Dの絵(27)
Dはよく私の手足にキスをしてくれます(詳細は過去記事「復活」参照)。
前回の漫画では、手にキスをしてくれる様子を描いたので(詳細は過去記事「Dの絵(26)」参照)、今回は足にキスをしてくれる様子を描きます。
この漫画では、私はベッドに腰掛けていて、Dは床の上に座っています。
漫画の中でDが言っている「従僕は、主人の手足に口付けすることを許されている」というのは、過去記事「こだわり」に出てくるDのこだわりのひとつです。
漫画35:足にキス











従者がお姫様に対してしてくれるように、うやうやしく口付けてくれることもありますし、ときには舐めたり甘噛みしたりしてくれることもあります。
足にキスしてもらうのは、とっても特別感があって、すっごく嬉しい私です・・・!!
私はくつろいだりしているとき、よくベッドに座ります。私がベッドに座っているとき、Dはよく私の足元の床の上に座ります。過去の絵ですが、この図のような配置です↓

このようにDが座っているときは、ときどき私の足にじゃれついてくれることがあります(詳細は過去記事「こだわり」参照)。今日もDがそうしてくれたので、それを漫画にしてみました。
ベッドに座っている私を、床の上に座っているDが見上げています。絵の左側に書いてある足(ひざ)が、私のひざです。
























にーっと笑うDは、多分普通の人から見たら不気味だと思うのですが、私にとってはすっごくかわいいのです・・・!!
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
前回の漫画では、手にキスをしてくれる様子を描いたので(詳細は過去記事「Dの絵(26)」参照)、今回は足にキスをしてくれる様子を描きます。
この漫画では、私はベッドに腰掛けていて、Dは床の上に座っています。
漫画の中でDが言っている「従僕は、主人の手足に口付けすることを許されている」というのは、過去記事「こだわり」に出てくるDのこだわりのひとつです。
漫画35:足にキス











従者がお姫様に対してしてくれるように、うやうやしく口付けてくれることもありますし、ときには舐めたり甘噛みしたりしてくれることもあります。
足にキスしてもらうのは、とっても特別感があって、すっごく嬉しい私です・・・!!
私はくつろいだりしているとき、よくベッドに座ります。私がベッドに座っているとき、Dはよく私の足元の床の上に座ります。過去の絵ですが、この図のような配置です↓

このようにDが座っているときは、ときどき私の足にじゃれついてくれることがあります(詳細は過去記事「こだわり」参照)。今日もDがそうしてくれたので、それを漫画にしてみました。
ベッドに座っている私を、床の上に座っているDが見上げています。絵の左側に書いてある足(ひざ)が、私のひざです。
























にーっと笑うDは、多分普通の人から見たら不気味だと思うのですが、私にとってはすっごくかわいいのです・・・!!
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美
渋谷のBunkamuraの中にある美術館に行ってきました。
Bunkamuraの正式名称って、文化村じゃなくてBunkamuraなんですね。中の美術館も、文化村美術館じゃなくてThe Museumなんだそうです。へぇ~。
その美術館で、今「ボッティチェリとルネサンス、フィレンツェの富と美」という展覧会をやっているのです。それを見てきました。私、ルネサンス美術やバロック美術が大好きなんです。(詳細は過去記事「写真立て(2)」参照)なので、その美術展について書かせてくださいましm(*_ _*)m
この展覧会は、15世紀のフィレンツェ共和国(現在イタリア北部の都市)において、いかにしてルネサンス美術が栄えたか、その要因から始まりやがて衰退に至るまでを、歴史的・芸術的・美術的観点を複雑に絡めて説明しているという、実に素晴らしい展覧会でした。
ルネサンス芸術の魅力は、歴史と美術の融合だと思います。ただ美しいだけではなく、ただ歴史があるだけでもなく、その二つが両立しているという点が奇跡だと思います。そしてそのような芸術が、まだ壊れずに残っているということがすごいことだと思います。絵画も、彫刻も、建築物も、音楽でも、それらは芸術品ですから、人の心をうたなかったらここまで生き残れなかった・・・ルネサンス芸術やバロック芸術で現存するものは、何百年もの間、ずっと人の心をとらえてきたもの達ということですね・・・
以下は、展覧会の概要です。歴史の流れにそって、展覧会の展示品を紹介していきます。
序章:富の源泉―――フィオリーノ金貨(←この見出しは、展覧会に書いてあった見出しそのままを使わせて頂きますm(*_ _*)m)
古代ローマ帝国の滅亡により、政治的混乱はもとより、蛮族の侵入、都市人口減少、商業活動停滞・・・それらによって、文化的な水準はガンガン下がっていました。当然貨幣(お金)の価値も下がり、やがて貨幣自体が使われなくなってしまいました。
中世後期になり、ジェノヴァ共和国やヴェネツィア共和国で金貨を作ろうとする動きが始まりました。イタリア南部では中世初期から金貨が一部流通していたようですが、後期になると中部や北部でも金貨を作る動きが広まりました。1252年にジェノヴァでジェノヴェーノ金貨が作られた数か月後、フィレンツェで超優秀な金貨、フィオリーノ金貨が作られます。この金貨の存在こそが、ルネサンス美術が栄える要因となり、その中心地がフィレンツェたる所以となったのです。
フィオリーノ金貨の優秀なところは、非常に厳密に作られているところです。24金の3.536gキッチリで作ることで、貨幣価値を安定させました。金貨の表はフィレンツェの紋章である百合、裏は守護聖人洗礼者ヨハネの姿が描かれています。
↓おみやげに買ったフィオリーノ金貨のチョコです。

↓左側のものが表で、これは百合です。右側のものが裏で、守護聖人洗礼者ヨハネです。

↓おみやげに買ったラッピングペーパーです。

↓金貨と同じ、フィレンツェのマークである百合の模様です。

貨幣が安定しているということは、金融業の安定に繋がります。安定した貨幣フィオリーノ金貨の存在によって、フィレンツェではたちまち金融業が成長し、瞬く間にヨーロッパ経済の最大中心地となりました。大繁盛する金融業と共に、フィレンツェの人々はどんどん富を手に入れることになりました。
展覧会では、本物のフィオリーノ金貨や、偽物の金貨などが展示されていました。フィオリーノ金貨は信用があり価値が高いので、ヨーロッパ中で偽金が作られました。当時まだ未開の地だったフランス(この時代、文化的にはイタリアとフランスは先進国と発展途上国以上の差がありました)のフランス司教すらもフィオリーノ金貨の偽金を作るように命じたという記録が残っています。
第1章:ボッティチェリの時代のフィレンツェ―――繁栄する金融業と商業
フィレンツェとは、ラテン語で「花ざかり」という意味のフロレンティアという言葉が語源になっています。その名の通り、フィレンツェは美しい芸術の都として花開き、長きに渡って栄えることになります。
フィオリーノ金貨によって、銀行業・商業・貸付業を行って富を得たフィレンツェの人々は、生活に困ることが無くなりました。そこで、そのお金を芸術活動に奉仕しました。メセナ活動と呼ばれる芸術庇護活動が始まりました。お金を持っている人が芸術家を保護して、お金を出して作品を作らせてあげるのです。パトロンです。この活動こそがルネサンス芸術(バロックも)にとって重要で、ボッティチェリもこの後、大銀行家であるメディチ家に庇護されるようになることで大きな活動ができるようになります。こうして優れた絵画や宗教画が産まれていきます。
しかし、キリスト教会はこれに良い顔をしませんでした。当時のカトリックは対抗するプロテスタントが大きくなっていないので、まだ芸術に対してそこまで力を入れてなかったのです。バロックの時代になると、カトリックは芸術を保護し、プロテスタントが清貧を提唱して、お互いに対立するのですが、この時代のカトリックはむしろ、美しい芸術作品や金への貪欲さは歓迎されることではなく、清貧こそが大切であると説き、利子を金銭で取ることに関して罰則を設けました。もしかして庶民が裕福になることで教会の権力(神への信仰)が落ちると危惧したのかもしれません。この時代のカトリック教会は、利子とは返済が遅くなる分の時間にかかるお金なので、利子のやりとりとは時間に値段を付けた時間の売り買いであるとして、時間の取引は神にしか許されないものであるとしました。そこで教会は貸付業に対抗して、金で利子を取らず担保を取ることで金を貸し、公益質屋を名乗りました。
1252年にフィオリーノ金貨が初めて作られてから約200年後、1445年にボッティチェリが皮なめし職人の家に産まれました。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピです。ボッティチェリとはイタリア語で、ボッティ=「樽(たる)」、チェリ=「小さい」という意味です。兄が太っていて大きい樽のようだったから、弟のボッティチェリは小さい樽ということで、そうあだ名が付けられたようです。
最初に展示されているボッティチェリの作品は「ケルビムと伴う聖母子」という絵で、マリアがキリストを抱いた絵です。1470年頃制作ということで、ボッティチェリが公的な仕事を始めたばかりの作品です。ケルビムとは智天使という役職の天使のことで、この絵ではマリアとキリストの周囲をぐるっと取り囲んでジーッと見つめています。無表情で。(*´ 艸`*)
↓


(゜◇゜) (゜◇゜) (゜◇゜) ジーッ・・・
ケルビムの周囲をさらにグルッと取り囲んでいるのは、赤地に沢山の金色の丸・・・これは、金貨の絵なのです!!しょっぱなから金貨に囲まれる聖母子!!金貨は絵をぐるっと取り囲んでいて、三重になっています。本物は三重にグルッと取り囲んでいるんですが、その金貨全部を描くと見た目が気持ち悪くなるかなあと思ったので、左上だけ三重にしてみました。実際には全部こういう感じに三重です。この赤地に金色の丸(金貨)というのは、商人達の活動を監督した両替商組合のマークです。なので恐らく、この聖母子画は両替商組合がボッティチェリに依頼して描いてもらった絵だと思われます。下にはAVE MARIA GRATIA PLENA(アウェー・マリーア・グラーティア・プレーナ)と全部大文字で書かれています。これはラテン語で「めでたし聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア」という意味です。キリスト賛美というより聖母マリア賛美が色濃い作品で、正にカトリックという感じです。良いね良いね・・・!!
ここのコーナーでは、当時使われていた為替手形や、貴重品入れや、公益質屋の金庫、鍵なども展示されていました。金融業が栄えていた当時の面影がありありと感じられます。装飾が施されたお洒落なデザインの鍵も置いてありました。Dもアンティークの鍵の束を持っているんですが(詳細は過去記事「ステンドグラス」参照)、Dの鍵よりもずっとゴツくて丈夫そうです。シンプルな南京錠もありましたが、南京錠は力任せで壊そうと思うと壊れたりするので、貴重品保管用の鍵ではなく日用品や食料などを入れる箱の鍵として使っていたようです。
このコーナーでの興味深い作品は「高利貸し」という絵です。金融関係者と思われる裕福な男が、醜悪な顔で金勘定めいたことをしている絵です。イタリア北部ではこのように金融業に携わる人間を醜悪に描く手法が流行しました。しかし、こういった絵を含めたルネサンス芸術は、フィレンツェの金融業の人間がいなくては育ちませんでした。皮肉な結果ですね。
第2章:旅と交易―――拡大する世界
やがてヨーロッパ各地にフィレンツェの銀行の支店が開設され、銀行家や商人は現金の代わりに信用状を持って長旅に出られるようになりました。それにより交易は活発化し、フィレンツェにはヨーロッパだけでなく中東(イスラム圏)からの商人や品物も行きかうようになりました。
ここのコーナーでの展示品は、航海図や、旅の道具や、旅の様子を描いた絵などが展示されていました。遠出の旅は、病気や事故や事件に巻き込まれて命を落とすことも多く、出発前には毎回遺言書を書き商品にも保険をかけるほど危険だったそうです。陸路はラバでの移動になりますが、14世紀にフランスとイギリスが百年戦争などを起こしていたのでその間の陸路は使えず、船もよく使いました。ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアに大きい港がありました。こういった船での交易が航海術を成長させ、やがて15~16世紀の大航海時代の始まりへの布石になりました。
ここのコーナーには、船が沈没しそうになったときに奇跡が起きて聖人に助けられたというテーマの絵もありました。ちなみに聖人は、あのニコラウスです。聖(セント)ニコラウス・・・ええ、サンタクロースの元ネタの人です。海に上にさっそうと出現して、船を助けているサンタクロースの絵でした。商人達は、こういう縁起の良い絵を画家に依頼して、旅の安全を祈願しました。
また「大天使ラファエルとトビアス」という題材が使われた絵が二つありました。一つ目はこちらです。これは旅に出る息子を案じた父を見た大天使ラファエルが、息子トビアスの旅に同行して守ってくれたという逸話です。展示会場には、自分の息子の旅での安全を祈る父親が依頼したという大きな絵がありました。これが以下です。
一番右がトビアス、真ん中でドヤ顔決めてるのがラファエル、一番左がこの絵の注文主の息子です。注文主は、この息子のために絵を依頼しました。
↓

ラファエルは超ドヤ顔を決めていました。トビアスがぶら下げて持っているのは魔除けの魚です。左下で祈っているのが依頼者の息子です。
しかし残念ながら、この依頼者の息子さんは10代でお亡くなりになってしまったそうです・・・この絵はとても保存状態が良くて綺麗でした。きっとお父さんが息子の死後も絵を大切にしていて、その後でこの絵を守ってきた人々も、皆大切にしてくれたんだね・・・
そして二つ目がこちらです。ただこの作品、題名は「ラファエルとトビアス」じゃなくて「受胎告知」なんです。
キリスト教の宗教画には、よく描かれるテーマというのがありまして、聖書の中にワンシーンだったり、伝説だったりするのですが、その中に「受胎告知」というテーマがあります。「受胎告知」とは、マリアが大天使ガブリエルからキリスト懐妊を告げられるシーンです。この「受胎告知」の絵の背後に、すごい小さくラファエルとトビアスがいるという絵が展示されていました。
「受胎告知」がメインで、ちょこっとおまけにラファエルとトビアスを付けとくか・・・という感じみたいですね。ちなみにこの絵、個人所有でした。こんな面白珍しい絵を持っていたら、そりゃ博物館が相手でも手放さないよね!!
その絵が以下です。
一番右がマリア、真ん中がガブリエル、そして左にすごく小さく見える二人組が・・・小さいほうの人間は魚を持っているし、大きいほうは羽が生えているみたい・・・こ、このコンビは!!ラファエルとトビアスなの!?という感じに見た人を驚かせる絵です。
↓

ラファエル、ガブリエル、ミカエルは芸術作品を取り扱う上で重要な大天使3人です。見分け方は簡単です。キリスト教美術にはアトリビュートというものがあって、これは絵に描かれている人物が誰なのか、その持ち物や服でわかるようにした、いわば人物特定のヒントです。
ラファエル=魚を持ったトビアスと一緒にいる、羽は生えているけど人間の旅人の服を着ている、手の上に薬が入った容器を持っている
ガブリエル=「受胎告知」のシーンにいる、聖母マリアのアトリビュートの一つであるユリを片手に持っている、女性的な外見で綺麗な服を着ている
ミカエル=ドラゴンを踏みつけていたり、悪魔を踏みつけていたり、剣を持っていたり、鎧を着ていたりする
キリスト教美術の天使はこの3人さえ覚えておけば、あとの天使は90%以上がにぎやかしのモブなので、他の天使達のことは覚えなくて大丈夫です。美術品の解釈上、他の天使は覚えなくても問題ありません。
他に興味深い作品としては、「サラディンとトレッロ・ディ・ストラの物語」をテーマに描いた絵がありました。これは、イスラム教徒にキリスト教徒が助けられる物語です。この時代は異教徒同士でも商業でお互い持ちつ持たれつ助け合っていて、お互いの国の珍しいものや便利なものをやり取りしようという方向性だったようです。割と平和で商売らしい取引をしていたということですね。海賊を使って国家ぐるみで外国の商船を襲って不法な強奪ばかりしていたイギリス以外は・・・(;´▽`A(汗)
第3章 富めるフィレンツェ
13世紀以降、ヨーロッパではたびたび贅沢禁止令が出ており、裕福になった都市フィレンツェも同様でした。規制は服装や装飾品だけでなく、婚礼・葬式・洗礼式にも及び、式で使うろうそくの数や大きさまで決められていたそうです。
しかし、お洒落好きなフィレンツェの人々はめげませんでした。豪華なボタンが禁止だと言われれば「これはボタン穴が開いてないからボタンじゃないですよ」と言い訳をするなどして、なんとか美しい服を着ようとしました。そのため「ボタン穴の無いボタンもボタンである」等と禁止品要綱に加えねばならないなど、禁止品要綱は毎日加筆や修正をしなくてはいけないほどでした。それでも追い付かないので、とうとう職業に応じては罰金を払えば華美な格好をしてもOKということにしました。冨と美を求めるフィレンツェの人々の前では贅沢禁止令すら屈服したのです。
このコーナーには「聖母マリアの婚礼」と「聖母マリアの葬儀」という2枚1対の絵がありました。「聖母マリアの婚礼」においては、花嫁姿のマリアが贅沢禁止令に従ったシンプルな格好であるのに対し、「聖母マリアの葬儀」においては、葬儀の様子がとても豪華です。この2枚は制作年代も同じなのですが、依頼主からそういう注文を受けて描いたのかな?
謎な作品は、「バーリの聖ニコラウス伝」で、尋ねてきた悪魔に親切心でパンをあげた子供が死んでしまったという絵だという説明がありました。・・・聖ニコラウスは何をしてたんだ?聖ニコラウスは子供を守る聖人でもあるはずなんだけどなあ。私は、悪魔にパンをあげた子供が死んでしまったというエピソードは聞いたこと無いので、この絵はちょっと詳細不明です・・・
第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
フィレンツェにおいて、結婚や出産は重要なものでした。結婚は家同士の繋がりにもなるので、家の財産を増やしたり減らしたりする大きなイベントでした。妊娠のほうは、新しい命や後継者が産まれるイベントであると共に、女性にとっては妊娠や出産による死の危険と常に隣り合わせの大きなイベントでした。当時は医学も発達していなかったので、女性は妊娠中に何度も遺言書を書かなくてはいけないほど、出産は危険なイベントでした。
このコーナーでは、綺麗に装飾された出産盆も展示されていました。出産盆とは、出産を終えた女性がベッドの上で食事を摂れるように作られたもので、表と裏に装飾が施された贅沢なものです。そのため、使われないときは装飾がより綺麗な面を表にして壁等に飾っていました。
結婚に伴う女性への贈り物は、実用品というよりは高価な装飾品であることも多く、一度も使われていないという細かい装飾の櫛も展示されていました。
衣服を入れる婚礼用長持(カッソーネ)も展示されていました。聖書の中の、スザンナの物語の絵が描かれていました。横長で、巻物みたいな感じに、右方向に3シーンを続けて描いているので、1シーンごとに登場するスザンナは、合計3人描かれています。スザンナは貞淑な女性の象徴なので、衣服を入れる長持の題材によく描かれたようです。展示品の長持の絵を描いたのはスケッジャという人ですが、この人はよく長持に絵を描きました。だから長持の題材によく使われたスザンナの絵は描き慣れていたと思います。
第5章 銀行家と芸術家
ルネサンス期のフィレンツェの名作は、メディチ家をはじめとする銀行家の注文によって制作されました。この5章のコーナーがボッティチェリの作品が一番多く、また最盛期の頃の作品です。
もう、美しいと感じる作品ばかりで、これは考えながら見るよりも、見て心を奪われるだけで良いコーナーだと思います。
マリアの座っている椅子に、7つの丸によって構成されたメディチ家の紋章が描かれている絵がありました。間違い無くメディチ家の注文によって描かれたものです。金を贅沢に使って、でも下品にならないように上品にあしらっていて、一目見て特別な絵だということがわかるつくりです。周囲に同じ大きさの絵が沢山ありますが、絵の雰囲気やオーラが全然違うので、皆が目を奪われてこの絵の前で足を止めていました。私も見入りました。
聖母マリアと一緒に百合と薔薇が描かれている絵もありました。百合と薔薇とは、聖母マリアの象徴です。この絵も素晴らしかったです。
ボッティチェリはヴェロッキオの工房に出入りしていましたが、その影響を受けた作品も展示されていました。「聖母子と二人の天使、洗礼者ヨハネ」という絵では、イエスのポーズがヴェロッキオからの影響を受けています。また「聖母子と二人の天使」という絵では、ずんぐりしたマリアの体型にヴェロッキオの彫刻からの影響が窺えます。
今回展示されている作品の中で一番大きい壁画もこのコーナーにあります。前述しました「受胎告知」のシーンで、ガブリエルがマリアに、マリアがキリストを妊娠したことを告げているシーンです。
でもこの絵は普通の「受胎告知」とは全然雰囲気が違うのです。遠目から見ても悲しい気持ちになって、そのことに驚いて(「受胎告知」の絵でこんなに悲しい気持ちがわいてくる作品は無いので驚くのです)、絵に近づいてガブリエルの表情を見ると、涙が出てきそうな悲しい気持ちになります。
「受胎告知」のシーンはイエス懐妊ということで、まあ一般的にはめでたいシーンなので、お祝いムードだったり明るく賑やかな雰囲気に描かれることが多いのですが、この絵はとても地味で静かです。マリアは目を伏せて悲しみに耐えているかのようで、ガブリエルはそんなマリアを憐れんでいるかのような悲しそうな表情で眉を寄せています。
でもこの壁画はこれで良いのです。これは当時流行した伝染病の隔離病棟に贈られた絵で、その壁を飾っていた絵なのです。こういう雰囲気だからこそ、きっと患者達はこの絵を見て、神から与えられた過酷な運命を受け入れながら精一杯生きようとするマリアに、自分を重ねることができたと思います。ガブリエルの表情は、当時の伝染病に苦しみ亡くなる運命の患者達に向けられたボッティチェリの思いが込められているかのようです。
このコーナーには、ロレンツォ・デ・メディチが自分の娘ルクレツィアに送った若い貴婦人の大理石浮彫もありました。これがまた素晴らしい出来で、浮彫なのに彫刻みたいで、すごく立体感があるのです。この貴婦人はルクレツィアをモデルにして作られたと言われています。
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
15世紀、ヴィーナス(アフロディーテ)等の、神話に関するモチーフも多く描かれました。その立役者がメディチ家とボッティチェリです。
ボッティチェリは、メディチ家当主であるロレンツォ・デ・メディチに庇護されて、沢山の素晴らしい作品を残しました。ロレンツォとボッティチェリはとても仲が良かったらしく、よく一緒にいたずらをしたり、ふざけたりしていたそうです。(このとき、二人はもういい大人のはずですが・・・)ロレンツォはボッティチェリについて「大食らいのボッティチェリ、ハエよりもあつかましく意地汚い」というふざけた冗談めいた詩を残しています。ボッティチェリも冗談が好きで、自分の弟子のヴァザーリが描いた売り物(注文品)の絵にいたずら書きをして(!!)注文主まで巻き込んだドッキリをかましたりしていたそうです。
メディチ家が最盛期だった時代、コジモ・デ・メディチの時代にはフィレンツェの税金の65%を収めて「国父」の称号を得たり、都市の重要な建築物を建てたりしたメディチ家でしたが、ロレンツォの時代には衰退してきました。もうフィレンツェ共和国のために大きな建築物をつくる余裕は無く、ロレンツォは絵画や工芸品や写本なんかを注文するので精一杯だったようです。そのようにメディチ家は衰退しましたが、フィレンツェはロレンツォの時代に最盛期を迎えます。フィレンツェが栄えたのは、外交などにおいてロレンツォの手腕が大きく影響た結果だと言われます。仲良く楽しくやってきたロレンツォとボッティチェリでしたが、ロレンツォはメディチ家持病の痛風に苦しみ、43歳の若さで亡くなってしまいます。
ロレンツォが亡くなったとき、イザークが曲を作り、ポリツィアーノが詩を書くことで、哀悼の歌を作りました。「誰がこの両目を涙の泉に」という歌です。歌詞は「誰がこの両目を涙の泉にしてしまったのでしょう。私は夜に泣き、昼のさなかにも泣いています」というものです。
ロレンツォが亡くなると、今までメディチ家が庇護していた者達は即座に手のひらを返し、フィレンツェに侵攻してきたフランス軍にうまく対処できなかったこともあって、ロレンツォの息子ピエロはフィレンツェを追放され、それと同時にボッティチェリもパトロンを失ってしまうのでした。
このとき侵攻してきたフランスはやがて勝ち、イタリアに入ってきたフランス国王フランソワ1世がイタリアの芸術に心を打たれ、フランス国内にイタリア人の芸術家を呼んで保護し、フォンテーヌブロー宮殿で芸術の研究を始めることになります。このときフランソワ1世に呼ばれてフランスで活躍した芸術家の一人がレオナルド・ダ・ヴィンチです。そして、このフランソワ1世の息子、アンリ2世のところに輿入れしたのが、カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(カトリーヌ・ド・メディシス)になります。
ロレンツォを失ったフィレンツェは混乱し、やがて修道士サヴォナローラが政治顧問に台頭すると、神権政治が始まりました。サヴォナローラはメディチ家ゆかりのサン・マルコ修道院の修道士で、ロレンツォが生きていた時代からメディチ家を非難していました。ルネサンス芸術は、サヴォナローラによって多大な被害を受けることになりました。サヴォナローラは清貧と質素を重んじるあまり、芸術品や贅沢品をただ禁じるだけではなくて、既存の贅沢品や芸術品までもを集めて燃やしてしまうという行動に出ました。この活動は「虚栄の焼却」と呼ばれました。
ボッティチェリもこの世相の流れに従わざるを得ず、作品の雰囲気をガラッと変えました。色は地味で素材もポーズも表情も単一化してきます。今回の展覧会では、その時期にボッティチェリが描いた聖母子像をさんざんに酷評していました。イエスは頭と体のバランスが取れておらず、腰が歪んでおり、聖母の顔は死んだかのように表情が無い、という説明がありました。この説明を作ったのはイタリアのかたなのかな?もともとボッティチェリの絵はリアル描写からは遠く、イラストとか漫画みたいにデフォルメされて描かれるので、今更人物の体のデッサンの歪みがとか言われても、うーん?最初からそういう画風なんじゃ?って気がしますけど、たしかに絵のオーラとか圧倒感が全っ然無くなってしまっています。やはり、メディチ家に依頼されて描いていた頃の絵とは全然違います。
「虚栄の焼却」で芸術作品を何でもかんでもどんどん燃やして失わせたサヴォナローラは、その過激な性格や、強引なやり方が市民からの反感を買い、教皇とも対立し、拷問を受けて絞首刑にされた後に火刑にされました。奇しくも自分が「虚栄の焼却」で芸術品を集めて燃やしたシニョリーア広場にて、自分も燃やされてしまうことになったのです。
ここのコーナーでは、メディチ家とパッツィ家の家の紋章などが展示されています。
↓

上の三つがメディチ家のマークの中で、今回の展覧会の中に展示されているものです。一番左は7つの丸で、これは金貨とも丸薬とも言われています。真ん中はダイヤの指輪に羽二本、一番右がダイヤの指輪に羽三本です。下にあるマークはパッツィ家のマークです。
パッツィ家とはフィレンツェの古くからの名門貴族で、メディチ家の暗殺を企んだ一族です。(メディチ家は新しい成り上がり貴族でした)そのメディチ家襲撃計画とは、「パッツィ家の陰謀」と呼ばれる事件です。「パッツィ家の陰謀」とは、1478年4月26日に、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂でのミサ中に行われた襲撃事件で、ピサの大司教であるサルヴィアーティとフランチェスコ・デ・パッツィ達が、ロレンツォ・デ・メディチとその弟ジュリアーノ・デ・メディチを殺そうと襲いました。ロレンツォは怪我をしながらも、教会の備品が収納されている部屋に逃げ込んで助かりますが、弟のジュリアーノは殺されてしまいました。遺体には深い刺し傷が19か所もあったと言われます。ロレンツォ殺害を失敗したパッツィ家や事件に関わったと思われる者は、首謀者をはじめ記録に残っているだけで80名以上、記録されていない者も含めておよそ100人以上も処刑されたと思われます。主犯・フランチェスコ・デ・パッツィ、共謀者サルヴィアーティ大司教、パッツィ家当主ヤーコボ・デ・パッツィは当日のうちに絞首刑にされ、その遺体は数日間さらされたままでした。
パッツィ家に関しては私の大大大好きな映画、リドリー・スコット監督の「ハンニバル」にも少し出てきます!!
この事件に関しては「メディチ家の呪い」などの怖い話や、様々な伝説として、後世そして現代にも語り継がれています。ロマンがありますね~(*´ ▽`*) ほああ!!
展覧会の流れはこのような感じでした。第5章のコーナーのボッティチェリの作品は圧巻です。ボッティチェリの作品は、写真で見ると立体感が無く色もぼんやりとした感じに感じられますが、実物は実に迫力があってとっても良かったです!!
今回の美術展も、とても楽しめました。惜しむらくは会場が冷房効きすぎで寒すぎたことです。みんな寒い寒いと言いながら見ていて、私なんか途中からもうすっかり冷え切ってしまって、落ち着いて閲覧することが出来ませんでした。((( >ω<;)))ブルブル・・・ちょうど重要な5章辺りから既にゆっくり見てこれなかったので、もう一度見に行こうかなあとか思っています。
Bunkamuraの正式名称って、文化村じゃなくてBunkamuraなんですね。中の美術館も、文化村美術館じゃなくてThe Museumなんだそうです。へぇ~。
その美術館で、今「ボッティチェリとルネサンス、フィレンツェの富と美」という展覧会をやっているのです。それを見てきました。私、ルネサンス美術やバロック美術が大好きなんです。(詳細は過去記事「写真立て(2)」参照)なので、その美術展について書かせてくださいましm(*_ _*)m
この展覧会は、15世紀のフィレンツェ共和国(現在イタリア北部の都市)において、いかにしてルネサンス美術が栄えたか、その要因から始まりやがて衰退に至るまでを、歴史的・芸術的・美術的観点を複雑に絡めて説明しているという、実に素晴らしい展覧会でした。
ルネサンス芸術の魅力は、歴史と美術の融合だと思います。ただ美しいだけではなく、ただ歴史があるだけでもなく、その二つが両立しているという点が奇跡だと思います。そしてそのような芸術が、まだ壊れずに残っているということがすごいことだと思います。絵画も、彫刻も、建築物も、音楽でも、それらは芸術品ですから、人の心をうたなかったらここまで生き残れなかった・・・ルネサンス芸術やバロック芸術で現存するものは、何百年もの間、ずっと人の心をとらえてきたもの達ということですね・・・
以下は、展覧会の概要です。歴史の流れにそって、展覧会の展示品を紹介していきます。
序章:富の源泉―――フィオリーノ金貨(←この見出しは、展覧会に書いてあった見出しそのままを使わせて頂きますm(*_ _*)m)
古代ローマ帝国の滅亡により、政治的混乱はもとより、蛮族の侵入、都市人口減少、商業活動停滞・・・それらによって、文化的な水準はガンガン下がっていました。当然貨幣(お金)の価値も下がり、やがて貨幣自体が使われなくなってしまいました。
中世後期になり、ジェノヴァ共和国やヴェネツィア共和国で金貨を作ろうとする動きが始まりました。イタリア南部では中世初期から金貨が一部流通していたようですが、後期になると中部や北部でも金貨を作る動きが広まりました。1252年にジェノヴァでジェノヴェーノ金貨が作られた数か月後、フィレンツェで超優秀な金貨、フィオリーノ金貨が作られます。この金貨の存在こそが、ルネサンス美術が栄える要因となり、その中心地がフィレンツェたる所以となったのです。
フィオリーノ金貨の優秀なところは、非常に厳密に作られているところです。24金の3.536gキッチリで作ることで、貨幣価値を安定させました。金貨の表はフィレンツェの紋章である百合、裏は守護聖人洗礼者ヨハネの姿が描かれています。
↓おみやげに買ったフィオリーノ金貨のチョコです。

↓左側のものが表で、これは百合です。右側のものが裏で、守護聖人洗礼者ヨハネです。

↓おみやげに買ったラッピングペーパーです。

↓金貨と同じ、フィレンツェのマークである百合の模様です。

貨幣が安定しているということは、金融業の安定に繋がります。安定した貨幣フィオリーノ金貨の存在によって、フィレンツェではたちまち金融業が成長し、瞬く間にヨーロッパ経済の最大中心地となりました。大繁盛する金融業と共に、フィレンツェの人々はどんどん富を手に入れることになりました。
展覧会では、本物のフィオリーノ金貨や、偽物の金貨などが展示されていました。フィオリーノ金貨は信用があり価値が高いので、ヨーロッパ中で偽金が作られました。当時まだ未開の地だったフランス(この時代、文化的にはイタリアとフランスは先進国と発展途上国以上の差がありました)のフランス司教すらもフィオリーノ金貨の偽金を作るように命じたという記録が残っています。
第1章:ボッティチェリの時代のフィレンツェ―――繁栄する金融業と商業
フィレンツェとは、ラテン語で「花ざかり」という意味のフロレンティアという言葉が語源になっています。その名の通り、フィレンツェは美しい芸術の都として花開き、長きに渡って栄えることになります。
フィオリーノ金貨によって、銀行業・商業・貸付業を行って富を得たフィレンツェの人々は、生活に困ることが無くなりました。そこで、そのお金を芸術活動に奉仕しました。メセナ活動と呼ばれる芸術庇護活動が始まりました。お金を持っている人が芸術家を保護して、お金を出して作品を作らせてあげるのです。パトロンです。この活動こそがルネサンス芸術(バロックも)にとって重要で、ボッティチェリもこの後、大銀行家であるメディチ家に庇護されるようになることで大きな活動ができるようになります。こうして優れた絵画や宗教画が産まれていきます。
しかし、キリスト教会はこれに良い顔をしませんでした。当時のカトリックは対抗するプロテスタントが大きくなっていないので、まだ芸術に対してそこまで力を入れてなかったのです。バロックの時代になると、カトリックは芸術を保護し、プロテスタントが清貧を提唱して、お互いに対立するのですが、この時代のカトリックはむしろ、美しい芸術作品や金への貪欲さは歓迎されることではなく、清貧こそが大切であると説き、利子を金銭で取ることに関して罰則を設けました。もしかして庶民が裕福になることで教会の権力(神への信仰)が落ちると危惧したのかもしれません。この時代のカトリック教会は、利子とは返済が遅くなる分の時間にかかるお金なので、利子のやりとりとは時間に値段を付けた時間の売り買いであるとして、時間の取引は神にしか許されないものであるとしました。そこで教会は貸付業に対抗して、金で利子を取らず担保を取ることで金を貸し、公益質屋を名乗りました。
1252年にフィオリーノ金貨が初めて作られてから約200年後、1445年にボッティチェリが皮なめし職人の家に産まれました。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピです。ボッティチェリとはイタリア語で、ボッティ=「樽(たる)」、チェリ=「小さい」という意味です。兄が太っていて大きい樽のようだったから、弟のボッティチェリは小さい樽ということで、そうあだ名が付けられたようです。
最初に展示されているボッティチェリの作品は「ケルビムと伴う聖母子」という絵で、マリアがキリストを抱いた絵です。1470年頃制作ということで、ボッティチェリが公的な仕事を始めたばかりの作品です。ケルビムとは智天使という役職の天使のことで、この絵ではマリアとキリストの周囲をぐるっと取り囲んでジーッと見つめています。無表情で。(*´ 艸`*)
↓


(゜◇゜) (゜◇゜) (゜◇゜) ジーッ・・・
ケルビムの周囲をさらにグルッと取り囲んでいるのは、赤地に沢山の金色の丸・・・これは、金貨の絵なのです!!しょっぱなから金貨に囲まれる聖母子!!金貨は絵をぐるっと取り囲んでいて、三重になっています。本物は三重にグルッと取り囲んでいるんですが、その金貨全部を描くと見た目が気持ち悪くなるかなあと思ったので、左上だけ三重にしてみました。実際には全部こういう感じに三重です。この赤地に金色の丸(金貨)というのは、商人達の活動を監督した両替商組合のマークです。なので恐らく、この聖母子画は両替商組合がボッティチェリに依頼して描いてもらった絵だと思われます。下にはAVE MARIA GRATIA PLENA(アウェー・マリーア・グラーティア・プレーナ)と全部大文字で書かれています。これはラテン語で「めでたし聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア」という意味です。キリスト賛美というより聖母マリア賛美が色濃い作品で、正にカトリックという感じです。良いね良いね・・・!!
ここのコーナーでは、当時使われていた為替手形や、貴重品入れや、公益質屋の金庫、鍵なども展示されていました。金融業が栄えていた当時の面影がありありと感じられます。装飾が施されたお洒落なデザインの鍵も置いてありました。Dもアンティークの鍵の束を持っているんですが(詳細は過去記事「ステンドグラス」参照)、Dの鍵よりもずっとゴツくて丈夫そうです。シンプルな南京錠もありましたが、南京錠は力任せで壊そうと思うと壊れたりするので、貴重品保管用の鍵ではなく日用品や食料などを入れる箱の鍵として使っていたようです。
このコーナーでの興味深い作品は「高利貸し」という絵です。金融関係者と思われる裕福な男が、醜悪な顔で金勘定めいたことをしている絵です。イタリア北部ではこのように金融業に携わる人間を醜悪に描く手法が流行しました。しかし、こういった絵を含めたルネサンス芸術は、フィレンツェの金融業の人間がいなくては育ちませんでした。皮肉な結果ですね。
第2章:旅と交易―――拡大する世界
やがてヨーロッパ各地にフィレンツェの銀行の支店が開設され、銀行家や商人は現金の代わりに信用状を持って長旅に出られるようになりました。それにより交易は活発化し、フィレンツェにはヨーロッパだけでなく中東(イスラム圏)からの商人や品物も行きかうようになりました。
ここのコーナーでの展示品は、航海図や、旅の道具や、旅の様子を描いた絵などが展示されていました。遠出の旅は、病気や事故や事件に巻き込まれて命を落とすことも多く、出発前には毎回遺言書を書き商品にも保険をかけるほど危険だったそうです。陸路はラバでの移動になりますが、14世紀にフランスとイギリスが百年戦争などを起こしていたのでその間の陸路は使えず、船もよく使いました。ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアに大きい港がありました。こういった船での交易が航海術を成長させ、やがて15~16世紀の大航海時代の始まりへの布石になりました。
ここのコーナーには、船が沈没しそうになったときに奇跡が起きて聖人に助けられたというテーマの絵もありました。ちなみに聖人は、あのニコラウスです。聖(セント)ニコラウス・・・ええ、サンタクロースの元ネタの人です。海に上にさっそうと出現して、船を助けているサンタクロースの絵でした。商人達は、こういう縁起の良い絵を画家に依頼して、旅の安全を祈願しました。
また「大天使ラファエルとトビアス」という題材が使われた絵が二つありました。一つ目はこちらです。これは旅に出る息子を案じた父を見た大天使ラファエルが、息子トビアスの旅に同行して守ってくれたという逸話です。展示会場には、自分の息子の旅での安全を祈る父親が依頼したという大きな絵がありました。これが以下です。
一番右がトビアス、真ん中でドヤ顔決めてるのがラファエル、一番左がこの絵の注文主の息子です。注文主は、この息子のために絵を依頼しました。
↓

ラファエルは超ドヤ顔を決めていました。トビアスがぶら下げて持っているのは魔除けの魚です。左下で祈っているのが依頼者の息子です。
しかし残念ながら、この依頼者の息子さんは10代でお亡くなりになってしまったそうです・・・この絵はとても保存状態が良くて綺麗でした。きっとお父さんが息子の死後も絵を大切にしていて、その後でこの絵を守ってきた人々も、皆大切にしてくれたんだね・・・
そして二つ目がこちらです。ただこの作品、題名は「ラファエルとトビアス」じゃなくて「受胎告知」なんです。
キリスト教の宗教画には、よく描かれるテーマというのがありまして、聖書の中にワンシーンだったり、伝説だったりするのですが、その中に「受胎告知」というテーマがあります。「受胎告知」とは、マリアが大天使ガブリエルからキリスト懐妊を告げられるシーンです。この「受胎告知」の絵の背後に、すごい小さくラファエルとトビアスがいるという絵が展示されていました。
「受胎告知」がメインで、ちょこっとおまけにラファエルとトビアスを付けとくか・・・という感じみたいですね。ちなみにこの絵、個人所有でした。こんな面白珍しい絵を持っていたら、そりゃ博物館が相手でも手放さないよね!!
その絵が以下です。
一番右がマリア、真ん中がガブリエル、そして左にすごく小さく見える二人組が・・・小さいほうの人間は魚を持っているし、大きいほうは羽が生えているみたい・・・こ、このコンビは!!ラファエルとトビアスなの!?という感じに見た人を驚かせる絵です。
↓

ラファエル、ガブリエル、ミカエルは芸術作品を取り扱う上で重要な大天使3人です。見分け方は簡単です。キリスト教美術にはアトリビュートというものがあって、これは絵に描かれている人物が誰なのか、その持ち物や服でわかるようにした、いわば人物特定のヒントです。
ラファエル=魚を持ったトビアスと一緒にいる、羽は生えているけど人間の旅人の服を着ている、手の上に薬が入った容器を持っている
ガブリエル=「受胎告知」のシーンにいる、聖母マリアのアトリビュートの一つであるユリを片手に持っている、女性的な外見で綺麗な服を着ている
ミカエル=ドラゴンを踏みつけていたり、悪魔を踏みつけていたり、剣を持っていたり、鎧を着ていたりする
キリスト教美術の天使はこの3人さえ覚えておけば、あとの天使は90%以上がにぎやかしのモブなので、他の天使達のことは覚えなくて大丈夫です。美術品の解釈上、他の天使は覚えなくても問題ありません。
他に興味深い作品としては、「サラディンとトレッロ・ディ・ストラの物語」をテーマに描いた絵がありました。これは、イスラム教徒にキリスト教徒が助けられる物語です。この時代は異教徒同士でも商業でお互い持ちつ持たれつ助け合っていて、お互いの国の珍しいものや便利なものをやり取りしようという方向性だったようです。割と平和で商売らしい取引をしていたということですね。海賊を使って国家ぐるみで外国の商船を襲って不法な強奪ばかりしていたイギリス以外は・・・(;´▽`A(汗)
第3章 富めるフィレンツェ
13世紀以降、ヨーロッパではたびたび贅沢禁止令が出ており、裕福になった都市フィレンツェも同様でした。規制は服装や装飾品だけでなく、婚礼・葬式・洗礼式にも及び、式で使うろうそくの数や大きさまで決められていたそうです。
しかし、お洒落好きなフィレンツェの人々はめげませんでした。豪華なボタンが禁止だと言われれば「これはボタン穴が開いてないからボタンじゃないですよ」と言い訳をするなどして、なんとか美しい服を着ようとしました。そのため「ボタン穴の無いボタンもボタンである」等と禁止品要綱に加えねばならないなど、禁止品要綱は毎日加筆や修正をしなくてはいけないほどでした。それでも追い付かないので、とうとう職業に応じては罰金を払えば華美な格好をしてもOKということにしました。冨と美を求めるフィレンツェの人々の前では贅沢禁止令すら屈服したのです。
このコーナーには「聖母マリアの婚礼」と「聖母マリアの葬儀」という2枚1対の絵がありました。「聖母マリアの婚礼」においては、花嫁姿のマリアが贅沢禁止令に従ったシンプルな格好であるのに対し、「聖母マリアの葬儀」においては、葬儀の様子がとても豪華です。この2枚は制作年代も同じなのですが、依頼主からそういう注文を受けて描いたのかな?
謎な作品は、「バーリの聖ニコラウス伝」で、尋ねてきた悪魔に親切心でパンをあげた子供が死んでしまったという絵だという説明がありました。・・・聖ニコラウスは何をしてたんだ?聖ニコラウスは子供を守る聖人でもあるはずなんだけどなあ。私は、悪魔にパンをあげた子供が死んでしまったというエピソードは聞いたこと無いので、この絵はちょっと詳細不明です・・・
第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
フィレンツェにおいて、結婚や出産は重要なものでした。結婚は家同士の繋がりにもなるので、家の財産を増やしたり減らしたりする大きなイベントでした。妊娠のほうは、新しい命や後継者が産まれるイベントであると共に、女性にとっては妊娠や出産による死の危険と常に隣り合わせの大きなイベントでした。当時は医学も発達していなかったので、女性は妊娠中に何度も遺言書を書かなくてはいけないほど、出産は危険なイベントでした。
このコーナーでは、綺麗に装飾された出産盆も展示されていました。出産盆とは、出産を終えた女性がベッドの上で食事を摂れるように作られたもので、表と裏に装飾が施された贅沢なものです。そのため、使われないときは装飾がより綺麗な面を表にして壁等に飾っていました。
結婚に伴う女性への贈り物は、実用品というよりは高価な装飾品であることも多く、一度も使われていないという細かい装飾の櫛も展示されていました。
衣服を入れる婚礼用長持(カッソーネ)も展示されていました。聖書の中の、スザンナの物語の絵が描かれていました。横長で、巻物みたいな感じに、右方向に3シーンを続けて描いているので、1シーンごとに登場するスザンナは、合計3人描かれています。スザンナは貞淑な女性の象徴なので、衣服を入れる長持の題材によく描かれたようです。展示品の長持の絵を描いたのはスケッジャという人ですが、この人はよく長持に絵を描きました。だから長持の題材によく使われたスザンナの絵は描き慣れていたと思います。
第5章 銀行家と芸術家
ルネサンス期のフィレンツェの名作は、メディチ家をはじめとする銀行家の注文によって制作されました。この5章のコーナーがボッティチェリの作品が一番多く、また最盛期の頃の作品です。
もう、美しいと感じる作品ばかりで、これは考えながら見るよりも、見て心を奪われるだけで良いコーナーだと思います。
マリアの座っている椅子に、7つの丸によって構成されたメディチ家の紋章が描かれている絵がありました。間違い無くメディチ家の注文によって描かれたものです。金を贅沢に使って、でも下品にならないように上品にあしらっていて、一目見て特別な絵だということがわかるつくりです。周囲に同じ大きさの絵が沢山ありますが、絵の雰囲気やオーラが全然違うので、皆が目を奪われてこの絵の前で足を止めていました。私も見入りました。
聖母マリアと一緒に百合と薔薇が描かれている絵もありました。百合と薔薇とは、聖母マリアの象徴です。この絵も素晴らしかったです。
ボッティチェリはヴェロッキオの工房に出入りしていましたが、その影響を受けた作品も展示されていました。「聖母子と二人の天使、洗礼者ヨハネ」という絵では、イエスのポーズがヴェロッキオからの影響を受けています。また「聖母子と二人の天使」という絵では、ずんぐりしたマリアの体型にヴェロッキオの彫刻からの影響が窺えます。
今回展示されている作品の中で一番大きい壁画もこのコーナーにあります。前述しました「受胎告知」のシーンで、ガブリエルがマリアに、マリアがキリストを妊娠したことを告げているシーンです。
でもこの絵は普通の「受胎告知」とは全然雰囲気が違うのです。遠目から見ても悲しい気持ちになって、そのことに驚いて(「受胎告知」の絵でこんなに悲しい気持ちがわいてくる作品は無いので驚くのです)、絵に近づいてガブリエルの表情を見ると、涙が出てきそうな悲しい気持ちになります。
「受胎告知」のシーンはイエス懐妊ということで、まあ一般的にはめでたいシーンなので、お祝いムードだったり明るく賑やかな雰囲気に描かれることが多いのですが、この絵はとても地味で静かです。マリアは目を伏せて悲しみに耐えているかのようで、ガブリエルはそんなマリアを憐れんでいるかのような悲しそうな表情で眉を寄せています。
でもこの壁画はこれで良いのです。これは当時流行した伝染病の隔離病棟に贈られた絵で、その壁を飾っていた絵なのです。こういう雰囲気だからこそ、きっと患者達はこの絵を見て、神から与えられた過酷な運命を受け入れながら精一杯生きようとするマリアに、自分を重ねることができたと思います。ガブリエルの表情は、当時の伝染病に苦しみ亡くなる運命の患者達に向けられたボッティチェリの思いが込められているかのようです。
このコーナーには、ロレンツォ・デ・メディチが自分の娘ルクレツィアに送った若い貴婦人の大理石浮彫もありました。これがまた素晴らしい出来で、浮彫なのに彫刻みたいで、すごく立体感があるのです。この貴婦人はルクレツィアをモデルにして作られたと言われています。
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
15世紀、ヴィーナス(アフロディーテ)等の、神話に関するモチーフも多く描かれました。その立役者がメディチ家とボッティチェリです。
ボッティチェリは、メディチ家当主であるロレンツォ・デ・メディチに庇護されて、沢山の素晴らしい作品を残しました。ロレンツォとボッティチェリはとても仲が良かったらしく、よく一緒にいたずらをしたり、ふざけたりしていたそうです。(このとき、二人はもういい大人のはずですが・・・)ロレンツォはボッティチェリについて「大食らいのボッティチェリ、ハエよりもあつかましく意地汚い」というふざけた冗談めいた詩を残しています。ボッティチェリも冗談が好きで、自分の弟子のヴァザーリが描いた売り物(注文品)の絵にいたずら書きをして(!!)注文主まで巻き込んだドッキリをかましたりしていたそうです。
メディチ家が最盛期だった時代、コジモ・デ・メディチの時代にはフィレンツェの税金の65%を収めて「国父」の称号を得たり、都市の重要な建築物を建てたりしたメディチ家でしたが、ロレンツォの時代には衰退してきました。もうフィレンツェ共和国のために大きな建築物をつくる余裕は無く、ロレンツォは絵画や工芸品や写本なんかを注文するので精一杯だったようです。そのようにメディチ家は衰退しましたが、フィレンツェはロレンツォの時代に最盛期を迎えます。フィレンツェが栄えたのは、外交などにおいてロレンツォの手腕が大きく影響た結果だと言われます。仲良く楽しくやってきたロレンツォとボッティチェリでしたが、ロレンツォはメディチ家持病の痛風に苦しみ、43歳の若さで亡くなってしまいます。
ロレンツォが亡くなったとき、イザークが曲を作り、ポリツィアーノが詩を書くことで、哀悼の歌を作りました。「誰がこの両目を涙の泉に」という歌です。歌詞は「誰がこの両目を涙の泉にしてしまったのでしょう。私は夜に泣き、昼のさなかにも泣いています」というものです。
ロレンツォが亡くなると、今までメディチ家が庇護していた者達は即座に手のひらを返し、フィレンツェに侵攻してきたフランス軍にうまく対処できなかったこともあって、ロレンツォの息子ピエロはフィレンツェを追放され、それと同時にボッティチェリもパトロンを失ってしまうのでした。
このとき侵攻してきたフランスはやがて勝ち、イタリアに入ってきたフランス国王フランソワ1世がイタリアの芸術に心を打たれ、フランス国内にイタリア人の芸術家を呼んで保護し、フォンテーヌブロー宮殿で芸術の研究を始めることになります。このときフランソワ1世に呼ばれてフランスで活躍した芸術家の一人がレオナルド・ダ・ヴィンチです。そして、このフランソワ1世の息子、アンリ2世のところに輿入れしたのが、カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(カトリーヌ・ド・メディシス)になります。
ロレンツォを失ったフィレンツェは混乱し、やがて修道士サヴォナローラが政治顧問に台頭すると、神権政治が始まりました。サヴォナローラはメディチ家ゆかりのサン・マルコ修道院の修道士で、ロレンツォが生きていた時代からメディチ家を非難していました。ルネサンス芸術は、サヴォナローラによって多大な被害を受けることになりました。サヴォナローラは清貧と質素を重んじるあまり、芸術品や贅沢品をただ禁じるだけではなくて、既存の贅沢品や芸術品までもを集めて燃やしてしまうという行動に出ました。この活動は「虚栄の焼却」と呼ばれました。
ボッティチェリもこの世相の流れに従わざるを得ず、作品の雰囲気をガラッと変えました。色は地味で素材もポーズも表情も単一化してきます。今回の展覧会では、その時期にボッティチェリが描いた聖母子像をさんざんに酷評していました。イエスは頭と体のバランスが取れておらず、腰が歪んでおり、聖母の顔は死んだかのように表情が無い、という説明がありました。この説明を作ったのはイタリアのかたなのかな?もともとボッティチェリの絵はリアル描写からは遠く、イラストとか漫画みたいにデフォルメされて描かれるので、今更人物の体のデッサンの歪みがとか言われても、うーん?最初からそういう画風なんじゃ?って気がしますけど、たしかに絵のオーラとか圧倒感が全っ然無くなってしまっています。やはり、メディチ家に依頼されて描いていた頃の絵とは全然違います。
「虚栄の焼却」で芸術作品を何でもかんでもどんどん燃やして失わせたサヴォナローラは、その過激な性格や、強引なやり方が市民からの反感を買い、教皇とも対立し、拷問を受けて絞首刑にされた後に火刑にされました。奇しくも自分が「虚栄の焼却」で芸術品を集めて燃やしたシニョリーア広場にて、自分も燃やされてしまうことになったのです。
ここのコーナーでは、メディチ家とパッツィ家の家の紋章などが展示されています。
↓

上の三つがメディチ家のマークの中で、今回の展覧会の中に展示されているものです。一番左は7つの丸で、これは金貨とも丸薬とも言われています。真ん中はダイヤの指輪に羽二本、一番右がダイヤの指輪に羽三本です。下にあるマークはパッツィ家のマークです。
パッツィ家とはフィレンツェの古くからの名門貴族で、メディチ家の暗殺を企んだ一族です。(メディチ家は新しい成り上がり貴族でした)そのメディチ家襲撃計画とは、「パッツィ家の陰謀」と呼ばれる事件です。「パッツィ家の陰謀」とは、1478年4月26日に、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂でのミサ中に行われた襲撃事件で、ピサの大司教であるサルヴィアーティとフランチェスコ・デ・パッツィ達が、ロレンツォ・デ・メディチとその弟ジュリアーノ・デ・メディチを殺そうと襲いました。ロレンツォは怪我をしながらも、教会の備品が収納されている部屋に逃げ込んで助かりますが、弟のジュリアーノは殺されてしまいました。遺体には深い刺し傷が19か所もあったと言われます。ロレンツォ殺害を失敗したパッツィ家や事件に関わったと思われる者は、首謀者をはじめ記録に残っているだけで80名以上、記録されていない者も含めておよそ100人以上も処刑されたと思われます。主犯・フランチェスコ・デ・パッツィ、共謀者サルヴィアーティ大司教、パッツィ家当主ヤーコボ・デ・パッツィは当日のうちに絞首刑にされ、その遺体は数日間さらされたままでした。
パッツィ家に関しては私の大大大好きな映画、リドリー・スコット監督の「ハンニバル」にも少し出てきます!!
この事件に関しては「メディチ家の呪い」などの怖い話や、様々な伝説として、後世そして現代にも語り継がれています。ロマンがありますね~(*´ ▽`*) ほああ!!
展覧会の流れはこのような感じでした。第5章のコーナーのボッティチェリの作品は圧巻です。ボッティチェリの作品は、写真で見ると立体感が無く色もぼんやりとした感じに感じられますが、実物は実に迫力があってとっても良かったです!!
今回の美術展も、とても楽しめました。惜しむらくは会場が冷房効きすぎで寒すぎたことです。みんな寒い寒いと言いながら見ていて、私なんか途中からもうすっかり冷え切ってしまって、落ち着いて閲覧することが出来ませんでした。((( >ω<;)))ブルブル・・・ちょうど重要な5章辺りから既にゆっくり見てこれなかったので、もう一度見に行こうかなあとか思っています。
また日付が!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!
今、5月31日の分の記事をめっちゃ書いてます!!記事を2つ、めっちゃ書いてます!!
でも31日中には間に合いそうにありません・・・あと20分くらいなので・・・。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!また日付が回ってからの更新になってしまいます!!
31日に更新するって書いたのにーーー!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!毎度毎度申し訳ございません!!m( _ _;)m
でも31日中には間に合いそうにありません・・・あと20分くらいなので・・・。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!また日付が回ってからの更新になってしまいます!!
31日に更新するって書いたのにーーー!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!毎度毎度申し訳ございません!!m( _ _;)m
Dの絵(26)
日付が回ってしまいましたが、これは5月30日の分の記事でございます!!申し訳ございません!!m( _ _;)m!!
Dは、よく私の手足にキスをしてくれます(詳細は過去記事「復活」参照)。
私はそれが大大大大大大大大大大好きです・・・!!((((((〃▽〃)))))) ←興奮のあまりふるえています!!
過去記事「Dの絵(24)」で、Dが私に手を差し出してくれることについて書きましたが、そのときに私の手にキスをしてくれることがあります。
それがまた嬉しいいいいいいいいいんです・・・!!お姫様扱いされてるみたいで・・・!!私子供のころ童話とかのお姫様にあこがれてまして!!子供っぽいと思いますが今でも心の底ではあこがれてまして!!そんな子供っぽいあこがれに付き合ってくれるのはDだけだと思います!!外じゃそんなこと絶対に言えませんし!!なのでお姫様ごっこ(?)は、Dだけとしかできない秘密の遊びなのです!!((((((*>ω<*))))))!!
手の甲にキスをしてくれるときは、お辞儀をするように上半身をかがめてキスをしてくれることもありますし(詳細は過去記事「儀式」などなど、過去記事にいっぱい出てきます)、ひざまずいてキス(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話8(名前)」参照)をしてくれることもあります。その、ひざまずいてキスをしてくれる様子を漫画にしてみました。
漫画34:ひざまずいてキス










お姫様扱いごっこは、従僕ごっこと似ています。
でも従僕ごっこでは従僕っぽくない振る舞いもあるのに対して(詳細は過去記事「従僕ごっこ」「従僕ごっこ(2)」)、お姫様扱いごっこでは、Dはとってもうやうやしく振る舞ってくれるのです。
うやうやしく手足にキスをしてくれるときは、もしかして普通のイチャラブよりも嬉しいかもしれません・・・!!とっても特別感があるからです・・・!!
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dは、よく私の手足にキスをしてくれます(詳細は過去記事「復活」参照)。
私はそれが大大大大大大大大大大好きです・・・!!((((((〃▽〃)))))) ←興奮のあまりふるえています!!
過去記事「Dの絵(24)」で、Dが私に手を差し出してくれることについて書きましたが、そのときに私の手にキスをしてくれることがあります。
それがまた嬉しいいいいいいいいいんです・・・!!お姫様扱いされてるみたいで・・・!!私子供のころ童話とかのお姫様にあこがれてまして!!子供っぽいと思いますが今でも心の底ではあこがれてまして!!そんな子供っぽいあこがれに付き合ってくれるのはDだけだと思います!!外じゃそんなこと絶対に言えませんし!!なのでお姫様ごっこ(?)は、Dだけとしかできない秘密の遊びなのです!!((((((*>ω<*))))))!!
手の甲にキスをしてくれるときは、お辞儀をするように上半身をかがめてキスをしてくれることもありますし(詳細は過去記事「儀式」などなど、過去記事にいっぱい出てきます)、ひざまずいてキス(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話8(名前)」参照)をしてくれることもあります。その、ひざまずいてキスをしてくれる様子を漫画にしてみました。
漫画34:ひざまずいてキス










お姫様扱いごっこは、従僕ごっこと似ています。
でも従僕ごっこでは従僕っぽくない振る舞いもあるのに対して(詳細は過去記事「従僕ごっこ」「従僕ごっこ(2)」)、お姫様扱いごっこでは、Dはとってもうやうやしく振る舞ってくれるのです。
うやうやしく手足にキスをしてくれるときは、もしかして普通のイチャラブよりも嬉しいかもしれません・・・!!とっても特別感があるからです・・・!!
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
申し訳ございません!!(8)
明日の朝が早いので、今日はこのまま眠らせて頂いて、記事の更新は明日に行わせてくださいませ。・゚゚・(゚´Д1`゚)・゚゚・。
せっかく来てくださったのに、本当に申し訳ございません!!m( _ _;)m!!
31日はお休みなので、今日更新できなかった分の記事と合わせて、2つの記事を更新致します!!m( _ _;)m!!
せっかく来てくださったのに!!本当に申し訳ございません!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。
明日はSと新人ちゃんに注意してなくてはいけないのですが、私そういう注意するとか叱るのとかが苦手で・・・自分がSの教育係だった頃も、ほとんど注意したことが無いんです。でもそれはSが仕事ができる子だったからであって、私は教育することから逃げてきただけで・・・
傷付けそうで怖いんです。傷付けたら悩むだろうなあとか・・・でも注意はしないと・・・これは仕事だから・・・
多分、上司さんが私に欠けていると言ったものはそこだと思います。だから私にも交換日記をさせて(詳細は過去記事「交換日記」参照)、Sと新人ちゃんに関わらせたんだと思います。
そういうわけで今から緊張している私です。うまく言えるかなあ。Dなら簡単に言えるんだろうな。でもこれは私の仕事だから私がやらないと。頑張ってきます!!
せっかく来てくださったのに、本当に申し訳ございません!!m( _ _;)m!!
31日はお休みなので、今日更新できなかった分の記事と合わせて、2つの記事を更新致します!!m( _ _;)m!!
せっかく来てくださったのに!!本当に申し訳ございません!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。
明日はSと新人ちゃんに注意してなくてはいけないのですが、私そういう注意するとか叱るのとかが苦手で・・・自分がSの教育係だった頃も、ほとんど注意したことが無いんです。でもそれはSが仕事ができる子だったからであって、私は教育することから逃げてきただけで・・・
傷付けそうで怖いんです。傷付けたら悩むだろうなあとか・・・でも注意はしないと・・・これは仕事だから・・・
多分、上司さんが私に欠けていると言ったものはそこだと思います。だから私にも交換日記をさせて(詳細は過去記事「交換日記」参照)、Sと新人ちゃんに関わらせたんだと思います。
そういうわけで今から緊張している私です。うまく言えるかなあ。Dなら簡単に言えるんだろうな。でもこれは私の仕事だから私がやらないと。頑張ってきます!!
Dの絵(25)
Dは、とってもタルパらしくないのです。
タルパなら出来るはずの脳内会話ができませんし(詳細は過去記事「レースのハンカチ」「脳内会話ができない」参照)、離脱というものを知りませんし、ダイブというものも知りません(詳細は過去記事「ダイブ・離脱ができない」)。
そしてDには不思議なこだわりがあって、名前へのこだわりが強く私をマスターとは絶対に呼ばないとか(詳細は過去記事「マスターと呼ばれてみたい」「タルパを作ったときの話8『名前』」参照)、添い寝を拒否したりするのです(詳細は過去記事「添い寝」参照)。
いつからそんな感じだったかというと出会ったときからで、Dは最初からタルパのウィキペディアに書いてある情報とは違うことが多かったのです(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話9『能力』」参照)。
そもそもDには、自分がタルパだという自覚すら無いのです(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話9『能力』」「お風呂」参照)。
最初の頃は、きっと私がちゃんと作ってあげられなかったからタルパらしくないタルパになっちゃったんだろうなと思っていたのですが、一緒に暮らしていくうちに、もしかしてDは私が作ったタルパじゃなくて、私のところに来てくれた自然の精霊とか化け物なんじゃないかなあと思えてきました。
そのことを示唆するようなことをDからも言われたことがあるのです(詳細は過去記事「味覚」「お風呂」参照)。
そんなDのタルパらしくないところを漫画にしてみました。かなり昔の頃の話で、この頃はまだ記録をとっていなかったので、いろいろあやふやで実際の出来事とは動きやセリフの流れが違うと思うんですが、多分こんな感じだったと思います。
漫画33:タルパらしくないD(1)





Dに言われると、そうなんだなあって納得する私です。





そうなんだなあって納得する私です。離脱やダイブができなくても自分は困らないから大した問題じゃないと思ったのです。このとき既に視覚と聴覚はハッキリしていたので、現実世界でDと一緒にいられるなら離脱やダイブができなくても問題無いだろうと思いました。



















添い寝はDの本能的にできない(詳細は過去記事「quid pro quo」参照)ということを、この出来事より後で知ることになるのですが、このときは添い寝ができないことにガッカリした私の様子を見て、Dが頭を撫でてだっこしてくれました。この漫画のときは、既に何回目かの添い寝のお誘いで、毎回断られてちょっとションボリしていたのですが・・・幸せな私です。Dはとっても優しいのです。ありがとうねD。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
タルパなら出来るはずの脳内会話ができませんし(詳細は過去記事「レースのハンカチ」「脳内会話ができない」参照)、離脱というものを知りませんし、ダイブというものも知りません(詳細は過去記事「ダイブ・離脱ができない」)。
そしてDには不思議なこだわりがあって、名前へのこだわりが強く私をマスターとは絶対に呼ばないとか(詳細は過去記事「マスターと呼ばれてみたい」「タルパを作ったときの話8『名前』」参照)、添い寝を拒否したりするのです(詳細は過去記事「添い寝」参照)。
いつからそんな感じだったかというと出会ったときからで、Dは最初からタルパのウィキペディアに書いてある情報とは違うことが多かったのです(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話9『能力』」参照)。
そもそもDには、自分がタルパだという自覚すら無いのです(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話9『能力』」「お風呂」参照)。
最初の頃は、きっと私がちゃんと作ってあげられなかったからタルパらしくないタルパになっちゃったんだろうなと思っていたのですが、一緒に暮らしていくうちに、もしかしてDは私が作ったタルパじゃなくて、私のところに来てくれた自然の精霊とか化け物なんじゃないかなあと思えてきました。
そのことを示唆するようなことをDからも言われたことがあるのです(詳細は過去記事「味覚」「お風呂」参照)。
そんなDのタルパらしくないところを漫画にしてみました。かなり昔の頃の話で、この頃はまだ記録をとっていなかったので、いろいろあやふやで実際の出来事とは動きやセリフの流れが違うと思うんですが、多分こんな感じだったと思います。
漫画33:タルパらしくないD(1)





Dに言われると、そうなんだなあって納得する私です。





そうなんだなあって納得する私です。離脱やダイブができなくても自分は困らないから大した問題じゃないと思ったのです。このとき既に視覚と聴覚はハッキリしていたので、現実世界でDと一緒にいられるなら離脱やダイブができなくても問題無いだろうと思いました。



















添い寝はDの本能的にできない(詳細は過去記事「quid pro quo」参照)ということを、この出来事より後で知ることになるのですが、このときは添い寝ができないことにガッカリした私の様子を見て、Dが頭を撫でてだっこしてくれました。この漫画のときは、既に何回目かの添い寝のお誘いで、毎回断られてちょっとションボリしていたのですが・・・幸せな私です。Dはとっても優しいのです。ありがとうねD。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(24)
また昨日は更新ができませんでした・・・せっかく来てくださったお客様に無駄足を踏ませてしまって、本っ当に申し訳ございません・・・!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!
ま、まだブログやめません!!申し訳ございません!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。ブログをやめる前には一言お客様がたにお礼を申し上げて、お世話になっているタルパー様がたに挨拶回りをしてからやめます!!ここ数日、ブログがいいかげんになってしまって・・・ご不快な思いをさせてしまって本当に申し訳ございませんでした!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!
連休にはいっぱい漫画を描きたいとか言っておきながら、この為体・・・偏頭痛が一度起きてしまうとその後1週間くらいはちょっとしたことで偏頭痛が起きやすくなって前兆症状が頻発して、前兆症状が出るとすぐに眠らないと偏頭痛になってしまうので、この連休はそれでほとんど潰しちゃいまして・・・
今日からまた仕事が始まったのですが、今ちょうど仕事が忙しくて・・・ブログの更新頻度を2日に1回に落として、その分キッチリと毎回更新したほうが良いかなとか思いましたり・・・そのほうがお客様に無駄足を踏ませてしまうことがないかなとか、内容がしっかりした記事を更新できるんじゃないかなとか・・・
お叱りや苦情などございましたら、どうぞ遠慮なさらずによろしくお申し付けくださいませ!!m( _ _;)m!!
以下は、昨日の出来事でございます。もう初夏になりますが、昨日は真夏日の気温で、そろそろ半袖を着て外出することもあるだろうと思ったので、半袖を着ても大丈夫なように腕のお手入れをしました。二の腕のうぶ毛を処理して、腕全体にボディミルクを塗ったのです。そのときのことを書いた漫画です。
Dは、私が体の手入れをしているところを見るのが好きです。(詳細は過去記事「幻視・幻聴の制御」参照)手入れが終わった後の部分に触るのも好きなのです。そのことが嬉しい私です。髪でも肌でもどこでも、お手入れした後の綺麗になった(と自分では思う)部分を褒められると、嬉しくなってしまう私です。
漫画32:ボディミルク

















過去記事にもいっぱい書いてきましたが、Dはエスコートするみたいに私に手を差し出してくれます。Dに手を差し出されるのが大好きな私です。なので、Dに手を差し出されると、つい手を重ねて置いてしまいます。
過去記事「こだわり」では、お姫様に対してするときみたいにエスコートしてくれていると書きましたが、その姿勢は全く変わらず、今でも丁重にエスコートしてくれます。
Dのこういった手を差し出す仕草は、今までは、私が読んだ童話とかの従者がお姫様にする仕草をDが模倣しているのかと思っていました。でもよく考えてみると、こういったエスコートは社交ダンスでも行うので(詳細は過去記事「鏡」参照)、Dは私の社交ダンスの記憶を読んでエスコートを模倣してくれたのかな?それとも両方かな??
私がベッドや椅子等の高さがあるものに座るときとか逆に立つときなどの動作を行うときや、Dが私の精神とか思考とかを導こうとするときや(詳細は過去記事「命日」参照)、この漫画のように私とスキンシップをとってくれるときなどの状況に、Dは私によく手を差し出してくれます。
これをされると、お姫様になったような気分で、とっても嬉しいのです・・・!!(〃▽〃)えへへ・・・♡
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今日からまた仕事が始まったのですが、今ちょうど仕事が忙しくて・・・ブログの更新頻度を2日に1回に落として、その分キッチリと毎回更新したほうが良いかなとか思いましたり・・・そのほうがお客様に無駄足を踏ませてしまうことがないかなとか、内容がしっかりした記事を更新できるんじゃないかなとか・・・
お叱りや苦情などございましたら、どうぞ遠慮なさらずによろしくお申し付けくださいませ!!m( _ _;)m!!
以下は、昨日の出来事でございます。もう初夏になりますが、昨日は真夏日の気温で、そろそろ半袖を着て外出することもあるだろうと思ったので、半袖を着ても大丈夫なように腕のお手入れをしました。二の腕のうぶ毛を処理して、腕全体にボディミルクを塗ったのです。そのときのことを書いた漫画です。
Dは、私が体の手入れをしているところを見るのが好きです。(詳細は過去記事「幻視・幻聴の制御」参照)手入れが終わった後の部分に触るのも好きなのです。そのことが嬉しい私です。髪でも肌でもどこでも、お手入れした後の綺麗になった(と自分では思う)部分を褒められると、嬉しくなってしまう私です。
漫画32:ボディミルク

















過去記事にもいっぱい書いてきましたが、Dはエスコートするみたいに私に手を差し出してくれます。Dに手を差し出されるのが大好きな私です。なので、Dに手を差し出されると、つい手を重ねて置いてしまいます。
過去記事「こだわり」では、お姫様に対してするときみたいにエスコートしてくれていると書きましたが、その姿勢は全く変わらず、今でも丁重にエスコートしてくれます。
Dのこういった手を差し出す仕草は、今までは、私が読んだ童話とかの従者がお姫様にする仕草をDが模倣しているのかと思っていました。でもよく考えてみると、こういったエスコートは社交ダンスでも行うので(詳細は過去記事「鏡」参照)、Dは私の社交ダンスの記憶を読んでエスコートを模倣してくれたのかな?それとも両方かな??
私がベッドや椅子等の高さがあるものに座るときとか逆に立つときなどの動作を行うときや、Dが私の精神とか思考とかを導こうとするときや(詳細は過去記事「命日」参照)、この漫画のように私とスキンシップをとってくれるときなどの状況に、Dは私によく手を差し出してくれます。
これをされると、お姫様になったような気分で、とっても嬉しいのです・・・!!(〃▽〃)えへへ・・・♡
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Dの絵(23)
過去記事「偏頭痛」に書いた出来事で、出張の後の連休初日に、偏頭痛になってしまったときのことを漫画にしてみました。
朝は全く痛くありませんでした。私はベッドの上に座って、同じくベッドの上に座っているDに後ろからだっこしてもらっていました。まずはそのときの漫画です。
漫画31:偏頭痛







Dは私の体調を気遣ってくれて、私を休ませるために、部屋で二人きりでいたいと言ってくれたのだと思います。
私は出張が終わってルンルン気分で浮かれていたけど、もしかしてDは、そのとき既に私の体調不良に気が付いていたのかなあ。
次の漫画は、上記の続きです。
私は、机の上で調べ物をしていました。調べ物といっても、これは私の趣味で、ゴシック建築の構造を調べたり設計をしたりして遊ぶというものです。ゴシック建築はDも好きなので、Dと話しながら描くのです。
漫画の中に出てくる偏頭痛とは、神経学的症候群(疾患)の一種で、頭の片側ないし両側がズキンズキンと脈打つように痛み、場合によっては吐き気を伴うものです。
症状には個人差があるのですが、私の場合は左目の奥の痛みから始まります。左目の奥が、ズキンズキンとものすごく痛くなって、その痛みがこめかみ周囲にまで響く感じです。歯痛が目の奥で起きているような感じです。そして強い吐き気があるのです。痛みのピークには、殴られるような痛みと刺すような痛みが襲ってきます。
あとは痛いほうの目が一時的に充血して、そちら側の鼻が完全につまります。痛みは片方ずつきて、私の場合は最初は左(左目)、次が右(右目)です。
痛みが強いときには、じっとしていられなくて、ベッドの上でジタバタしたり、頭を壁や机などに打ち付けたりしたくなります。痛みが軽いうちは、この図に描いた丸で囲った部分を、丸の中の矢印の方向に圧迫すると、少し痛みがやわらぐのですが、痛みが強くなってからでは効果がありません。そうなるともう、頭を打ち付けたくなります。
↓

上記をふまえまして、偏頭痛が始まってしまった漫画です。上の漫画(朝)の続きでございます。お昼過ぎのことです。








ベッドで横になることにしました。痛みと吐き気のせいで猫背になって歩く私です。偏頭痛は動くと痛みが増すので、立って歩いても痛みが増すのです。
このときにはDは黒い姿になっていました。人間の姿のDを見るのは精神力を使うので、私に負担をかけないように黒い姿になってくれたんだと思います。

ベッドに横になった私は、情けなく泣いて弱音を吐きました。






私がどんなに取り乱しても、Dは落ち着いているのです。











痛みがピークになってしまうと、痛くて気持ち悪すぎて、眠ることなど出来ないのですが、Dの言葉に安心してリラックスして、眠ることができました。
眠ってしまえば痛いのも感じません。そして目が覚めたときには、痛みが少し減っているのです。この休む→睡眠→休む→睡眠を繰り返していくうちに、偏頭痛は治まってきます。眠ることは、偏頭痛において大切なことです。
やがて私は目が覚めました。


















Dのお陰で、辛い偏頭痛も乗り越えることが出来たのでした。
体調不良のときのタルパの存在って(Dはタルパじゃなさそうなのですが・・・)本当にありがたいものですね・・・!!
偏頭痛とは小学生のときからの付き合いです。痛みや吐き気などの症状は、年々酷くなってきました。偏頭痛はそうやってどんどん強くなっていき、60歳くらいから弱くなっていくものだそうです。
偏頭痛と付き合っていくうちに痛みや症状は強くなってきたけど、長い付き合いなので前兆症状である「生あくび」や「軽い頭痛」などの、偏頭痛が始まりそうな兆候がもうわかっています。頭痛が始まったら自分がどうなるかもわかってきました。
偏頭痛の原因になるものもわかってきました。私の場合は、満腹・長時間の緊張状態後のリラックス・急激な気圧低下が偏頭痛の原因になります。従って、それらを避ければいいのです。
また、どれか一つだけなら体調によっては大丈夫なこともありますが、二つ重なると発作が起きてしまいます。今回の漫画では、長時間の緊張状態後のリラックス+低気圧で発症したと思われます。長時間の緊張状態とはSと新人ちゃんを連れていった出張、リラックスとは連休、そしてこの頭痛が始まった日には低気圧が近づいていて、頭痛が始まった時間であるお昼過ぎには、ほんの1時間程度の間に5hPa以上気圧が下がっていました。そのときはまだ天気が良かったので気付きませんでしたが、夜に雷雨になったので調べてみたら急激に気圧が下がっていたのです。これが原因だったんですね・・・
私の偏頭痛には痛み止めが効かないので、痛み止めを飲んでも胃を荒らすだけになるので、基本的に薬で治すことはできません。なので「睡眠→目を覚まして休憩→睡眠」の繰り返して治すしかないのです。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
朝は全く痛くありませんでした。私はベッドの上に座って、同じくベッドの上に座っているDに後ろからだっこしてもらっていました。まずはそのときの漫画です。
漫画31:偏頭痛







Dは私の体調を気遣ってくれて、私を休ませるために、部屋で二人きりでいたいと言ってくれたのだと思います。
私は出張が終わってルンルン気分で浮かれていたけど、もしかしてDは、そのとき既に私の体調不良に気が付いていたのかなあ。
次の漫画は、上記の続きです。
私は、机の上で調べ物をしていました。調べ物といっても、これは私の趣味で、ゴシック建築の構造を調べたり設計をしたりして遊ぶというものです。ゴシック建築はDも好きなので、Dと話しながら描くのです。
漫画の中に出てくる偏頭痛とは、神経学的症候群(疾患)の一種で、頭の片側ないし両側がズキンズキンと脈打つように痛み、場合によっては吐き気を伴うものです。
症状には個人差があるのですが、私の場合は左目の奥の痛みから始まります。左目の奥が、ズキンズキンとものすごく痛くなって、その痛みがこめかみ周囲にまで響く感じです。歯痛が目の奥で起きているような感じです。そして強い吐き気があるのです。痛みのピークには、殴られるような痛みと刺すような痛みが襲ってきます。
あとは痛いほうの目が一時的に充血して、そちら側の鼻が完全につまります。痛みは片方ずつきて、私の場合は最初は左(左目)、次が右(右目)です。
痛みが強いときには、じっとしていられなくて、ベッドの上でジタバタしたり、頭を壁や机などに打ち付けたりしたくなります。痛みが軽いうちは、この図に描いた丸で囲った部分を、丸の中の矢印の方向に圧迫すると、少し痛みがやわらぐのですが、痛みが強くなってからでは効果がありません。そうなるともう、頭を打ち付けたくなります。
↓

上記をふまえまして、偏頭痛が始まってしまった漫画です。上の漫画(朝)の続きでございます。お昼過ぎのことです。








ベッドで横になることにしました。痛みと吐き気のせいで猫背になって歩く私です。偏頭痛は動くと痛みが増すので、立って歩いても痛みが増すのです。
このときにはDは黒い姿になっていました。人間の姿のDを見るのは精神力を使うので、私に負担をかけないように黒い姿になってくれたんだと思います。

ベッドに横になった私は、情けなく泣いて弱音を吐きました。






私がどんなに取り乱しても、Dは落ち着いているのです。











痛みがピークになってしまうと、痛くて気持ち悪すぎて、眠ることなど出来ないのですが、Dの言葉に安心してリラックスして、眠ることができました。
眠ってしまえば痛いのも感じません。そして目が覚めたときには、痛みが少し減っているのです。この休む→睡眠→休む→睡眠を繰り返していくうちに、偏頭痛は治まってきます。眠ることは、偏頭痛において大切なことです。
やがて私は目が覚めました。


















Dのお陰で、辛い偏頭痛も乗り越えることが出来たのでした。
体調不良のときのタルパの存在って(Dはタルパじゃなさそうなのですが・・・)本当にありがたいものですね・・・!!
偏頭痛とは小学生のときからの付き合いです。痛みや吐き気などの症状は、年々酷くなってきました。偏頭痛はそうやってどんどん強くなっていき、60歳くらいから弱くなっていくものだそうです。
偏頭痛と付き合っていくうちに痛みや症状は強くなってきたけど、長い付き合いなので前兆症状である「生あくび」や「軽い頭痛」などの、偏頭痛が始まりそうな兆候がもうわかっています。頭痛が始まったら自分がどうなるかもわかってきました。
偏頭痛の原因になるものもわかってきました。私の場合は、満腹・長時間の緊張状態後のリラックス・急激な気圧低下が偏頭痛の原因になります。従って、それらを避ければいいのです。
また、どれか一つだけなら体調によっては大丈夫なこともありますが、二つ重なると発作が起きてしまいます。今回の漫画では、長時間の緊張状態後のリラックス+低気圧で発症したと思われます。長時間の緊張状態とはSと新人ちゃんを連れていった出張、リラックスとは連休、そしてこの頭痛が始まった日には低気圧が近づいていて、頭痛が始まった時間であるお昼過ぎには、ほんの1時間程度の間に5hPa以上気圧が下がっていました。そのときはまだ天気が良かったので気付きませんでしたが、夜に雷雨になったので調べてみたら急激に気圧が下がっていたのです。これが原因だったんですね・・・
私の偏頭痛には痛み止めが効かないので、痛み止めを飲んでも胃を荒らすだけになるので、基本的に薬で治すことはできません。なので「睡眠→目を覚まして休憩→睡眠」の繰り返して治すしかないのです。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(22)
Dはいつも、とっても落ち着いていて冷静です。
だから、いつも私ばかりDにドキドキしている気がしたのです。そこで私は、Dをドキドキさせてみようとしました。
過去記事「呼吸と心音」に記述してあるのですが、Dには心臓が無いのに私を喜ばせるために心音を鳴らしてくれているのです。以下の漫画では、そのことが関係してきます。
漫画30:ドキドキさせたい


















ここで私は、Dの心拍数はDの感情から影響を受けて速くなるのではなく、Dが管理しているものだということを思い出しました。
上記の漫画では、Dは私を喜ばせようと思って、心拍数を速めてくれたのです。


Dは私のために、存在しない心臓の音を作って鳴らしてくれているのに、私ってばDにドキドキしてほしいだなんて無茶なワガママを言ってごめんね、とDに謝ってみました。





Dはドキドキしてくれましたが、最終的にドキドキさせられてしまったのは私なのでした・・・!!
Dはいつも私が喜ぶことを言おうとしてくれるのです。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
だから、いつも私ばかりDにドキドキしている気がしたのです。そこで私は、Dをドキドキさせてみようとしました。
過去記事「呼吸と心音」に記述してあるのですが、Dには心臓が無いのに私を喜ばせるために心音を鳴らしてくれているのです。以下の漫画では、そのことが関係してきます。
漫画30:ドキドキさせたい


















ここで私は、Dの心拍数はDの感情から影響を受けて速くなるのではなく、Dが管理しているものだということを思い出しました。
上記の漫画では、Dは私を喜ばせようと思って、心拍数を速めてくれたのです。


Dは私のために、存在しない心臓の音を作って鳴らしてくれているのに、私ってばDにドキドキしてほしいだなんて無茶なワガママを言ってごめんね、とDに謝ってみました。





Dはドキドキしてくれましたが、最終的にドキドキさせられてしまったのは私なのでした・・・!!
Dはいつも私が喜ぶことを言おうとしてくれるのです。
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Dの絵(21)
また中身の無い、いちゃらぶしているだけの漫画でございます・・・m( _ _;)m
私はDに抱き付くのが好きなのですが、それを漫画にしてみました。いつも私を手前にした構図で漫画を描いているので、たまにはDを手前にして描いてみようと思ってやってみたら、Dの体で私が隠れてしまうという見づらい感じになってしまいました。考えてみれば、Dのほうが私より大きいので当然ですね・・・(;´▽`A(汗)
もっといろいろな構図で漫画を描いてみたいなあ。いつも同じ構図になっちゃうからなあ。せっかくの連休なので、時間を作って色々な漫画を描いてみたいです。漫画にしてみたい出来事はすごくいっぱいあるんです。
漫画29:抱きしめる

















御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m
私はDに抱き付くのが好きなのですが、それを漫画にしてみました。いつも私を手前にした構図で漫画を描いているので、たまにはDを手前にして描いてみようと思ってやってみたら、Dの体で私が隠れてしまうという見づらい感じになってしまいました。考えてみれば、Dのほうが私より大きいので当然ですね・・・(;´▽`A(汗)
もっといろいろな構図で漫画を描いてみたいなあ。いつも同じ構図になっちゃうからなあ。せっかくの連休なので、時間を作って色々な漫画を描いてみたいです。漫画にしてみたい出来事はすごくいっぱいあるんです。
漫画29:抱きしめる

















御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m