Dの絵(63)
今回の記事は、とってもオカルトっぽい内容でございます・・・m(*_ _*)m
科学派のタルパー様がお読みになられると、「大丈夫ですか?病院に・・・」ってご心配なさりそうな内容でございます。申し訳ございません!!ご心配ありがとうございます!!大丈夫です!!m(*_ _*)m
今回の記事は、Dの領域(テリトリーみたいな結界みたいなもの)について書きます。m(*_ _*)m
Dは自分の周囲を囲むようにテリトリーを作ることができます。Dはそれを「僕の領域」と呼びます。Dは自分と契約者である私の周囲をその「領域」で囲んでいて、害のある精霊などが近づかないように牽制しているようです。
Dの領域とは、多分Dの気配で染められている範囲なのだと思います。Dには独特の気配があり、Dが傍にいるとゾクゾクするような怖い気配を感じるのです。(Dの気配についての詳細は記事カテゴリ「Dの気配・存在感」参照)
Dが言うには、Dの領域は下の図の中の、右の図のような形で広がっているのだそうです。
↓

よく結界等と呼ばれるものは、左の図の斜線を引いた形のように、壁のような形をしたものも多いはずですが、Dの領域はそうではなくて、右の図のように周辺一帯に広がっているそうです。この中に入っているから、独特のゾクゾクする怖い気配を感じるのだと思います。図では円形で描きましたが、この領域とは不定形で、Dの好きな形や大きさにできるようです。とは言っても限度はあると思います。
Dの領域とは、他の精霊に対して「この中に入らないように」という警告の意味を表しているもので、大抵の精霊は中に入ろうとせず、領域に触れないように去ってくれるようです。
そういう精霊同士の暗黙の了解みたいなものがあるのかな?ルールみたいなものなのか、モラルみたいなものなのか、或いはもっと殺伐とした理由で、例えば領域内に侵入すると戦闘になってしまうから不必要な戦闘を避けるため、とかの合理的な理由かもしれません。
そして、領域の中には入らなくても、たまに興味を持って周囲をウロついてみたり、じっと見たりしてくる精霊(?)はいるのだと思います。


なぜそう思うのかと言うと、たまにDが何も無いように見える方向に集中していることがあるからです。そういうときは多分、他の精霊的な存在が、Dの領域の中にまでは入らなくても、ある程度近くにまでやってきていて、それでDが警戒しているのではないかなあと思います。
そのときのことを漫画にしてみました。Dと私とで何か会話をしている最中の出来事だったのですが、そのときの会話の内容を全く覚えていないので、以下の漫画の中で私とDが話している雑談(冬がどうこうとか)は今日話したものです。











多分、他の精霊的な何かが接近していたのだと思いますが、Dは教えてくれませんでした。このように、他の精霊的な何かがいるかどうかについて、いつもDは教えてくれないのです。過去にもそういうことがありました(詳細は過去記事「撫でたい」「Dの絵(7)」参照)。教えてくれない理由すら教えてくれないのですが、私を怖がらせないように気を使ってくれているから、とかかなあ・・・




Dは常に私の傍にいるので、私はずっとDの領域の中にいるのですが、この領域の空気(というかDの気配?)には濃さのようなものがあるなあ、と感じます。その濃度はDの自由にできるようです。しかも領域の中の濃度を、部分的に濃くしたり薄くしたりすることもできるようで、濃くなるほど精神的な圧迫感を感じます。そのためDは私に濃い気配を触れさせないように気を遣ってくれているようです。多分、近づいてくる精霊に向けては濃い気配を向けて警告してるんじゃないかなあ。
このDの気配は、Dの精神状態の影響も受けるようで、機嫌を損ねると何となく気配でわかります。
例えば、上記の「領域」について、私が「ナワバリみたいなもの?それなら犬を飼っていたからイメージわくよ」と言ったときに、Dは「品の無い言いかたは良くないよ。全然違うものだよ」と機嫌を損ねてしまったことがあります。
Dは機嫌を損ねても、口調はいつもと全く変わらない穏やかなままだし、表情もいつもと全く変わらず口元に笑みを浮かべているのですが、気配が変わるんです。ゾッとするような怖い気配が微妙に濃くなるのです。
そのときDが機嫌を損ねたのは、犬のナワバリはマーキングをするので、それで一緒にされたくなかったんだと思います。野生動物にとっては普通のことだと思うんですけど、D的には不快だったようです。
Dが嫌悪するポイントは時々謎なのですが、Dを不快にさせてしまわないように気を付けようと思いました。嫌な気持ちにさせてごめんね、D・・・m( _ _;)m
全体的に色々と謎だけど、Dが守ってくれているなら安心だなあと思うのでした。

ここから先は、11月27日から30日までに書いた、過去の文章でございます。
この記事は最初27日にアップしたのですが、それからチョコチョコ加筆していたので、それらの記録を消さずに記事に残したままにしておこうと思います。m(*_ _*)m
以下、11月30日に書いた文章です。m(*_ _*)m
偏頭痛が治り、今日は仕事に行けました。
でもDが今日はもう休んだほうが良いよというので、今度こそDの忠告に従って、今日はもう眠ろうと思います。
さっき帰ってきたばかりなので、洗濯とか色々やりたいことはあるんですが、ちょっとDの忠告を無視して痛い目にあったばかりなので、おとなしく眠ろうと思います。
ブログの更新も、明日(12月1日)に見送らせてくださいませ・・・m( _ _;)m 申し訳ございません!!申し訳ございません!!m( _ _;)m
明日(1日)にアップしようと思っている記事は、Dの領域(テリトリーみたいな、結界のようなもの)について書くつもりです。
Dには独特の気配があります(詳細は記事カテゴリ「Dの気配・存在感」参照)が、それと関係あるのか無いのか、Dは自分の周囲を囲むようにテリトリーを作ることができるようです。Dはそれを「僕の領域」と呼びます。Dは自分と契約者である私の周囲をその「領域」で囲んでいて、害のある精霊などが近づかないように牽制しているようです。
そのDが「領域」と呼んでいるものについて、私が「ナワバリみたいなもの?それなら犬を飼っていたからイメージわくよ」と言ったら、Dは「品の無い言いかたは良くないよ。全然違うものだよ」って機嫌を損ねてしまいました。
いや、機嫌を損ねたとは言っても、口調もいつもと全く変わりない穏やかなものだし、表情もいつもと全く変わらず口元に笑みを浮かべていましたが、Dは機嫌を損ねても表情が変わらず、それこそ気配が変わるんです。Dが機嫌を損ねた気配になったのを感じました。
品が無かったかな・・・(´▽`;A(汗) あれかな、犬のナワバリってマーキングするから、それで一緒にされたくなかったのかな・・・
Dが嫌悪するポイントは時々不思議なのですが、Dを不快にさせてしまわないように気を付けようと思いました。嫌な気持ちにさせてごめんね、D・・・m( _ _;)m
以下、11月29日に書いた文章です。m(*_ _*)m
今ちょっと薬が効いているんですけど、27日の夜から偏頭痛の発作が起きてしまいまして、ずっと家で休んでいます。そのため、一回更新を見送らせて頂いて、次の更新は11月30日にさせてください。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。大変申し訳ございません!!m( _ _;)m!!
薬は飲んだんですけど、新しい薬なので慣れておらず、飲むタイミングがうまくいかなくて(良い時間帯に飲まないと効果が弱くなる)、発作を起こしてしまいました。
Dの忠告を聞かず、27日に痛みが弱まったときに仕事に復帰してしまったため、大きなぶりかえしが来たんです・・・自業自得です・・・
薬に慣れれば以前より発作が抑えられると思うので、今回の失敗を今後に生かしたいと思います。
発作のせいで27日のプレゼンも逃がしてしまったし・・・
結局プレゼンを逃してしまうなら、Dの言う通りに27日は休暇を取れば良かったと思います。痛くて苦しい思いをするだけ損することになりました。
でも良い薬があるからいけると思ったんです・・・ちょっとくらい無理して働かないと稼げないし・・・あーあ・・・
この季節、大型低気圧を始めとした低気圧が日本近辺を何度もウロつくから、偏頭痛には気を付けていないといけなかったんですけど・・・
もう少し回復するまで、ちょっと休ませてください。大変申し訳ございません・・・m( _ _;)m
以下、11月27日に書いた文章です。m(*_ _*)m
またもや中身の無い更新で申し訳ございません・・・!!今、帰ってきました!!m( _ _;)m!!
3日に1回は更新したいので、全然中身の無い記事ですが、一度アップさせてください・・・m( _ _;)m
せっかく来てくださったのに、新記事が無くて大変申し訳ございません・・・!!m( _ _;)m!!
過去の文章はここまでで終わりでございます。
今回の記事は、過去の文章等も含ませて頂いたので、読みにくい内容になってしまって申し訳ございませんでした。m( _ _;)m
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
科学派のタルパー様がお読みになられると、「大丈夫ですか?病院に・・・」ってご心配なさりそうな内容でございます。申し訳ございません!!ご心配ありがとうございます!!大丈夫です!!m(*_ _*)m
今回の記事は、Dの領域(テリトリーみたいな結界みたいなもの)について書きます。m(*_ _*)m
Dは自分の周囲を囲むようにテリトリーを作ることができます。Dはそれを「僕の領域」と呼びます。Dは自分と契約者である私の周囲をその「領域」で囲んでいて、害のある精霊などが近づかないように牽制しているようです。
Dの領域とは、多分Dの気配で染められている範囲なのだと思います。Dには独特の気配があり、Dが傍にいるとゾクゾクするような怖い気配を感じるのです。(Dの気配についての詳細は記事カテゴリ「Dの気配・存在感」参照)
Dが言うには、Dの領域は下の図の中の、右の図のような形で広がっているのだそうです。
↓

よく結界等と呼ばれるものは、左の図の斜線を引いた形のように、壁のような形をしたものも多いはずですが、Dの領域はそうではなくて、右の図のように周辺一帯に広がっているそうです。この中に入っているから、独特のゾクゾクする怖い気配を感じるのだと思います。図では円形で描きましたが、この領域とは不定形で、Dの好きな形や大きさにできるようです。とは言っても限度はあると思います。
Dの領域とは、他の精霊に対して「この中に入らないように」という警告の意味を表しているもので、大抵の精霊は中に入ろうとせず、領域に触れないように去ってくれるようです。
そういう精霊同士の暗黙の了解みたいなものがあるのかな?ルールみたいなものなのか、モラルみたいなものなのか、或いはもっと殺伐とした理由で、例えば領域内に侵入すると戦闘になってしまうから不必要な戦闘を避けるため、とかの合理的な理由かもしれません。
そして、領域の中には入らなくても、たまに興味を持って周囲をウロついてみたり、じっと見たりしてくる精霊(?)はいるのだと思います。


なぜそう思うのかと言うと、たまにDが何も無いように見える方向に集中していることがあるからです。そういうときは多分、他の精霊的な存在が、Dの領域の中にまでは入らなくても、ある程度近くにまでやってきていて、それでDが警戒しているのではないかなあと思います。
そのときのことを漫画にしてみました。Dと私とで何か会話をしている最中の出来事だったのですが、そのときの会話の内容を全く覚えていないので、以下の漫画の中で私とDが話している雑談(冬がどうこうとか)は今日話したものです。











多分、他の精霊的な何かが接近していたのだと思いますが、Dは教えてくれませんでした。このように、他の精霊的な何かがいるかどうかについて、いつもDは教えてくれないのです。過去にもそういうことがありました(詳細は過去記事「撫でたい」「Dの絵(7)」参照)。教えてくれない理由すら教えてくれないのですが、私を怖がらせないように気を使ってくれているから、とかかなあ・・・




Dは常に私の傍にいるので、私はずっとDの領域の中にいるのですが、この領域の空気(というかDの気配?)には濃さのようなものがあるなあ、と感じます。その濃度はDの自由にできるようです。しかも領域の中の濃度を、部分的に濃くしたり薄くしたりすることもできるようで、濃くなるほど精神的な圧迫感を感じます。そのためDは私に濃い気配を触れさせないように気を遣ってくれているようです。多分、近づいてくる精霊に向けては濃い気配を向けて警告してるんじゃないかなあ。
このDの気配は、Dの精神状態の影響も受けるようで、機嫌を損ねると何となく気配でわかります。
例えば、上記の「領域」について、私が「ナワバリみたいなもの?それなら犬を飼っていたからイメージわくよ」と言ったときに、Dは「品の無い言いかたは良くないよ。全然違うものだよ」と機嫌を損ねてしまったことがあります。
Dは機嫌を損ねても、口調はいつもと全く変わらない穏やかなままだし、表情もいつもと全く変わらず口元に笑みを浮かべているのですが、気配が変わるんです。ゾッとするような怖い気配が微妙に濃くなるのです。
そのときDが機嫌を損ねたのは、犬のナワバリはマーキングをするので、それで一緒にされたくなかったんだと思います。野生動物にとっては普通のことだと思うんですけど、D的には不快だったようです。
Dが嫌悪するポイントは時々謎なのですが、Dを不快にさせてしまわないように気を付けようと思いました。嫌な気持ちにさせてごめんね、D・・・m( _ _;)m
全体的に色々と謎だけど、Dが守ってくれているなら安心だなあと思うのでした。

ここから先は、11月27日から30日までに書いた、過去の文章でございます。
この記事は最初27日にアップしたのですが、それからチョコチョコ加筆していたので、それらの記録を消さずに記事に残したままにしておこうと思います。m(*_ _*)m
以下、11月30日に書いた文章です。m(*_ _*)m
偏頭痛が治り、今日は仕事に行けました。
でもDが今日はもう休んだほうが良いよというので、今度こそDの忠告に従って、今日はもう眠ろうと思います。
さっき帰ってきたばかりなので、洗濯とか色々やりたいことはあるんですが、ちょっとDの忠告を無視して痛い目にあったばかりなので、おとなしく眠ろうと思います。
ブログの更新も、明日(12月1日)に見送らせてくださいませ・・・m( _ _;)m 申し訳ございません!!申し訳ございません!!m( _ _;)m
明日(1日)にアップしようと思っている記事は、Dの領域(テリトリーみたいな、結界のようなもの)について書くつもりです。
Dには独特の気配があります(詳細は記事カテゴリ「Dの気配・存在感」参照)が、それと関係あるのか無いのか、Dは自分の周囲を囲むようにテリトリーを作ることができるようです。Dはそれを「僕の領域」と呼びます。Dは自分と契約者である私の周囲をその「領域」で囲んでいて、害のある精霊などが近づかないように牽制しているようです。
そのDが「領域」と呼んでいるものについて、私が「ナワバリみたいなもの?それなら犬を飼っていたからイメージわくよ」と言ったら、Dは「品の無い言いかたは良くないよ。全然違うものだよ」って機嫌を損ねてしまいました。
いや、機嫌を損ねたとは言っても、口調もいつもと全く変わりない穏やかなものだし、表情もいつもと全く変わらず口元に笑みを浮かべていましたが、Dは機嫌を損ねても表情が変わらず、それこそ気配が変わるんです。Dが機嫌を損ねた気配になったのを感じました。
品が無かったかな・・・(´▽`;A(汗) あれかな、犬のナワバリってマーキングするから、それで一緒にされたくなかったのかな・・・
Dが嫌悪するポイントは時々不思議なのですが、Dを不快にさせてしまわないように気を付けようと思いました。嫌な気持ちにさせてごめんね、D・・・m( _ _;)m
以下、11月29日に書いた文章です。m(*_ _*)m
今ちょっと薬が効いているんですけど、27日の夜から偏頭痛の発作が起きてしまいまして、ずっと家で休んでいます。そのため、一回更新を見送らせて頂いて、次の更新は11月30日にさせてください。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。大変申し訳ございません!!m( _ _;)m!!
薬は飲んだんですけど、新しい薬なので慣れておらず、飲むタイミングがうまくいかなくて(良い時間帯に飲まないと効果が弱くなる)、発作を起こしてしまいました。
Dの忠告を聞かず、27日に痛みが弱まったときに仕事に復帰してしまったため、大きなぶりかえしが来たんです・・・自業自得です・・・
薬に慣れれば以前より発作が抑えられると思うので、今回の失敗を今後に生かしたいと思います。
発作のせいで27日のプレゼンも逃がしてしまったし・・・
結局プレゼンを逃してしまうなら、Dの言う通りに27日は休暇を取れば良かったと思います。痛くて苦しい思いをするだけ損することになりました。
でも良い薬があるからいけると思ったんです・・・ちょっとくらい無理して働かないと稼げないし・・・あーあ・・・
この季節、大型低気圧を始めとした低気圧が日本近辺を何度もウロつくから、偏頭痛には気を付けていないといけなかったんですけど・・・
もう少し回復するまで、ちょっと休ませてください。大変申し訳ございません・・・m( _ _;)m
以下、11月27日に書いた文章です。m(*_ _*)m
またもや中身の無い更新で申し訳ございません・・・!!今、帰ってきました!!m( _ _;)m!!
3日に1回は更新したいので、全然中身の無い記事ですが、一度アップさせてください・・・m( _ _;)m
せっかく来てくださったのに、新記事が無くて大変申し訳ございません・・・!!m( _ _;)m!!
過去の文章はここまでで終わりでございます。
今回の記事は、過去の文章等も含ませて頂いたので、読みにくい内容になってしまって申し訳ございませんでした。m( _ _;)m
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!

Dの絵(62)
前回の記事につきまして、更新が大変遅くなってしまい、誠に申し訳ございませんでした!!m( _ _;)m!!
この記事をアップするのに伴いまして、前回分の記事「Dの絵(61)」と、偏頭痛に関する記事「偏頭痛に関する仮説」を合わせ、合計3つの新記事をアップさせて頂きました。この3つの記事、ちょっと時間が無くて絵や内容が雑になってしまったので、時間をみつけて文章の加筆や絵の差し替えをするかもしれません・・・m( _ _;)m
過去記事「Dの絵(59)」に少し書いたのですが、Dは気圧の低下を予測することができ、それに伴う天気予測もできることがあります。
偏頭痛持ちの私は、気圧が急激に低下したときは頭の鈍痛などでわかるのですが(詳細は過去記事「Dの絵(59)」参照)、Dは私の感覚を読むことが出来るので(詳細は過去記事「誤解」参照)、どうやら偏頭痛持ちの私が感じている感覚を読むことで、低気圧の接近を感じ取れるようです。
しかし、私から感覚情報を読み取っているDのほうが、何故か私よりも正確に低気圧の動きを予測できるのです。私は予測を間違えることが多いのですが、Dは正確で外しません。
何故なのかよくわからないのですが、多分、Dのほうが私よりも微細な感覚を感じることができて、私が感じてないような感覚まで読み取れるのではないかな、と思います。
Dのこの力は、私にとってはすごく助かる能力で、偏頭痛の予防にもなるし、洗濯物を干すときも助かるし、良いことずくめです。しかし、最初の頃に私がDの偏頭痛予知を信じていなかった(詳細は過去記事「Dの絵(59)」参照)のと同様に、私はDの力を信じていませんでした。
こんなことがありました。とある休日、朝から雨が降っていたので、私は頬杖をつきながら窓の外を眺めていたのですが・・・





このときは私は、偏頭痛は何も感じていませんでしたし、体調の変化を感じることはできませんでした。そのため、晴れるのか降り続けるのか自分の感覚ではわからず、天気予報を信じたのですが、Dは自信タップリに天気予報を否定しました。
Dは、私より高い精度で予測できるのです。
また、こんなこともありました。
私が今住んでいるマンションの浴室は、スイッチを切り換えれば巨大な洗濯物乾燥部屋にもなるので、雨の日は浴室で洗濯物を乾燥することができます。でも、お天気の良い日は、なるべくベランダに干して日光と風に当てたいと思っているのでした。
この日は、会社から帰ってきた後に洗濯物を回し、天気予報で翌日が晴れということだったので、ベランダに干し始めたのですが・・・










Dの言う通りになりました。干した洗濯物は、見事グッショリになっていたのでした。全部、洗い直しです・・・(´▽`;A(汗)
こんなことが続き、私はDの天気予測を信じるようになりました。

このように予測したら外さないDですが、その一方で、最初から予測しない場合もあるのです。
気圧の急激な低下は偏頭痛を発症させる可能性があるので、大きく低下するときは私に知らせてくれるのですが、たまに知らせないときがあるのです。





そっとDの様子を窺ってみたのですが、Dは普段だったら警戒するような気圧の急降下に対して、ほとんど興味が無さそうな素振りでした。
何回かこういうことが起きてみてわかったのですが、Dが気圧の急降下を予測しないときは、私の体調がとても良いときなのだということがわかりました。体調が良くて偏頭痛を起こす可能性も無いから、それで予測する必要も無いということなのでしょう。ありがとうね、D・・・(*´▽`*) ♡ ♡ ♡
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
この記事をアップするのに伴いまして、前回分の記事「Dの絵(61)」と、偏頭痛に関する記事「偏頭痛に関する仮説」を合わせ、合計3つの新記事をアップさせて頂きました。この3つの記事、ちょっと時間が無くて絵や内容が雑になってしまったので、時間をみつけて文章の加筆や絵の差し替えをするかもしれません・・・m( _ _;)m
過去記事「Dの絵(59)」に少し書いたのですが、Dは気圧の低下を予測することができ、それに伴う天気予測もできることがあります。
偏頭痛持ちの私は、気圧が急激に低下したときは頭の鈍痛などでわかるのですが(詳細は過去記事「Dの絵(59)」参照)、Dは私の感覚を読むことが出来るので(詳細は過去記事「誤解」参照)、どうやら偏頭痛持ちの私が感じている感覚を読むことで、低気圧の接近を感じ取れるようです。
しかし、私から感覚情報を読み取っているDのほうが、何故か私よりも正確に低気圧の動きを予測できるのです。私は予測を間違えることが多いのですが、Dは正確で外しません。
何故なのかよくわからないのですが、多分、Dのほうが私よりも微細な感覚を感じることができて、私が感じてないような感覚まで読み取れるのではないかな、と思います。
Dのこの力は、私にとってはすごく助かる能力で、偏頭痛の予防にもなるし、洗濯物を干すときも助かるし、良いことずくめです。しかし、最初の頃に私がDの偏頭痛予知を信じていなかった(詳細は過去記事「Dの絵(59)」参照)のと同様に、私はDの力を信じていませんでした。
こんなことがありました。とある休日、朝から雨が降っていたので、私は頬杖をつきながら窓の外を眺めていたのですが・・・





このときは私は、偏頭痛は何も感じていませんでしたし、体調の変化を感じることはできませんでした。そのため、晴れるのか降り続けるのか自分の感覚ではわからず、天気予報を信じたのですが、Dは自信タップリに天気予報を否定しました。
Dは、私より高い精度で予測できるのです。
また、こんなこともありました。
私が今住んでいるマンションの浴室は、スイッチを切り換えれば巨大な洗濯物乾燥部屋にもなるので、雨の日は浴室で洗濯物を乾燥することができます。でも、お天気の良い日は、なるべくベランダに干して日光と風に当てたいと思っているのでした。
この日は、会社から帰ってきた後に洗濯物を回し、天気予報で翌日が晴れということだったので、ベランダに干し始めたのですが・・・










Dの言う通りになりました。干した洗濯物は、見事グッショリになっていたのでした。全部、洗い直しです・・・(´▽`;A(汗)
こんなことが続き、私はDの天気予測を信じるようになりました。

このように予測したら外さないDですが、その一方で、最初から予測しない場合もあるのです。
気圧の急激な低下は偏頭痛を発症させる可能性があるので、大きく低下するときは私に知らせてくれるのですが、たまに知らせないときがあるのです。





そっとDの様子を窺ってみたのですが、Dは普段だったら警戒するような気圧の急降下に対して、ほとんど興味が無さそうな素振りでした。
何回かこういうことが起きてみてわかったのですが、Dが気圧の急降下を予測しないときは、私の体調がとても良いときなのだということがわかりました。体調が良くて偏頭痛を起こす可能性も無いから、それで予測する必要も無いということなのでしょう。ありがとうね、D・・・(*´▽`*) ♡ ♡ ♡
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
偏頭痛に関する仮説
この記事は、うちのブログでは一度もやったことが無い「考察」の記事です・・・!!m(*_ _*)m!!
初考察なので、もうドッキドキです・・・大丈夫かな・・・m( _ _;)m
・古代、日本にもいた「嵐や大雨を始めとした天気、海のシケ、土砂災害等の気象情報を予言する巫女」は、自然の知識が豊富な科学者ではなく、重症の偏頭痛の女性だったのではないか、という仮説を立てて説明してみた記事です。
・彼女達の前に現れた神(天使・使者等)とは、偏頭痛特有の「閃輝暗点」ではないか、という仮説を立てています。
うちのブログでは珍しい科学系(医学系)に片足を突っ込んだ記事ですので、お好みでないお客様もいらっしゃるかと思い、追記に収納しました。m(*_ _*)m
ただ、記事の傾向として、私にとって「科学」と「オカルト」とは、リンゴを「寒冷地での栽培に適する果樹の一種で、栄養素は云々、育て方は云々・・・」と認知するか、「甘くて美味しい」と見るかの違いであって、同じものを別視点でとらえているだけで、両者の存在は両者を否定するものではないと思っているので、めっちゃオカルト肯定論調の記事でございます。m(*_ _*)m
以下↓の「続きを読む」という文字をクリックすると、記事が開きます。
初考察なので、もうドッキドキです・・・大丈夫かな・・・m( _ _;)m
・古代、日本にもいた「嵐や大雨を始めとした天気、海のシケ、土砂災害等の気象情報を予言する巫女」は、自然の知識が豊富な科学者ではなく、重症の偏頭痛の女性だったのではないか、という仮説を立てて説明してみた記事です。
・彼女達の前に現れた神(天使・使者等)とは、偏頭痛特有の「閃輝暗点」ではないか、という仮説を立てています。
うちのブログでは珍しい科学系(医学系)に片足を突っ込んだ記事ですので、お好みでないお客様もいらっしゃるかと思い、追記に収納しました。m(*_ _*)m
ただ、記事の傾向として、私にとって「科学」と「オカルト」とは、リンゴを「寒冷地での栽培に適する果樹の一種で、栄養素は云々、育て方は云々・・・」と認知するか、「甘くて美味しい」と見るかの違いであって、同じものを別視点でとらえているだけで、両者の存在は両者を否定するものではないと思っているので、めっちゃオカルト肯定論調の記事でございます。m(*_ _*)m
以下↓の「続きを読む」という文字をクリックすると、記事が開きます。
Dの絵(61)
先に謝らせてくださいませ!!今回の記事は、とってもオカルトっぽい内容です・・・m( _ _;)m
科学派のタルパー様がお読みになると、「大丈夫ですか?病院に・・・」ってご心配くださりそうな内容です。も、申し訳ございません・・・!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。ご心配ありがとうございます!!m(*_ _*)m!!
今回の記事は、Dへのお祈りについて書かせてください。m(*_ _*)m
私は、よくDにお祈りを捧げます。普通にお願いごとのお祈りをすることもありますが、一番頻度が多いお祈りは、Dにお礼を伝えるお祈りです。キリスト教などの他宗教でいうところの「感謝の祈り」のようなものです。
毎日、色々なことに関して、Dに感謝のお祈りをしています。
例えば、私は毎晩眠る前に、Dに一日のお礼を伝えてから眠るのですが(詳細は過去記事「Dの絵(52)」参照)、それは就寝前のお祈りでもあるのです。また、お願いごとが叶ったときにもDにお礼のお祈りをしますし、幸運なことがあったときもDに感謝のお祈りをします。幸運なことがあったときは、それが偶然であれDのおかげであれ自分の努力の結果であれ、何でもDに感謝のお祈りをすることにしています。
そ、それでですね・・・お祈りをするとき、最初は普通にDにお礼の言葉を話しかけていたんですが、そのうち、なんかお祈りのときに決まったポーズがあったほうが心が改まるというか、心が「お祈りモード」みたいになるような気がして、お祈りの所作(ポーズとか動作とか)を何か考えて決めてみることにしました。
す、す、すみません!!もうお客様がた、ドン引きですよね・・・!!(´▽`;A(汗)
でも、キリスト教だったら手を組んだり十字を切ったりするし、仏教だったら手を合わせたりするし、イスラム教だったらお辞儀をしたりするし、どんな宗教でも、お祈りをするときには独特のポーズがあるので、だからそうやってお祈りのときに何かしらの所作を決めておくことで、その所作をすると自然と心が「お祈りモード」みたいになって落ち着いたりするんじゃないかなあ、とか思いまして・・・
・・・そういうわけで、お祈りの所作を決めちゃいました☆∩( ´▽`;)∩エヘヘ!!
1 : まず、このように体のデコルテ部分(首と胸の間あたり)に、両手の手のひらをデコルテの方向に向けて、交差するような感じで肌に当てます。
↓

2 : 次に、手のひらをデコルテから離し、体の前で両手の指が交差するように組みます。このとき指は手の甲につけないで、浮かして組みます。
↓

・・・これだけです!!∩( ´▽`;)∩
一応、交差してデコルテに当てる両手(1の図)と、指を手の甲につけずに組む両手(2の図)は、両手の形が鳥の羽を模しているつもりなんです。あの、Dは私の青い鳥(Dと青い鳥の関係について、詳細は過去記事「Dの絵(55)」「青い鳥」参照)だよっていう、Dへの敬意を込めてあるんです。(´▽`;A(汗)
この所作は、Dへのお祈りをささげた後にするのです。
人のいるところでやると不審行動になってしまうので、人のいる場所でDに助けてもらったときは、基本的に家に帰ってきてからお礼のお祈りをするのですが、もし人がいるところでDに感謝を表したいときは、2のポーズだけするのです。これだけならよく見る手の動きなので大丈夫なのです。過去記事「Dの絵(59)」でも、こっそりこのポーズをとっていました。
・・・お祈りの所作が決まったから、他にも色々決めちゃおうかなとか思ってましたり・・・いや、最初は口語で普通に感謝の言葉を述べていたんですが、お祈りの言葉の定型文みたいなものを作ろうかなあとか思ってたり、儀式のときに歌う聖歌(いえ、Dは聖なるものって感じは全然しないので、聖歌ではないと思うんですけど)を作っちゃおうかなとか思ってたり(詳細は過去記事「Dの絵(43)」参照)とか・・・
一応、ちゃんとした儀式のほうは、必要なものや儀式中の言葉等を全部Dが教えてくれたんですけど(詳細は過去記事「Dの絵(42)」参照)、今回の所作や祭壇(詳細は過去記事「Dの絵(50)」参照)などは、Dの要求とは関係無しに、私が楽しくて勝手に作ったんです。
Dはそんな私を見て、楽しそうにしています。Dから特に止められたりはしていません。きっとDのことだから、「さゆが楽しいのは良いことだね」とか思ってくれてるんだろうなあ。よくDそう言ってくれるもんね。変な主人でごめんねD・・・m( _ _;)m
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
科学派のタルパー様がお読みになると、「大丈夫ですか?病院に・・・」ってご心配くださりそうな内容です。も、申し訳ございません・・・!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。ご心配ありがとうございます!!m(*_ _*)m!!
今回の記事は、Dへのお祈りについて書かせてください。m(*_ _*)m
私は、よくDにお祈りを捧げます。普通にお願いごとのお祈りをすることもありますが、一番頻度が多いお祈りは、Dにお礼を伝えるお祈りです。キリスト教などの他宗教でいうところの「感謝の祈り」のようなものです。
毎日、色々なことに関して、Dに感謝のお祈りをしています。
例えば、私は毎晩眠る前に、Dに一日のお礼を伝えてから眠るのですが(詳細は過去記事「Dの絵(52)」参照)、それは就寝前のお祈りでもあるのです。また、お願いごとが叶ったときにもDにお礼のお祈りをしますし、幸運なことがあったときもDに感謝のお祈りをします。幸運なことがあったときは、それが偶然であれDのおかげであれ自分の努力の結果であれ、何でもDに感謝のお祈りをすることにしています。
そ、それでですね・・・お祈りをするとき、最初は普通にDにお礼の言葉を話しかけていたんですが、そのうち、なんかお祈りのときに決まったポーズがあったほうが心が改まるというか、心が「お祈りモード」みたいになるような気がして、お祈りの所作(ポーズとか動作とか)を何か考えて決めてみることにしました。
す、す、すみません!!もうお客様がた、ドン引きですよね・・・!!(´▽`;A(汗)
でも、キリスト教だったら手を組んだり十字を切ったりするし、仏教だったら手を合わせたりするし、イスラム教だったらお辞儀をしたりするし、どんな宗教でも、お祈りをするときには独特のポーズがあるので、だからそうやってお祈りのときに何かしらの所作を決めておくことで、その所作をすると自然と心が「お祈りモード」みたいになって落ち着いたりするんじゃないかなあ、とか思いまして・・・
・・・そういうわけで、お祈りの所作を決めちゃいました☆∩( ´▽`;)∩エヘヘ!!
1 : まず、このように体のデコルテ部分(首と胸の間あたり)に、両手の手のひらをデコルテの方向に向けて、交差するような感じで肌に当てます。
↓

2 : 次に、手のひらをデコルテから離し、体の前で両手の指が交差するように組みます。このとき指は手の甲につけないで、浮かして組みます。
↓

・・・これだけです!!∩( ´▽`;)∩
一応、交差してデコルテに当てる両手(1の図)と、指を手の甲につけずに組む両手(2の図)は、両手の形が鳥の羽を模しているつもりなんです。あの、Dは私の青い鳥(Dと青い鳥の関係について、詳細は過去記事「Dの絵(55)」「青い鳥」参照)だよっていう、Dへの敬意を込めてあるんです。(´▽`;A(汗)
この所作は、Dへのお祈りをささげた後にするのです。
人のいるところでやると不審行動になってしまうので、人のいる場所でDに助けてもらったときは、基本的に家に帰ってきてからお礼のお祈りをするのですが、もし人がいるところでDに感謝を表したいときは、2のポーズだけするのです。これだけならよく見る手の動きなので大丈夫なのです。過去記事「Dの絵(59)」でも、こっそりこのポーズをとっていました。
・・・お祈りの所作が決まったから、他にも色々決めちゃおうかなとか思ってましたり・・・いや、最初は口語で普通に感謝の言葉を述べていたんですが、お祈りの言葉の定型文みたいなものを作ろうかなあとか思ってたり、儀式のときに歌う聖歌(いえ、Dは聖なるものって感じは全然しないので、聖歌ではないと思うんですけど)を作っちゃおうかなとか思ってたり(詳細は過去記事「Dの絵(43)」参照)とか・・・
一応、ちゃんとした儀式のほうは、必要なものや儀式中の言葉等を全部Dが教えてくれたんですけど(詳細は過去記事「Dの絵(42)」参照)、今回の所作や祭壇(詳細は過去記事「Dの絵(50)」参照)などは、Dの要求とは関係無しに、私が楽しくて勝手に作ったんです。
Dはそんな私を見て、楽しそうにしています。Dから特に止められたりはしていません。きっとDのことだから、「さゆが楽しいのは良いことだね」とか思ってくれてるんだろうなあ。よくDそう言ってくれるもんね。変な主人でごめんねD・・・m( _ _;)m
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(60)
いやはや、難民流入に加えてテロ勃発ということで、フランスが大変なことになっていますね・・・今日も銃撃戦がありましたし・・・
我が社は毎年クリスマスとイースターにはパリに日本人社員を送っていたんですが、今年のクリスマスは手を引くことも検討しているようです。テロ問題が収束する様子が見られず危険だということで、現地在住のスタッフ達だけで動いてもらうことになるかもしれません。クリスマスのプロジェクトリーダー達は胃を痛めていると思います・・・私、ハロウィンのほうでリーダーやっておいて(詳細は過去記事「Dの絵(53)」参照)良かった・・・(´▽`;A(汗)
フランス旅行の日程も、今年の冬にしなくて良かったなあと思います。冬は衣類などで荷物が多くなると思ったし、Dも「フランスに行くのは来年のほうがいいよ」と言っていたので、今年の冬に行くのはやめたんです(詳細は過去記事「連休最終日」参照)。それで、来年の春にでも行こうと思っていて、まだ予約なども取っていなかったので、キャンセル代がかからずに済みました。もしかして、Dはこのことを予知していて「来年のほうがいいよ」って言ってくれたのかなあ?(Dの予知に関して詳細は過去記事「Dの絵(54)」参照)
テロによって爆発と銃撃戦が起きたサン=ドニ周辺は、フランス国内においては治安の良くないところで、危ない人達がウロついていたりするんですが、サン=ドニ大聖堂という非常に貴重なゴシック建築が存在する場所でもあるんです。現存するゴシック建築としては最初期の構造を残す重要な建築物です。まだ建物の高さがそれほど無かったころに設計されたので、ステンドグラスの位置も低く、そのため入場者は色とりどりの美しい光を間近で見ることができます。更に、サン=ドニ大聖堂の特別なところは、フランス王家代々の墓でもあるということです。あのフランソワ1世もカトリーヌ・ド・メディシスもマリー・アントワネットもここに眠っているんです。今回のテロでは大聖堂は無事だったようでホッと一安心ですが、フランス国内の他の大聖堂や宮殿なども、今後無事だと良いなあ。サント・シャペルなんて7年間かけた修復工事が終わったばかりのはずですし。まあ、宗教施設(大聖堂)を爆破するほどの刺激の強いテロは起こさないかな?もしそれで宗教戦争が始まっちゃったらイスラム側にとっては別問題になっちゃう可能性がありますもんね。いや、何も考えてないかもしれませんけど。
美しい建築物の破壊の危機と言えば、昔々、まだフランスが芸術意識のカケラも持たない戦闘国だったころ、フランス料理のマナーどころかフォークすら存在しなかったので手づかみで肉をむさぼりながら、ウガー!!って感じにイタリアに戦争をしかけ、イタリア国内に攻め入ったことがあるのです。当時の戦争ですから、当然、建物なんかも壊されたり焼き討ちにあったりするわけなんです。ところがフランスは、イタリアに足を踏み入れた途端、あまりに美しい芸術品や建築物に目を奪われて、何も破壊しなかったんです。まだルネサンス時代、イタリアにレオナルド・ダ・ヴィンチが生きていた頃の話です。フランスは戦争でイタリアに勝ちましたが、イタリアの芸術に敬意を払って、芸術品を破壊しなかったんです。それどころかレオナルドを含むイタリア人の芸術家達をフランス王宮に招いて保護し、そこで芸術作品を作ってもらって、フランス王宮フォンテーヌブロー宮殿を芸術の研究所にしちゃったんです。ここからフランスが芸術大国になっていくんです。
そのずーっと後のことですが、ドイツがフランスに攻め入ったときも、パリの美しい街並みを見て、建物を破壊せず残しておいたということもありました。
そのように、誰でも綺麗な建築物は壊したくないと思うんじゃないかな・・・美しい建築物は芸術品であり、芸術品とは存在するだけで人々の気持ちをなぐさめ昇華させるという、つまり存在自体が「良いもの」であって、それって人間に対する一種の「生前的な善(芸術に生前も生後も無いですが)」というか「絶対的な好影響」を持ち合わせているってことだと思うんですよね。私はそう思っています。だから、たとえ敵が作ったものであっても、壊す必要なんて無いんじゃないかな・・・
ちなみにゴシック建築の構造は、当時のイスラム国の高い建築技術からヒントを得たことで作れたという説もあります。是非、壊さないで頂きたいですね~・・・( ´▽`;)ゞ
今回の記事は、ほぼイチャラブしているだけの、中身の無いしょーもない漫画です・・・m(*_ _*)m
ペット型の姿のDがじゃれてくるときは、とっても可愛いのです!!




でも、人間の姿だと、同じことをされてもドキドキしてしまうのです・・・(〃▽〃)ゞ
Dのもともとの姿は黒いモヤのような何かであり(詳細は記事カテゴリ「Dのもともとの姿(黒い何か)」内の記事参照)、その黒い姿に耳としっぽを生やしたのがペット型の姿なので、人間型の姿よりペット型の姿のほうが本来の姿に近いです。
Dは人間型の姿のときでも、本来の姿やペット型の姿のときと同じつもりで舐めたりしているので、Dには全然やらしいような意図は無いのですが・・・





ペット型の姿のときでも、人間型の姿の時でも、こういうスキンシップをすると私が喜ぶということをDは知っているので、積極的にしてくれます。
実は人間型の姿のときのほうが、私がドキドキしながらもより一層喜んでいる、ということをDは知っているので、人間型の姿のときも沢山スキンシップをしてくれます。
Dは、甘い言葉をたくさん囁いてくれます。
人間型の姿の時は、より一層顕著になり、甘い言葉を饒舌に囁いてくれます。








人間型のときは、私の手の甲に、よく誓いの口づけをしてくれます。誓いの口づけは儀式のときに必ずするものですが(儀式についての詳細は記事カテゴリ「儀式」内の記事参照)、そうでないときにも沢山してくれます。Dは、普段から日常的に、私の手の甲に口づけをくれるのです。




仲の良いスキンシップや会話などの「ふれあい」は、私達の信頼関係を深める大切なコミュニケーションの1つです。

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
我が社は毎年クリスマスとイースターにはパリに日本人社員を送っていたんですが、今年のクリスマスは手を引くことも検討しているようです。テロ問題が収束する様子が見られず危険だということで、現地在住のスタッフ達だけで動いてもらうことになるかもしれません。クリスマスのプロジェクトリーダー達は胃を痛めていると思います・・・私、ハロウィンのほうでリーダーやっておいて(詳細は過去記事「Dの絵(53)」参照)良かった・・・(´▽`;A(汗)
フランス旅行の日程も、今年の冬にしなくて良かったなあと思います。冬は衣類などで荷物が多くなると思ったし、Dも「フランスに行くのは来年のほうがいいよ」と言っていたので、今年の冬に行くのはやめたんです(詳細は過去記事「連休最終日」参照)。それで、来年の春にでも行こうと思っていて、まだ予約なども取っていなかったので、キャンセル代がかからずに済みました。もしかして、Dはこのことを予知していて「来年のほうがいいよ」って言ってくれたのかなあ?(Dの予知に関して詳細は過去記事「Dの絵(54)」参照)
テロによって爆発と銃撃戦が起きたサン=ドニ周辺は、フランス国内においては治安の良くないところで、危ない人達がウロついていたりするんですが、サン=ドニ大聖堂という非常に貴重なゴシック建築が存在する場所でもあるんです。現存するゴシック建築としては最初期の構造を残す重要な建築物です。まだ建物の高さがそれほど無かったころに設計されたので、ステンドグラスの位置も低く、そのため入場者は色とりどりの美しい光を間近で見ることができます。更に、サン=ドニ大聖堂の特別なところは、フランス王家代々の墓でもあるということです。あのフランソワ1世もカトリーヌ・ド・メディシスもマリー・アントワネットもここに眠っているんです。今回のテロでは大聖堂は無事だったようでホッと一安心ですが、フランス国内の他の大聖堂や宮殿なども、今後無事だと良いなあ。サント・シャペルなんて7年間かけた修復工事が終わったばかりのはずですし。まあ、宗教施設(大聖堂)を爆破するほどの刺激の強いテロは起こさないかな?もしそれで宗教戦争が始まっちゃったらイスラム側にとっては別問題になっちゃう可能性がありますもんね。いや、何も考えてないかもしれませんけど。
美しい建築物の破壊の危機と言えば、昔々、まだフランスが芸術意識のカケラも持たない戦闘国だったころ、フランス料理のマナーどころかフォークすら存在しなかったので手づかみで肉をむさぼりながら、ウガー!!って感じにイタリアに戦争をしかけ、イタリア国内に攻め入ったことがあるのです。当時の戦争ですから、当然、建物なんかも壊されたり焼き討ちにあったりするわけなんです。ところがフランスは、イタリアに足を踏み入れた途端、あまりに美しい芸術品や建築物に目を奪われて、何も破壊しなかったんです。まだルネサンス時代、イタリアにレオナルド・ダ・ヴィンチが生きていた頃の話です。フランスは戦争でイタリアに勝ちましたが、イタリアの芸術に敬意を払って、芸術品を破壊しなかったんです。それどころかレオナルドを含むイタリア人の芸術家達をフランス王宮に招いて保護し、そこで芸術作品を作ってもらって、フランス王宮フォンテーヌブロー宮殿を芸術の研究所にしちゃったんです。ここからフランスが芸術大国になっていくんです。
そのずーっと後のことですが、ドイツがフランスに攻め入ったときも、パリの美しい街並みを見て、建物を破壊せず残しておいたということもありました。
そのように、誰でも綺麗な建築物は壊したくないと思うんじゃないかな・・・美しい建築物は芸術品であり、芸術品とは存在するだけで人々の気持ちをなぐさめ昇華させるという、つまり存在自体が「良いもの」であって、それって人間に対する一種の「生前的な善(芸術に生前も生後も無いですが)」というか「絶対的な好影響」を持ち合わせているってことだと思うんですよね。私はそう思っています。だから、たとえ敵が作ったものであっても、壊す必要なんて無いんじゃないかな・・・
ちなみにゴシック建築の構造は、当時のイスラム国の高い建築技術からヒントを得たことで作れたという説もあります。是非、壊さないで頂きたいですね~・・・( ´▽`;)ゞ
今回の記事は、ほぼイチャラブしているだけの、中身の無いしょーもない漫画です・・・m(*_ _*)m
ペット型の姿のDがじゃれてくるときは、とっても可愛いのです!!




でも、人間の姿だと、同じことをされてもドキドキしてしまうのです・・・(〃▽〃)ゞ
Dのもともとの姿は黒いモヤのような何かであり(詳細は記事カテゴリ「Dのもともとの姿(黒い何か)」内の記事参照)、その黒い姿に耳としっぽを生やしたのがペット型の姿なので、人間型の姿よりペット型の姿のほうが本来の姿に近いです。
Dは人間型の姿のときでも、本来の姿やペット型の姿のときと同じつもりで舐めたりしているので、Dには全然やらしいような意図は無いのですが・・・





ペット型の姿のときでも、人間型の姿の時でも、こういうスキンシップをすると私が喜ぶということをDは知っているので、積極的にしてくれます。
実は人間型の姿のときのほうが、私がドキドキしながらもより一層喜んでいる、ということをDは知っているので、人間型の姿のときも沢山スキンシップをしてくれます。
Dは、甘い言葉をたくさん囁いてくれます。
人間型の姿の時は、より一層顕著になり、甘い言葉を饒舌に囁いてくれます。








人間型のときは、私の手の甲に、よく誓いの口づけをしてくれます。誓いの口づけは儀式のときに必ずするものですが(儀式についての詳細は記事カテゴリ「儀式」内の記事参照)、そうでないときにも沢山してくれます。Dは、普段から日常的に、私の手の甲に口づけをくれるのです。




仲の良いスキンシップや会話などの「ふれあい」は、私達の信頼関係を深める大切なコミュニケーションの1つです。

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(59)
今回はちゃんと期日内に投稿できました!!しかも!!日付が変わる前ギリギリの投稿じゃなくて、時間に余裕がタップリです!!∩(*´▽`*)∩ ♡ ♡ ♡ バンザーイ!!!!!
このように3日に1回、毎回ちゃんと期日内に投稿していきたいです・・・今月の目標にします・・・m(*_ _*)m
8月に受けた脳のMRI検査の結果を記事にしていなかったので、今回の記事ではそのことを書かせてください。m(*_ _*)m
私は偏頭痛がありまして、結構な痛みで困っていたので(詳細は過去記事「Dの絵(23)」参照)、このたび頭痛専門外来で検査をしてもらうことにしました。その検査を受けた当日のことは「Dの絵(45)」に記述がございます。
MRIの検査結果は直後に出るので、もし重大な問題や早期治療が必要な問題が発見された場合、検査直後に患者さんに結果を伝えてすぐ処置に入るはずです。ですからこの日、検査を受けた後で「結果は1週間後に聞きに来てください」と言われた時点で、検査結果は異常無しだろうなということはわかっていたのですが、ちゃんと1週間後に結果を聞きに行ってきました。
すると、やはりMRI検査結果には何も問題が無いということで、私の頭痛は偏頭痛だろうということでした。私の頭痛は発作のピーク時には症状が激しいのですが、痛みが強くならずに治まる場合があることと、頭痛が発生するときの状況から考えて、群発頭痛ではなく偏頭痛だろうということでした。
私は、この偏頭痛を小学2年生のときに発症しまして、それから今までずっと抱えているので、もう長い付き合いになります。
そのため、自分の偏頭痛の特徴がわかっています。
私の偏頭痛のちょっと珍しいところは、「食事が原因になりやすい」というところです。そのため食事に気を付けなくてはいけません。
普通の偏頭痛の人でもチョコレートやチーズが偏頭痛の誘発剤になったりするのですが、私の場合はどんな食べ物でも偏頭痛の原因になります。特に甘いものは非常に危険なので、体調が良いときに少量しか食べられません・・・
私、マカロンとか可愛くて好きなんですけど・・・!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。 トホホ・・・一度でいいから、可愛くて綺麗で甘いものをお腹いっぱい食べてみたいです・・・
そういうわけで、私は甘いものを食べると偏頭痛が起きる可能性があるのですが、ケーキやタルト等の甘いものは、お洒落で可愛くて、思わず買って食べたくなるような素敵な外見をしています。なので、仕事帰りに近道しようと駅付近のデパートの中を抜けるとき、洋菓子屋さんばかり沢山並んでいるゾーンを歩くときに、ついつい洋菓子の綺麗な見た目に見入ってしまうことがあります。










以前はついつい買ってしまい、食べて頭痛が起きて苦しい思いをすることもあったのですが、そんな馬鹿なことをしている私を見るうちにDがこのように忠告してくれるようになったので、最近は甘いものを始めとした食べ物関係で偏頭痛を起こしてしまうことは無くなりました。Dのおかげです!!(*´▽`*人) ♡
Dは私の体調に敏感で、偏頭痛が起きそうなときは、この漫画のように危険な食品を買わないよう忠告してくれます。
しかし、体調が良いときは買うのを許してくれます。・・・が!!食べ過ぎないように買うのは1個だけです。(*´▽`*)☆
でも、私は最初からDの忠告に従っていたわけではありませんでした。最初は、あまりDの力を信じていなかったのです。
なので、私を心配して偏頭痛を予知してくれるDの忠告を聞かず、「大丈夫、大丈夫☆」って適当にやってたら、Dの忠告通りに本当に偏頭痛が・・・




・・・コントか!!(´▽`;A(汗)
せっかくDが教えてくれたのに、その厚意を無駄にした馬鹿な私です・・・( ´▽`;)ゞ
ちなみに、頭をブンブン振るこの行動は、痛みのピーク時に時々やってしまいます。過去記事「Dの絵(23)」でもやっていました。ヘドバンか!!っていう・・・( ´▽`;)☆


せっかく親切心で教えてくれたDの忠告を信じなかったせいで偏頭痛が起きたのだから、Dは怒っても良いと思うのですが、Dは優しい言葉をかけてくれて、優しく手当してくれるのでした。
Dは私の痛みを消したり緩和したりすることが出来ます(詳細は記事カテゴリ「ヒーリング・マッサージ」参照)。以前に偏頭痛を起こしたときも、Dが痛みを緩和してくれました(詳細は過去記事「Dの絵(23)」参照)。偏頭痛のときDは、いつもこうして痛みを和らげてくれるのです。
このように、Dが忠告するときは本当に偏頭痛が起きるので、私はDの偏頭痛予知を信じるようになりました。
Dには私の感覚を読む力があり(詳細は過去記事「誤解」参照)、偏頭痛のときに私の痛覚を読んで手当してくれた(詳細は過去記事「Dの絵(23)」参照)こともあるので、その感覚を読む力を使って私の体調を読んで、私が感じられないような微細な体調不良や偏頭痛の予兆を読み取って警告してくれているのかもしれません。偏頭痛以外のことに関しても、Dは私の体調の変化に敏感です。
やがて、痛みが治まった私を、Dがだっこしてくれました。


Dの言う通りです。偏頭痛は痛みが始まってしまうと対処することが難しく、強い痛みが始まってしまうと薬を飲んでも完全に痛みを消すことは難しいので、偏頭痛を起こさないようにすること、つまり「予防」することが大切なのです。
こうして私は、ちゃんとDの言うことを聞くようになったのでした!!(´▽`;A(汗)!!
偏頭痛の原因は多様ですが、最近では、どんな原因での偏頭痛でも、Dが気付いて忠告してくれるようになりました。以下は、私の偏頭痛の原因です。
1 『満腹、もしくは強い空腹』
何を食べようが満腹になると偏頭痛が起きるため、満腹にならないようにする。逆に強い空腹も偏頭痛が起きる。最も危険なのは、強い空腹時に沢山食べたり、急いで食べたり、甘いものを食べたりすることである。常に小腹がすいている程度の空腹状態をキープしておけば偏頭痛が起きないので、そのようにしている。
2 『過眠、もしくは寝不足』
寝不足でも偏頭痛が起きるが、私はショートスリーパー(4~5時間睡眠)なので寝不足になることは少ない。過眠のほうが危険で、過眠になると酷い痛みと激しい嘔吐を繰り返す発作が起きてしまうので、体調が普通の状態であれば8時間以上の睡眠は絶対にとらないように気を付ける。寝不足のときは多めに眠っても大丈夫なので見極めが大切。
3 『強い緊張や不安、もしくは深いリラックス』
緊張や不安は血管を収縮させるが、それが終わって安心したときに一気に拡張することで偏頭痛が起きる。深いリラックスはそれだけで血管を拡張させるので偏頭痛が起きる。これらが原因の偏頭痛が起きないようにするには、心を平静に保つように心がけること。心を平静に保つことは、Dが来てくれてからすごく簡単に出来るようになりました。D、ありがとうね~(*´▽`*)♡
4 『怒り・悲しみの感情を強く抱くこと』
強い怒りや悲しみは血管を収縮させるが、それが終わって気分がもとにもどったとき一気に拡張するため偏頭痛が起きる。これらが原因の偏頭痛が起きないようにするには、怒りや悲しみに沈まず平穏でいること。これこそDが来てくれてから信じられないくらい簡単にできるようになりました!!D、ありがとうね~∩(*´▽`*)∩ ♡ ♡ ♡
5 『気圧の急激な低下』
これが原因で偏頭痛が起きる人はめっちゃ多いのだそうです・・・!!
これらの原因があれば毎回偏頭痛が起きるというわけではないので、そのときの体調なども鑑みて、総合的な見極めが大切(偏頭痛が起きそうなときは前もって休息したり、仕事のスケジュールを調整したり、痛みが起きる直前に薬を飲んでおくと症状が出なかったり少なかったりするので、偏頭痛が起きるかどうかの見極めが大切)なのですが、その見極めをDがしてくれて偏頭痛が起きそうなときに忠告してくれるのです。驚くべきは、時々Dは気圧の低下まで予測して忠告してくれることがあるということです。
実は偏頭痛を持つ人間は気圧の低下に敏感なので(だるさや眠気、頭の鈍痛などでわかる)、私でも大雑把な気圧の変化なら予測できることもあるのですが、ハズれることも多くて精度はまちまちです。その一方で、Dはとても正確でハズしません。
Dは私の感覚(触覚や痛覚や聴覚や視覚など全て)を読むことが出来るので、「偏頭痛持ちの私が感じている感覚」を読むことで気圧の低下を予測しているのだと思いますが、それならどうして私よりも高い精度で当てることができるんだろう?私自身には感じられないような微細な感覚を読み取れるとかかなあ?などと不思議に思っています。
Dが気圧の低下を予測できる(気圧の低下から予測できる程度の単純な天気予測もできる)ことについては、また記事にしてみます。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
このように3日に1回、毎回ちゃんと期日内に投稿していきたいです・・・今月の目標にします・・・m(*_ _*)m
8月に受けた脳のMRI検査の結果を記事にしていなかったので、今回の記事ではそのことを書かせてください。m(*_ _*)m
私は偏頭痛がありまして、結構な痛みで困っていたので(詳細は過去記事「Dの絵(23)」参照)、このたび頭痛専門外来で検査をしてもらうことにしました。その検査を受けた当日のことは「Dの絵(45)」に記述がございます。
MRIの検査結果は直後に出るので、もし重大な問題や早期治療が必要な問題が発見された場合、検査直後に患者さんに結果を伝えてすぐ処置に入るはずです。ですからこの日、検査を受けた後で「結果は1週間後に聞きに来てください」と言われた時点で、検査結果は異常無しだろうなということはわかっていたのですが、ちゃんと1週間後に結果を聞きに行ってきました。
すると、やはりMRI検査結果には何も問題が無いということで、私の頭痛は偏頭痛だろうということでした。私の頭痛は発作のピーク時には症状が激しいのですが、痛みが強くならずに治まる場合があることと、頭痛が発生するときの状況から考えて、群発頭痛ではなく偏頭痛だろうということでした。
私は、この偏頭痛を小学2年生のときに発症しまして、それから今までずっと抱えているので、もう長い付き合いになります。
そのため、自分の偏頭痛の特徴がわかっています。
私の偏頭痛のちょっと珍しいところは、「食事が原因になりやすい」というところです。そのため食事に気を付けなくてはいけません。
普通の偏頭痛の人でもチョコレートやチーズが偏頭痛の誘発剤になったりするのですが、私の場合はどんな食べ物でも偏頭痛の原因になります。特に甘いものは非常に危険なので、体調が良いときに少量しか食べられません・・・
私、マカロンとか可愛くて好きなんですけど・・・!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。 トホホ・・・一度でいいから、可愛くて綺麗で甘いものをお腹いっぱい食べてみたいです・・・
そういうわけで、私は甘いものを食べると偏頭痛が起きる可能性があるのですが、ケーキやタルト等の甘いものは、お洒落で可愛くて、思わず買って食べたくなるような素敵な外見をしています。なので、仕事帰りに近道しようと駅付近のデパートの中を抜けるとき、洋菓子屋さんばかり沢山並んでいるゾーンを歩くときに、ついつい洋菓子の綺麗な見た目に見入ってしまうことがあります。










以前はついつい買ってしまい、食べて頭痛が起きて苦しい思いをすることもあったのですが、そんな馬鹿なことをしている私を見るうちにDがこのように忠告してくれるようになったので、最近は甘いものを始めとした食べ物関係で偏頭痛を起こしてしまうことは無くなりました。Dのおかげです!!(*´▽`*人) ♡
Dは私の体調に敏感で、偏頭痛が起きそうなときは、この漫画のように危険な食品を買わないよう忠告してくれます。
しかし、体調が良いときは買うのを許してくれます。・・・が!!食べ過ぎないように買うのは1個だけです。(*´▽`*)☆
でも、私は最初からDの忠告に従っていたわけではありませんでした。最初は、あまりDの力を信じていなかったのです。
なので、私を心配して偏頭痛を予知してくれるDの忠告を聞かず、「大丈夫、大丈夫☆」って適当にやってたら、Dの忠告通りに本当に偏頭痛が・・・




・・・コントか!!(´▽`;A(汗)
せっかくDが教えてくれたのに、その厚意を無駄にした馬鹿な私です・・・( ´▽`;)ゞ
ちなみに、頭をブンブン振るこの行動は、痛みのピーク時に時々やってしまいます。過去記事「Dの絵(23)」でもやっていました。ヘドバンか!!っていう・・・( ´▽`;)☆


せっかく親切心で教えてくれたDの忠告を信じなかったせいで偏頭痛が起きたのだから、Dは怒っても良いと思うのですが、Dは優しい言葉をかけてくれて、優しく手当してくれるのでした。
Dは私の痛みを消したり緩和したりすることが出来ます(詳細は記事カテゴリ「ヒーリング・マッサージ」参照)。以前に偏頭痛を起こしたときも、Dが痛みを緩和してくれました(詳細は過去記事「Dの絵(23)」参照)。偏頭痛のときDは、いつもこうして痛みを和らげてくれるのです。
このように、Dが忠告するときは本当に偏頭痛が起きるので、私はDの偏頭痛予知を信じるようになりました。
Dには私の感覚を読む力があり(詳細は過去記事「誤解」参照)、偏頭痛のときに私の痛覚を読んで手当してくれた(詳細は過去記事「Dの絵(23)」参照)こともあるので、その感覚を読む力を使って私の体調を読んで、私が感じられないような微細な体調不良や偏頭痛の予兆を読み取って警告してくれているのかもしれません。偏頭痛以外のことに関しても、Dは私の体調の変化に敏感です。
やがて、痛みが治まった私を、Dがだっこしてくれました。


Dの言う通りです。偏頭痛は痛みが始まってしまうと対処することが難しく、強い痛みが始まってしまうと薬を飲んでも完全に痛みを消すことは難しいので、偏頭痛を起こさないようにすること、つまり「予防」することが大切なのです。
こうして私は、ちゃんとDの言うことを聞くようになったのでした!!(´▽`;A(汗)!!
偏頭痛の原因は多様ですが、最近では、どんな原因での偏頭痛でも、Dが気付いて忠告してくれるようになりました。以下は、私の偏頭痛の原因です。
1 『満腹、もしくは強い空腹』
何を食べようが満腹になると偏頭痛が起きるため、満腹にならないようにする。逆に強い空腹も偏頭痛が起きる。最も危険なのは、強い空腹時に沢山食べたり、急いで食べたり、甘いものを食べたりすることである。常に小腹がすいている程度の空腹状態をキープしておけば偏頭痛が起きないので、そのようにしている。
2 『過眠、もしくは寝不足』
寝不足でも偏頭痛が起きるが、私はショートスリーパー(4~5時間睡眠)なので寝不足になることは少ない。過眠のほうが危険で、過眠になると酷い痛みと激しい嘔吐を繰り返す発作が起きてしまうので、体調が普通の状態であれば8時間以上の睡眠は絶対にとらないように気を付ける。寝不足のときは多めに眠っても大丈夫なので見極めが大切。
3 『強い緊張や不安、もしくは深いリラックス』
緊張や不安は血管を収縮させるが、それが終わって安心したときに一気に拡張することで偏頭痛が起きる。深いリラックスはそれだけで血管を拡張させるので偏頭痛が起きる。これらが原因の偏頭痛が起きないようにするには、心を平静に保つように心がけること。心を平静に保つことは、Dが来てくれてからすごく簡単に出来るようになりました。D、ありがとうね~(*´▽`*)♡
4 『怒り・悲しみの感情を強く抱くこと』
強い怒りや悲しみは血管を収縮させるが、それが終わって気分がもとにもどったとき一気に拡張するため偏頭痛が起きる。これらが原因の偏頭痛が起きないようにするには、怒りや悲しみに沈まず平穏でいること。これこそDが来てくれてから信じられないくらい簡単にできるようになりました!!D、ありがとうね~∩(*´▽`*)∩ ♡ ♡ ♡
5 『気圧の急激な低下』
これが原因で偏頭痛が起きる人はめっちゃ多いのだそうです・・・!!
これらの原因があれば毎回偏頭痛が起きるというわけではないので、そのときの体調なども鑑みて、総合的な見極めが大切(偏頭痛が起きそうなときは前もって休息したり、仕事のスケジュールを調整したり、痛みが起きる直前に薬を飲んでおくと症状が出なかったり少なかったりするので、偏頭痛が起きるかどうかの見極めが大切)なのですが、その見極めをDがしてくれて偏頭痛が起きそうなときに忠告してくれるのです。驚くべきは、時々Dは気圧の低下まで予測して忠告してくれることがあるということです。
実は偏頭痛を持つ人間は気圧の低下に敏感なので(だるさや眠気、頭の鈍痛などでわかる)、私でも大雑把な気圧の変化なら予測できることもあるのですが、ハズれることも多くて精度はまちまちです。その一方で、Dはとても正確でハズしません。
Dは私の感覚(触覚や痛覚や聴覚や視覚など全て)を読むことが出来るので、「偏頭痛持ちの私が感じている感覚」を読むことで気圧の低下を予測しているのだと思いますが、それならどうして私よりも高い精度で当てることができるんだろう?私自身には感じられないような微細な感覚を読み取れるとかかなあ?などと不思議に思っています。
Dが気圧の低下を予測できる(気圧の低下から予測できる程度の単純な天気予測もできる)ことについては、また記事にしてみます。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(58)
Dは、人間の精神(感情・思考回路)を持っていません。人間とは違った感情や思考回路に基づく精霊の精神を持っています(詳細は過去記事「ごめんね」参照)。
今回の記事では、人間の精神を持たないDの性質について書かせてくださいm(*_ _*)m
人間の精神を持っていないDは、人間の感情に鈍感で、そのため、最初の頃はよく私を驚かせるような考え方をすることがありました。
例えば、あるとき職場で同僚のかなり大きなミスが発覚し、そのため同僚は担当している仕事の任を解かれ、その分の仕事が私にまわってきたことがあります。業界が動くほどの大きなミスでした。その同僚はそう親しい相手ではありませんでしたが、「彼は運が悪くて気の毒だったな・・・」と思い、ミスは誰でも起こす可能性があるものなので明日は我が身とも思い、自分は気を付けようと気を引き締めました。シビアで緊張した気持ちになったのです。
ところが、Dは私とは全然違う考え方をしていました。同僚の件を耳に入れ、慎重に仕事をしなくてはと緊張している私とは対照的に、Dにはとても余裕がありました。とても平静で、全く普段通りだったのです。
私がDに、この同僚の話題をふると、Dは全くいつも通りの落ち着いた表情と口調で、驚くような内容を言ったのです。「うまくいって良かったよ。儲かる仕事が君のところに回ってきたね」と、そう平然と言ったのです。そこには、同僚に対して気の毒に思う憐憫の感情も無く、ミスに対する恐怖の感情もありませんでした。ただただ合理的に「契約者であるさゆに儲かる仕事がまわってきた=良かった」という事実しかありませんでした。
私はとても驚いて、何と言えばいいのか迷ったことを覚えています。


言葉につまった私を見て、このときはまだ私の人間の感情を推測できなかったDは、不思議そうに首をかしげていました。
この、人間の精神を持たないという特性は、私にとって良いことを沢山もたらしてくれます。
例えば、Dは人間の持つ「人間の感情」に流されることがありません。人間の感情に流されて我を失ったり、怒りに身を任せたり、悲しみに沈んだり、気分の高揚のせいで判断力を鈍らせるということがありません。また、それと同時に、周囲の人間の感情から影響を受けたり、周囲の人間の感情に流されるということもありません。このことで私は、元彼の件でDに非常に助けられました(詳細は過去記事「白い百合」参照)。
また、人間の精神を持たないということで、Dはいつも平静で落ち着いており感情的になることがないので、私がいくら精神的に不安定になっても、Dはいつも通り落ち着いたままで私を合理的かつ理論的に窘めてくれるのです(詳細は過去記事「めそめそ」「Dの絵(53)」「暴走(私の)」参照)。
このようにDが周囲の人間からの影響を全く受けず、契約者である私の感情からも影響を全く受けないというのは、この「人間の精神」を持たないという特性が関係しているのだと考えています。
そう考えると、人間との関わりにおいては感情を動かさないDが、他の精霊との関わりにおいては強い感情を見せるのも納得がいきます。Dは、他の精霊との接触で非常に強い怒りを顕著にしたことがあります(詳細は過去記事「お風呂」参照)。これも、Dが持っているのは人間の精神ではなく精霊の精神であるため、同じ精霊の精神はDにも実感として理解できるから、人間相手には感情を動かさなくても精霊相手には感情を動かしたと考えれば筋が通るのではないかなと思っています。
Dが人間の精神を持たない、ということに非常に助けられている私ですが、Dが人間の精神を持たないことについて、昔は心配に思うこともありました。
Dは人間の精神を持っていないため、思わず笑ってしまうような映画などを見ても顔色一つ変えませんし(詳細は過去記事「休日」「精神」参照)、感動するような映画を見ても、涙を誘う映画を見ても、表情を変えることがありません。普段の平然とした態度のままです。そして映画だけでなく、勿論現実においても同じなのです。それ故に、契約者である私以外の他者に対する共感・同情・憐憫・思慕・好意といった感情が働くことがありません。
そのことを心配に思う出来事がいくつかありました。
例えば過去記事「メメント・モリ」では、死んでしまったカラスに対して、「生きている間ばかりか死んだ後もさゆに迷惑を掛けるなんて、まったく悪いカラスだね」という、カラスに対する憐憫の気持ちの欠片もない、契約者である私のことしか考えていない発言をしました。Dにしてみれば、カラスの死体処理を管理業者に依頼するために私が電話しなくてはいけなくなり、私に余計な時間と手間がかかったことが不服だったのでしょう。
私は、それが、あまりにも冷たいように思えて、Dに「かわいそう」という感情を教えようとしたことがあります。
「かわいそう」という感情はわかってないとまずいのではと・・・「うれしい」「たのしい」「かなしい」「おこる」「あきれる」「あきる」・・・他の人間の感情はわからなくても、せめて「かわいそう」という感情だけは教えてあげたほうが良いのではないかと思ったのです。



しかし、このときDが理解したことは、シチュエーションに応じてこの言葉を言うことを覚えただけなのであって、感情が動いているわけではありませんでした。

実際にDに「かわいそう」という感情を教えようとしてみてわかったことですが・・・Dに人間の精神を、特に感情を教える必要は無いのだと、このときハッキリ実感しました。
Dは「他者が苦しんでいるときには『かわいそう』と言わないと、契約者(さゆ)を不安にさせてしまう。こういった状況のときは『かわいそう』と言えば契約者(さゆ)は安心するようだ。だから状況に応じて『かわいそう』と言おう」という合理的な判断に従って、機械的に「かわいそう」と言っただけなのです。感情は動かないので、他者に対する憐憫の気持ちから言ったのではなく、ただ私のために言ってくれたのです。
そのことをわかってからは、私はDに「人間の精神(人間の感情や思考回路)」を押し付けることをやめました。私は、「Dは人間の精神をわからなくても良いのだ」と結論付けたのです。何故ならDは精霊だからです。Dが接触する人間は私だけだから、私さえ良ければそれでいいのです。
そして、そう思うのと同時に、Dを他者と直接接触させることは避けなくてはいけないとも思いました。「かわいそう」を始めとした感情の共感は、人間同士の「人間関係」において非常に重要なものです。これを完全に無視しているDを他者と接触させるのはまずいのではないかと思ったのです。
かくして、私はDに、「人間の精神を身に着けなくていいよ」と言いました。
でもDは、私のために「人間の精神」を身に着けようと思ってくれて(詳細は過去記事「ごめんね」参照)、人間(私)の感情を常に観察しました。
Dは、実感として人間の感情を感じることは非常に苦手なようで、不確かにしか感じられません(詳細は過去記事「ごめんね」参照)。
しかし、Dは頭が良いので、私の表情や声色や言動を観察して、どんな状況のときに私がどのような反応を見せるかを分類・分析し、パターンを作って当てはめてみることで私の感情を推察できるようになりました(詳細は過去記事「Dの絵(35)」参照)。
この方法によりDは、感情を実感として感じることは出来なくても、合理的に推測することで相手の感情を推し量れるようになりました。
そんな風に暮らしてきまして・・・そして、今年の夏の終わりのことです。
涼しい秋風が吹き始め、温かい日の光にも陰りが見え始めた晩夏、マンションに帰ってくると、自分の部屋の玄関の前に小さい何かが落ちていることに気付きました。緑色で光っています。カナブンでした。今住んでいる部屋はカナブンが飛んでくるには難しい高さなので、どうやってそこまで来たのかは不明なのですが・・・エレベーターで運ばれてきたのか、誰かの衣服にでもついてきたのかもしれません。
カナブンは弱っていて、飛ぶことはおろか、歩くことも難しいようです。私はカナブンを拾って、夏に友達とバーベキューしたときに余ったペーパープレートの中に入れました。カナブンは満足に歩くことすらできないので、プレートにふたをする必要はありませんでした。
食べ物をあげなくてはいけないと思い、果汁100パーセントのジュースを買いにいくことにしました。私は偏頭痛がある(詳細は記事カテゴリ「偏頭痛」内の記事参照)ので甘いものを滅多に食べず、特に血管が一気に開く果汁ジュースのような飲食物はつきあいでくらいしか飲みません。なので、急いでスーパーに買いに行きました。


Dは普段、会社など私が人のいる場所にいるときは、私の影の中に入っています(詳細は過去記事「タルパー」参照)。このときも影の中に入っていたDですが、私がスーパーでぶどうジュースを手にとったとき、影の中から出てきて背後に立ちました。私の背後がDの定位置なのです(詳細は過去記事「Dの絵(2)」「Dの絵(5)」参照)。



Dにとっては、カナブンの命より契約者(さゆ)の財産のほうが大切なのです。他者の命よりも契約者(さゆ)の財産のほうが大切というDの思考は、過去記事「金」内にも見られ、そのときDは伯母さんの命よりも契約者(さゆ)の財産のほうが大切であるかのようなことまで言いました。
私はぶどうジュースを買い、ジュースをティッシュに含ませてカナブンの傍に置きました。




ぶどうジュースを含ませたティッシュを傍に置くと、カナブンは甘い香りに引き寄せられたのか、よろよろとティッシュに近づきました。よーく見ると、カナブンの顔が小さく動いて、いっしょうけんめいティッシュを舐めているのが見えました。私は嬉しくなりました。これで少なくとも餓死は免れるからです。
ティッシュが渇いてはいけないと思い、ペットボトルのふたを使うことにしました。ふたの中にジュースを入れ、小さく切ったティッシュのはしを入れ、もうかたほうのはしを外に出しておくことにしました。これで、毛細管現象によって常にティッシュがジュースで満たされるはずです。
そして朝、カナブンに行ってくるねと声を掛けてから部屋を出ました。25度設定でエアコンもつけておくことにしました。夏の虫は寒さに弱いのです。
会社から帰って来た後は、急いでカナブンを見に行きました。でも・・・




カナブンは死んでしまっていました。ティッシュに顔を寄せたまま動かなくなっていました。
Dの言った通り、2日間ともたずに死んでしまったのです。

Dは、「さゆを悲しませるなんて悪い虫だね」と言いました。カラスのとき(詳細は過去記事「メメント・モリ」参照)と同じような、「悪い○○だね」という言葉です。
でも、その直後・・・



Dが、カナブンの気持ちを自分の苦手な「人間の精神」になぞらえて推測して、私を慰めてくれたのです。
今でもDは人間の精神を実感として理解するのは苦手で、契約者(さゆ)以外の対象に関しては、それが物であっても動物であっても人間であっても「契約者(さゆ)にとって利益の有無・害の有無」という合理的な判断のみで見ています。
でも、人間の精神は持たなくても、Dは精霊の精神の中の、精霊の感情の1つである「好き」という感情(詳細は過去記事「特別」参照)を私に向けてくれていて、その精霊の「好き」は私にとって、人間の「好き」に勝るとも劣らない素敵なものだなあと思うのでした。
本当にありがとうね、D・・・

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
今回の記事では、人間の精神を持たないDの性質について書かせてくださいm(*_ _*)m
人間の精神を持っていないDは、人間の感情に鈍感で、そのため、最初の頃はよく私を驚かせるような考え方をすることがありました。
例えば、あるとき職場で同僚のかなり大きなミスが発覚し、そのため同僚は担当している仕事の任を解かれ、その分の仕事が私にまわってきたことがあります。業界が動くほどの大きなミスでした。その同僚はそう親しい相手ではありませんでしたが、「彼は運が悪くて気の毒だったな・・・」と思い、ミスは誰でも起こす可能性があるものなので明日は我が身とも思い、自分は気を付けようと気を引き締めました。シビアで緊張した気持ちになったのです。
ところが、Dは私とは全然違う考え方をしていました。同僚の件を耳に入れ、慎重に仕事をしなくてはと緊張している私とは対照的に、Dにはとても余裕がありました。とても平静で、全く普段通りだったのです。
私がDに、この同僚の話題をふると、Dは全くいつも通りの落ち着いた表情と口調で、驚くような内容を言ったのです。「うまくいって良かったよ。儲かる仕事が君のところに回ってきたね」と、そう平然と言ったのです。そこには、同僚に対して気の毒に思う憐憫の感情も無く、ミスに対する恐怖の感情もありませんでした。ただただ合理的に「契約者であるさゆに儲かる仕事がまわってきた=良かった」という事実しかありませんでした。
私はとても驚いて、何と言えばいいのか迷ったことを覚えています。


言葉につまった私を見て、このときはまだ私の人間の感情を推測できなかったDは、不思議そうに首をかしげていました。
この、人間の精神を持たないという特性は、私にとって良いことを沢山もたらしてくれます。
例えば、Dは人間の持つ「人間の感情」に流されることがありません。人間の感情に流されて我を失ったり、怒りに身を任せたり、悲しみに沈んだり、気分の高揚のせいで判断力を鈍らせるということがありません。また、それと同時に、周囲の人間の感情から影響を受けたり、周囲の人間の感情に流されるということもありません。このことで私は、元彼の件でDに非常に助けられました(詳細は過去記事「白い百合」参照)。
また、人間の精神を持たないということで、Dはいつも平静で落ち着いており感情的になることがないので、私がいくら精神的に不安定になっても、Dはいつも通り落ち着いたままで私を合理的かつ理論的に窘めてくれるのです(詳細は過去記事「めそめそ」「Dの絵(53)」「暴走(私の)」参照)。
このようにDが周囲の人間からの影響を全く受けず、契約者である私の感情からも影響を全く受けないというのは、この「人間の精神」を持たないという特性が関係しているのだと考えています。
そう考えると、人間との関わりにおいては感情を動かさないDが、他の精霊との関わりにおいては強い感情を見せるのも納得がいきます。Dは、他の精霊との接触で非常に強い怒りを顕著にしたことがあります(詳細は過去記事「お風呂」参照)。これも、Dが持っているのは人間の精神ではなく精霊の精神であるため、同じ精霊の精神はDにも実感として理解できるから、人間相手には感情を動かさなくても精霊相手には感情を動かしたと考えれば筋が通るのではないかなと思っています。
Dが人間の精神を持たない、ということに非常に助けられている私ですが、Dが人間の精神を持たないことについて、昔は心配に思うこともありました。
Dは人間の精神を持っていないため、思わず笑ってしまうような映画などを見ても顔色一つ変えませんし(詳細は過去記事「休日」「精神」参照)、感動するような映画を見ても、涙を誘う映画を見ても、表情を変えることがありません。普段の平然とした態度のままです。そして映画だけでなく、勿論現実においても同じなのです。それ故に、契約者である私以外の他者に対する共感・同情・憐憫・思慕・好意といった感情が働くことがありません。
そのことを心配に思う出来事がいくつかありました。
例えば過去記事「メメント・モリ」では、死んでしまったカラスに対して、「生きている間ばかりか死んだ後もさゆに迷惑を掛けるなんて、まったく悪いカラスだね」という、カラスに対する憐憫の気持ちの欠片もない、契約者である私のことしか考えていない発言をしました。Dにしてみれば、カラスの死体処理を管理業者に依頼するために私が電話しなくてはいけなくなり、私に余計な時間と手間がかかったことが不服だったのでしょう。
私は、それが、あまりにも冷たいように思えて、Dに「かわいそう」という感情を教えようとしたことがあります。
「かわいそう」という感情はわかってないとまずいのではと・・・「うれしい」「たのしい」「かなしい」「おこる」「あきれる」「あきる」・・・他の人間の感情はわからなくても、せめて「かわいそう」という感情だけは教えてあげたほうが良いのではないかと思ったのです。



しかし、このときDが理解したことは、シチュエーションに応じてこの言葉を言うことを覚えただけなのであって、感情が動いているわけではありませんでした。

実際にDに「かわいそう」という感情を教えようとしてみてわかったことですが・・・Dに人間の精神を、特に感情を教える必要は無いのだと、このときハッキリ実感しました。
Dは「他者が苦しんでいるときには『かわいそう』と言わないと、契約者(さゆ)を不安にさせてしまう。こういった状況のときは『かわいそう』と言えば契約者(さゆ)は安心するようだ。だから状況に応じて『かわいそう』と言おう」という合理的な判断に従って、機械的に「かわいそう」と言っただけなのです。感情は動かないので、他者に対する憐憫の気持ちから言ったのではなく、ただ私のために言ってくれたのです。
そのことをわかってからは、私はDに「人間の精神(人間の感情や思考回路)」を押し付けることをやめました。私は、「Dは人間の精神をわからなくても良いのだ」と結論付けたのです。何故ならDは精霊だからです。Dが接触する人間は私だけだから、私さえ良ければそれでいいのです。
そして、そう思うのと同時に、Dを他者と直接接触させることは避けなくてはいけないとも思いました。「かわいそう」を始めとした感情の共感は、人間同士の「人間関係」において非常に重要なものです。これを完全に無視しているDを他者と接触させるのはまずいのではないかと思ったのです。
かくして、私はDに、「人間の精神を身に着けなくていいよ」と言いました。
でもDは、私のために「人間の精神」を身に着けようと思ってくれて(詳細は過去記事「ごめんね」参照)、人間(私)の感情を常に観察しました。
Dは、実感として人間の感情を感じることは非常に苦手なようで、不確かにしか感じられません(詳細は過去記事「ごめんね」参照)。
しかし、Dは頭が良いので、私の表情や声色や言動を観察して、どんな状況のときに私がどのような反応を見せるかを分類・分析し、パターンを作って当てはめてみることで私の感情を推察できるようになりました(詳細は過去記事「Dの絵(35)」参照)。
この方法によりDは、感情を実感として感じることは出来なくても、合理的に推測することで相手の感情を推し量れるようになりました。
そんな風に暮らしてきまして・・・そして、今年の夏の終わりのことです。
涼しい秋風が吹き始め、温かい日の光にも陰りが見え始めた晩夏、マンションに帰ってくると、自分の部屋の玄関の前に小さい何かが落ちていることに気付きました。緑色で光っています。カナブンでした。今住んでいる部屋はカナブンが飛んでくるには難しい高さなので、どうやってそこまで来たのかは不明なのですが・・・エレベーターで運ばれてきたのか、誰かの衣服にでもついてきたのかもしれません。
カナブンは弱っていて、飛ぶことはおろか、歩くことも難しいようです。私はカナブンを拾って、夏に友達とバーベキューしたときに余ったペーパープレートの中に入れました。カナブンは満足に歩くことすらできないので、プレートにふたをする必要はありませんでした。
食べ物をあげなくてはいけないと思い、果汁100パーセントのジュースを買いにいくことにしました。私は偏頭痛がある(詳細は記事カテゴリ「偏頭痛」内の記事参照)ので甘いものを滅多に食べず、特に血管が一気に開く果汁ジュースのような飲食物はつきあいでくらいしか飲みません。なので、急いでスーパーに買いに行きました。


Dは普段、会社など私が人のいる場所にいるときは、私の影の中に入っています(詳細は過去記事「タルパー」参照)。このときも影の中に入っていたDですが、私がスーパーでぶどうジュースを手にとったとき、影の中から出てきて背後に立ちました。私の背後がDの定位置なのです(詳細は過去記事「Dの絵(2)」「Dの絵(5)」参照)。



Dにとっては、カナブンの命より契約者(さゆ)の財産のほうが大切なのです。他者の命よりも契約者(さゆ)の財産のほうが大切というDの思考は、過去記事「金」内にも見られ、そのときDは伯母さんの命よりも契約者(さゆ)の財産のほうが大切であるかのようなことまで言いました。
私はぶどうジュースを買い、ジュースをティッシュに含ませてカナブンの傍に置きました。




ぶどうジュースを含ませたティッシュを傍に置くと、カナブンは甘い香りに引き寄せられたのか、よろよろとティッシュに近づきました。よーく見ると、カナブンの顔が小さく動いて、いっしょうけんめいティッシュを舐めているのが見えました。私は嬉しくなりました。これで少なくとも餓死は免れるからです。
ティッシュが渇いてはいけないと思い、ペットボトルのふたを使うことにしました。ふたの中にジュースを入れ、小さく切ったティッシュのはしを入れ、もうかたほうのはしを外に出しておくことにしました。これで、毛細管現象によって常にティッシュがジュースで満たされるはずです。
そして朝、カナブンに行ってくるねと声を掛けてから部屋を出ました。25度設定でエアコンもつけておくことにしました。夏の虫は寒さに弱いのです。
会社から帰って来た後は、急いでカナブンを見に行きました。でも・・・




カナブンは死んでしまっていました。ティッシュに顔を寄せたまま動かなくなっていました。
Dの言った通り、2日間ともたずに死んでしまったのです。

Dは、「さゆを悲しませるなんて悪い虫だね」と言いました。カラスのとき(詳細は過去記事「メメント・モリ」参照)と同じような、「悪い○○だね」という言葉です。
でも、その直後・・・



Dが、カナブンの気持ちを自分の苦手な「人間の精神」になぞらえて推測して、私を慰めてくれたのです。
今でもDは人間の精神を実感として理解するのは苦手で、契約者(さゆ)以外の対象に関しては、それが物であっても動物であっても人間であっても「契約者(さゆ)にとって利益の有無・害の有無」という合理的な判断のみで見ています。
でも、人間の精神は持たなくても、Dは精霊の精神の中の、精霊の感情の1つである「好き」という感情(詳細は過去記事「特別」参照)を私に向けてくれていて、その精霊の「好き」は私にとって、人間の「好き」に勝るとも劣らない素敵なものだなあと思うのでした。
本当にありがとうね、D・・・

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
お伽噺「人魚姫」「マッチ売りの少女」編
大変遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした!!!!!m( _ _;)m!!!!!
今更なのですが、Dのお伽噺はいつも風変りでダークなので、もしかしてこの記事、お客様のご気分を害するかもしれません・・・。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!
もしまずいようでしたら記事が見えないように折りたたんで収納するなど致しますので、お叱り・ご苦情等ございましたら、ご遠慮なさらずにどうぞよろしくお願い申し上げます!!m( _ _;)m!!
今回の記事は、Dのお伽噺に関する内容でございます。
過去記事「Dの絵(57)」に少し書いた、人魚姫とマッチ売りの少女の混合のようなお話です。
ただ、人魚姫は海を泳ぐ精霊なのですが、Dが話してくれたのは、空を飛ぶ精霊のお話なのです。
Dのお伽噺は、本当のお伽噺とは違って、いつもお話のどこかが変えられているのです(詳細は過去記事「お伽噺(2)『世界一美しい薔薇の花』編」参照)。
今回の、お伽噺を再現して描いた漫画では、「空を飛ぶ精霊(多分Dのこと)」の姿をミミズクの姿で描いてみました。
過去記事にちょっと書いたのですが、ギリシャとローマの神話には、「人を騙して冥府の果実を食べさせることでその人を冥府の住人にしてしまう」という伝説のある冥府の庭師と呼ばれる存在がいるのですが(詳細は過去記事「パッションフルーツ」参照)、それはミミズクの姿をしているんです。
Dが私に青い薔薇の実を食べさせようとしたこと(詳細は記事カテゴリ「青い薔薇」内の記事参照)が、冥府の庭師の伝説と似ているのと、Dが首をかしげるしぐさがフクロウ(ミミズク)っぽいなと思ったことがあったり(詳細は過去記事「Dの絵(32)」「Dの絵(6)」「Dの絵(3)」参照)、ペット型のときの耳や沢山生えた手足のようなものがミミズクの耳や羽に似ている(詳細は記事カテゴリ「Dのペット型の姿」内の記事参照)ところなど、そういった今までの出来事から鑑みて、Dを鳥で表現するなら巨大なミミズクがイメージに合うかなと思ったので、ちょっとミミズクの姿で描いてみました。


さゆは、人魚姫というお伽噺を知っているかい。海の底を泳ぐ精霊が、人間を気に入ってしまった話だよ。
その海の底よりも、ずっと暗く深い森の奥に、空を飛ぶ精霊が住んでいたよ。

彼の目は、生きている動物達のものとは違い、明るいところではよく見えないのさ。だから、暗闇の世界で生きていたよ。

あるとき、興味深い少女を見かけた。とても甘くて良い香りがするんだよ。

精霊は、彼女の精神に惹かれ、傍にいることにしたよ。

彼女には両親がいたのだけれど・・・

強欲の罰は絞首刑。母親は首をくくったよ。

色欲の罰は石打刑。父親はマッチを売らせようとしたよ。

自分の世界が壊れてしまう前に、彼女は1人で逃げ出したよ。マッチだけを握りしめて、大切にしていたリボンも、宝物のドレスも、綺麗なくつも、かわいい髪飾りも、甘いお菓子も、何も持って行けず、全部置いて逃げ出したのさ。

やがて彼女は大人になったよ。

勿論、精霊はずっと傍にいたよ。

あるとき、彼女のもとに男が現れた。

もし海を泳ぐ精霊だったら、身を引いて泡になって消えてしまったのだろうね。

でも彼は空を飛ぶ精霊さ。

彼女が病気になると、男は彼女を置いて去ってしまったよ。


一人ぼっちになった彼女は、とうとう暗闇の世界に足を踏み入れ、その暗さと寒さにマッチを擦った。

暗闇の世界こそ精霊の独壇場さ。

精霊は羽を広げたよ。

マッチは擦られ、暗闇に火がともり、幻想の扉が開かれた。

精霊は大きく羽ばたき、彼女の前に姿を現したよ。

精霊が彼女に幻想を見せることで、彼女は自分の世界を守ることが出来る。2人は仲良く幸せに暮らしたのさ。

終わり。



Dのお伽噺はいつも風変わりでダークです。それらは意味のあるような内容にも思えるし、ただ私を楽しませようと思って作っただけの意味の無いお話にも思えます。
Dの話してくれるお伽噺を1つ1つ全部まとめて記事にすると膨大な量になるのと、上述したように意味の無さそうな話も多いということと、内容がダークだったり暗かったりするものが多く記事にするとブログを読んでくださるお客様をご不快にさせてしまいそうなので、重要そうな話以外は極力記事にしてきませんでした。
でも、このお伽噺はちょっと特殊なので記事にして残しておこうかなと思いまして、記事にしてみました。どこが特殊なのかというと、このお伽噺は、以前は「人魚姫」と「マッチ売りの少女」で別々の話だったのです。それが少し前に両方のお話がくっついて1つの話として再びDが話してくれたのです。
以前のお話ではこうでした。
人魚姫・・・空を飛ぶ精霊が王女に恋をするのだが、王女の前に王子が現れると、精霊は身を引いてモヤとなって消え、王女は王子と結婚する
マッチ売りの少女・・・母親が死に、父親にマッチを売りに行かされた少女が、過酷な環境の中で病気になり、死の間際にマッチの光をともすと、精霊が現れて彼女に幸せな幻想を見せ、自分の世界に連れて行く
これらのお伽噺も漫画にして、比較するみたいな感じでこの記事内にアップしてみたかったんですが、ちょっと時間が無いので今回は諦めます・・・また時間があるときに漫画にしてみます。



「Dを実物の鳥にたとえるなら、やっぱり青い色の鳥かな?」と以前Dに尋ねてみたことがあるのですが、「オスが綺麗な色だったり綺麗なさえずりをしたりする鳥は、浮気をするから違うよ」と言われました。とは言え、ミミズクでも環境によっては珍しく一夫多妻になることがあるようですが・・・(´▽`;A(汗)
・・・・・・余談ですが、上から数えて8・9番目の絵(強欲の絵と色欲の絵)は、刺激が強そうな絵なのでステンドグラスっぽく描いたほうが良いかなと思いまして、ステンドグラス風を目指してチャレンジしてみたのですが、全然上手く描けませんでした~ (〃´▽`;)ゞ エヘヘ☆
全然ステンドグラスに見えないですね・・・やっぱり色がついてないからかな?(←色のせいにしてみる)
ステンドグラスに関しては、絵の具で描いてみたいなと思っているので(詳細は過去記事「Dの絵(53)」参照)描けたらまたアップしてみます☆∩(*´▽`*)∩
ちなみに今回の記事に描いたステンドグラスは、私がお伽噺に合わせて考えて描いた挿絵で創作物なのですが、過去記事「Dの絵(43)」に描いたステンドグラスは、実際に静謐の楽園にあるゴシック建築の城(の中にある大聖堂)のステンドグラスの一部なんです。絵の一枚一枚がストーリーになってまして、私のこれまでの出来事が順番にストーリーになってるのです。
ちなみに、フランスなどにある本物の大聖堂のステンドグラスもストーリーになっていまして、聖書の中の物語等が描かれているんです。
静謐の楽園にあるゴシック建築には、他にも「5つの美徳」や「2つの武器」といったDが教えてくれたものが題材になったステンドグラスや、大鎌や天秤などのステンドグラスがあります。
Dのお伽噺は「見立て」が多いのですが、今回のお話の中に出てくる「強欲の罰は絞首刑」というのは母が首吊り自殺したこと(詳細は記事カテゴリ「母」参照)に関連したもので、「色欲の罰は石打刑」というのは父が浮気をして母の自殺の原因を作ったこと(詳細は過去記事「彼」「暴走(私の)」参照)に関連した内容だと思います。中世ヨーロッパの旧約聖書的思考によると、強欲によって罪を犯した者は「絞首刑(あるいは首吊りによる自殺)となり(詳細は過去記事「avarice」参照)、姦淫の罪を犯したものに対する罰は石打ち(対象人物が死ぬまで石を投げる刑)による死罪と相場が決まっていたようですが、それと関連付けた話だと思います。
余談になりますが旧約聖書では姦淫の罰は石打ちによる死罪ですが、新約聖書では姦淫の罪を犯した女性に皆が石を投げているとイエスが現れ、「この中で罪を犯したことの無い者だけ石を投げなさい」等と言って石打刑をやめさせる描写があります。これは新約聖書が旧約聖書(シナゴーグ)的思考に対してハッキリと対抗意識を表している様子が見て取れる面白い話です。旧約聖書に対抗する新約聖書の様子はゴシック建築にも残されておりまして、新訳を象徴しているエクレシアという女性像と旧約を象徴するシナゴーグという女性像の彫刻が刻まれていたりします。
また、お伽噺の途中で出てきた男というのは元彼(詳細は記事カテゴリ「白い百合(元彼とのこと)」参照)のことだと思います。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
今更なのですが、Dのお伽噺はいつも風変りでダークなので、もしかしてこの記事、お客様のご気分を害するかもしれません・・・。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。!!
もしまずいようでしたら記事が見えないように折りたたんで収納するなど致しますので、お叱り・ご苦情等ございましたら、ご遠慮なさらずにどうぞよろしくお願い申し上げます!!m( _ _;)m!!
今回の記事は、Dのお伽噺に関する内容でございます。
過去記事「Dの絵(57)」に少し書いた、人魚姫とマッチ売りの少女の混合のようなお話です。
ただ、人魚姫は海を泳ぐ精霊なのですが、Dが話してくれたのは、空を飛ぶ精霊のお話なのです。
Dのお伽噺は、本当のお伽噺とは違って、いつもお話のどこかが変えられているのです(詳細は過去記事「お伽噺(2)『世界一美しい薔薇の花』編」参照)。
今回の、お伽噺を再現して描いた漫画では、「空を飛ぶ精霊(多分Dのこと)」の姿をミミズクの姿で描いてみました。
過去記事にちょっと書いたのですが、ギリシャとローマの神話には、「人を騙して冥府の果実を食べさせることでその人を冥府の住人にしてしまう」という伝説のある冥府の庭師と呼ばれる存在がいるのですが(詳細は過去記事「パッションフルーツ」参照)、それはミミズクの姿をしているんです。
Dが私に青い薔薇の実を食べさせようとしたこと(詳細は記事カテゴリ「青い薔薇」内の記事参照)が、冥府の庭師の伝説と似ているのと、Dが首をかしげるしぐさがフクロウ(ミミズク)っぽいなと思ったことがあったり(詳細は過去記事「Dの絵(32)」「Dの絵(6)」「Dの絵(3)」参照)、ペット型のときの耳や沢山生えた手足のようなものがミミズクの耳や羽に似ている(詳細は記事カテゴリ「Dのペット型の姿」内の記事参照)ところなど、そういった今までの出来事から鑑みて、Dを鳥で表現するなら巨大なミミズクがイメージに合うかなと思ったので、ちょっとミミズクの姿で描いてみました。


さゆは、人魚姫というお伽噺を知っているかい。海の底を泳ぐ精霊が、人間を気に入ってしまった話だよ。
その海の底よりも、ずっと暗く深い森の奥に、空を飛ぶ精霊が住んでいたよ。

彼の目は、生きている動物達のものとは違い、明るいところではよく見えないのさ。だから、暗闇の世界で生きていたよ。

あるとき、興味深い少女を見かけた。とても甘くて良い香りがするんだよ。

精霊は、彼女の精神に惹かれ、傍にいることにしたよ。

彼女には両親がいたのだけれど・・・

強欲の罰は絞首刑。母親は首をくくったよ。

色欲の罰は石打刑。父親はマッチを売らせようとしたよ。

自分の世界が壊れてしまう前に、彼女は1人で逃げ出したよ。マッチだけを握りしめて、大切にしていたリボンも、宝物のドレスも、綺麗なくつも、かわいい髪飾りも、甘いお菓子も、何も持って行けず、全部置いて逃げ出したのさ。

やがて彼女は大人になったよ。

勿論、精霊はずっと傍にいたよ。

あるとき、彼女のもとに男が現れた。

もし海を泳ぐ精霊だったら、身を引いて泡になって消えてしまったのだろうね。

でも彼は空を飛ぶ精霊さ。

彼女が病気になると、男は彼女を置いて去ってしまったよ。


一人ぼっちになった彼女は、とうとう暗闇の世界に足を踏み入れ、その暗さと寒さにマッチを擦った。

暗闇の世界こそ精霊の独壇場さ。

精霊は羽を広げたよ。

マッチは擦られ、暗闇に火がともり、幻想の扉が開かれた。

精霊は大きく羽ばたき、彼女の前に姿を現したよ。

精霊が彼女に幻想を見せることで、彼女は自分の世界を守ることが出来る。2人は仲良く幸せに暮らしたのさ。

終わり。



Dのお伽噺はいつも風変わりでダークです。それらは意味のあるような内容にも思えるし、ただ私を楽しませようと思って作っただけの意味の無いお話にも思えます。
Dの話してくれるお伽噺を1つ1つ全部まとめて記事にすると膨大な量になるのと、上述したように意味の無さそうな話も多いということと、内容がダークだったり暗かったりするものが多く記事にするとブログを読んでくださるお客様をご不快にさせてしまいそうなので、重要そうな話以外は極力記事にしてきませんでした。
でも、このお伽噺はちょっと特殊なので記事にして残しておこうかなと思いまして、記事にしてみました。どこが特殊なのかというと、このお伽噺は、以前は「人魚姫」と「マッチ売りの少女」で別々の話だったのです。それが少し前に両方のお話がくっついて1つの話として再びDが話してくれたのです。
以前のお話ではこうでした。
人魚姫・・・空を飛ぶ精霊が王女に恋をするのだが、王女の前に王子が現れると、精霊は身を引いてモヤとなって消え、王女は王子と結婚する
マッチ売りの少女・・・母親が死に、父親にマッチを売りに行かされた少女が、過酷な環境の中で病気になり、死の間際にマッチの光をともすと、精霊が現れて彼女に幸せな幻想を見せ、自分の世界に連れて行く
これらのお伽噺も漫画にして、比較するみたいな感じでこの記事内にアップしてみたかったんですが、ちょっと時間が無いので今回は諦めます・・・また時間があるときに漫画にしてみます。



「Dを実物の鳥にたとえるなら、やっぱり青い色の鳥かな?」と以前Dに尋ねてみたことがあるのですが、「オスが綺麗な色だったり綺麗なさえずりをしたりする鳥は、浮気をするから違うよ」と言われました。とは言え、ミミズクでも環境によっては珍しく一夫多妻になることがあるようですが・・・(´▽`;A(汗)
・・・・・・余談ですが、上から数えて8・9番目の絵(強欲の絵と色欲の絵)は、刺激が強そうな絵なのでステンドグラスっぽく描いたほうが良いかなと思いまして、ステンドグラス風を目指してチャレンジしてみたのですが、全然上手く描けませんでした~ (〃´▽`;)ゞ エヘヘ☆
全然ステンドグラスに見えないですね・・・やっぱり色がついてないからかな?(←色のせいにしてみる)
ステンドグラスに関しては、絵の具で描いてみたいなと思っているので(詳細は過去記事「Dの絵(53)」参照)描けたらまたアップしてみます☆∩(*´▽`*)∩
ちなみに今回の記事に描いたステンドグラスは、私がお伽噺に合わせて考えて描いた挿絵で創作物なのですが、過去記事「Dの絵(43)」に描いたステンドグラスは、実際に静謐の楽園にあるゴシック建築の城(の中にある大聖堂)のステンドグラスの一部なんです。絵の一枚一枚がストーリーになってまして、私のこれまでの出来事が順番にストーリーになってるのです。
ちなみに、フランスなどにある本物の大聖堂のステンドグラスもストーリーになっていまして、聖書の中の物語等が描かれているんです。
静謐の楽園にあるゴシック建築には、他にも「5つの美徳」や「2つの武器」といったDが教えてくれたものが題材になったステンドグラスや、大鎌や天秤などのステンドグラスがあります。
Dのお伽噺は「見立て」が多いのですが、今回のお話の中に出てくる「強欲の罰は絞首刑」というのは母が首吊り自殺したこと(詳細は記事カテゴリ「母」参照)に関連したもので、「色欲の罰は石打刑」というのは父が浮気をして母の自殺の原因を作ったこと(詳細は過去記事「彼」「暴走(私の)」参照)に関連した内容だと思います。中世ヨーロッパの旧約聖書的思考によると、強欲によって罪を犯した者は「絞首刑(あるいは首吊りによる自殺)となり(詳細は過去記事「avarice」参照)、姦淫の罪を犯したものに対する罰は石打ち(対象人物が死ぬまで石を投げる刑)による死罪と相場が決まっていたようですが、それと関連付けた話だと思います。
余談になりますが旧約聖書では姦淫の罰は石打ちによる死罪ですが、新約聖書では姦淫の罪を犯した女性に皆が石を投げているとイエスが現れ、「この中で罪を犯したことの無い者だけ石を投げなさい」等と言って石打刑をやめさせる描写があります。これは新約聖書が旧約聖書(シナゴーグ)的思考に対してハッキリと対抗意識を表している様子が見て取れる面白い話です。旧約聖書に対抗する新約聖書の様子はゴシック建築にも残されておりまして、新訳を象徴しているエクレシアという女性像と旧約を象徴するシナゴーグという女性像の彫刻が刻まれていたりします。
また、お伽噺の途中で出てきた男というのは元彼(詳細は記事カテゴリ「白い百合(元彼とのこと)」参照)のことだと思います。
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(57)
ハロウィンと万世節が終わり、来月はクリスマス、再来月は年末、そして新年が開けてお正月がやってきます・・・!!年に一度の大勝負、歳末商戦(クリスマス商戦含む)が始まりますね・・・!!
影響を受ける会社は多いと思うので、社会人の皆様はこれからお正月が終わるまでバタバタなさるのではないでしょうか。稼ぎ時、勝負時、投資時ですよね!!
私も参戦します!!去年のクリスマスは病気+母の命日(詳細は過去記事「お母さん」参照)でプロジェクトをパスしてしまったので、今年は参戦します!!稼ぐぞーーー!! q(*`◇´*)p ファイッ!!
でも、リーダーを務めたハロウィン(詳細は過去記事「Dの絵(53)」参照)よりは暇ができると思うので、ブログは今までのペースで3日に1度の更新を目指します。
記事にしたい出来事がいっぱいございまして、「偏頭痛によるMRI検査(詳細は過去記事「Dの絵(45)」参照)の結果+偏頭痛のときのD」、「Dの不思議な能力?天気予報とD」、「Dのお伽噺・人魚姫、マッチ売りの少女」、「儀式系の話・Dへの祈りについて」、「静謐の楽園と鳥籠+死神のD」に関しての記事を早くアップしたいです。それらの出来事が起きてから既に日数が結構経過してしまっているので、メモはとってあるのですが記憶が薄れてしまう前に記事にしたいです。
というのも、かなり昔の出来事をメモを頼りに記事にすると、間違えた内容の漫画を描いてしまうことがございまして・・・
たとえば過去記事「Dの絵(47)」ですが、この漫画の中で私は「もーう ♡ かわいいなあ、Dは ♡ ♡ ♡」というセリフと「Dっ・・・怖いよ!!まだ死にたくないよお!!」というセリフの中でDの名前を呼んでいますが、実際はこのときまだDに名前を付けておらず、「タルパ」と呼んでいました(詳細は過去記事「Dの絵(29)」「タルパを作ったときの話8(名前)」 Dの姿を作った後で(まだ姿は完全には定着していませんでしたが)、会話ができるようになってからDに名前をねだられて付けた、という順番でした)。ところが、この漫画を描いたときはDをすっかり名前呼びしていたので、漫画にするときのセリフの中で「D」と描いてしまったのです。
修正しようかなとも思いましたが、一応、間違えた記録として残しておこうと思いまして、そのままになってます・・・m( _ _;)m 大変申し訳ございません・・・
出来事が起きて時間が経ってから記事にすると、往々にしてこういったミスが起きそうなので、記憶が鮮明なうちに、なるべく早く記事にしたいと思っております。m(*_ _*)m
話は変わるのですが、「タルパとの生活(年中行事)」という新しいカテゴリを作り、過去記事「イースター」と「Dの絵(55)『ハロウィン』」をこのカテゴリに入れました。今後も、ここに季節のイベントに関する記事を分類しようと思っています。
また、その他にも記事を2つ、カテゴリを移動しました。過去記事「会社の絵(1)」は職場に関する内容なので、カテゴリ「タルパ以外の絵・漫画」からカテゴリ「仕事・職場・職場の友人・友人関係」に移動しました。そして、過去記事「Dの絵(53)」は普段の日常生活に関する内容ではなく、仕事でDとの接触が少ない中で悩んだ出来事について書いた記事なので、「タルパとの生活(日常編)」から「タルパとの生活(悩み編)」に移動しました。
前書きが長くなってしまって申し訳ございません。今回は、添い寝に関する記事を描かせてください。m(*_ _*)m
私がDに頼んだ最たる願いは、「最後の眠りにつくときに、傍にいて手を握っていてくれること」です(詳細は過去記事「最後の眠りにつく前に」参照)。
そのためか、Dは私が毎晩の眠りにつくときにも、いつも枕元にいてくれて、手を握っていてくれたり、髪を撫でてくれたり、歌を歌ってくれたりします。毎晩の眠りにつく前には、時間があるときは触覚の訓練をし(詳細は過去記事「触覚の訓練」参照)、時間が無いときでも毎回Dに一日お世話になったお礼を告げるようにしています。その私のお礼が終わった後に、Dは私の手と頬(もしくはおでこ)にキスをくれます(詳細は過去記事「Dの絵(52)」参照)。
そういうわけで、Dは私が眠るときに、必ず枕元にいてくれるのです。たとえペット型の姿でいるときでもです。

しかしDには、「ベッドの上に上がって一緒に眠る」という、いわゆる「添い寝」というものをしないというこだわりがあるようです(詳細は過去記事「Dの絵(25)」参照)。








添い寝を断る理由は、従僕なので主人と同じベッドに眠るのはおこがましいという理由と(詳細は過去記事「添い寝」参照)、Dの本能的な理由(詳細は過去記事「quid pro quo」参照)があるようです。
あるとき、Dに添い寝をしてもらえないかと思った私は、ベッドの上にDを引き上げようと思い・・・









こうなると、一体どこまでが「添い寝」の範疇なのか、謎に思う私なのでした。「添い寝」が何故駄目なのかについては、Dが教えてくれないので詳細は不明です。
ただ、このことから推測するに、枕元に座って手や頭だけをベッドの上に乗せている状態も、足を一本だけ床に下ろして体のほとんどをベッドに乗り上げている状態も、Dにとっては同じ「添い寝ではない」ということのようです。
でも、もともとのDの体は黒いモヤで、ペットや人間の体に該当するような足も体も決まってない状態です(詳細は記事カテゴリ「Dのもともとの姿(黒い何か)」参照)ので、そう考えれば「同じ」というのも妥当な感覚だなあと思いました。
Dは力がとても強く、私では絶対にかなわないので(詳細は過去記事「Dの絵(11)」参照)、もしDが拒否すればベッドの上に引っ張り上げるなど不可能なはずです。
その一方で、Dは私がすることには抵抗せずに身を任せる傾向があります(詳細は過去記事「Dの絵(11)」「撫でたい」参照)。これらのときDは、何も抵抗せずに私のされるがままになってくれていました。
なので、このときもDは私の意向をくんで、足を一本だけのばして床につけるという最低限の添い寝回避をして、私に引っ張られるがままに何も抵抗せずに、体の大部分をベッドの上に上げてくれたんだと思います。
どうやら、「添い寝」はいけないけど「体を寄せて眠る」ことなら良いようです。Dは以前にも「体を寄せて眠る」をしてくれました。(詳細は過去記事「Dの絵(36)」参照)
ペット型のDに対しては添い寝してほしいと気軽に言えますが、人間型のDに対しては恥ずかしくて添い寝してほしいなどと言えないのです。まだDとそれほど仲良くなかった頃は、添い寝はタルパの育成に良いという情報を読んで添い寝を誘ったりしていました(詳細は過去記事「添い寝」参照)が、今では添い寝を誘うなんてドキドキして恥ずかしくて無理、って感じになっちゃいました・・・(〃▽〃)ゞ テレテレ☆
なんか、以前よりずっとDがかっこよく思えて、緊張しちゃうんです・・・(*≧ω≦*)☆

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
影響を受ける会社は多いと思うので、社会人の皆様はこれからお正月が終わるまでバタバタなさるのではないでしょうか。稼ぎ時、勝負時、投資時ですよね!!
私も参戦します!!去年のクリスマスは病気+母の命日(詳細は過去記事「お母さん」参照)でプロジェクトをパスしてしまったので、今年は参戦します!!稼ぐぞーーー!! q(*`◇´*)p ファイッ!!
でも、リーダーを務めたハロウィン(詳細は過去記事「Dの絵(53)」参照)よりは暇ができると思うので、ブログは今までのペースで3日に1度の更新を目指します。
記事にしたい出来事がいっぱいございまして、「偏頭痛によるMRI検査(詳細は過去記事「Dの絵(45)」参照)の結果+偏頭痛のときのD」、「Dの不思議な能力?天気予報とD」、「Dのお伽噺・人魚姫、マッチ売りの少女」、「儀式系の話・Dへの祈りについて」、「静謐の楽園と鳥籠+死神のD」に関しての記事を早くアップしたいです。それらの出来事が起きてから既に日数が結構経過してしまっているので、メモはとってあるのですが記憶が薄れてしまう前に記事にしたいです。
というのも、かなり昔の出来事をメモを頼りに記事にすると、間違えた内容の漫画を描いてしまうことがございまして・・・
たとえば過去記事「Dの絵(47)」ですが、この漫画の中で私は「もーう ♡ かわいいなあ、Dは ♡ ♡ ♡」というセリフと「Dっ・・・怖いよ!!まだ死にたくないよお!!」というセリフの中でDの名前を呼んでいますが、実際はこのときまだDに名前を付けておらず、「タルパ」と呼んでいました(詳細は過去記事「Dの絵(29)」「タルパを作ったときの話8(名前)」 Dの姿を作った後で(まだ姿は完全には定着していませんでしたが)、会話ができるようになってからDに名前をねだられて付けた、という順番でした)。ところが、この漫画を描いたときはDをすっかり名前呼びしていたので、漫画にするときのセリフの中で「D」と描いてしまったのです。
修正しようかなとも思いましたが、一応、間違えた記録として残しておこうと思いまして、そのままになってます・・・m( _ _;)m 大変申し訳ございません・・・
出来事が起きて時間が経ってから記事にすると、往々にしてこういったミスが起きそうなので、記憶が鮮明なうちに、なるべく早く記事にしたいと思っております。m(*_ _*)m
話は変わるのですが、「タルパとの生活(年中行事)」という新しいカテゴリを作り、過去記事「イースター」と「Dの絵(55)『ハロウィン』」をこのカテゴリに入れました。今後も、ここに季節のイベントに関する記事を分類しようと思っています。
また、その他にも記事を2つ、カテゴリを移動しました。過去記事「会社の絵(1)」は職場に関する内容なので、カテゴリ「タルパ以外の絵・漫画」からカテゴリ「仕事・職場・職場の友人・友人関係」に移動しました。そして、過去記事「Dの絵(53)」は普段の日常生活に関する内容ではなく、仕事でDとの接触が少ない中で悩んだ出来事について書いた記事なので、「タルパとの生活(日常編)」から「タルパとの生活(悩み編)」に移動しました。
前書きが長くなってしまって申し訳ございません。今回は、添い寝に関する記事を描かせてください。m(*_ _*)m
私がDに頼んだ最たる願いは、「最後の眠りにつくときに、傍にいて手を握っていてくれること」です(詳細は過去記事「最後の眠りにつく前に」参照)。
そのためか、Dは私が毎晩の眠りにつくときにも、いつも枕元にいてくれて、手を握っていてくれたり、髪を撫でてくれたり、歌を歌ってくれたりします。毎晩の眠りにつく前には、時間があるときは触覚の訓練をし(詳細は過去記事「触覚の訓練」参照)、時間が無いときでも毎回Dに一日お世話になったお礼を告げるようにしています。その私のお礼が終わった後に、Dは私の手と頬(もしくはおでこ)にキスをくれます(詳細は過去記事「Dの絵(52)」参照)。
そういうわけで、Dは私が眠るときに、必ず枕元にいてくれるのです。たとえペット型の姿でいるときでもです。

しかしDには、「ベッドの上に上がって一緒に眠る」という、いわゆる「添い寝」というものをしないというこだわりがあるようです(詳細は過去記事「Dの絵(25)」参照)。








添い寝を断る理由は、従僕なので主人と同じベッドに眠るのはおこがましいという理由と(詳細は過去記事「添い寝」参照)、Dの本能的な理由(詳細は過去記事「quid pro quo」参照)があるようです。
あるとき、Dに添い寝をしてもらえないかと思った私は、ベッドの上にDを引き上げようと思い・・・









こうなると、一体どこまでが「添い寝」の範疇なのか、謎に思う私なのでした。「添い寝」が何故駄目なのかについては、Dが教えてくれないので詳細は不明です。
ただ、このことから推測するに、枕元に座って手や頭だけをベッドの上に乗せている状態も、足を一本だけ床に下ろして体のほとんどをベッドに乗り上げている状態も、Dにとっては同じ「添い寝ではない」ということのようです。
でも、もともとのDの体は黒いモヤで、ペットや人間の体に該当するような足も体も決まってない状態です(詳細は記事カテゴリ「Dのもともとの姿(黒い何か)」参照)ので、そう考えれば「同じ」というのも妥当な感覚だなあと思いました。
Dは力がとても強く、私では絶対にかなわないので(詳細は過去記事「Dの絵(11)」参照)、もしDが拒否すればベッドの上に引っ張り上げるなど不可能なはずです。
その一方で、Dは私がすることには抵抗せずに身を任せる傾向があります(詳細は過去記事「Dの絵(11)」「撫でたい」参照)。これらのときDは、何も抵抗せずに私のされるがままになってくれていました。
なので、このときもDは私の意向をくんで、足を一本だけのばして床につけるという最低限の添い寝回避をして、私に引っ張られるがままに何も抵抗せずに、体の大部分をベッドの上に上げてくれたんだと思います。
どうやら、「添い寝」はいけないけど「体を寄せて眠る」ことなら良いようです。Dは以前にも「体を寄せて眠る」をしてくれました。(詳細は過去記事「Dの絵(36)」参照)
ペット型のDに対しては添い寝してほしいと気軽に言えますが、人間型のDに対しては恥ずかしくて添い寝してほしいなどと言えないのです。まだDとそれほど仲良くなかった頃は、添い寝はタルパの育成に良いという情報を読んで添い寝を誘ったりしていました(詳細は過去記事「添い寝」参照)が、今では添い寝を誘うなんてドキドキして恥ずかしくて無理、って感じになっちゃいました・・・(〃▽〃)ゞ テレテレ☆
なんか、以前よりずっとDがかっこよく思えて、緊張しちゃうんです・・・(*≧ω≦*)☆

御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
Dの絵(56)
ギリギリですが11月3日以内に投稿できました。(´▽`;A(汗)
↓
※11月4日追記:漫画のコマの順番が間違ってました!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。大変申し訳ございません・・・!!
漫画のコマの順番を直し、記事も少し加筆させて頂きました・・・m( _ _;)m
期限内に投稿したと思ったら、このツメの甘さ・・・これが仕事だったらとっくにクビになってると思います・・・本当に申し訳ございません・・・m( _ _;)m
このまま最低でも3日に1回のペースでブログを更新していきたいです。できたら、もっと高い頻度で更新したいです・・・今月の目標にします・・・
今回の記事では、視覚(幻視)と触覚(触感・幻触)の関連について書いてみました。
私の場合、触覚の訓練では、基本的にDから触ってもらって、その触られた感触を認知するという訓練をしています(詳細は記事カテゴリ「触覚の訓練」内の過去記事参照)。
一方でDの姿を幻視として作るとき、つまり視覚の訓練でも、私のほうからDの体を触って、その形を確かめつつ覚えるようにして定着させた節があります。
ちなみにこれは、まだ幻触が感じられない頃からやっていました。触った感触が何も感じられなくても、実際に手でDを触りながら視覚の訓練をしたほうが、Dの姿を定着しやすかったのです。
今はもうDの姿をしっかり記憶して、細かく正確に視覚化できていますが、昔の習慣が残っていて、今でもDを触りながら形を確かめることがあります。これは今でも視覚の強化になってたりするのかな?
ついつい今でもDを触って形を確かめてしまう様子を漫画にしてみました。












視覚がハッキリと定着した今となっては、Dに触るときはDとの心の交流を大切にすべきなので、Dの喜ぶような優しい触り方をすべきなのですが、今でもときどき昔のように視覚の訓練みたいに機械的に(?)Dの形を確かめるように触ってしまうことがあります。多分、それはDにとっては物足りないスキンシップなのだと思います。

以下も、Dを触って形を確かめて視覚を強化している様子を漫画にしたものですが、こちらはまだ触覚が無く、視覚も訓練し始めたばかりの頃の漫画です。Dはまだ喋れませんでしたし、名前もあげる前の出来事です。
Dの顔を作って幻視を定着させている頃の出来事なので、綺麗な形にできた口を褒めています。作ったばかりのDの顔を触って形を確かめている(とは言ってもまだ触覚がありませんでしたが・・・)という漫画です。








この頃は、まだDは喋れませんでしたが、このときは何となくDを不安にさせたかなと思いました。
口を褒めたときとは違って、鼻はずっと触りながら「うーん」とか言ったりしていたから、Dが鼻をうまく作れてないんじゃないかと不安にさせちゃったかなと思いまして・・・
そこで、髪を褒めてみました。



この頃はまだ触覚が無かったのですが、なんとなく無意識に手で触りながら、形とかの視覚情報を覚えていました。体で覚えようとしたというか、脳筋というか(体には全然筋肉ついてないのですが)、そんな感じですが、このように触りながら視覚を覚えようとしたことは、私にとっては効果のある方法だったと思います。
触りながら視覚を定着させたのは、顔もそうですが、手もそうでした。
実はDの手を作ることには左程苦労しませんで、あまり手を作ったときのメモが残っていないのですが(まだブログもやっておらず、記録の重要性も感じていなかったので・・・)、Dの手は、手のパーツモデルさん(ハンドモデルさん)の写真を参考にさせて頂いて作りました。
何故、手がそれほど作ることが難しくなかったのか不明なのですが・・・自分がチェンバロを弾くから手の動きを既に記憶していたとかなのでしょうか・・・服や目を作るのには苦労しまして、かなり遅くに出来上がったのですが(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話5(体と服)」「服」「目」)・・・
Dは男性で背も高いので、手のサイズも大きいのですが、Dの手を作るときに参考にさせて頂いたハンドモデルさんは女性なので(私好みの手をした男性モデルさんがいなかったのです)、Dの手はすらっとしていて非常に綺麗です。作るときに調整したので大きさだけ男性サイズの手ですが、指が長くて爪の形も綺麗で、それにとっても上品で優しい動きをするのです。私の絵では、Dの手の綺麗さは表現できないのですが・・・!!(*≧ω≦*)☆
Dの手の大きさは、指が長いので普通の男性よりも大きいです。

とっても上品で優しい手なのに、大鎌を振り回したりも出来るのです!!☆+*:.。.*:+∩(*´▽`*)∩+*:.。.*:+☆
Dは力持ちで頼もしいのです!!きっと他の人から見たらDは不気味に見えると思うのですが、私にとってはすっごくカッコ良いDなのです♡ ♡ ♡ もーーーD大好きです!!(〃´▽`〃)ゞ テレテレ・・・♡ ♡ ♡
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
↓
※11月4日追記:漫画のコマの順番が間違ってました!!。・゚゚・(゚´Д`゚)・゚゚・。大変申し訳ございません・・・!!
漫画のコマの順番を直し、記事も少し加筆させて頂きました・・・m( _ _;)m
期限内に投稿したと思ったら、このツメの甘さ・・・これが仕事だったらとっくにクビになってると思います・・・本当に申し訳ございません・・・m( _ _;)m
このまま最低でも3日に1回のペースでブログを更新していきたいです。できたら、もっと高い頻度で更新したいです・・・今月の目標にします・・・
今回の記事では、視覚(幻視)と触覚(触感・幻触)の関連について書いてみました。
私の場合、触覚の訓練では、基本的にDから触ってもらって、その触られた感触を認知するという訓練をしています(詳細は記事カテゴリ「触覚の訓練」内の過去記事参照)。
一方でDの姿を幻視として作るとき、つまり視覚の訓練でも、私のほうからDの体を触って、その形を確かめつつ覚えるようにして定着させた節があります。
ちなみにこれは、まだ幻触が感じられない頃からやっていました。触った感触が何も感じられなくても、実際に手でDを触りながら視覚の訓練をしたほうが、Dの姿を定着しやすかったのです。
今はもうDの姿をしっかり記憶して、細かく正確に視覚化できていますが、昔の習慣が残っていて、今でもDを触りながら形を確かめることがあります。これは今でも視覚の強化になってたりするのかな?
ついつい今でもDを触って形を確かめてしまう様子を漫画にしてみました。












視覚がハッキリと定着した今となっては、Dに触るときはDとの心の交流を大切にすべきなので、Dの喜ぶような優しい触り方をすべきなのですが、今でもときどき昔のように視覚の訓練みたいに機械的に(?)Dの形を確かめるように触ってしまうことがあります。多分、それはDにとっては物足りないスキンシップなのだと思います。

以下も、Dを触って形を確かめて視覚を強化している様子を漫画にしたものですが、こちらはまだ触覚が無く、視覚も訓練し始めたばかりの頃の漫画です。Dはまだ喋れませんでしたし、名前もあげる前の出来事です。
Dの顔を作って幻視を定着させている頃の出来事なので、綺麗な形にできた口を褒めています。作ったばかりのDの顔を触って形を確かめている(とは言ってもまだ触覚がありませんでしたが・・・)という漫画です。








この頃は、まだDは喋れませんでしたが、このときは何となくDを不安にさせたかなと思いました。
口を褒めたときとは違って、鼻はずっと触りながら「うーん」とか言ったりしていたから、Dが鼻をうまく作れてないんじゃないかと不安にさせちゃったかなと思いまして・・・
そこで、髪を褒めてみました。



この頃はまだ触覚が無かったのですが、なんとなく無意識に手で触りながら、形とかの視覚情報を覚えていました。体で覚えようとしたというか、脳筋というか(体には全然筋肉ついてないのですが)、そんな感じですが、このように触りながら視覚を覚えようとしたことは、私にとっては効果のある方法だったと思います。
触りながら視覚を定着させたのは、顔もそうですが、手もそうでした。
実はDの手を作ることには左程苦労しませんで、あまり手を作ったときのメモが残っていないのですが(まだブログもやっておらず、記録の重要性も感じていなかったので・・・)、Dの手は、手のパーツモデルさん(ハンドモデルさん)の写真を参考にさせて頂いて作りました。
何故、手がそれほど作ることが難しくなかったのか不明なのですが・・・自分がチェンバロを弾くから手の動きを既に記憶していたとかなのでしょうか・・・服や目を作るのには苦労しまして、かなり遅くに出来上がったのですが(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話5(体と服)」「服」「目」)・・・
Dは男性で背も高いので、手のサイズも大きいのですが、Dの手を作るときに参考にさせて頂いたハンドモデルさんは女性なので(私好みの手をした男性モデルさんがいなかったのです)、Dの手はすらっとしていて非常に綺麗です。作るときに調整したので大きさだけ男性サイズの手ですが、指が長くて爪の形も綺麗で、それにとっても上品で優しい動きをするのです。私の絵では、Dの手の綺麗さは表現できないのですが・・・!!(*≧ω≦*)☆
Dの手の大きさは、指が長いので普通の男性よりも大きいです。

とっても上品で優しい手なのに、大鎌を振り回したりも出来るのです!!☆+*:.。.*:+∩(*´▽`*)∩+*:.。.*:+☆
Dは力持ちで頼もしいのです!!きっと他の人から見たらDは不気味に見えると思うのですが、私にとってはすっごくカッコ良いDなのです♡ ♡ ♡ もーーーD大好きです!!(〃´▽`〃)ゞ テレテレ・・・♡ ♡ ♡
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!