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El laberinto del fauno

原題「El laberinto del fauno」(日本語版「パンズ・ラビリンス」)という映画があるんですが、私のタルパ世界(?)はこの映画から大きく影響を受けている気がします。
気がします、というのは私のタルパ世界はDが作ってくれたものなので、私が自分でコントロールできない世界だからです。そのDすらも突然私の前に現れたもので、私の意思を無視して勝手に動いたり成長したりするので、Dもタルパ世界も私が自分で作ったという感じが全然しないのです。
私とDを取り巻くタルパ世界を、Dは「静謐の楽園」とか「王国」とか呼ぶのですが、Dは私がこの映画を好きなことを知っていたので、Dが私のタルパ世界を作ってくれるときに、この映画を少し参考にしたんじゃないかなと思います。ありがとうねD。

映画について重大なネタバレは書いていませんが、具体的な内容に多少ふれているため、記事は追記に収納しておきます。
読んで下さるかたは、下にございます「続きを読む」をクリックしてくださいませ。記事が開きます。m( _ _ )m



簡単なあらすじは以下です。

フランコ政権下におけるスペインで、父親を失った少女オフェリアは、母親の再婚相手である軍人のもとに身を寄せるために、妊娠中の母と紛争地帯にやってきました。その地には古代の遺跡である謎めいた迷宮が残っていて、その迷宮にはファウノ(日本語だと「パン」)という精霊がいるという伝説が残っています。ファウノはいにしえからの精霊であり、人を助ける良いものであるとも言われるし、人をまどわす悪いものであるとも言い伝えられています。

内戦後の独裁政権下で物資も食料も少なく、身重の母親は体調が悪く危ない状態で、新しい父からは邪魔者扱いされる孤独なオフェリアでしたが、ある夜、眠りにつこうとする彼女の前に妖精が現れて、彼女をファウノの迷宮へとつれていきます。

迷宮の中には、山羊に似た角を持つ何かがいました。それはファウノと名乗り、オフェリアに向かって、うやうやしく頭を下げて一礼しました。

「お待ちしておりました、私の王女様。私はあなたの忠実なるしもべです。あなたは遥か昔、地底の王国の王女様でした。しかし幼いときにいたずらで地上に出てしまい、そこで人間の姿のまま病気で亡くなってしまったのです。国王であるお父上は嘆き悲しみ、あなたの魂を宿した人間が地上に産まれるのをずっと待つことにしました。私はあなたを再び地底の王国にお連れするために、ずっと探していたのです。さあ、私と共に地底の王国に帰りましょう。飢えも痛みも苦しみも無い王国へ」

喜ぶオフェリアでしたが、フェウノはこうも続けます。

「ただ、王国に帰る前に調べなくてはいけません。長い間地上をさ迷っていたあなたの魂が、かつての気高い王女様のままなのか、それとも普通の人間に成り下がってしまっていないか」

そこでオフェリアは、まだ王女としての魂を持っていることを証明するために、満月になるまでの間に3つの試練を受けることになります。果たしてオフェリアは試練をクリアできるのか?彼女は地底の王国の王女とやらになれるのか?そもそもファウノの言っていることは真実なのか?

・・・という感じの映画です。

まだ子供なので無力だし、誰も頼る相手がいないオフェリアは、見るからにあやしいファウノの言葉をちょっと疑いつつも、一生懸命幸せになろうと思って頑張ります。いつ死ぬかわからないような酷い現実の中では、あの不気味な非現実世界のほうが彼女にとってずっと幸せで、それどころか、唯一の希望だったんだろうなと思うと切ない気持ちになります。

・・・この映画、音声はスペイン語のままで、日本語字幕を出してご覧になったほうがいいと思います。なんか日本語音声の吹き替え版は、声が合ってないというか、臨場感が無いというか・・・なんか違うんです。私、酷評するの好きじゃないんですけど、この映画はスペイン語音声をオススメします。日本語の声を担当なさったかた本当にごめんなさい・・・!!


※これより先は、私の個人的な考察が含まれます。ご注意くださいませ!! m( _ _ )m

ラストは、あの状態から考えられる最高のハッピーエンドだと思います。オフェリアは彼女の望む幸せを手に入れることができたからです。

ファウノの本心に関しては、見る人の解釈によってどうとでも受け取れるんですが、私としてはファウノはオフェリアを哀れに思って助けてあげようとしたんだと思います。ただファウノはオフェリアのために沢山嘘をついていて、特に地底王国の存在に関しては、もともとあったのか怪しいと思っています。何故なら、王国に関する事柄がオフェリアの好きな童話本にそっくりだからです。その本の存在すらもオフェリアが王国に興味を持つようにファウノが現世に関与してオフェリアの手に本が渡るように仕組んだものだとすると話は別なんですが、どちらかというと私は、あの王国はファウノがオフェリアに出会ってから彼女のために作ってあげたものなんじゃないかなと思います。だからオフェリアにとって理想郷みたいな王国なんじゃないかなあ。

この映画を作った監督は「ファンタジー(幻想)も現実の一部であり、現実こそ最大のファンタジー」という解釈を持っているのですが、この映画にもそういった思想がちりばめられています。

オフェリアは童話の世界に憧れる夢見がちな少女で、ファウノの語る世界を信じているのですが、そのことを母親に糾弾されます。「もう小さい子ではないのだから、夢を見ていないで現実を見なくてはいけない」と言われます。しかし皮肉にも、母親も現実を見ないで幻想を信じて生きているのです。
母親は再婚相手の男が自分を愛しているという幻想を信じています。どう見ても愛されていないのに、現実を見ることができず、自分は彼から愛されているという幸せな幻想の世界に生きているのです。

その再婚相手である男も、幻想を信じて生きています。彼は父からの影響を大きく受けていて、その最たるものが「自分の子供は息子で、自分が死ぬときには息子に遺言を残せる」という幻想です。

フランコ政権側の軍(再婚相手である大尉の部下達)も、自分達が正しいからゲリラに勝てるという幻想を信じています。

一般市民も、古くからの信仰という幻想を信じていたことが仇となって命を失います。

もっとも現実を考えて生きているように見える医者も、自分が思う「人間としてあるべき姿」や「キリスト教」という幻想を信じていることによって、死ななくても良い場所で命を失います。

メルセデスを初めとするゲリラ側の人間も、共産主義が世界を幸せにするという幻想を信じています。

・・・というわけで、この映画に出てくる人間のうち誰一人として幻想を持っていない人はいないのです。それは別に独裁政権下の厳しい状況だからということではなくて、現代の平和な時代の平和な国でも、人間なら誰でも何かしらの幻想を信じているんじゃないかなと思います。人は誰でも自分の幻想世界の中で生きていて、自分の信じたいことを勝手に信じて生きているんじゃないかなあ。そのことを監督は「ファンタジーも現実の一部で、現実こそ最大のファンタジー」って表現したんじゃないかなと思います。

ファウノの姿は悪魔をイメージして作られたということが監督によって公言されているんですが、それも監督らしさが出ていて面白いと思いました。オフェリアはキリスト教的に見れば、悪魔に騙された堕落した人間っていうことになりますもんね。でもこの作品では、神はオフェリアの救いにはならず、むしろ神を信じる人達によって酷い現実世界が作られ、皆が苦しんでオフェリアも苦しめられています。神が支配する地獄のような現実に絶望したオフェリアに幸せな夢と希望を与えて彼女を救ったのがファウノという感じに作られています。
監督の出身地はメキシコなんですが、メキシコはかつてスペインに征服されたことがあり、そもそもメキシコというかラテンアメリカ付近は、キリスト教的に見れば邪悪な宗教を信じていたアステカ文明とかをキリスト教に滅ぼされたりしたので、キリスト教というか絶対的な善を名乗る者に対して懐疑的なんです。私はラテンアメリカ文学も好きで、ガルシア・マルケスとかオクタビオ・パスなんかも好きなんですが、やはり作品からそういった思想や雰囲気を感じます。
そういうラテンアメリカ文学とこの映画の共通点は多いと思います。根本的な部分が共通しています。「現実と幻想の境界線が曖昧」または「境界線のあちらとこちらを行き来する」という部分も大きな共通点です。そういう意味でこの映画、ラテンアメリカ文学の思想に忠実に基づいているというか、監督がメキシコ人なんだなあということを実感させられます。
ちなみに、ラテンアメリカ圏の人達は日本の作品が割と好きみたいです。物事は簡単に善悪で分類できるものじゃないとか、どんなものでも善と悪の両方の部分を持っている、みたいな日本的な世界観に共感するようです。


これより先は、エンディングを予想させるネタバレを含みますので、ご注意くださいませ!! m( _ _ )m

この映画は、ファンタジーが存在する世界観としても解釈できるし、全部オフェリアの妄想だったとしても解釈できるという点も、とても面白いと思います。
現実世界にいながらファンタジーの世界とも関わる作品としては、ハリー・ポッター、ネバー・エンディング・ストーリー、ブラック・スワン等も同じようにあげられますが、そういった作品と決定的に違うのが、この映画はファンタジーが存在したとして解釈しても全部妄想だったとして解釈しても矛盾が無く、どちらとも受け取れる作品だという点です。そういうの大好きです。

ファウノが精霊だったとしても、タルパだったとしても、妄想だったとしても、ファウノが好意を持ってオフェリアに近づいたんだとしても、悪意を持って近づいたんだとしても、オフェリアはファウノによって幸せになれたので、彼に感謝していると思います。

監督は「ファウノはオフェリアに好意を持って近づいた。ファウノにとってオフェリアは王女である。試練の中に出てくるカエルや化け物もファウノが化けたものだし、妖精はファウノが作った幻。だから実はオフェリアに危険は無かったし、死んだはずの妖精もラストで復活してる」とか言っちゃってるんですが、冗談だったのかなあ。そういうのは黙っておいて視聴者に自由に解釈させたほうが面白みが出ると思うんだけどなあ。

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