目なんですが、会場の一つ目と二つ目に飾られている作品が、尾形光琳ではなくて、俵屋宗達の作品なんです。俵屋宗達というのは尾形光琳がリスペクトした装飾師の一人で、風神雷神の屏風で有名な人です。何人もの人が俵屋宗達をリスペクトして、模写した作品が残っているという、そんな俵屋宗達の作品が、会場の一つ目二つ目に展示されていて、それがまたとんでもなく素晴らしい出来なのです。
一つ目の作品は、春夏秋冬の草花を屏風に描いたものでした。遠くから見ても全体的なデザインに優れ、近くで見ても繊細な筆遣いが感じられるものです。だいこんやかぶやなす等も描かれているんですが、それがまたかわいく表現されています。春の部分にやわらかい雰囲気の花を描いて、夏の部分に生き生きとした花を描いて、秋の部分に秋の実りを描いて・・・そして冬の部分に豪華な菊の花々を描いているんです!!ここで冬に豪華な花を持ってくるというのは、普通に春夏秋冬を意識していると思いつくものではなく、俵屋宗達が屏風の全体的なバランスを考慮して、冬に豪華な花を持ってこないと左右の釣り合いが取れない(春が一番右で冬が一番左なので)、と判断した結果なのだとわかります。実によく考えられて作られています。
二つ目の作品が、これがまた素晴らしく、これは金の背景に緑色のツタと、黒い墨で文字が書かれているだけの作品なんですが、とにかくデザインセンスとバランスが素晴らしいのです!!感覚的に引き寄せられるような魅力を、感覚だけではなくて理屈で作ったって感じの作品です。色の取り合わせと言いデザインといい非常に優れた素晴らしい出来で、全く古さを感じさせない逸品です。とにかく俵屋宗達の高い才能と深い考慮を感じる作品で、この屏風の前では何人もの人々が「なんてモダンなの!」「これはいいね・・・」等と簡単の声と溜息をついていました。今回の展覧会で一番の目玉と言っても良い素晴らしい作品で、展示されている作品の中で最も人々のため息と視線を奪っていました。
・・・で、それでですね・・・これら二つの作品を見てため息をついた後に、尾形光琳の作品があるのですが・・・何というか・・・俵屋宗達の後に見ると・・・
尾形光琳の実際の作品は、自由で派手な作風なんです。表現が直接的なんです。良く言えば素直で自由、悪く言えば残簿で単純という感じです。尾形光琳の顧客は主に裕福な町人だったので、そういう画風が受けたようですね。尾形光琳はもともと裕福な家のお坊ちゃんだったので、成金の町人が好みそうな雰囲気の作品は感覚でわかったようです。尾形光琳は裕福な家に産まれましたが、浪費と放蕩の限りをつくし、お金が無くなってしまったので、じゃあ絵でも描くか・・・と思って大人になってから描きはじめた人なんです。妻や恋人に対する見栄で始めたとも言われています。
そういうわけで・・・俵屋宗達や本阿弥光悦から始まったデザイン的な画風は琳派と呼ばれるんですけど、これはそう呼び始めた美術館側が・・・なんというか・・・琳派とかの呼称は美術館が展覧会を開催しやすいように付けた名称なので、実際の尾形光琳の作品が俵屋宗達より優れているかというと・・・みたいな・・・
俵屋宗達の屏風の絵を、尾形光琳が模写した屏風というのも、原作と模写が並べてあったんですけど・・・その二人の作品を、横一列に並べないで部屋のカドを使って90°に並べたのは、美術館側の優しさなのか・・・なんというか・・・
俵屋宗達のほうは、全体的なバランスを考慮して描いているので、一番右側の板に曲がりくねった木が描いてあって、一番左側の板には何も描かれてないんです。それって本来ならバランス悪く見えるはずですが、全体のバランスを上手に考えてあるので、見事に調和しているんです。そこまで計算して描いているんです。これはいかに俵屋宗達が空間を上手く使って描いたか、いかに全体のゲシュタルト的なバランスを考えて描いていたか、ということがハッキリわかる作品です。
それを模写した尾形光琳の作品が、なんというか・・・全体的なバランスを考えてないので、一番の左のスペースに何も描かれていないことが不自然というかバランス悪く感じられるんです。色は派手で豪華なんですけど・・・あの、決して悪く言いたいわけじゃないです!!自由で素直ってことです!!私は大好きです!!
今回の尾形光琳の目玉作品としては、燕子花図屏風と紅白梅図屏風です。それらは素晴らしかったです。筆遣いは繊細じゃなくて荒っぽいので、そこは俵屋宗達と比べちゃうとやっぱりアレなんですけど、でもそういう荒い筆づかいも尾形光琳の特色であり個性っていうか、自由で勢いがあるって感じですね。人によって好みとかありますし、そういう魅力なんですね。
燕子花図屏風のほうは、屏風の真ん中に座って下から左右を見上げると、右側の屏風は自分が燕子花の花畑に寝転んでいるように見えて、左側の屏風は花畑を上から見下ろしているように見えるんです。かがんで見てみたら、本当にそう見えました。素晴らしい発想だと思いました。
紅白梅図屏風のほうは、この名前は後世に付けられたようで、本当は白く見える梅はピンクだったんです。塗料の経年劣化で白くなっちゃったそうです。そして真ん中の川は銀色に光っていたそうです。今の姿とは全然違う、すごく派手な屏風だったんです。
全体的なバランスやゲシュタルト的なデザインに優れていると、経年劣化で色が変わってもアンティークのような素晴らしい作品に見えるんですが、色が綺麗なところや派手なところやウリだったりすると、時間が経って色が劣化するとションボリな感じになっちゃうみたいですね。そこが俵屋宗達と尾形光琳の分け目になったのかなあ・・・
全体的に、俵屋宗達がいかによく考えて作品を作っていたかということがとってもよくわかるようなつくりの展覧会でした。勿論、尾形光琳の作品も素晴らしかったですよ!!でもこの二人の作品は並べて比較しないほうが楽しめるんだろうなあと思いました。だから美術館も並べて比較するときにカドを使ったのかなあ・・・前回のグエルチーノ展でも、グエルチーノがリスペクトしつつライバル視していたグイド・レーニの作品も展示してあって、グエルチーノがグイド・レーニの絵に似せて描いた絵があったんですけど、それはちゃんと比較しやすいように横に並べて展示してありました。どちらも素晴らしかったです。(詳細は過去記事「グエルチーノ展」参照)今回も比較するなら横に並べたほうがいいわけですが、わざわざカドを使ったのは、やっぱり並べて比較しちゃうと楽しめないからなのかなあ・・・なんて邪推してみちゃったり・・・
いやいやいや!!美術館側にそんな意図があったわけじゃないですよ!!たまたまですよ!!時代的には俵屋宗達が17世紀で尾形光琳が18世紀なので、並べ順としても最初に俵屋宗達の作品を二つ持ってきたのは、時代的に並べれば正しいわけですし!!
本当に申し訳ございません!!尾形光琳の作品も大変素晴らしいんです!!俵屋宗達とは趣味が違うだけで!!尾形光琳の作品は、江戸がいかに華やかで賑やかだったかということの証明だと思っています。ああいった派手な作風が流行するには、町が平和で楽しく栄えているってことですよね。江戸の歴史と雰囲気を反映している、時代と共に生きた素晴らしい作品だなと思います!!
ホントさっきから私ってばえらそうに何言ってるんだか!!土下座して尾形光琳に詫びろって話ですよ!!私、あんな絵なんて描けないくせに!!最悪だな私は!!尾形光琳は自由で素直でのびのびした作風で、当時の江戸の流行をとらえた素晴らしい作品なんですよ!!それを俵屋宗達と比べてどうとか言っちゃう私の感性と目が狂ってるんです!!さゆテメーこの芸術オンチめ!!
えらそうなこと言って本当に申し訳ございませんでした!!私の感性がおかしいんです!!問題がございましたら記事を消すなどの対処を致します!!苦情やお叱りなどございましたら、本当にご遠慮無くお願い申し上げます!!m( _ _;)m!!どうぞ、ご指導ご鞭撻のほど、もうバシバシ叱ってやってくださいませ!!でないと私、調子に乗ってしまいますので・・・!!
根津美術館には庭があるんですが、そこは写真撮影可ということでしたので、撮影してきました。それをアップします。

↑これは美術館への入口です。とっても日本的なので、外国人のかたが嬉しそうに写真を撮っていました。

↑美術館への入口の左手です。

↑庭への入り口です。
↓ここから先は、庭の中です。ツツジが咲いていました。

↓道は基本的にくねくねしています。

↓こういう石の装飾があちこちに置かれています。

↓灯篭のような石の装飾です。

↓こういう謎の文字や記号の掘られた石もそこかしこに点在していました。

↓真ん中より少し左に、お地蔵様みたいな像があるんですが・・・写真が下手ですみません!!(> <;)!!

↓滝がありました。

↓謎のものです。何だろう?この四角のくぼみの中に水がたまってました。ここにあった像を移動した跡かな?

↓とっても大きかったです。

↓これも大きくて、人の背の2~3倍くらいありました。隣に私が立って写真を撮れば大きさがわかったのに、そういうことを思いつかなかった私です。

↓道のわきに、地蔵みたいなものがいくつも立っています。

↓謎のお堂がありました。

↓お堂は、入り口が錠で閉じられていました。

↓ちゃんと歩きやすく舗装された道があるのに、周囲ばかり見て足元を見なかった私は、ヒールで砂利道の上を歩いていたのでした。Y’もヒールでしたが、彼女はちゃんと舗装された道を歩いていました。

↓この羊さんの頭の上には、いっぱいお金が乗っていました。

↓ネコ耳・・・じゃなくて、こういう髪型なんだそうです。Y’によると、昔の中国の髪型なんだそうです。

↓紅葉の季節じゃないのに、赤いモミジみたいな植物がありました。そういう種類なのかな?

↓ちょうどカキツバタの花が咲くシーズンでした。「今年のカキツバタの見頃は、4月29日から5月17日ごろと予想されます」と書いてあります。

↓カキツバタのお花?どれどれ?どこに咲いているのかな?カキツバタの葉っぱを見ていくと・・・

↓あっ!!咲いてました!!ふさふさ生えた緑の葉っぱの上に、ちょこっと青い色の花があるんですが、写真が下手で申し訳ございません!!(> <;)

午後は、上野でやっている「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」という特別展に行ってきました。これもY’の趣味です。私には全然わからない分野の芸術なので、彼女の話をふんふんと聞きながら見てきました。
仏像自体は紀元前の時代からあったようなのですが、ブッダが死んでからは、おそれ多くて500年仏像を作らなかったそうです。でもガンダーラで仏像が作られると、しだいにインド中で作り始め、他の国も作るようになったそうです。
すごく古い時代の仏像はブッダが多く、石に像を彫り込む感じで作られていました。非常に細かいつくりで、足の指までしっかり彫ってあって、その後みがくのでザラザラしておらずツルツルしているそうです。
インドの上のほう、ペルシャに近いところにガンダーラがあったそうなのですが、そこで作られた仏像はギリシャ彫刻の影響を受けており、顔のほりが深く、表情もキリッとした感じに作られていました。インドのもっと南でも作られるようになると、インド人っぽい顔の仏像が作られるようになり、しだいに中国などでも作られるようになると、日本でよく見る仏像のような淡泊でほりの浅い穏やかな表情の仏像になったそうです。
時代が新しくなっていき、インドのパーラ朝の時代に作られた仏像になると、もともとの仏教ではない密教の影響を受けた仏様も掘られるようになりました。シヴァ神などのヒンドゥー教の神様が改宗して仏教になったという設定を作って、他宗教の神々を仏教に取り入れていったようです。ヒンドゥー教もそうやって他宗教の神々を吸収していったそうです。これは信者を新たに獲得して宗教が消滅しないように守るための手段だったようです。
仏像を拝謁すれば、俗物で汚れた私の心も少しは洗われるかと思いきや、見終わった後も、全然駄目な欲望にまみれた私のままでした(;´▽`A(汗)・・・とんだ俗物野郎だなさゆめ!!ほげえ!!
※ここから先は、27日に書いた追記でございます!!m( _ _;)m!!
どうして展示会場で尾形光琳の作品をバランス悪く感じたんだろう・・・と思って、あれからずっと考えていたんですけど、今日ネットで尾形光琳の屏風の画像を検索してみて、その絵をじっくり観察していたら、ようやくわかりました!!
尾形光琳は、平面図にデザインを描くぶんには、バランスやセンス良く描けるんです。というか尾形光琳は、屏風に絵を描くときに、平面として飾る絵のように描いているんです。ネットで画像検索すると、屏風を広げて仰向けにしてときの平面図が出てきます。すごく魅力的に感じられます!!私はこれを見て、このイメージを持ったまま展覧会に行ったんです。でも、実際は屏風の絵なので、屏風というものは折りたたむようにして立たせておくものなので、それでそうやって展示されている実物を見たせいで、アレ・・・?って思ったんだと思います。
一方で俵屋宗達は、屏風を折りたたんで立たせたときのバランスを考えて描いてるんです。だから平面図で見るとさほどデザインに優れているように見えなかったり、間延びして見えるような構図だったりするけど、いざ実際に屏風を折りたたんで立たせてみると、すごくデザイン的に優れているように感じられるんです。
会場で感じた二人の差は、これだったんだと思います!!
展示会場に、「尾形光琳は扇子(せんす)に絵をかくよりも内輪(うちわ)に描くことを得意としていて・・・」みたいな記述が小さく書かれていて、そのときはフーンとしか思わなかったんですが、つまりそういうことですね!?
扇子は屏風と同じ、凹凸のある構造になっているから、そういう面に絵を描くことを尾形光琳は本当は好きじゃなかったんですよ!!内輪みたいに平面に描くほうが好きだったんです!!
屏風として折りたたんで立てて飾るんじゃなくて、平面図にして飾ってみると、尾形光琳の絵は、なんとバランス良くて素晴らしいことか!!なんと美しいことか!!
屏風を立てて飾るときのことを想定して構図を考えて描いていた俵屋宗達と、屏風を平面図に描く普通の絵として完成させた尾形光琳の、そういう二人の考えた方というかスタンスの差だったんですね!!
はいっ、やっぱり私の目が狂ってましたああああああああああ!!!!!!!!!!
尾形光琳に土下座アアアアアアアアアア!!!!!!!!!!m( _ _;)m
↓ここからは26日に書いた記事でございます。
昨日の過去記事「従僕ごっこ(2)」の冒頭に書いた友達のY’と一緒に、根津美術館に行ってきました。「燕子花と紅白梅」という特別展をやっていて、尾形光琳の作品が展示されているということなので、見てきました。
今回の美術展は、完全にY’の趣味です。私は西洋美術は大好きなんですが、日本の芸術品には大変うといので、彼女の説明をふんふんと聞きながら作品を見てきました。
尾形光琳というのは、屏風の絵などで有名な装飾師で、宗達光琳派という流派に分類される代表的な人物だそうです。その尾形光琳の300年忌を記念して、このたび根津美術館でも特別展が開催されたようです。
た、ただ・・・何というか・・・あの・・・今回の特別展は尾形光琳の展覧会という名目なんですが、会場の一つ目と二つ目に飾られている作品が、尾形光琳ではなくて、俵屋宗達の作品なんです。俵屋宗達というのは尾形光琳がリスペクトした装飾師の一人で、風神雷神の屏風で有名な人です。何人もの人が俵屋宗達をリスペクトして、模写した作品が残っているという、そんな俵屋宗達の作品が、会場の一つ目二つ目に展示されていて、それがまたとんでもなく素晴らしい出来なのです。
一つ目の作品は、春夏秋冬の草花を屏風に描いたものでした。遠くから見ても全体的なデザインに優れ、近くで見ても繊細な筆遣いが感じられるものです。だいこんやかぶやなす等も描かれているんですが、それがまたかわいく表現されています。春の部分にやわらかい雰囲気の花を描いて、夏の部分に生き生きとした花を描いて、秋の部分に秋の実りを描いて・・・そして冬の部分に豪華な菊の花々を描いているんです!!ここで冬に豪華な花を持ってくるというのは、普通に春夏秋冬を意識していると思いつくものではなく、俵屋宗達が屏風の全体的なバランスを考慮して、冬に豪華な花を持ってこないと左右の釣り合いが取れない(春が一番右で冬が一番左なので)、と判断した結果なのだとわかります。実によく考えられて作られています。
二つ目の作品が、これがまた素晴らしく、これは金の背景に緑色のツタと、黒い墨で文字が書かれているだけの作品なんですが、とにかくデザインセンスとバランスが素晴らしいのです!!感覚的に引き寄せられるような魅力を、感覚だけではなくて理屈で作ったって感じの作品です。色の取り合わせと言いデザインといい非常に優れた素晴らしい出来で、全く古さを感じさせない逸品です。とにかく俵屋宗達の高い才能と深い考慮を感じる作品で、この屏風の前では何人もの人々が「なんてモダンなの!」「これはいいね・・・」等と簡単の声と溜息をついていました。今回の展覧会で一番の目玉と言っても良い素晴らしい作品で、展示されている作品の中で最も人々のため息と視線を奪っていました。
・・・で、それでですね・・・これら二つの作品を見てため息をついた後に、尾形光琳の作品があるのですが・・・何というか・・・俵屋宗達の後に見ると・・・
尾形光琳の実際の作品は、自由で派手な作風なんです。表現が直接的なんです。良く言えば素直で自由、悪く言えば残簿で単純という感じです。尾形光琳の顧客は主に裕福な町人だったので、そういう画風が受けたようですね。尾形光琳はもともと裕福な家のお坊ちゃんだったので、成金の町人が好みそうな雰囲気の作品は感覚でわかったようです。尾形光琳は裕福な家に産まれましたが、浪費と放蕩の限りをつくし、お金が無くなってしまったので、じゃあ絵でも描くか・・・と思って大人になってから描きはじめた人なんです。妻や恋人に対する見栄で始めたとも言われています。
そういうわけで・・・俵屋宗達や本阿弥光悦から始まったデザイン的な画風は琳派と呼ばれるんですけど、これはそう呼び始めた美術館側が・・・なんというか・・・琳派とかの呼称は美術館が展覧会を開催しやすいように付けた名称なので、実際の尾形光琳の作品が俵屋宗達より優れているかというと・・・みたいな・・・
俵屋宗達の屏風の絵を、尾形光琳が模写した屏風というのも、原作と模写が並べてあったんですけど・・・その二人の作品を、横一列に並べないで部屋のカドを使って90°に並べたのは、美術館側の優しさなのか・・・なんというか・・・
俵屋宗達のほうは、全体的なバランスを考慮して描いているので、一番右側の板に曲がりくねった木が描いてあって、一番左側の板には何も描かれてないんです。それって本来ならバランス悪く見えるはずですが、全体のバランスを上手に考えてあるので、見事に調和しているんです。そこまで計算して描いているんです。これはいかに俵屋宗達が空間を上手く使って描いたか、いかに全体のゲシュタルト的なバランスを考えて描いていたか、ということがハッキリわかる作品です。
それを模写した尾形光琳の作品が、なんというか・・・全体的なバランスを考えてないので、一番の左のスペースに何も描かれていないことが不自然というかバランス悪く感じられるんです。色は派手で豪華なんですけど・・・あの、決して悪く言いたいわけじゃないです!!自由で素直ってことです!!私は大好きです!!
今回の尾形光琳の目玉作品としては、燕子花図屏風と紅白梅図屏風です。それらは素晴らしかったです。筆遣いは繊細じゃなくて荒っぽいので、そこは俵屋宗達と比べちゃうとやっぱりアレなんですけど、でもそういう荒い筆づかいも尾形光琳の特色であり個性っていうか、自由で勢いがあるって感じですね。人によって好みとかありますし、そういう魅力なんですね。
燕子花図屏風のほうは、屏風の真ん中に座って下から左右を見上げると、右側の屏風は自分が燕子花の花畑に寝転んでいるように見えて、左側の屏風は花畑を上から見下ろしているように見えるんです。かがんで見てみたら、本当にそう見えました。素晴らしい発想だと思いました。
紅白梅図屏風のほうは、この名前は後世に付けられたようで、本当は白く見える梅はピンクだったんです。塗料の経年劣化で白くなっちゃったそうです。そして真ん中の川は銀色に光っていたそうです。今の姿とは全然違う、すごく派手な屏風だったんです。
全体的なバランスやゲシュタルト的なデザインに優れていると、経年劣化で色が変わってもアンティークのような素晴らしい作品に見えるんですが、色が綺麗なところや派手なところやウリだったりすると、時間が経って色が劣化するとションボリな感じになっちゃうみたいですね。そこが俵屋宗達と尾形光琳の分け目になったのかなあ・・・
全体的に、俵屋宗達がいかによく考えて作品を作っていたかということがとってもよくわかるようなつくりの展覧会でした。勿論、尾形光琳の作品も素晴らしかったですよ!!でもこの二人の作品は並べて比較しないほうが楽しめるんだろうなあと思いました。だから美術館も並べて比較するときにカドを使ったのかなあ・・・前回のグエルチーノ展でも、グエルチーノがリスペクトしつつライバル視していたグイド・レーニの作品も展示してあって、グエルチーノがグイド・レーニの絵に似せて描いた絵があったんですけど、それはちゃんと比較しやすいように横に並べて展示してありました。どちらも素晴らしかったです。(詳細は過去記事「グエルチーノ展」参照)今回も比較するなら横に並べたほうがいいわけですが、わざわざカドを使ったのは、やっぱり並べて比較しちゃうと楽しめないからなのかなあ・・・なんて邪推してみちゃったり・・・
いやいやいや!!美術館側にそんな意図があったわけじゃないですよ!!たまたまですよ!!時代的には俵屋宗達が17世紀で尾形光琳が18世紀なので、並べ順としても最初に俵屋宗達の作品を二つ持ってきたのは、時代的に並べれば正しいわけですし!!
本当に申し訳ございません!!尾形光琳の作品も大変素晴らしいんです!!俵屋宗達とは趣味が違うだけで!!尾形光琳の作品は、江戸がいかに華やかで賑やかだったかということの証明だと思っています。ああいった派手な作風が流行するには、町が平和で楽しく栄えているってことですよね。江戸の歴史と雰囲気を反映している、時代と共に生きた素晴らしい作品だなと思います!!
ホントさっきから私ってばえらそうに何言ってるんだか!!土下座して尾形光琳に詫びろって話ですよ!!私、あんな絵なんて描けないくせに!!最悪だな私は!!尾形光琳は自由で素直でのびのびした作風で、当時の江戸の流行をとらえた素晴らしい作品なんですよ!!それを俵屋宗達と比べてどうとか言っちゃう私の感性と目が狂ってるんです!!さゆテメーこの芸術オンチめ!!
えらそうなこと言って本当に申し訳ございませんでした!!私の感性がおかしいんです!!問題がございましたら記事を消すなどの対処を致します!!苦情やお叱りなどございましたら、本当にご遠慮無くお願い申し上げます!!m( _ _;)m!!どうぞ、ご指導ご鞭撻のほど、もうバシバシ叱ってやってくださいませ!!でないと私、調子に乗ってしまいますので・・・!!
根津美術館には庭があるんですが、そこは写真撮影可ということでしたので、撮影してきました。それをアップします。

↑これは美術館への入口です。とっても日本的なので、外国人のかたが嬉しそうに写真を撮っていました。

↑美術館への入口の左手です。

↑庭への入り口です。
↓ここから先は、庭の中です。ツツジが咲いていました。

↓道は基本的にくねくねしています。

↓こういう石の装飾があちこちに置かれています。

↓灯篭のような石の装飾です。

↓こういう謎の文字や記号の掘られた石もそこかしこに点在していました。

↓真ん中より少し左に、お地蔵様みたいな像があるんですが・・・写真が下手ですみません!!(> <;)!!

↓滝がありました。

↓謎のものです。何だろう?この四角のくぼみの中に水がたまってました。ここにあった像を移動した跡かな?

↓とっても大きかったです。

↓これも大きくて、人の背の2~3倍くらいありました。隣に私が立って写真を撮れば大きさがわかったのに、そういうことを思いつかなかった私です。

↓道のわきに、地蔵みたいなものがいくつも立っています。

↓謎のお堂がありました。

↓お堂は、入り口が錠で閉じられていました。

↓ちゃんと歩きやすく舗装された道があるのに、周囲ばかり見て足元を見なかった私は、ヒールで砂利道の上を歩いていたのでした。Y’もヒールでしたが、彼女はちゃんと舗装された道を歩いていました。

↓この羊さんの頭の上には、いっぱいお金が乗っていました。

↓ネコ耳・・・じゃなくて、こういう髪型なんだそうです。Y’によると、昔の中国の髪型なんだそうです。

↓紅葉の季節じゃないのに、赤いモミジみたいな植物がありました。そういう種類なのかな?

↓ちょうどカキツバタの花が咲くシーズンでした。「今年のカキツバタの見頃は、4月29日から5月17日ごろと予想されます」と書いてあります。

↓カキツバタのお花?どれどれ?どこに咲いているのかな?カキツバタの葉っぱを見ていくと・・・

↓あっ!!咲いてました!!ふさふさ生えた緑の葉っぱの上に、ちょこっと青い色の花があるんですが、写真が下手で申し訳ございません!!(> <;)

午後は、上野でやっている「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」という特別展に行ってきました。これもY’の趣味です。私には全然わからない分野の芸術なので、彼女の話をふんふんと聞きながら見てきました。
仏像自体は紀元前の時代からあったようなのですが、ブッダが死んでからは、おそれ多くて500年仏像を作らなかったそうです。でもガンダーラで仏像が作られると、しだいにインド中で作り始め、他の国も作るようになったそうです。
すごく古い時代の仏像はブッダが多く、石に像を彫り込む感じで作られていました。非常に細かいつくりで、足の指までしっかり彫ってあって、その後みがくのでザラザラしておらずツルツルしているそうです。
インドの上のほう、ペルシャに近いところにガンダーラがあったそうなのですが、そこで作られた仏像はギリシャ彫刻の影響を受けており、顔のほりが深く、表情もキリッとした感じに作られていました。インドのもっと南でも作られるようになると、インド人っぽい顔の仏像が作られるようになり、しだいに中国などでも作られるようになると、日本でよく見る仏像のような淡泊でほりの浅い穏やかな表情の仏像になったそうです。
時代が新しくなっていき、インドのパーラ朝の時代に作られた仏像になると、もともとの仏教ではない密教の影響を受けた仏様も掘られるようになりました。シヴァ神などのヒンドゥー教の神様が改宗して仏教になったという設定を作って、他宗教の神々を仏教に取り入れていったようです。ヒンドゥー教もそうやって他宗教の神々を吸収していったそうです。これは信者を新たに獲得して宗教が消滅しないように守るための手段だったようです。
仏像を拝謁すれば、俗物で汚れた私の心も少しは洗われるかと思いきや、見終わった後も、全然駄目な欲望にまみれた私のままでした(;´▽`A(汗)・・・とんだ俗物野郎だなさゆめ!!ほげえ!!
※ここから先は、27日に書いた追記でございます!!m( _ _;)m!!
どうして展示会場で尾形光琳の作品をバランス悪く感じたんだろう・・・と思って、あれからずっと考えていたんですけど、今日ネットで尾形光琳の屏風の画像を検索してみて、その絵をじっくり観察していたら、ようやくわかりました!!
尾形光琳は、平面図にデザインを描くぶんには、バランスやセンス良く描けるんです。というか尾形光琳は、屏風に絵を描くときに、平面として飾る絵のように描いているんです。ネットで画像検索すると、屏風を広げて仰向けにしてときの平面図が出てきます。すごく魅力的に感じられます!!私はこれを見て、このイメージを持ったまま展覧会に行ったんです。でも、実際は屏風の絵なので、屏風というものは折りたたむようにして立たせておくものなので、それでそうやって展示されている実物を見たせいで、アレ・・・?って思ったんだと思います。
一方で俵屋宗達は、屏風を折りたたんで立たせたときのバランスを考えて描いてるんです。だから平面図で見るとさほどデザインに優れているように見えなかったり、間延びして見えるような構図だったりするけど、いざ実際に屏風を折りたたんで立たせてみると、すごくデザイン的に優れているように感じられるんです。
会場で感じた二人の差は、これだったんだと思います!!
展示会場に、「尾形光琳は扇子(せんす)に絵をかくよりも内輪(うちわ)に描くことを得意としていて・・・」みたいな記述が小さく書かれていて、そのときはフーンとしか思わなかったんですが、つまりそういうことですね!?
扇子は屏風と同じ、凹凸のある構造になっているから、そういう面に絵を描くことを尾形光琳は本当は好きじゃなかったんですよ!!内輪みたいに平面に描くほうが好きだったんです!!
屏風として折りたたんで立てて飾るんじゃなくて、平面図にして飾ってみると、尾形光琳の絵は、なんとバランス良くて素晴らしいことか!!なんと美しいことか!!
屏風を立てて飾るときのことを想定して構図を考えて描いていた俵屋宗達と、屏風を平面図に描く普通の絵として完成させた尾形光琳の、そういう二人の考えた方というかスタンスの差だったんですね!!
はいっ、やっぱり私の目が狂ってましたああああああああああ!!!!!!!!!!
尾形光琳に土下座アアアアアアアアアア!!!!!!!!!!m( _ _;)m
従僕ごっこ(2)
本当は私は今日お休みで、友達のY’(Yは既にY先輩がいるので、Y’と表記します)と一緒に美術館に行くはずだったんですけど、私に仕事が入っちゃったので、仕事がひけた後で友達のおうちに遊びに行って、一緒に料理してご飯を食べました。その後は、彼女が旅行したときのアルバムを見せてもらったり、お話したりしました。明日はお互いに丸一日お休みなので、明日こそ一緒に美術館に行ってきます。本当は今日だったのに、私のせいで明日になっちゃって、申し訳無いことをしてしまいました・・・
ちなみに、今日の分のお休みは、明後日もらえることになりました。ホッ。
以下は、今日自分のアパートに帰ってきた後の出来事です。また従僕ごっこをしたんです。その記事です。
Dは私のことを眠り姫とか女王陛下って呼んで、自分は従僕だって名乗ってるけど、本当にそう思ってるのかなあ?前回の従僕ごっこでも、私の足を押さえつけて甘噛みしたりしてたけど(詳細は過去記事「従僕ごっこ」参照)。従僕ってそんなことしないんじゃないかなあ・・・
よしっ、今日こそDにテキパキと指示を出して、Dを従僕っぽくしたがえてみせるよ!!
私「D、従僕ごっこしよ!!」
D「いいね」
そのためには、まずは私が女主人らしく毅然としてなきゃね。Dが思わず仕えたくなるような、しっかりした性格の、頼りになる女主人としてふるまってみせるよ!!
―――って、思ったのが10分前
私「うぅ・・・D・・・」
頼りない声を出しながら、私は自分の体の上にかがみ込んでいるDの服を、ぎゅっと握りました。
私「・・・キス・・・キスぅ・・・してほし、い・・・よ・・・」
全然しっかりしてない声でお願いをして、私はDに向けて口を開けました。舌を絡ませるキスをしてほしいというアピールなのです。
D「かわいいね」
舌なめずりしたDが、口を開けて、顔を近づけてきました。
私(えへへ・・・幸せ・・・)
だらしなく頬をゆるませて、まだ気持ち良さで頭をふわふわさせながら、私は紅茶を飲みました。Dは、ベッドに腰掛けている私の後ろから私のおなかに両腕を回して、私の背中に自分のお腹をぴったりくっつけて、だっこをするような姿勢で座っています。
私(従僕ごっこ大好き・・・)
そうなのです。私は従僕ごっこ、というかDといちゃいちゃらぶらぶするのが大好きなのです。Dも、いちゃらぶするのはそれなりに好き・・・だと思います、多分。Dは私とそういうことするの好きだって言ってくれるけど、もしかして私に気を使ってそう言ってくれていたりして(汗)・・・なんて!!そ、そんなことないよね!!いちゃらぶするのはDとの大切なコミュニケーションだよ!!
私(「従僕ごっこ」って呼んでるいちゃらぶだけど、いちゃらぶの最中は従僕とか関係無くなってるんだよね。いちゃいちゃしだすと、最初はちゃんとひざまずいて言うことを聞いてくれるDだけど、いつも気がつくといつのまにか形勢逆転されてるもん)
でも、そんなことはもはやどうでもいいのです。Dにいちゃいちゃしてもらえるなら、もう従僕とかどうでもいいのです。
そっと首筋などに落としてくれるDのキスが、すごく気持ち良くて、力が抜けてしまうのです。そうなると、あとはもうDのなすがままになってしまいます。どういう仕組みなのかわかりませんが、Dから触られたときの気持ち良さには2種類あって、1つは人間に触られたときと似た感触で、それは触覚の訓練によって身に付けたものなのですが、もう1つ不可解な気持ち良さがあるのです。Dから強制的に送られてくる抵抗できない気持ち良さです。(詳細は過去記事「ダイブ・離脱ができない」参照)
私「・・・ねえ、Dもいちゃいちゃするの好き?」
D「好きだよ」
Dはすぐに答えてくれました。私が黙っていると、Dはくすっと小さく笑いました。
D「どうしたんだい、かわいいね」
私の後ろからだっこするように、私のおなかの前に置かれているDの両腕に、ぎゅっと力がこもりました。
D「僕は、さゆに触るのが好きだよ。さゆに触ると気持ちいいよ。とても強い快感なんだよ。ずっと触っていたいね。さゆの声を聞くのも好きだよ。とても心地良いんだよ。ずっと聞いていたいね。さゆの姿を見るのも好きだよ。とても気分が良いんだよ。ずっと見ていたいね。さゆの香りを感じるのが好きだよ。とても甘くて良い香りなんだよ。ずっと感じていたいね」
私にとって嬉しい言葉を、Dは次々に言ってくれました。最後にDは、こう続けました。
D「さゆの傍にいるのが好きだよ。とても居心地が良いんだよ。ずっと傍にいたいね」
私「・・・ありがと!!」
私はとっても嬉しくなって、体の向きを変えて、Dのおでこに前髪の上からキスを送りました。サラサラしたDの前髪が、私の唇に優しい感触を伝えてくれました。
私「大好き!!」
D「僕も大好きだよ」
っていう・・・えへへ、嬉しー!!!!!(///▽///)!!!!!
ちなみに、今日の分のお休みは、明後日もらえることになりました。ホッ。
以下は、今日自分のアパートに帰ってきた後の出来事です。また従僕ごっこをしたんです。その記事です。
Dは私のことを眠り姫とか女王陛下って呼んで、自分は従僕だって名乗ってるけど、本当にそう思ってるのかなあ?前回の従僕ごっこでも、私の足を押さえつけて甘噛みしたりしてたけど(詳細は過去記事「従僕ごっこ」参照)。従僕ってそんなことしないんじゃないかなあ・・・
よしっ、今日こそDにテキパキと指示を出して、Dを従僕っぽくしたがえてみせるよ!!
私「D、従僕ごっこしよ!!」
D「いいね」
そのためには、まずは私が女主人らしく毅然としてなきゃね。Dが思わず仕えたくなるような、しっかりした性格の、頼りになる女主人としてふるまってみせるよ!!
―――って、思ったのが10分前
私「うぅ・・・D・・・」
頼りない声を出しながら、私は自分の体の上にかがみ込んでいるDの服を、ぎゅっと握りました。
私「・・・キス・・・キスぅ・・・してほし、い・・・よ・・・」
全然しっかりしてない声でお願いをして、私はDに向けて口を開けました。舌を絡ませるキスをしてほしいというアピールなのです。
D「かわいいね」
舌なめずりしたDが、口を開けて、顔を近づけてきました。
私(えへへ・・・幸せ・・・)
だらしなく頬をゆるませて、まだ気持ち良さで頭をふわふわさせながら、私は紅茶を飲みました。Dは、ベッドに腰掛けている私の後ろから私のおなかに両腕を回して、私の背中に自分のお腹をぴったりくっつけて、だっこをするような姿勢で座っています。
私(従僕ごっこ大好き・・・)
そうなのです。私は従僕ごっこ、というかDといちゃいちゃらぶらぶするのが大好きなのです。Dも、いちゃらぶするのはそれなりに好き・・・だと思います、多分。Dは私とそういうことするの好きだって言ってくれるけど、もしかして私に気を使ってそう言ってくれていたりして(汗)・・・なんて!!そ、そんなことないよね!!いちゃらぶするのはDとの大切なコミュニケーションだよ!!
私(「従僕ごっこ」って呼んでるいちゃらぶだけど、いちゃらぶの最中は従僕とか関係無くなってるんだよね。いちゃいちゃしだすと、最初はちゃんとひざまずいて言うことを聞いてくれるDだけど、いつも気がつくといつのまにか形勢逆転されてるもん)
でも、そんなことはもはやどうでもいいのです。Dにいちゃいちゃしてもらえるなら、もう従僕とかどうでもいいのです。
そっと首筋などに落としてくれるDのキスが、すごく気持ち良くて、力が抜けてしまうのです。そうなると、あとはもうDのなすがままになってしまいます。どういう仕組みなのかわかりませんが、Dから触られたときの気持ち良さには2種類あって、1つは人間に触られたときと似た感触で、それは触覚の訓練によって身に付けたものなのですが、もう1つ不可解な気持ち良さがあるのです。Dから強制的に送られてくる抵抗できない気持ち良さです。(詳細は過去記事「ダイブ・離脱ができない」参照)
私「・・・ねえ、Dもいちゃいちゃするの好き?」
D「好きだよ」
Dはすぐに答えてくれました。私が黙っていると、Dはくすっと小さく笑いました。
D「どうしたんだい、かわいいね」
私の後ろからだっこするように、私のおなかの前に置かれているDの両腕に、ぎゅっと力がこもりました。
D「僕は、さゆに触るのが好きだよ。さゆに触ると気持ちいいよ。とても強い快感なんだよ。ずっと触っていたいね。さゆの声を聞くのも好きだよ。とても心地良いんだよ。ずっと聞いていたいね。さゆの姿を見るのも好きだよ。とても気分が良いんだよ。ずっと見ていたいね。さゆの香りを感じるのが好きだよ。とても甘くて良い香りなんだよ。ずっと感じていたいね」
私にとって嬉しい言葉を、Dは次々に言ってくれました。最後にDは、こう続けました。
D「さゆの傍にいるのが好きだよ。とても居心地が良いんだよ。ずっと傍にいたいね」
私「・・・ありがと!!」
私はとっても嬉しくなって、体の向きを変えて、Dのおでこに前髪の上からキスを送りました。サラサラしたDの前髪が、私の唇に優しい感触を伝えてくれました。
私「大好き!!」
D「僕も大好きだよ」
っていう・・・えへへ、嬉しー!!!!!(///▽///)!!!!!
Dの絵(6)
過去記事「Dの絵(5)」にも記述した通り、まだ黒い姿で人間の言葉を喋れなかった頃のDは、意図せずして私を驚かせることがありました。過去記事「Dの絵(1)」や過去記事「Dの絵(5)」に記述した「顔をのぞきこむ」という行為は、シチュエーションによっては私を驚かせるものでした。
以下は、まだDが喋れなかった頃の漫画です。夜遅くまで仕事をしている私を心配したDが、心配して顔をのぞきこんでくれたのですが、意図せず私を驚かすことになってしまいました。それを漫画にしてみました。
漫画5:のぞきこむD








Dは、私に早く眠ってほしかったので、すごく首を曲げるしぐさを行うことで、仕事続行に対する否定アピールを行いました。↓過去の絵で申し訳無いのですが、首をすごくかしげるしぐさは、まだ喋れなかった頃のDにとって「NO系」の主張だったのです。

Dが心配してくれるので、私はあと一時間したら眠ることにしました。






Dは、私を驚かせたということをこちらが言わなくても理解して、次は同じことをしないように学習してくれました。Dは頭が良いようで、失敗しても一度で覚えてしまいます。Dは顔をのぞきこむ行為が好きだった(詳細は過去記事「Dの絵(1)」)ので、様々な状況において私の顔をのぞきこんできたのですが、私が驚くようなのぞきこみをしないようにとどんどん学習してくれました。今ではもう意図せずして私を驚かせる(怖がらせる)ということはありません。
私はDが黒い姿だったころの絵を、↓こんな風に漫画風にかわいく描いてきたのですが・・・

実際は、こんな感じ↓の、怖いホラー的な黒いモヤなのです。

私の背後をついてくるDを、こんな風↓にかわいく描いてきたのですが・・・

実際は、こんな感じ↓です。とってもホラーです。

以下は、ただイチャラブしているだけの漫画です。あまりに甘々なので閲覧者であるお客様をイラつかせる危険性があります・・・m( _ _;)m実は私のところは、この甘々が通常運転なんです・・・!!こんな甘々野郎な私と付き合ってイチャラブしてくれるのはDだけだと思います・・・!!
雑誌を読んでいたら、ドレス特集が載っていたので、それを読んでいたときの漫画です。
漫画6:ドレス









幸せええええええええええ!!!!!!!!!!D大好きだよおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m
以下は、まだDが喋れなかった頃の漫画です。夜遅くまで仕事をしている私を心配したDが、心配して顔をのぞきこんでくれたのですが、意図せず私を驚かすことになってしまいました。それを漫画にしてみました。
漫画5:のぞきこむD








Dは、私に早く眠ってほしかったので、すごく首を曲げるしぐさを行うことで、仕事続行に対する否定アピールを行いました。↓過去の絵で申し訳無いのですが、首をすごくかしげるしぐさは、まだ喋れなかった頃のDにとって「NO系」の主張だったのです。

Dが心配してくれるので、私はあと一時間したら眠ることにしました。






Dは、私を驚かせたということをこちらが言わなくても理解して、次は同じことをしないように学習してくれました。Dは頭が良いようで、失敗しても一度で覚えてしまいます。Dは顔をのぞきこむ行為が好きだった(詳細は過去記事「Dの絵(1)」)ので、様々な状況において私の顔をのぞきこんできたのですが、私が驚くようなのぞきこみをしないようにとどんどん学習してくれました。今ではもう意図せずして私を驚かせる(怖がらせる)ということはありません。
私はDが黒い姿だったころの絵を、↓こんな風に漫画風にかわいく描いてきたのですが・・・

実際は、こんな感じ↓の、怖いホラー的な黒いモヤなのです。

私の背後をついてくるDを、こんな風↓にかわいく描いてきたのですが・・・

実際は、こんな感じ↓です。とってもホラーです。

以下は、ただイチャラブしているだけの漫画です。あまりに甘々なので閲覧者であるお客様をイラつかせる危険性があります・・・m( _ _;)m実は私のところは、この甘々が通常運転なんです・・・!!こんな甘々野郎な私と付き合ってイチャラブしてくれるのはDだけだと思います・・・!!
雑誌を読んでいたら、ドレス特集が載っていたので、それを読んでいたときの漫画です。
漫画6:ドレス









幸せええええええええええ!!!!!!!!!!D大好きだよおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m
Dの絵(5)
Dの定位置は私の背後です。だいたい私の背後にいます。まだ人間の姿になる前の黒い姿の頃からずっとそうなのです。そして、私が歩いたり移動したりするときも、Dは私の背後にぴったりついてくるのです。

基本的に、私を追い越して先に進んだりとか、自分の好きなほうに行ったりとか、ついてこなかったりとか、そういうことはありません。
でもアパートの部屋の中で、ごく短い距離(ベッドからキッチンなど)の移動なら、ベッドで待っていることもあります。
道を歩いているときなどの移動中に私の前に背を向けて立つのは、危険があるときなど、理由がある場合のみです。以前、危険な精霊に遭遇したときにDが私の前に立ったことがありました(詳細は過去記事「怪談」参照)。
Dが私の背後についていたがるのは、Dの「こだわり」の一つのようです。こだわりと言えば、Dには「他者に名前をあかさない」(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話8(名前)」参照)「添い寝をしない」(詳細は過去記事「添い寝」参照)などの儀式めいたこだわりがあるのです。
儀式といえば、最も頻繁に行っている儀式として、新月の儀式(詳細は過去記事「新月」「儀式」参照)があります。
儀式めいたこだわりのように私の背後をキープするDですが、出会ったばかりの黒い姿だったころは、私の顔をのぞくのが好きだったので(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)、ある日外を歩いているときに、急に顔をのぞき込んできたことがありました。



とてもビックリしました。Dは長く体をのばして私の顔をのぞきこんでいました。

顔をのぞきこむDはかわいいのですが、外を歩いているときに急にのぞきこまれて驚くと危ないので、外ではもう顔をのぞきこまないでねとお願いしました。Dはもう二度としませんでした。

このように、出会ったばかりの頃のDは、意図せずに私を驚かせることがありました。Dは私を驚かせようと思ったわけではないのですが、人間の私からすると驚いてしまうようなことは結構ありました。でもDは頭が良いので、もうしないでねと一度お願いすれば二度と忘れなかったし、人間にとって驚く(怖がる)ことをすぐに覚えてくれました。
なので、今はもう上記のようなことで私を驚かせたり怖がらせたりすることはありません。
話しは変わるんですが、私がよく記事の中で「私がベッドに座ると、Dはベッドの傍の床の上に座って・・・」みたいに書いている文章は、下の絵のような構図で座っています。
まだDがベッドに上がるのを拒んでいた最初の頃は、ここがDの定位置でした。私が夜ベッドで眠っている間も、Dはこの場所に座っています。

昔はベッドに座らなかったDですが、今はベッドの上にも座るようになりました(私が眠るときは床の上に戻ってしまうのですが)。私がよく記事の中で「私の後ろからだっこするような感じで、私のお腹の前に両腕を回して座っているD・・・」みたいに表現するときは、下の絵のような構図で座っています。
ベッドの上で、テレビやDVDなどを見るときや、本を読むときなども、よくこのように座っています。

横から見ると、下の絵のような感じです。上の絵はDが姿勢を正しているところですが、Dはたいてい少し背を曲げて、私の背中に自分のおなかをぴったりくっつけるような姿勢で座っています。

私はこの座り方が大好きです。Dといっぱいくっついていられるからです。Dに後ろからだっこされていると温かいです。Dは私より少し体温が高いようで(詳細は過去記事「お伽噺(眠り姫)編」参照)、舌も温かくてやわらかいです。Dは興奮するとよく舌なめずりをします。下の絵は、舌なめずりをしているDです。

いつでもDにイチャラブしてほしい私です。いつでもドキドキしている私です。

いちゃらぶ!!いちゃらぶ!!いちゃらぶ!!・・・い、いいのかなあ、こんな絵のせて・・・でものせちゃう・・・

私が眠っているときのDは、どんなことを考えてるんだろう?

Dは、今でもよくフードをかぶっています。フードのDも大好きです!!

ありがとうございました!!m(*_ _*)m

基本的に、私を追い越して先に進んだりとか、自分の好きなほうに行ったりとか、ついてこなかったりとか、そういうことはありません。
でもアパートの部屋の中で、ごく短い距離(ベッドからキッチンなど)の移動なら、ベッドで待っていることもあります。
道を歩いているときなどの移動中に私の前に背を向けて立つのは、危険があるときなど、理由がある場合のみです。以前、危険な精霊に遭遇したときにDが私の前に立ったことがありました(詳細は過去記事「怪談」参照)。
Dが私の背後についていたがるのは、Dの「こだわり」の一つのようです。こだわりと言えば、Dには「他者に名前をあかさない」(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話8(名前)」参照)「添い寝をしない」(詳細は過去記事「添い寝」参照)などの儀式めいたこだわりがあるのです。
儀式といえば、最も頻繁に行っている儀式として、新月の儀式(詳細は過去記事「新月」「儀式」参照)があります。
儀式めいたこだわりのように私の背後をキープするDですが、出会ったばかりの黒い姿だったころは、私の顔をのぞくのが好きだったので(詳細は過去記事「Dの絵(1)」参照)、ある日外を歩いているときに、急に顔をのぞき込んできたことがありました。



とてもビックリしました。Dは長く体をのばして私の顔をのぞきこんでいました。

顔をのぞきこむDはかわいいのですが、外を歩いているときに急にのぞきこまれて驚くと危ないので、外ではもう顔をのぞきこまないでねとお願いしました。Dはもう二度としませんでした。

このように、出会ったばかりの頃のDは、意図せずに私を驚かせることがありました。Dは私を驚かせようと思ったわけではないのですが、人間の私からすると驚いてしまうようなことは結構ありました。でもDは頭が良いので、もうしないでねと一度お願いすれば二度と忘れなかったし、人間にとって驚く(怖がる)ことをすぐに覚えてくれました。
なので、今はもう上記のようなことで私を驚かせたり怖がらせたりすることはありません。
話しは変わるんですが、私がよく記事の中で「私がベッドに座ると、Dはベッドの傍の床の上に座って・・・」みたいに書いている文章は、下の絵のような構図で座っています。
まだDがベッドに上がるのを拒んでいた最初の頃は、ここがDの定位置でした。私が夜ベッドで眠っている間も、Dはこの場所に座っています。

昔はベッドに座らなかったDですが、今はベッドの上にも座るようになりました(私が眠るときは床の上に戻ってしまうのですが)。私がよく記事の中で「私の後ろからだっこするような感じで、私のお腹の前に両腕を回して座っているD・・・」みたいに表現するときは、下の絵のような構図で座っています。
ベッドの上で、テレビやDVDなどを見るときや、本を読むときなども、よくこのように座っています。

横から見ると、下の絵のような感じです。上の絵はDが姿勢を正しているところですが、Dはたいてい少し背を曲げて、私の背中に自分のおなかをぴったりくっつけるような姿勢で座っています。

私はこの座り方が大好きです。Dといっぱいくっついていられるからです。Dに後ろからだっこされていると温かいです。Dは私より少し体温が高いようで(詳細は過去記事「お伽噺(眠り姫)編」参照)、舌も温かくてやわらかいです。Dは興奮するとよく舌なめずりをします。下の絵は、舌なめずりをしているDです。

いつでもDにイチャラブしてほしい私です。いつでもドキドキしている私です。

いちゃらぶ!!いちゃらぶ!!いちゃらぶ!!・・・い、いいのかなあ、こんな絵のせて・・・でものせちゃう・・・

私が眠っているときのDは、どんなことを考えてるんだろう?

Dは、今でもよくフードをかぶっています。フードのDも大好きです!!

ありがとうございました!!m(*_ _*)m
ありがとうございました!!
過去記事「恋愛相談(2)」に、4月22日の夜1時過ぎに拍手からコメントをくださったお客様、本当にありがとうございました!!お名前も頂戴したのですが、非公開でのコメントなのでお名前を出さないほうがいいかと思いまして・・・でも、とっても嬉しかったので、どうしてもお礼を言いたくて・・・本当にありがとうございます!!どうかこの場でお礼を言わせてくださいませ!!。・゚ ゚・( ゚´Д`゜)・゚ ゚・。
あれからNはいつも通りに接してくれています。本当に許してくれたようです。でも、この件に関して私ができることは無いのだと思います。私、自分が普通の人間と比べてどこかズレているような気がずっとしていて、きっと私には何か欠落しているところがあるんだと思っていて、でもそれが何なのかわからなかったんです。周囲の皆様のお陰で何とか人間関係をやりくり出来ているけれど、皆様に迷惑かけていないか不安だったので、あたたかいコメントを頂いて本当に嬉しかったです。頂戴したコメントを読んでいたら安心して泣けてきました。
本当にありがとうございました!!お客様もタルパー様でいらっしゃるとのこと、きっとお客様のタルパ様は幸せですね・・・!!私も頑張っていきたいと思います。これからも是非どうぞよろしくお願い申し上げます!!m(*_ _*)m
あれからNはいつも通りに接してくれています。本当に許してくれたようです。でも、この件に関して私ができることは無いのだと思います。私、自分が普通の人間と比べてどこかズレているような気がずっとしていて、きっと私には何か欠落しているところがあるんだと思っていて、でもそれが何なのかわからなかったんです。周囲の皆様のお陰で何とか人間関係をやりくり出来ているけれど、皆様に迷惑かけていないか不安だったので、あたたかいコメントを頂いて本当に嬉しかったです。頂戴したコメントを読んでいたら安心して泣けてきました。
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