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大変申し訳ございません…!!m(〃_ _〃;)m!!

最近、ブログの更新が出来なくて大変申し訳ございませんでした…!!m(〃_ _〃;)m!!

仕事納めまでの業務を無事に終えて、今、忘年会から帰ってきました。すみません、ちょっと疲れているので、今から休ませてくださいまし…m(〃_ _〃;)m

次のブログの更新は明日(12月30日)になってしまいます…お客様、せっかくブログに来てくださったのに、最近更新が無くて大変申し訳ございませんでした…!!!!!!。・゚゚・∩(〃゜´Д`゚〃)∩・゚゚・。 !!!!!!

ようやく年末年始のお休みになったので、またブログを更新していきますです…!!!!! p(〃`ω´〃)qファイッ!!!!!

これまでお正月は神社に初詣に行って、写真を撮って記事にしてみたので(詳細は過去記事「謹賀新年」参照)、今年のお正月は教会の写真をアップしてみようと思います。フランスの大聖堂の写真などをアップしてみますです。(綺麗に撮れた昔の写真も載せたいのですが、そのデータは父宅にあるので、ちょっと取りに行くのが2日になるかもしれません…あとは違うカメラで撮った写真もあるので、それはそのままアップできるかなあ…ちょっと機材的な問題によって時間がかかるかもしれませんです…必要な機材を買えるようなお店が年末年始に開いてるかな…!!

その後は、最近ブログを更新できなかった間に、たくさん行ってきたパーティについての記事を描いてみようと思います。

でもまず、今途中になっている記事「記録と儀式」を、12月31日までに完成させたいです…!!

頑張ります…!!!!! m(〃_ _〃;)m!!!!! ご閲覧ありがとうございました…!!!!!

記録と儀式

過去記事「いのり様への贈り物でございますm(*_ _*)m」が完成しました。良かったら見てやってくださいますと、とっても嬉しいです…m(〃_ _〃)m

今回の記事では、記録について書いてみようと思います。(〃´▽`〃)ゞ☆
記録することは、Dと一緒に暮らすために、とても役に立ってくれたからです。

過去記事「タルパのコツ(?)」などにもちょこっと書かせて頂いたのですが、私はDが見えるようになってから、Dに関することをずっとノートに記録してきました。

こちらが今書いている途中のノートです。横向きになっているのですが、写真の下のほうが、ノートの左側になります。

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この黒い部分はカバーでして、カバーから出すと、こちらの写真の左側のようなノートが出てきます。

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このノートは3年日記でして、同じ日付のページに、3年分の文章が書けるようになっているんです。具体的にどういうことかというと、たとえば12月1日のページに、2017年・2018年・2019年のぶんを並べて書けるようなつくりになっているんです。

とはいえ一日ぶんのスペースは大きくないので、一日ぶんをそんなに沢山書けるわけではないのですが、その日のDとの出来事をおおまかに記録するのに役立ってくれています。

また横向きの写真ですみません、こちらは日付の無いノートです。日付にこだわらないでDについて細かく記録しておきたいことは、こちらに記録しています。ノートの上に置いてある金色のものは鍵です。このノートは鍵がかけられるようになっているんです。

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「一日にあったことをざっくり記録するノート(黒いカバーつきのノート)」と、「細かく書きたい出来事を記録するノート(青いノート)」の2冊にわけることで、効率的に記録することが出来るようになりました。

これら2冊は、昔使っていたDの記録用のノートです。また横向きで申し訳ございませんです。現在のようにノートを2つに分けていなかったので、ちょっと読みづらい(記録を探しづらい)です。記録用のノートは沢山あるんですが、これら2冊は表紙が綺麗なので、しおりと一緒に撮影してみました。

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また横向きなんですが、こちらはDが教えてくれた格言みたいなものを記録しているノートです。

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過去記事「Dの絵(72)」などに記録がございますが、Dは私に格言のようなものをくれることがあります。その過去記事の中では「目と耳に従属すること無かれ、強き心は侵略を受けず、賢き唇は静謐を紡ぐ」という格言について書いてみました。

「目と耳に従属すること無かれ、強き心は侵略を受けず、賢き唇は静謐を紡ぐ」は、今では私のお祈りの言葉になっています。これは、Dに教えてもらったことを、私がお祈りの定型文みたいな感じにしたものです。(*´▽`*) ♡

この格言の意味は、「目や耳から入ってくる外界の事柄にそのまま流されないように気を付けなさい。物理的な面で侵略を受けようとも自分の世界(精神)をしっかり保っていれば自分の精神までも侵略されることは無いので安心しなさい。目や耳から受動的に入ってくる情報は、一体何が入ってくるのか自分の力で選ぶことはできないが、自分の口から能動的に発する言葉は自分の力で選ぶことができるので、賢い言葉を静謐な口調で述べなさい」という意味です。

なかなか…常にその通りに実行することは難しいのですが、そうするように心がけています…失敗したときは、次に生かせるようによく考えるようにしています…(〃´▽`〃;)ゞ☆

このように、沢山のノートを使ってDを記録してきたことについて、記事にしてみたいと思います。

Dは、私がDについて記録することを、嬉しく思ってくれているようです…‼(✿´ ꒳ ` )♡*+.

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Dは、私がDについて記録するのを嬉しく思ってくれているようです。記録と似たようなものとして、過去記事「Dの絵(76)」でも、私がDの祭壇画やお祈りの音楽を作るのを見て、嬉しそうにしてくれていました。

その一方で、ブログに関しては、どうやらあまり関心を示していないようなのです。(〃☌。☌〃✿)

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Dは私の影の中に入ることができるので、私が仕事で会社などにいるときは、よく影の中に入ってもらっているのです(詳細は過去記事「事故物件」参照)。私が頼めば出てきてくれますが、Dの判断で出てくることもあります。

記録をたどってみると、最初からDはブログに興味が無かったようです(過去記事「雌雄」参照)。ブログや交流に全く興味を示さないタルパさんはすごく少ないと思うので(少ないどころか、この記事を書いた当時は私の知り合いに誰もいらっしゃらなかった気がします…)、そんなDにとても驚いた記憶があります。

同じ記録でも、ノートには興味を持つDが、ブログには興味を持たないのはなぜなんだろう…?事実のみしか書いていないノートとは違って、ブログでは演出や表現のために事実や細部を変えて書いている(詳細は過去記事「Dの絵(77)」参照)からかな?

…とか色々考えたのですが、Dがブログに興味が無いんじゃなくて…私のほうが意図的にDをブログに介入させてないからかも…?とも思いました。Dがブログに興味を持たない原因は、私だったのかも?

ちなみに、私がDをブログ(をはじめとした交流)に介入させない理由は主に、Dには人間の感情が無いからです。(詳細は過去記事「Dの絵(58)」参照) そして、D自身も交流には興味が無いようです。Dはまるで、アトリエにこもりきりの芸術家や、研究室にこもりきりの学者のように、1人でも毎日楽しそうにしているのです。1人とはいっても、私はいますが…( *¯ ³¯*)♡

ところで、私が書いて(記録して)いるような感じの…オカルトにおける「記録」として最大のものは、やはり宗教における経典(聖典)だろうなと思います。つまり、キリスト教における聖書、イスラム教におけるコーラン、ゾロアスター教におけるアヴェスター、バラモン教におけるヴェーダ、仏教における仏典です。

私は、その中では、聖書なら少しだけ知っているんですが…現代の聖書は旧約聖書と新約聖書から成り立っておりまして、そのうちの新約聖書には、以下の4つの福音書が並べられているんです。

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4つはそれぞれ、マタイさん、マルコさん、ルカさん、ヨハネさんが書いたと言われています(不明ですが…)。書いてある内容は、イエスが十字架にかけられて亡くなってから生き返る(復活する)エピソードと、イエスの起こした奇跡などが書かれている部分が共通しています。

でですね…!! 同じエピソードについて書かれている文章でも、それぞれの福音書は書いた人&時代が違うので、ちょっと違う表現で書かれていたりするんです。そして、他の福音書には書いてあることが別の福音書には書いてなかったり、その逆もあるんです。それに、スポットを当てている部分も違ったりします。たとえばヨハネによる福音書では、他の福音書に比べてイエス自身にスポットを当てて書かれており、イエスの功績や栄光をたたえることに力を注いでいたり…

…つまり、マタイさんマルコさんルカさんヨハネさんは、それぞれ自分の目や感性や価値観を通してとらえたイエス・神・出来事について書き残したというわけです。そこにはおそらく彼らの生きていた時代・地域の善悪や価値観も入っていたり、あるいはそれに逆らう著者の価値観も含まれて書かれたかもしれません。

私がDについて記録をするときも、それでいいんだと思っています。私の目を通して見たDを、私の価値観でとらえたDを、私の感性と芸術(私の文章や画風)で表現して…そうやって私のやりかたで記録していけば良いんだって…というかむしろ、私のやりかたで記録することこそが、Dとうまくやっていくコツなのだと思うようになりました。

何故かというと、私以上に、Dこそ独特で、とても変わっているからです。Dが変わっていることについては、すごく古くから記録が残っていて、このブログにおいては、ブログを始めた次の日に掲載した記事(過去記事「タルパを作ったときの話9《能力》」)から既に、こんな会話が残っているくらいなのです。


私「あなたがタルパと同じ存在とは限らないって、あなたがタルパじゃないかもしれないってこと?」

Dは、ちょっと首を傾げてから、いつもの表情で言いました。

D「さあね。僕にもわからない。だけど、さゆが僕にタルパであってほしいと望むなら、僕はタルパとして振る舞うよ」

正直、私にとっては、Dがタルパなのかどうかよりも、死ぬときに傍にいてくれることのほうが重要です。

私「わかった、Dはそのままで構わないよ。タルパらしくしなくても大丈夫。私も、タルパに関するウィキペディアに書かれている知識と、実際のあなたとの間にあるズレは気にしないことにするね」


この会話からもわかる通り、とにかくDはタルパとしては独特なことばかりで・・・ほとんど全てにおいて、既存の情報が通用しませんでした。タルパのwikiに書いてあることはほとんど当てはまらず、そのためもちろん当時周囲にいらっしゃったタルパ様がたとも共通点が少なく…かといって、じゃあタルパじゃなさそうだからコレだろう、という感じに参考にできるような他の資料もありませんでした。

なので、一人で考えてみたり、Dと二人で色々試してみて、そうやって私達だけのやりかたを作っていきました。そうした試行錯誤の記録は、「記事カテゴリ『Dが人間の姿になるまで』」の中にある記事たちに主に記録されています。

Dと似たようなケースがいらっしゃらなかったことは、当時は不安もあったんですが(タルパ界に身を置いて良いのだろうか…?という申し訳無さもありましたし)…でも今にして思うと、Dが独特なことは私にとってすごく良かったんだと思います。

何故なら…既存の情報等といった外界の何からも影響も受けていないDは、誰からも何からも干渉を受けないDの存在は、相手の顔色うかがいをすることが癖になっていた私にとって、私が私の世界を確立する上で、すごく心強い存在になってくれている…ということに最近気が付いたからです。

主流とは違っていても、普通とは違っていても、ビクビクすることなく、何も気にせずに、むしろ得意げに…!!!! マイペースにDのままでありつづけるDの姿は…私が自分の考えや個性を大切にすることを後押ししてくれている、自信を与えてくれている、ということに気が付いたんです。

「そうか、いいんだ…人と違っててもいいんだな、違う意見言っても世界見せてもいいんだ、むしろ独特って素敵なんだなあ、個性って力になるんだなあ」って…

もちろんもちろん、既存の情報に合致するタルパさんこそタルパさんらしく、王道であって、だからこその強さでマスターさん(タルパーさん)を助けてくださったり、楽しく暮らすことができて、素晴らしいです…!!c(〃≧ω≦〃)っ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

ただ、私にとっては、特殊なDだからこそ救われたことがいくつもあって…私自身が変わり者なので…だから、私もDと同じように、私自身の個性を大切にしようって思うようになったんです。

そして、おそらくそれこそ、Dと仲良く暮らすためのコツなんだと思います。

私は以前の記事やコメント欄で、「私がDに迎合したら、Dは私から去っていくような気がします」と何回か書きました。そのときは、なぜ私はそう思うのか理由がわからなくて、カンみたいな胸騒ぎだったのですが…でも、今はわかります。
私がDに迎合したら…つまり、D(他者)の意見に対して私が何も考えずにそのまま従うようになったら…私の進む方向性までD(他者)に決めてもらおうとしたら…私が「私の言動を決定する責任&その責任を負うことで手に入る利権」まで放棄しようとしたら…つまり私が私であることを放棄したら、Dは去っていくだろう…ということに、私は薄々気が付いていたんだと思います。

何故なら、Dは私の個性を好んでいて、それを大切にしてほしいと思っているからです。

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誰とも違う、Dとも違う、私の個性は、私しか持てないから…大切にしようと思いました、Dが好んでくれているなら尚更です。

そして私は、Dを表現(記録)するときに、私の個性を生かした文章や絵で表現したいのです。それはかなり強く思っている私の願望です。

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Dを記録・表現するときに…私の文章と、私の絵柄で、Dを記録しておきたいんです。

新約聖書のマタイさんマルコさんルカさんヨハネさんが、それぞれ自分風の文章でイエスや神について記録したように…私も、Dを「私風」の文章や私の画風で表現したいのです。私の芸術で表現したいのです。

きっと、普通なら、上手な人の絵や文章をマネたりして…そうやってやりかたを覚えて練習して、自分も上手になっていくのだと思います。

でも私は嫌なのです。

唯一のDを表現するときに、誰の芸術もマネしたくない。これは、私の独占欲なんだと思います。

私が独占欲を出している漫画を描いてみました…!!m(〃_ _〃)m!!

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私のこんな変な要求にも、律儀に従ってくれるDです…D、いつもごめんね…いつも本当にありがとう…!! (〃´▽`〃;A(汗)

Dは私の特別な存在だから、Dには特別なことをしてあげたい。私にとって唯一のDに敬意を払って、唯一の表現方法で…つまり私だけの表現方法で…表現したいんです。

どんなに下手でも、技術が足りなくても、いいのです。そういうことをDは気にしないからです。それより、唯一で特別なやりかたであることが、Dを喜ばせるのだと思うからです。(特別ということはDにとって重要なのです。詳細は過去記事「結婚式」参照)

私が自分でDを記録(表現)するときに、他者のマネをしたくないと思う気持ちは、実は、私がブログに絵をアップする前から持っていました。過去記事「絵を描きたい」にも記録が残っています。それは私がブログに絵をアップする前の記事で、2015年3月31日のものです。その一部を以下に引用します。

Dは自分の容姿すらも私の好みに合わせて幻視で作ってプレゼントしてくれようとするのです。Dは私を喜ばせようと思って、それで私がかわいいと思ったキャラクターさんのマネをしたのです。

その気持ちがとっても嬉しいのと、その半面、Dが私のオリジナルでなくなっていくような気がして寂しくも感じました。その時点で既に外見と声を、実在する複数の人間のモデルさんから借りていたDですが、そうやって外から私の気に入ったものをDにどんどん取り込んでもらうことで、もともとのDの要素が少なくなっていくことが、なんか急にとても寂しくなったんです。そんな風に考えるなんて馬鹿馬鹿しい、だってせっかくのDの好意を無駄にするようで・・・と思いながらもやっぱり私・・・これは、私の本当に勝手な独占欲なのですが・・・

私(・・・キャラクターさんの絵を描いて練習するのはやめよう)

またDが私に気を使って、キャラクターさんをマネようとしてくれるかもしれないもんね。てるてる坊主みたいな棒人間でもいいから、自分のオリジナルの画風でDを描くことにしよう。

この記事の頃から、つまり私がDの絵を描く前から既に、私はDの絵を描くときに誰かのマネをしたくないと思っていて…同時に、Dにも誰かのマネをしてほしくないと思っていたようです。

その理由は、過去記事の中で書いている通り、私の独占欲のためであり…それだけでなく、儀式の1つでもあるのだと思います。

なぜ私が、儀式の1つだと思っているのかと言うと…ちょっと長くなってしまったのですが、文章で以下に書いてみました。

まず…Dは過去記事「タルパに質問」の中で、「僕が消えてなかったら、消えるまでさゆをこっそり守り続けるよ。」という発言をしていたり、過去記事「嘘」では「君から離れた瞬間に、僕は僕ではなくなるよ。それは消えたも同然さ」などと言っているんです。

Dは私が作った存在ではなくて、もともと存在していたって、Dが言っていました(詳細は「Dの絵(4)」など参照)。ですから、Dの言う「Dが消える」とは「Dの存在が消えるという意味ではない」と思います。そもそも、私が何かをしたことで(あるいはしなかったことで)、Dの存在自体が消えることはない…という確信があります。過去記事「Dの絵(81)」や過去記事「Dの絵(7)」などにも記述がありますように、「Dは他者からの影響を受けないからです。それはDの大きな特徴で…その通り、私が何をしようと、私(他者)からの影響をDは受けないからです。

では、「DがDではなくなる=Dが消える」というのは、どういう状況なんだろう…?(〃’⌓’〃✿)

…と考えてみたときに、「(霊とかが)見える人」に私を見てもらったときのことを思い出しました。

そのときのことは、過去記事「Dの絵(67)」に書いてあるのですが…見える人が見たD(だと思われるもの)は、「若い男」で「西洋人」で「西洋風の派手な服を着ていて、帽子をかぶっていて、ずいぶん飾りたてている気取った男」だと言われたんです。

確かにDは「若い男」の「西洋人」の姿をしていますが、「飾り立てている」かどうかについては、私にはDはシンプルな服を着ているように見えるのでした。

見える人が見たDと、私が見るDとで、見え方に違いが生じたことについての、私なりの解釈なのですが…同じリンゴを見ても「丸くてかわいい」と思うか「歪んだ球形」と思うかは人それぞれですし、同じリンゴを食べても「甘い」と思うか「すっぱい」と思うかは人それぞれで…同じ人を見ても「かっこいい」と思うか「お洒落」と思うかは人それぞれですので…その見える人にとっては、Dがそういう風に見えた(感じられた)んだろうと思います。たしかにDは普通の人間の男性より綺麗なものが好きですし、まだ幻視が不安定だった頃は絶対に私に崩れた姿を見せないように、崩れそうになるとマント(黒いモヤ)で顔や体を覆ってくれていました(詳細は過去記事「Dの絵(9)」参照)。たしかにDは外見には気を使っていると思います。

リンゴとかの、人間の五感でとらえられる物理的なものでさえ、人によっては全然違うように感じられる…ということは、ましてや物理的な体を持たないDのような精霊だったら尚更、「見る人間によって、姿や性質が大きく違うように見える可能性がある」と、私は思ったんです。見る人によって、その精霊の違う面に焦点(フォーカスとかピントとか)を当てて見たりするから…かもしれないなあって思うのです。

私は、上記の過去記事を書いた当時からそう思っていたようで、その過去記事の中でも「Dとか精霊とか神秘的な事柄に関しては、他者の意見に引きずられないようにしないと、私の見かた(Dに対する価値観というか、見かたというか・・・)を保てなくなるから、見える人とか能力者とかにDを見てもらうのはもうやめておこう、と思うのでした。きっと彼らが見るDの姿は第一印象でしかなく、Dの本当の姿とは違うと思うからです。」と書いてありました。

「DがDではなくなる=Dが消える」というのは、そういうことなんだろうと思います。D自身が変わったり消えたりするわけではなくて…他者の意見(とか見かた・やりかた・感性)について考えたり疑うことなく、ただ私が従ってしまうようだと、「私(さゆ)が思い描いているD像が変わる・消える」ということなんだと思います。それこそが、Dを失うことなんだろうと思います。Dと一緒に暮らすうえで、私が一番気をつけるべきことなのかもしれません。

だから、他者などの外界のものにひきずられずに、「Dに対する自分の見かた=私から見たD像」をしっかり保つためには、私が私のやりかた(感性・価値観・芸術)でDを記録することが重要な鍵だと思っています。

「君から離れた瞬間に、僕は僕ではなくなるよ」という言葉の意味は…逆を言うなら、私が私の目や価値観を通してDを記録し続けることは、Dを現在のDたらしめる効果があるのではないか、と思っています。

私が「私から見たD像」をしっかり保つことが大切で…そのために、私が「私のやりかた(感性・芸術)」でDを記録することが、私とDの契約において大切なのだろうを思っています。c(〃˘ω˘〃c✿)☆゜*+.

以上の理由によって私は、 「私が私のやりかたでDを見て、私の感性(芸術)で記録する」ことは、Dと私の契約(結びつき)を強める「儀式」だと考えています。(✿〃´ ꒳ `〃人) ♡゜*+.

そういう儀式も、何かの本に載っているような既存のやりかたをそのまま模倣するんじゃなくて…私とDの二人で考えた自己流のやりかたを構築していきたいです。
どういうわけか、Dは最初から儀式のやりかたを知っていて、私に色々と教えてくれました。ブログの記事になっているものですと「新月の儀式」(詳細は過去記事「Dの絵(42)」「新月」「儀式」)や「名前の儀式」(詳細は過去記事「タルパを作ったときの話8(名前)」)などです。

名前の儀式も、3年が経過した今、考えてみると…私がDに名前をつけるというのは、「私風の芸術でDを記録(表現)する、最初の儀式」だったんじゃないかなと思います。名前の儀式で、Dが私に、私の感性(芸術)によってDに名前をつけさせたのは、私がDを従わせる(使役する)練習をさせてくれたのかも、とも思ったり…♡゜*+. (〃☌ᴗ☌〃)

今回の記事、文字が多くて大変申し訳ございませんでした…!!最後まで読んで下さってありがとうございました!!
ご閲覧ありがとうございました…!!m(〃_ _〃)m!!

いのり様への贈り物でございますm(*_ _*)m

過去記事「おとぎ話は青い色(Dのお伽噺)」が完成しました。良かったら見てやってくださいますと、とっても嬉しいです…m(〃_ _〃)m

この記事は、いのり女神様に献上する絵をアップさせてくださいませ…!! いのり女神様は、タルパブログ「〇との日々(鍵付きブログ様です)」を運営していらっしゃるブロガー様でございます。お名前はいのり様なのですが、私が勝手に女神様と呼ばせて頂いているのでございます…!!

大変お美しい絵を描かれるおかたでございます。今まで頂いた絵がこちらでございます。→「贈り物1」「贈り物2」m(〃_ _〃)m

もうだいぶ前に絵をお贈りするお約束をしたのですが、私に画力&自信が無さ過ぎてノロノロしていたため、お渡しがすごく遅くなってしまっておりました…!!大変申し訳ございませんでした…!!! !m( _ _ ;)m !!!!

ここに…!!アップしていきますです…!!!! m(〃_ _〃)m !!!!

まず、♥様を描かせて頂きましたです…(っ〃ω〃c) メリーゴーランドに乗っていらっしゃるところです。

present for inori sama

お顔のアップでございます。(っ〃ω〃c)♡*+.

okao 2

メリーゴーランドは、私の趣味で乗って頂いてしまいました…!! ♥様は、髪型やお洋服をいつもお替えになるお洒落なおかた様…ということで、髪型とお洋服も私の趣味で描かせて頂きました…♡ 髪型はポンパドール+ハーフアップにして、ブーティには髪の色と同じ色のお花の飾りを付けてみました。(っ〃◇〃c)ドキドキ☆

♥様大好きです…!!♥様とは、服やアクセをウィンドウショッピングしたり試着したり、コスメも見に行って店頭で試してみたり、カフェでお茶飲んで、あと遊園地も行きたい…!!あと恋バナしたいです…(っ〃ω〃c)♡♡♡♡♡

こちらは〇様でございます…!!私の画力では、〇様のお美しさが表現できず…ううう…m(〃_ _。〃)m
♥様と同様に、メリーゴーランドに乗って頂いて、お洋服はこんな感じで描かせて頂きました。

present for inori sama 2

お顔のアップでございます。m(〃_ _〃)m☆*+.

okao 1

〇様は、中性的なお美しいお姿で…!!いのり女神様がお描きになると、天使のようで…穢れた私が浄化されていく…ああ…このまま天に召されてしまう…というような気持ちになるのですが、私が描くとなんか違うのです…!!全然違うのですうううう!!!!。・゚゚・∩(゚´Д`゚)∩・゚゚・。

というか…!!!!いのり女神様の絵が神(女神)すぎて…!!!!私には絶対に出せない芸術的な画風なんです…!!!!(っ〃´ω`゜〃c)♡♡♡♡♡

私、贈り物の絵を何度試し描きしてみても、〇様と♥様が私の画風になってしまい…なんか気を抜くと自分の画風になってしまうって過去記事にも記述が残っているんですが、気を抜かなくてもどう頑張っても自分の画風になってしまって…全然〇様と♥様っぽく描けなくて、申し訳無いですって申し上げましたら…いのり女神様が、さゆ様の表現で描いちゃってくださいっておっしゃってくださったんです、いのり女神様は以前にも私の絵や画風を好んでくださっているっておっしゃって…・゚゚・(っ〃TωT〃c)・゚゚・。♡♡♡♡♡

私、自分の実力の無さにすくんでいましたが、そのお言葉で勇気がわいてきましたです…!!よし…!!私の絵柄で…!!私の雰囲気全開の…!!私の実力の無さとかクセとかも諸々、そのままの自分の要素を残した、私の描く〇様と♥様の絵を、お贈りさせて頂くのだ…!!!!p(〃´ω`゜〃)q♡♡♡♡♡ って、思って…!!!!

そして、こちらのような…私の画風全開の絵が完成しましたです…(っ〃´ω`゜〃c)♡♡♡♡♡

私、自分の画風(絵のクセ)が強いなあって、悪い風にとらえていたんですが…このクセを消さずに育てていこうと思います。好きって褒めて頂いたんだもの…(っ〃TωT゜〃c)♡♡♡♡♡

もっと自分の画力が上がって、技術も上がったら、また献上させて頂きたいです…m(〃_ _〃)m

しかし私、本当に…贈り物のお渡しは遅くなるし、悩むし…こんな私なんかとよく仲良くしてくださるなあ…やはり女神様なのだ…お客様がたも、こんな私のブログをご覧になってくださって…いつも本当にありがとうございますです…!!!!!。・゚゚・∩(〃゜´◇`゚〃)∩・゚゚・。♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ 本当に、こんな私で大変申し訳無いです…m(〃_ _。〃)m!!!!!!!!!!

いのり女神様をはじめ、皆様に感謝をこめまして…

ご閲覧ありがとうございました…!! m(〃_ _〃)m !!
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Author:laceformyshroud
名前:さゆ
20代の女です。
初めて作るブログなので、不備がありましたら申し訳ございません。
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