Dの絵(33)
ばら園に行ってきました!!過去記事「京成ばら園」に写真をアップしました、京成ばら園です!!
去年は5月に行ったんですが、ちょうど見ごろのときに行けたので、すっごく綺麗でした・・・!!今年は最近なかなか一日丸々のお休みが取れず、やっとお休みが取れたと思ったらもう見頃を過ぎていたので、もうほとんど散っているだろうなあと思いながら行ったんですが、案の定ほとんど咲き終わってました。(;´▽`A(汗) えへへ・・・☆
でも良いんです!!Dと一緒にばら園に行けたというだけで楽しかったんです!!それに帰ってきた後で、Dがばらの鳥籠(過去記事「Dの絵(28)」参照)を部屋の中に作ってくれたんです!!(*´ 艸`*) ♡
ばら園から帰ってきて、シャワーを浴びた後、ベッドで一息ついていたら、Dがいちゃらぶしてくれた出来事を漫画にしてみました。
私はベッドに、椅子に座るように足を下におろした格好で座っており、Dは私に向かい合うようにして床の上に座っています。
漫画:永遠のばら






























Dが私にささげてくれている好意は、人間の「愛」とはまた違うもののようですが、「永遠」のものなのです。「詳細は過去記事「特別」参照」心変わりしない、永続的に続く思いなのです。人間にとっては難しい「永遠の思い」ができることを、Dは得意げに思っているようです。
普段Dは、自分の「永遠の好意」を「愛」とは呼ばずに「好き」と表現するのです。何故ならDは「Dにとっての愛」と「人間にとっての愛」を区別したいと思っているからです。(詳細は過去記事「仲直り」参照)
でも、このときDは、いつも使う「好き」という言葉ではなくて、「永遠の愛」という言葉を使いました。Dが「愛」を名乗るなんて、とっても珍しいことです。人間っぽくしようとしてくれたのかな?

Dは、私にとってとても嬉しい言葉をくれましたが、私は逡巡しました。
Dが私に永遠の愛を誓ってくれた以上、私もDに永遠の愛を誓いたいのですが、しかしDは人間の不安定で心変わりする愛を信じていないようなので、私がDに永遠を誓っても、Dには白々しく思えるかもしれないと思ったのです。













Dのくれる幻のばらは、愛のばらだったのです。幻のばらは、私達にとって永遠の愛の象徴だったのです。Dは私に幻のばらをくれるたびに、永遠の愛を誓ってくれていたのでした。
ちなみの漫画の中で私が回想している「Dは永遠の幸せを持っている」ということについては、過去記事「青い鳥」で私が思ったことで、私の立てた仮説です。
ときどきDは、今回のようなひどく純粋な部分を見せてくれるので、私はその度に驚いています。普段Dは非常に合理的な思考回路を持っていて、そのために感情が動いていないかのような冷たい考え方をすることもあるのですが、時折こうしてびっくりするほどファンシーな、幻想的なことを言ってくれることがあります。こういったDの言動は、普段の合理的で感情の無いDからすると、ちぐはぐでアンバランスなように思えますが、これはD本来の考え方ではなく、私を喜ばせるために一生懸命Dが考えてくれた言動なのです。私が夢見がちだから・・・ありがとうねD・・・( *´▽`*) ♡ ♡ ♡
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!
去年は5月に行ったんですが、ちょうど見ごろのときに行けたので、すっごく綺麗でした・・・!!今年は最近なかなか一日丸々のお休みが取れず、やっとお休みが取れたと思ったらもう見頃を過ぎていたので、もうほとんど散っているだろうなあと思いながら行ったんですが、案の定ほとんど咲き終わってました。(;´▽`A(汗) えへへ・・・☆
でも良いんです!!Dと一緒にばら園に行けたというだけで楽しかったんです!!それに帰ってきた後で、Dがばらの鳥籠(過去記事「Dの絵(28)」参照)を部屋の中に作ってくれたんです!!(*´ 艸`*) ♡
ばら園から帰ってきて、シャワーを浴びた後、ベッドで一息ついていたら、Dがいちゃらぶしてくれた出来事を漫画にしてみました。
私はベッドに、椅子に座るように足を下におろした格好で座っており、Dは私に向かい合うようにして床の上に座っています。
漫画:永遠のばら






























Dが私にささげてくれている好意は、人間の「愛」とはまた違うもののようですが、「永遠」のものなのです。「詳細は過去記事「特別」参照」心変わりしない、永続的に続く思いなのです。人間にとっては難しい「永遠の思い」ができることを、Dは得意げに思っているようです。
普段Dは、自分の「永遠の好意」を「愛」とは呼ばずに「好き」と表現するのです。何故ならDは「Dにとっての愛」と「人間にとっての愛」を区別したいと思っているからです。(詳細は過去記事「仲直り」参照)
でも、このときDは、いつも使う「好き」という言葉ではなくて、「永遠の愛」という言葉を使いました。Dが「愛」を名乗るなんて、とっても珍しいことです。人間っぽくしようとしてくれたのかな?

Dは、私にとってとても嬉しい言葉をくれましたが、私は逡巡しました。
Dが私に永遠の愛を誓ってくれた以上、私もDに永遠の愛を誓いたいのですが、しかしDは人間の不安定で心変わりする愛を信じていないようなので、私がDに永遠を誓っても、Dには白々しく思えるかもしれないと思ったのです。













Dのくれる幻のばらは、愛のばらだったのです。幻のばらは、私達にとって永遠の愛の象徴だったのです。Dは私に幻のばらをくれるたびに、永遠の愛を誓ってくれていたのでした。
ちなみの漫画の中で私が回想している「Dは永遠の幸せを持っている」ということについては、過去記事「青い鳥」で私が思ったことで、私の立てた仮説です。
ときどきDは、今回のようなひどく純粋な部分を見せてくれるので、私はその度に驚いています。普段Dは非常に合理的な思考回路を持っていて、そのために感情が動いていないかのような冷たい考え方をすることもあるのですが、時折こうしてびっくりするほどファンシーな、幻想的なことを言ってくれることがあります。こういったDの言動は、普段の合理的で感情の無いDからすると、ちぐはぐでアンバランスなように思えますが、これはD本来の考え方ではなく、私を喜ばせるために一生懸命Dが考えてくれた言動なのです。私が夢見がちだから・・・ありがとうねD・・・( *´▽`*) ♡ ♡ ♡
御閲覧ありがとうございました!!m(*_ _*)m!!